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空知らぬ雪。

作者: 四谷イツキ

7年前に高校の部誌のために書いたものです。

曖昧な設定ではありますが、内容は気に入っています。

春。

真っ白く無菌を思わせる病室に、窓から柔らかな日差しが差し込んでいる。

その逆光で、部屋の扉のすぐ傍にいた僕からは彼女の顔が見えなかった。

彼女は殺風景な部屋のベッドに、上半身を起こして窓の外を眺めている。


彼女はゆっくりと、僕のほうを見た。

「お兄ちゃん、来てくれたの?」

あまり血色の良くない顔にうっすらと笑みが浮かぶ。

異常なほど遅い口調だった。

僕が彼女に近づくに連れて、逆光は後退し、彼女の顔を包み込むようにして消えた。

二週間ぶりに見る妹・まどかの顔だ。

以前よりも心持ち表情が乏しいが、何故か優しい笑顔に見えた。

「起きてていいのか?」

ここに来るまでは、病を背負っている妹に今までどおり普通に接しようと考えていた。

だが、まどかのその色々な感情を秘めた表情を見た瞬間、そんな考えはすぐにどこかへ消え去った。

どことなく、ぎこちない雰囲気である。


「うん、いいの。だって・・・ほら、見て」

妹の行動は、まるでスローモーションのようにゆっくりと動いて見える。

彼女は僕の顔から視線を外し、窓の外へとそれを向けた。

ぎこちない、と感じていたのは僕だけだったようだ。


暖かそうな日差しが一面に輝いている。

僕の瞳から見て、ちょうど窓の真ん中に大きな桜に木が立っていた。

確か病院に入ってくる途中、あれの下を通り、桜の花のじゅうたんを踏んできた。

花の雨もいくらか降っていたのを覚えている。

「もう、外は寒いのね」

僕はまどかの顔を見た。

彼女の顔に異変はなく、まるで当然のことのように言っていた。

「雪があんなに降っているわ」

思わず息を呑む。

いつか、父の大切にしていた絵皿を割ってしまった時の感覚を、首筋に感じた。

種類は違うかもしれなかった。

「・・・まどか・・・?」

僕が震える声で言うと、彼女は不思議そうな顔をして、また僕に視線を向ける。

そこではっと気付かされた。


そういえば、僕はまどかが何の病気なのか聞いていない。

つい三日前、父親から電話があって一言、こういわれたのだ。


「まどかが、お前に会いたがっている」


初め、僕には何を言っているのか分からなかった。

大学に入ると同時に一人暮らしを始めた僕は、月に一回は必ず実家に帰っていた。

最後の訪問日から、一週間も経っていなかったのだ。

まどかが僕に「会いたい」なんて言ったことは今までに一度もなく、

なぜ彼女がそう思ったのか、まるで分からなかった。


「まどかは病院にいる。是非訪ねてやってくれ」

そう言われてやっと、妹が病に侵されたのだと気付いた。

その衝撃と共にやってきたのは、父親の他人と話すような口ぶりに対する嫌悪感だった。


僕に病名は告げられていない。


今更そんな大切なことに気がついた。






僕に、病名は告げられていない。

まるで、大切なことだけは隠すかのように・・・。



「綺麗でしょう?お兄ちゃん」

まどかはまた窓の向こうを見ていた。

彼女の目に映っているのは、確実に桜の舞い散る様である。

それを彼女は「雪」と言っているのだ。


迷った。

肯定していいのか、否定するべきなのか、僕には分からない。

むしろ、「お兄ちゃん」がいつか、

「お姉ちゃん」に変わってしまうのではないかと不安を感じてしまっていた。


僕はまどかの頭に手を乗せて、

言葉にならない(出来ない)感情を伝えようと試みた。

だが、彼女は何も知らない様子で僕を見上げ、ゆるやかに微笑む。

茶色に染まった髪は、滑らかな髪質とはほど遠い物と化していた。

つい最近まで、今時の高校生だったことを連想させる。

いや、確かに二週間前まではごく普通の高校生だったのだ。

「もう、行くよ」

ふと気付くと、僕はそんな言葉を発していた。

「いつの間にか」だった。


「・・・うん」

その表情は寂しさを含んでいたようにも思える。

まどかの頭から手を下ろすと、少しだけ髪が乱れていた。

部屋に入った時から肩にかかっているカバンをかけ直すと、僕は扉のほうへ向かう。

妹の視線を痛いほど、背中に感じた。

ベッドのきしむ、音がする。


「また来てね、お兄ちゃん」


僕は彼女の笑顔を見ながら頷いた。

「お姉ちゃん」と聞こえた気がした。



病院から家に帰るまでの電車の中で、

ひたすら繰り返されていたのはまどかの「雪」という発言だった。

それと重なって目の前に広がるのは一緒にトランプをしている妹、

僕が大学受験の時、夜食を持ってきてくれた妹、

幼い頃のいつも僕の手を握って離さなかった妹。

徐々に哀しみを増し、そして消えていった。

瞳の奥の涙腺が作動しては停止し、涙を溜めるバケツを一杯にしていた。

しかし、彼女は本物の雪を知っているはずだった。

まだ僕と妹が共に小学生だった頃、街は雪に浸食されて真っ白になった。

胸の高鳴りを抑えて公園へ駆けていったあの日。

雪は確かに冷たさを持ち、僕と妹の体温に溶けていった。

確かにあれは、雪だった。


病院でまどかに会ってから、僕は一度も病院を訪ねなかった。

多くの思い出を共有している妹のあんな姿は、見るのは胸が張り裂けそうだったのだ。



まどかがああなってしまった年の夏、

彼女は僕の計り知れない世界へ行ってしまった。

もう、二度と帰ってはこないだろう。

妹は最後の最後まで雪を見間違えていたそうだ。

病室で彼女を見たときよりも、哀しみは少ない。

それがどういう原理で成り立っているのかは理解できなかった。

しかし、両親はかなり落ち込んでいるようだった。

まるで僕の存在なんか忘れて、全てを失ってしまったかのように。




妹の死から約四ヶ月。

時は既にクリスマスを迎えていた。

毎年、まどかのはしゃぐ声に包まれていた家は

きっと、静寂で冷たくなっているに違いない。

両親のことも心配だったが、僕はクリスマスまどかと過ごしていた。

「メリークリスマス」

僕の前に座るまどかはグラスを上げて言った。

僕もそれに倣ってグラスをカチンと合わせる。

彼女がグラスに口をつけると、黒い髪が揺れた。

長い、綺麗な髪だった。


奇遇にも僕の恋人の名前は、今は亡き妹と同じ「まどか」だった。

妹の死と入れ替わりでやってきたようにも思えたが、確かに偶然なのだ。

もしかしたら、僕がまどかという名前の女性を意図的に恋人にし、

偶然だと自己暗示をかけているのかもしれないが、考えないことにする。


「空、知らぬ雪・・・」

まどかは窓の外の夜景を見ながら言った。

一瞬、妹とかぶって見えたがすぐに消えた。

「ん?」

僕が不思議そうな表情を作る。

「ほら、いつかの講義であったじゃない。空知らぬ雪って」

「・・・そうだっけ?」

全く記憶になかった。

もし聞いていたらこんな興味深い話、忘れるはずがない。

もしかしたら、その講義は寝ていたのかもしれない、と思った。

「空知らぬ雪は『舞い散る桜』を意味してるって・・・。

 ねぇ、聞いてる?渉くん・・・」



名前を呼ばれた気がしたが、そんなことを頭に入れる余裕はなど既になかった。

頭の中にあの日の日差しを受ける妹が浮かび上がる。



妹のまどかはきっと知っていたのだ。

空の許可なしに降って来る雪が、「桜の花びら」だということを。

少しでも「妹は狂ってしまった」と思った自分を殴り飛ばしてやりたくなった。


そして一言、言ってやるべきだったのだ。




「綺麗な雪だね」 と。



読んで下さってありがとうございます。

このお話は辞書で空知らぬ雪という言葉を見つけて思いつきました。

とことん純粋な女の子が書きたかったんです。


SSばかりですが、宜しければ他の作品もご覧下さい。


貴方に、数々の未体験の人生が、活字で得られますように。

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