ハイファンタジー 守護の民
私が生まれた村は、外界との境界線に位置する呪われた土地だった。幼い私には比較する対象もなかったが、ここが地獄に近い場所であることくらいは本能で理解していた。
村の周囲を取り囲むのは、高さ四メートルを超える重厚な木の柵だ。しかし、それは気休めに過ぎない。木は燃える。あるいは巨大な魔物の前では、ただの割り箸のようにへし折られる。だからこそ、大人たちは昼夜を問わず、血走った目で巡回を続けていた。
魔物という存在は、理解を超えた理不尽そのものだ。彼らには生態系も、親も、成長の過程もない。ある日、何もない空間から不浄な霧が立ち込め、そこから剥き出しの殺意を持った肉塊が這い出してくる。それは森の中、草原、そして最悪なことに、強固な柵に守られているはずの村の中にも現れる。
「どりゃあぁぁ!」
空気を切り裂く叫び声とともに、一人の少年が木製の槍を突き出した。狙いは正確だった。緑色の醜悪な肌をしたゴブリンの胸を、尖った木先が貫く。槍に貫通されたゴブリンは、断末魔すら上げず、一瞬でどろりとした黒い泥のような塊に変貌し、そのまま煙となって消えた。
「気をつけろ! まだいるぞ!」
リーダー格の少年が周囲を警戒する。
「分かってる!」
私は背後、家と家の隙間にある暗がりに潜んでいた別の個体を察知していた。振り返る時間は惜しい。私は重心を前に預け、後ろ向きのまま馬のように力強く片脚を蹴り出した。
ドゴォッ、という鈍い衝撃が足の裏から伝わる。
「うまく出来たッ!」
必死に繰り返してきた基礎訓練が、実戦で火を噴いた。吹き飛んで地面に転がったゴブリンに肉薄し、腰に下げていた短いナイフを抜き放つ。心臓の位置を正確に一突き。それはすぐさま黒い塊へと変わり、消滅した。
「これで全部か?」
「そうみたい。みんな、怪我は無い?」
「うん、大丈夫。掠り傷もなしだ」
息を整えながら周囲を見渡す。ここに集まっているのは私を含めて五人。最年長でも十歳、そして私はまだ五歳だ。
この「守護の民」の村では、三歳になれば木刀を持たされ、五歳になれば真剣やナイフを与えられる。言葉を覚えるのと同時に殺し方を学ぶ。そうでなければ、次の日の朝日を拝むことすら叶わないからだ。ここでは、子供であっても立派な戦力としてカウントされる。
「今日はゴブリンだけだったけど、もっと強いやつが現れたら俺たちだけじゃ危険だな……」
一人の少年が、震える手で槍を握り直した。ゴブリンは最下級だ。だが時折、もっと巨大で、知恵の回る「上位種」が村の中に湧くことがある。
「うん……。けど、大人たちも外の防衛でいっぱいいっぱいだから。私たちが自分たちの場所を守るしかないんだよ。もっと訓練しないと」
私の言葉に、一人が「はぁ」と大きなため息をついた。
「おいおい、これ以上かよ。俺はいつになったら楽して暮らせるんだ? 毎日泥を這い回って、魔物の返り血で汚れて……こんなの、もう嫌だぜ」
「楽になりたいなら、魔物が現れる原因を突き止めないと。それまでは、戦い続けるしかないよ」
私は冷淡に突き放した。彼らが訓練をサボりたがるのは知っている。だが、その甘えは死に直結する。
大人たちは定期的に決死隊を組織し、柵の外、深い霧の立ち込める魔境へと調査に向かう。そして、その大半は帰ってこない。帰ってきたとしても、手足の欠損や深い精神の傷を負い、戦士としての寿命を終えていることがほとんどだった。
私に両親はいない。数年前の調査に同行したきり、消息を絶った。
「あいつらは囮になって俺たちを逃がしてくれた。きっとどこかで生きている」
生還した大人はそう言って私の頭を撫でたが、それが残酷な嘘であることくらい、五歳の私にも理解できた。魔物が溢れるあの森で、五体満足で生き延びられる人間などいないのだ。
だから、私は誰よりも強くなることを選んだ。サボる仲間を尻目に、指の皮が剥け、爪が割れるまで武器を振り続けた。私にとって強さとは、両親の生死を確かめに行くための切符であり、この呪われた連鎖を断ち切るための唯一の手段だった。
そんな過酷な村の中にも、唯一の「聖域」が存在する。
村の中央にある古い社。そこには、淡く青い光を放つ巨大なクリスタルが安置されていた。その輝きは神々しく、不思議なことに、このクリスタルの周囲だけは、魔物が突然現れるという現象が一度も起きていなかった。
村人たちはそれを「守護石」と呼び、崇めてきた。動けない妊婦や重傷を負った戦士、そして赤ん坊は、常にこの社で守られて過ごす。そこだけは、死の香りがしない唯一の場所だった。
私は訓練の合間、よくその社を遠くから見つめていた。
いつか、魔物を絶滅させ、あのクリスタルの光を村中、いや世界中に広めることができたら。そうすれば、誰もが怯えることなく眠り、私の両親のように帰らぬ人となる者もいなくなるのではないか。
その希望だけが、私の心を支える唯一の光だった。
しかし。
私が十五歳になり、村の調査隊の隊長を任されるほどに成長した頃。
私たちは、あまりにも残酷で、救いのない真実を知ることになる。
その日、私は偶然にも長老たちが社で密談しているのを聞いてしまった。そして、長年感じていた違和感――なぜ魔物は、わざわざこの貧しい村を執拗に狙って現れるのか、という疑問の答えに辿り着いた。
あのクリスタルは、魔物を退ける聖なる石などではなかった。
あれは、外界の負のエネルギーや「魔」を一点に凝縮し、吸い上げるための「避雷針」にして「孵化器」だったのだ。クリスタルが膨大な魔力を吸い上げ、村の中にランダムに魔物を排出する。つまり、村の中に魔物が湧くのは、クリスタルがそこにあるからに他ならなかった。
そして、最も残酷な真実が私の喉を締め上げた。
魔物が「何もない空間」から生まれるのではない。
あのクリスタルに守られ、社に運ばれた妊婦や怪我人、つまり「衰弱した人間」や「まだ魂の定まらぬ赤ん坊」の生命エネルギーを苗床にして、魔物は再構築されていたのだ。
「守られていた」のではない。
「魔物の材料」として、新鮮なうちにクリスタルのそばへ集められていたのだ。
「次の『種』は、あの未亡人の赤ん坊か。良質な魔物になりそうだ」
長老の乾いた声が聞こえた。
私の両親も、囮になったのではない。外の調査で弱り、帰還したあと、あそこで「変換」されたのだ。私が殺し、黒い塊にして消し去ってきたゴブリンや魔物たちの正体は、かつての隣人であり、家族であり、私の父や母だったのかもしれない。
私は、手に持っていた鋼の剣を強く握りしめた。
私たちが強くなるために捧げた血と汗も。
仲間たちが楽になりたいと願った祈りも。
すべては、この効率的な「魔物生産システム」を維持するための家畜の鳴き声に過ぎなかった。
目の前の青い光が、今はこの世で最もおぞましい、腐肉の光に見える。
私は声も出さず、笑った。
訓練は十分に積んだ。私はこの村で一番の戦士だ。
なら、私が最初に斬るべき標的は、もう決まっている。
私は社の扉を蹴り飛ばし、かつて希望だと思っていたあの忌々しい光の塊へと、その一歩を踏み出した。




