14 当てつけがましく煽られる◆
星祭りの二週間ほど前。
「お前はカティア嬢と一緒に行くんだろ?」
敵軍の一人のはずなのになぜか最近は友人のように行動を共にする機会の多いヴェイセルに尋ねると、あからさまに眉を顰める。
「そうだけど。お前もとっくにルディス嬢を誘ってたんだってな。ほんと抜け目のないやつだよ」
「お褒めに預かり恐悦至極」
「褒めてねえし」
ヴェイセルは隣の席にどかっと腰を下ろしつつ、深々とため息をつく。
「俺としてはエリアスを応援してんだからさ。ほんとはお前にがんばってほしくないんだよ」
「だろうな」
「でも決めるのは、ルディス嬢だからさ。友人としてはエリアスを援護したいけど、結局は見守ることしかできないのがつらいところだ」
「カティア嬢もそう言ってんのか?」
「あいつはルディス嬢の絶対的な味方だからさ。誰を選んだとしてもルディス嬢の気持ちを尊重するって言ってる」
「そうか」
本人を目の前にして堂々と悪態をついたり毒を吐いたりしていても、根はいいやつなのだ。ヴェイセルという男は。嘘はつかないし、陰でこそこそと悪質な言動を繰り返すなんてこともない。
それにひきかえ。
「せっかく協力してやったのに、ほんと何なんだよあれ」
白々しく、わざと俺たちに聞こえるように放たれる悪意の塊でしかない声。
その悪意の矛先は、間違いなく俺たちである。仕方なく目を向けると、教室の後ろの席付近で三~四人の男子生徒が群れをなしている。
「かわいそうな令嬢がこれ以上ひどい目に遭わないよう協力してやったってのに、いつの間にか何事もなかったみたいに仲良くなってんだもんな」
「ミイラ取りがミイラになるってこういうのを言うんじゃないの? 協力して損したよ」
「ほんとそれ。人の善意をなんだと思ってんだろうな」
「あー、あの令嬢がかわいそうだよなー」
陰湿さを極める辛辣な声に、ヴェイセルが何か言い返そうとしたのだろう。立ち上げるつもりで、椅子に手をかける。
「やめろ、ヴェイセル」
「何なんだよあいつら。最近うざすぎるんだけど」
座ったまま、男子の群れを睨みつけるヴェイセル。俺はその群れから目を背けて、小声でささやく。
「あいつは昔っからうるさいんだ。かかわるな」
「は? お前、ハルスティン・ベランノールと知り合いか?」
「知り合いっていうか、中等部で三年間同じクラスだったんだよ」
「三年間? あいつと? そりゃ同情するわ」
ヴェイセルの憐みを込めたまなざしに、俺は諦めたような薄笑いを浮かべる。
ハルスティン・ベランノール侯爵令息は、中等部での三年間同じクラスだった。もっと言えば中等部に入学したばかりの頃、ルディスとの仲を冷やかし茶化した張本人であり、その首謀者、まあ主犯格なのである。あいつが率先してルディスを「奥さん」と言い出し、「うわ、やらしい」だの「破廉恥」だの「昨日もお盛んだったんだろう?」だのと下品な物言いで揶揄うようになったおかげで、まわりの令息たちも便乗して囃し立てるようになったのだ。
ルディスとの接点がなくなってからは直接口撃の対象になることはなかったが、ここへ来てまた鬱陶しさが再燃している。あいつらは俺がルディスと話がしたいと追いかけ始めたとき、接近を阻止するカティア嬢たちに勝手に加勢していたらしいのだ。それなのに俺たちがいつの間にか和解して(実際はしてないのだが)、敵対していたはずの五人が仲良くしているもんだから(実際はしてないのだが)、思惑が外れて相当面白くないと見える。鬱憤を晴らすように悪感情を向けられ、敵対視される羽目になり、今みたいに当てつけがましく煽られている。ほんとに懲りないやつらだよ。しょうもない。
ただ、以前は気になって仕方がなかった外野の野次や挑発も、ルディスと話し合ってからは一切気にならなくなったから不思議なものである。事情を知らない外野にあれこれ言われても、もはや痛くもかゆくもない。俺の弱さも失敗も羞恥心も不甲斐なさも、ルディスはわかってくれている。ルディスが受け入れてくれているという事実だけで、俺はこんなにも満たされる。
それでも、ルディスやカティア嬢が俺のせいで嫌な思いをしていたら申し訳ない。そう思って聞いてみたけど教養科ではそんなことはないらしい。ということは、ハルスティンたちが騎士科で勝手に騒いでいるだけということだろう。いやほんと、まじでダサい。
俺は無意味な挑発を続けるハルスティンたちの存在を意識の片隅に追いやって、不愉快そうな顔をしたままのヴェイセルに向き直った。
「そんなことより、ヴェイセル。星祭りの日はカティア嬢とどこを回る予定なんだよ?」
「は? お前、人のデートプランを参考にする気か? 自分で考えろよ」
「お前って、ほんとに容赦ないよな」
「当たり前だ。敵に塩なんか送るか」
それでもヴェイセルは、星祭りの日のデートプランを思った以上に事細かに教えてくれた。やっぱり根はいいやつなのだ。
◇◆◇◆◇
星祭り当日。
夕方迎えに行くと、ルディスは学園の制服から見慣れない私服に着替えていた。シンプルな白いブラウスに、黒に近い紺色のスカート。ヴェイセルに「令嬢は相手の令息の髪や瞳の色味のスカートを選ぶらしい」と聞いてはいたものの、実際にルディスが俺の瞳の色に似た紺色のスカートを履いているのを見たときには否応なしに固まってしまった。え、何これ。めっちゃうれしいんだけど。照れるし。しかもとんでもなく可愛いし。これはちょっと、やばいかもしれない。
思わず、「似合ってる」なんて言ったこともない気障なセリフが口をついて出てしまう。でも言われて挙動不審になるルディス、なんか可愛すぎないか?
街に出ると、思った以上の人出で賑わっていた。はぐれると困る、なんて言い訳して、俺はルディスと手をつなぐ。ルディスは噂になるのを心配してくれていたけど、もうそんなことはどうでもよかったのだ。ただ、ルディスと手をつなぎたかった。小さいときにもよくこうして手をつないであちこち探検したけど、もうあの頃とは違う。透き通るほど白くて小さな手。ほっそりした指。心なしかひんやりとした体温。触れたくて、なぜだかどうしようもなく触れたくて、勢いでつないだ手から自分の中に閉じ込めたありとあらゆる欲が溢れ出しそうになる。
でもそんな煩悩の類いはおくびにも出さず、俺は精一杯紳士的にエスコートしながら星祭りを楽しんだ。ヴェイセルに教えてもらったアクセサリーショップにルディスを連れて行ったら、可愛いもの好きのルディスはすぐに夢中になってアクセサリーに見惚れていた。特に、大きさの違う三つの星が連なって光り輝くネックレスには目が釘付けになっていた。ほんと、ルディスはこういうときわかりやすい。そしてその自覚がないのが、まじで可愛すぎる。
買ってあげるつもりで聞いたのにやんわりと断られたのはちょっとショックだったけど、ルディスがトイレに行っている間に急いで店に戻ってあのネックレスを手に入れた。帰りの馬車の中でなんとか勇気を振り絞って渡したら、ルディスはこぼれるような笑みを見せて、
「……ありがとう。うれしい」
なんてうっとりとつぶやく。その甘く、柔らかな声。あれからもう何度も何度も何度も俺の脳内で繰り返し再生されている。やばい。まじでやばい。
ああ。もうダメだ。素直に認めてしまえ。俺の中で、ルディスの存在が想像をはるかに超えて大きく膨れ上がってしまっていることを。ルディスがこれ以上ないほどかけがえのない存在になっているということを。
――――ルディスが好きだ。
わかっていた。ほんと、今更だ。あれだけ傷つけてきたくせに、実はずっと好きだったなんて厚かましいにもほどがある。でも、認めざるを得ない。ルディスが愛しい。これからも一緒にいたい。ずっとそばにいたい。なんなら片時も離れたくない。この先もしかしたら婚約を解消されて、ほかの男に取られる可能性があるなんてこと考えたくない。いや考えられない。ルディスじゃなきゃ嫌だ。ルディスだけがほしい。ルディスの目に映るのが、俺だけだったらいいのに。
あんなにも可愛らしいルディスを放ったらかしにして、蔑ろにしてきた三年間を俺は激しく後悔した。せっかく、婚約者という正当かつ強力な立ち位置にいたのに、ほかの男たちにつけ入る隙を与えるなんて俺はどこまでバカなんだ。三年前の俺に言いたい。お前は将来、自分で自分の首を絞めることになるんだぞと。
でもどんなに後悔しても、時間は巻き戻らない。
それなら。
俺にできることは何か。どうしたらいいのか。今更図々しいと罵られても恥知らずと呆れられても、それでもルディスとの未来を勝ち取るために何ができるのか。それを必死で考える。もうあれこれ策を講じたり取り繕ったり、大事なことから目を背けて逃げている場合じゃない。
俺は正々堂々、真正面からぶつかるしかないと覚悟を決めた。
次回からはまたしばらくルディス視点に戻ってあれこれ起こります。