15 言い知れぬ緊張感に包まれる
「話しておきたいことがあるんだけど」
星祭りの翌日。
いつものように迎えにきたブランドは、いつものように馬車に乗り込んで真向いに座ったかと思うと、突然切羽詰まったようなただならぬ顔つきになった。
馬車の中が、一気に言い知れぬ緊張感に包まれる。その異様な雰囲気に気圧されて、私は首筋を流れる華奢な鎖にそっと触れる。
その瞬間、真っすぐな視線がためらいもなく私を射抜いた。
「……俺、ルディスが好きだから」
…………は?
「急にこんなこと言われても驚くだけだろうし、今更何をって思われるのもわかってる。でももう、自分の気持ちに嘘はつきたくないし気づかないフリするのもしんどいし、ルディスが好きな気持ちを抑えられそうにない」
覚悟を決めたとでもいうような力強い声に、逃れられない熱がこもる。
「この気持ちに、今すぐ応えてほしいわけじゃないんだ。でも俺、これまでの三年間の罪滅ぼしをしたいからって理由でずっとルディスのそばにいただろ?」
「う、うん」
「罪滅ぼししたい気持ちはもちろんある。でもその気持ちより、ルディスが好きで、好きだから一緒にいたい気持ちのほうが断然大きくなってんだよ。こんなのいつまでも誤魔化せるわけないし、もう誤魔化したくもない。自分にもルディスにも嘘をつきたくないんだ」
強張ったままの表情で一ミリも視線を動かさず、ブランドはなおも続ける。
「我ながら勝手なこと言ってるなって思うよ。今更何言ってんだって嫌われても拒絶されても仕方がないと思う。でも俺は、ルディスが好きだから。好きだと自覚した以上、どれだけ時間がかかったとしても今までやらかしてきた分を償うだけじゃなくて、ルディスに選んでもらえるよう努力したいんだ」
迷いなく、淀みなく、その揺るぎない決意を堂々と表明するブランド。
一方の私は、唐突な告白に脳内の処理速度が追いつくわけもなく、完全にフリーズしていた。
……ブランドが、私のことを好き……? え、なんで? いつから? どういうこと?
何か言い返したいのに、言葉が出てこない。心臓がとにかくバクバクとうるさくて、思考もままならない。それでも、どこか冷ややかにこの状況を俯瞰している自分がいる。
「……そんなこと言って、ほんとは婚約の継続が目的なんじゃないの?」
痛烈な邪推が否応なしに頭をもたげる。婚約の継続は、廃嫡を免れたいブランドにとって必須条件なんだもの。本当は、ブランドがそんな不純な動機に囚われていないことくらいとっくにわかっているのに。でも悲しいかな、ブランドの言葉をすぐにはそのまま信じきれない。
ブランドは一瞬ぽかんとした顔をして、それからさも当然とばかりに言い放った。
「婚約なんて、当然継続したいに決まってるだろ」
「え……」
「だってルディスをほかの男に取られるなんて、絶対に嫌だから」
「は?」
「俺との婚約が解消になったら、ほかの男と婚約することになるだろ? そんなの嫌だ。耐えられない」
「え」
「俺はルディスとずっと一緒にいたい。一生そばにいたいし、いてほしい。そのために、婚約は何がなんでも継続してもらいたい」
「……え」
「でもだからって、無理強いしたいわけじゃない。ルディスが俺のことを好きになってくれて、そのうえで婚約を継続してもいいって思ってもらいたいからさ。そうなるように、これから全力で本気出すってこと」
ふんす! と鼻息も荒く、ブランドがなぜかドヤ顔をする。
「えと、あのさ」
私は頭の中がぐるぐると混乱するのを感じつつ、慎重に言葉を選ぶ。
「一応確認したいんだけど、婚約を継続したいのは跡継ぎの座を追われたくないからでもある、よね?」
「は?」
「だってほら、私との婚約が解消になったら跡継ぎはスヴェンになっちゃうんでしょ……?」
「あ」
ブランドは口を半開きにしたまま、数秒停止する。それからゆるゆると起動して、「そうだった、そうだった」とはぐらかすように薄笑いをする。
「すっかり忘れてた」
「は?」
「そういえば、そうだったよな」
「そういえばって……。ブランドにとっては、それが一番大事なことだったんじゃないの?」
「違うけど」
あっさりと言い切って、ブランドはふっと柔らかく微笑む。
「まあ、最初はさ、そう思ったりもしたけどさ。でも前にも言っただろ? 跡継ぎのことはもういいんだって。それよりも、俺はルディスにちゃんと向き合いたかった。向き合った結果、ルディスが俺にとってどれだけ大事な存在で、どれだけ愛しい存在なのかってことがはっきりわかったわけだけど」
「は?」
「だからさ、例えばの話、ルディスと婚約を継続したら逆に廃嫡されるってことになっても、それならそれで構わないってこと」
「それって……」
「跡継ぎでいられるかどうかなんて、もうさほど問題じゃないんだ。それよりもルディスに好きになってもらいたい。ルディスに振り向いてもらって、なんならルディスの心を鷲掴みにしたい」
「鷲掴み」
「そういう、俺の漲る野望についてちゃんとルディスに断っておこうと思って」
最初の険しい真顔とは一転、吹っ切れたような無邪気な笑顔を見せるブランド。
えっと、つまり跡継ぎ問題とはまったく関係なく、ブランドは本当に私のことが好きになって、それで私にも好きになってほしいから本気出すってこと……?
それを、ここへきてわざわざ正々堂々と宣言するとは。
何もかもが想定の斜め上を行き過ぎて、私は戸惑いぎみに笑うしかなかった。
◇◆◇◆◇
学園に到着して、私はすぐにブランドの『本気』をこれでもかというほど見せつけられることになる。
いつも通り教養科の私の教室まで一緒に歩いている途中、ブランドは唐突に切り出した。
「ルディス」
「何?」
「今日からまた、昔みたいに『ルディ』って呼んでいいか?」
「え」
それは、家族や近しい人たちだけが呼ぶ私の愛称。ブランドも昔は『ルディ』と呼んでいたけど、中等部に入ってまもなく『ルディス』呼びに変更されたのだ。理由は推して知るべし、なんだけど。
「なんでまた急に」
「昔みたいに呼びたいだけ」
「……別に、いいけど」
「じゃあ、ルディも俺のこと、昔みたいに『ブラン』って呼んでよ」
「は?」
「嫌か?」
「嫌っていうか……」
いつのまにか、もう教室の前まで来てしまった。
それなのにブランドは、教室の入り口を塞ぐように立ち止まる。鋭い目つきが少しねだるような甘さを含んで、中へ入りたい私を阻む。
「……いきなり言われてもさ。そういうのって心の準備が必要っていうかさ」
「そうか?」
「そうだよ。もう何年もそんな呼び方してないんだし」
「俺はすぐ呼べるけど」
言いながら、ブランドは私の髪をすっとひと房掬い上げ、自分の指にくるくると巻きつけた。
「え、ちょっ――」
「ルディの髪って、昔と全然変わらないな。ふわふわしてて、柔らかくて」
「は?」
「なんかいい匂いだし」
「ちょっと、みんな見てるじゃないの」
「見せつけてるんだよ」
そう言って、ブランドはその端正な顔をずいっと近づける。反射的に、全身の血液が顔中にぶわっと集まってくる。
「……ルディ、赤くなってる」
「は!?」
「ほんと、可愛すぎ」
「も、もう、さっきから何言ってんのよ。早く自分の教室に行きなさいよ」
どぎまぎしながらもなんとか言い返すと、ブランドは「行きたくないなー」なんてわざとらしく大きなため息をつく。
「……ルディと離れたくない」
「は?」
「ランチの時間まで離ればなれなんて、考えただけで死にそう」
「ちょっと、ほんとにどうしちゃったのよ? キャラ変し過ぎよ」
「だよな。俺もそうは思うんだけど、ルディが好きだって自覚しちゃったら溢れ出る感情を我慢できないというか」
「何それ」
「とにかく、ランチの時間になったら飛んでくるから」
「いや、普通に歩いてきてよ」
「それまでに俺のこと、『ブラン』って呼ぶ練習しとけよ」
「え」
「約束だからな」
そう言うと、ブランドは名残惜しげに私の髪を解放して、余裕の笑みを見せながら立ち去っていく。
……これは、ちょっと。
私の心臓がもたないかもしれない。




