9話 前世達の後悔
暗め、重めの話です。
念のためR15指定をしたのは、この話のためです。
苦手な方はご注意下さい。
怒涛の一日がやっと過ぎ去り、おそらくこの世で一番落ち着ける場所であろう自室にて、ようやく寝支度がととのう。
「ジェイド様はお嬢様の魅力をよく分かっていて、本当に素敵な旦那様ですねぇ」
寝支度を手伝ってくれたハンナが言う。
「旦那じゃないし…」
もう意思疎通の出来ない会話にはうんざりだわ…。
寝る前にハンナと思い出話を語り合ったりしたかったのだけれど、疲れがピークなのかどうにも眠すぎる。なのでうっかり椅子で寝落ちしないうちに、いそいそとベッドに潜り込む。
「ジェイド様は子供の頃は女の子みたいでしたのに、本当に素敵に成長されましたよねえ…」
ハンナの言葉に、幼かった頃の彼の姿を思い浮かべる。
そう、彼と初めて会った時、彼は本当に美少女にしか見えなかった―――。そんな事をぼんやりと考えつつも、意識があっという間に遠のいていくのを感じる。
ケイティは子供の頃の記憶に思いを馳せながら眠りにつき、そして長い夢を見る―――。
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私とジェイドが出会ったのは六歳の時で、私は当時、前世の記憶を思い出したばかりだった。
私には二人の前世の記憶がある。
前世の、さらにそのまた前世。前々世にあたるのは、ケイティの住む世界とは別の世界にある日本という国に住んでいた、大城麗華という名前の女性だ。
地味な方に普通な見た目で、派手な響きの名前が似合わない。よくそう言われた麗華は、だけどその事を全く気にしなかった。彼女はあまり他人に興味がなく、美味しい食べ物を研究する趣味だけに邁進する、ちょっと変わった子だったからだ。
特に見た事も聞いた事もない料理を知るのが一番の趣味で、日本では見かけない世界中の変わった料理を求め、レシピを探しては食材を取り寄せ、実際に作ってみるのが好き。
子供の頃からそんな事ばかりしていたので友達はいなかったけれど、寂しさは感じなかったし、性格も暗いどころか明るい方。趣味さえあれば心は満たされる。麗華はそういう子だった。
大学生になると学校を休学して、美味しいものを探し世界を回る旅に出た彼女は、その旅の様子をブログに投稿していたら、人気ブロガーと呼ばれるようになった。
その事を就活の時にアピールしたら気に入られて、大手商社に入社。将来の夢は、世界の珍しい食べ物を輸入し広める仕事をする事。麗華の人生は、その時までは順風満帆だった。
だけど入社して初めて、人生の壁にぶつかった。実務能力は高く上司からは評価されたものの、ずっと趣味にしか興味がなかったため社交能力はポンコツ。それなのにネットでは人気者。そんな麗華はとにかく嫉妬されたのだ。
同僚達から何かと陰湿な嫌がらせをされるようになった彼女は、つらい、悲しい、嫌な気持ちをたくさん抱いた。怒りに任せてやり返す事も何度も考えた。
でも結局やり返すような事はしなかった。集団に対して一人で抗議したって無駄だろうと思ったからだ。だから自分を抑えて大人しくするしかないと諦めた。
だけどある日、麗華は何も抗議しなかった事をひどく後悔する事になる。
勤務先のビルのエレベーターが点検のため使えず、階段で重い荷物を運んでいたあの日。
同じく荷物を運ぶ同僚が、いつもの嫌がらせで自分の荷物を麗華に持たせてきた。しかし何も言わない麗華に、他の同僚達も次から次へと自分の荷物を渡してくる。
そして階段という足場の悪いところで、重い荷物を抱えきれずバランスを崩した彼女は、階段から落ちたのだ。
頭を打ち、さらには重い荷物の下敷きになり、体中に強い痛みを感じた麗華は、意識が朦朧としていく中で自分の死を悟る。
彼女はその時、生まれて初めてという位の強い復讐心を抱いた。
抗議すればよかった、やり返せばよかった。大人しく黙っていたから、私は殺されたのだ。もしもっと生きられるなら、自分を害する人は絶対に許さない、復讐してやる!
そう強く思ったところで、麗華の記憶は途切れている。
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前々世の大城麗華の記憶を、前世のイザベラ・ウィンストンが思い出したのは、イザベラが自身の婚約者に階段から突き落とされ、四日後に目覚めた時だった。
体がシーツに縫い付けられたかのように全く動かせず、イザベラは自分が死ぬ寸前であった事を実感した。
そして、強い復讐心を覚えた。
それまでのイザベラは、つらい状況下でも前向きに努力する事を良しとし、恨み言などに時間を割くのはプライドが許さないと感じるような性格だった。
だけど殺されかけた事でさすがに堪忍袋の緒が切れたのか、はたまた麗華の死の直前の、黙って耐えた事に対する後悔や、復讐を切望する気持ちが自分の中に流れ込んできたせいなのか。
分からないけれど、とにかくやり返さなければ気が済まない。そう強く思うようになった。
イザベラはケイティの住む世界と同じ世界にあった、ギンズバーグ王国という国の公爵令嬢で、その国の王太子の婚約者だった。
しかし公爵令嬢だろうが王太子の婚約者だろうが、生まれた国の状況が最悪だったので、華やかな事も楽しい事も何もない日々を送っていた。
ギンズバーグ王国は辺境の地にある小国で元々豊かな国ではなかったが、前の国王が国費を自身の贅沢や女遊びのために浪費しだした頃から、国は目に見えて荒れ始めた。さらには前王の子供達による王位継承権を巡る争いが起き、国情は混乱を極めた。前王はその争いに巻き込まれ、命を落とした。
壮絶な継承権争いの結果偶然生き残ったのが、保身に長けたその当時の国王だった。
国王は女遊びにも浪費にも関心はなく、妃は一人しか娶らず、子も王太子一人しか持たなかった。
しかしその王太子は前王と同じ女好きの贅沢好きで、やがて彼は一部の腐った貴族達とつながっては権威を振りかざすような人間に成長した。
国王が、自分が前王のように自身の子に殺される事を恐れ、息子の言いなりになった頃から、国は再び荒廃の色を強め始めた。
そんな国でイザベラの生家のウィンストン公爵家は、国民のために国が瓦解しないよう、必死に手を尽くしてきた。
王太子の婚約者であったイザベラも、王太子のする事の後始末に献身し続けてきた。
イザベラという婚約者がありながら何人もの恋人を持ち、どんなに説得しても王太子の役目を果たそうとせず贅沢と享楽に耽る王太子の代わりに、王太子が成すべき事は婚約者として一手に担ってきた。
しかしイザベラは、口うるさいイザベラを邪魔だと判断した王太子に階段から突き落とされ、殺されかけたのだ。
おまけに王太子はイザベラが無事だと分かると、イザベラが自分の恋人を階段から突き落とそうとして誤って自分が階段から落ちたのだと吹聴し、イザベラとの婚約破棄と、ウィンストン公爵家への処分を発表した。
殺されかけて目覚めた後それを聞かされたイザベラは、絶対に許せない、こちらから見限って復讐してやる、その思いをますます強くした。
しかしさすがにこれ以上の勝手は容認出来ないと思ったのはウィンストン公爵家とその派閥の貴族達も同じで、ウィンストン公爵家はギンズバーグ王家に王位簒奪を布告。同時に王家に与する貴族も全て粛清するとした。
その結果いの一番に逃げ出したのは国王で、さらには蜘蛛の子を散らすように、目先の利益のために悪政に加担していた貴族達も王太子の恋人達も逃げだし、その様子を見た王太子もあっという間に逃げ出したのだった。
王位簒奪をあっさり叶えたウィンストン公爵家は、イザベラの父を君主とするウィンストン公国の樹立を宣言し、逃げ出した王族や貴族達の捕縛を開始した。
捕まえて、刑罰を与える。その事に最も熱中したのは、復讐心に取り憑かれたイザベラだった。
イザベラはその後三年をかけて、公女となった自分を殺そうとした元婚約者と、かつての王国の悪政に与した全ての王侯貴族を捕らえた。そして全員の罰を受ける姿を見届けた。
イザベラは復讐を成し遂げたのだ。
しかし復讐を終えれば気が済んでスッキリすると思っていたイザベラは、やがて全く気が晴れない自分に気がついた。
私は殺されかけたのだし、彼らは自業自得。それに刑罰は各々の罪に応じて適切なものが与えられたはず。私の復讐には、動機や方法に正当性があった。
そう頭で分かってはいても、他人を憎み不幸を願う気持ちを思い返しては、自分の正しさを確認する作業をやめられない日々が、全然幸せなものではない事に気がついてしまったからだ。
それに、復讐により自分も誰かに害を及ぼした側になった事で、自分が復讐し返される事を恐れるようにもなった。
そもそも非は相手にあるはず。だから割り切りたい。なのに割り切れない。
そんな思いに苛まされ気落ちしだした頃に流行り病にかかったイザベラは、瞬く間に病魔に蝕まれ、まもなく自分の死を予感するようになった。
彼女が死の間際で考えていた事は、復讐をしても幸せにはなれない、という事だった。
他人を傷付けるという事は、自分の不幸と引き換えだ。
動機が何であろうともそれが現実なのだと、もう人生をやり直す事など出来ない死の瀬戸際になって思い知らされる。
イザベラの心に最後に残ったのは、幸せになれなかった後悔だけだった。
やり返さなかった事を後悔しながら死んでいった麗華の気持ちは、今でもよく分かる。
でも、自分はやり返した事を後悔しながら死んでいく。
もし次の人生があるなら、もっと上手く立ち回って、自分も周囲の人も、みんなが幸せになれる道を探せる人になりたい。
自分が幸せになりたいなら、他人の不幸を望んではならなかったのだ。
他人の不幸を望む気持ちに苦しめられるのは、結局は自分自身なのだから。
それからできれば、次の人生は麗華のように、趣味を楽しむという事をしてみたい。
せっかく王太子の悪行の後始末に追われる日々から解放されたのに、その後は復讐心にとらわれてしまった事で、自分の人生は幸せな時間を経験しないまま終わってしまうのだ。
復讐の事を考えるよりも、自分の好きな事に没頭した方が、よほど幸せな時間を過ごせただろうに。
そう、私は幸せになりたい。復讐心など抱いても、結局は自分が不幸な時間を過ごすだけ。
心をつらい感情に縛られるのは、もう嫌。
次こそは、自由な心で楽しく過ごす人生を送りたい。
そのような事を病床で何度も繰り返し思っていたのが、イザベラの最後の記憶だった。
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