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至上の愛   作者: 高瀬海之
第一部
6/52

06、幼さ故の決意




 家の外に出たロードは、キョロキョロと辺りを見回しベガの姿を探した。

 ……いない。

 エルウィンに着いて行ったと直感して、指笛でベガを呼んだ。しばらくして遠吠えが聞こえ、位置を教えてくる。そんなに遠くはなかった。


「まあ子供の足だもんね…」


 呟いたロードは、跳ねるような動作で走り始める。人間とは根本的に違う魔族の身体能力、ピョンピョンと軽く地面を蹴っているように見えるロードの横を物凄いスピードで緑が通り過ぎていった。

 複雑に入り組む木立ちの隙間を易々と擦り抜けてベガの声が聞こえた方に向かっていたロードの目に、白い塊が飛び込む。

 ベガだった。


「ベガ」


 勢いのついた身体を止めるのに、手近な枝に手を掛け振り子のように一回転して掴まえた木の枝の上に着地する。ベガもロードを見つけて足を止めていた。

 その口に銜えられているのは……もちろんエルウィン。プラプラとベガに襟首を掴まえられ口許にぶら下がっている。


「やっぱりついていってたんだ。ご苦労さん」


 枝から飛び下りたロードはベガの頭を撫でてから、エルウィンを見た。


「先刻はいきなり悪かったな」


 言われても、エルウィンはムスッとしたままプイッと横を向く。その頬が不自然なくらい赤くなって、渇ききらない涙が睫を濡らしているようだった。

 自分の所為で泣いたんだろう、ロードはベガからエルウィンを受け取り、彼を抱いたまま改めてベガの上に乗り上がった。


「離せよっ」


 当然エルウィンは抵抗する。見た目が恐ろしいベガに比べれば、ロードの方がどうとでも出来ると踏んだのだろう。実際はロードの方がベガより何倍も強いのだけれど……抱き上げるロードの腕や肩に爪を立てて身を捩る。


「やだ、離したら逃げるだろ。おとなしくしろって」

「ほっとけばいいだろっ、人間のことなんか!」

「まあオレも先刻まではそのつもりだったんだけど……そうも言ってられなくて。ベガ、このまま崖の方行って」


 エルウィンを無理やり押さえ付け、ベガに言う。それでもエルウィンは暴れていた。


「下ろせっ、離せよっ、魔族なんかに情けなんかかけてもらわなくったってっ…」


 もがっとエルウィンの鼻から下をロードの手が覆い、言葉も抵抗も遮る。


「もう黙れ、喋ってると舌噛むぞ」


 言われた瞬間、ロードの声が置き去りにされた感覚を覚える。声をエルウィンの鼓膜が捕らえる前に、言葉が後方に吹き飛ばされるような速度でベガが走り始めた。

 正しく、頬に風が突き刺さる。目を開けていることも出来ない風に包まれ、言われなくてももう喋るどころではなく、エルウィンは飛ばされないようにロードにしがみついているしかなかった。

 ベガが止まってやっとエルウィンは目を開ける。

 あっという間に森を抜け、眼前に広がるのはひたすら青い空。木立ちに遮られていた気持ちのいい風が、先刻までとは違って優しくエルウィンの頬を撫でている。そして空から少し視線を動かすと、今いる大地の先端は不自然に途切れ、そこが切り立った崖になっていることを教える。

 アシュリーと薬草を取りにきた時、お弁当を食べた覚えのある場所だった。

 ベガの背中を下りたロードはエルウィンも下ろし、手を繋いで引っ張るようにエルウィンを崖の先端へ連れて行く。


「離せよっ」

「やだ。ねぇ、ここきたことある?」

「あるよ!」

「じゃあ……これが何か聞いた?」


 これとロードが言ったのは、切り立った崖の先端に作られた……明らかに人の手によって積み上げられた石。パッと見ただ無造作に置かれているように見えるけれど、少し注意すればその不自然さに気付く。

 周囲にそれと同じようなものは一切なく、そこにだけ積み上げられているのだ。

 まるで、何かの石碑のように……。

 立ち止まり石碑を指差しているロードの半歩後ろで小さく呟く。


「……お墓だって、言ってた」


 初めてここに来た時、エルウィンはすぐにその不自然さに気付いた。なんのお呪いだろうと不思議に思って問うたら、そう教えられた。


「誰のか知ってる?」

「知らない」


 それは本当に知らない。……聞けなかったのだ。

 墓だと教えられ、当然、誰の? という疑問は浮かんだ。だけど、教えてくれたアシュリーの雰囲気がそれ以上踏み入ることを許さなかった。

 言いたくないことなのだろう……理解して、エルウィンはそれ以上尋ねなかった。

 ……だが、忘れようとしたその時のことを思い出して、また泣きそうになる。エルウィンがそれを聞かなかったのは、彼女が聞いてほしくなさそうだったから……それ以上尋ねたらアシュリーはエルウィンを放り出し、エルウィンは行き場を失う。

 だけど、そんな打算を働かせるより先に思った。


 アシュリーが嫌がることはしたくない。


 ……嫌われたくなかった、アシュリーに。


 真っ先にそう考えて口を噤んでいた自分を思い出した。

 打算ではなく、ただ彼女に嫌われたくない。願っていた自分に気付いて、唇を噛む。堪えないと気付いた事実に泣いてしまいそうだった。


 だって、気紛れで助けてくれた魔族に、打算ではなくただ嫌われたくなかったなんてそれは…それじゃ……自分はアシュリーを……。


 小さな胸に迫上がった思いもよらなかった気持ち。

 それはまだ酷く幼い感情で、だけど、だからこそ純粋な想い。

 自分の胸を圧迫する想いに気付いて吃驚し、零れそうになっていた涙も止まった。そしてエルウィンは慌てて否定する材料を探した。

 アシュリーは魔族で、エルウィンは人間で……アシュリーにとって自分はただの暇潰しでしかないのに、そんなことを認めたら立っていられなくなる。


 幼くともそれは判っていたから、必死に否定するのに……。

 思い出すのはすべてアシュリーと出会ってからの、楽しき日々。


 生まれてからアシュリーと会うまで、ただの一度でもあんなに満たされた日々を送ったことがあっただろうか?


 エルウィンが欲しかったものを全部与えてくれたアシュリー。

 ……だから、だろ?


 楽しかったことさえも否定材料に、エルウィンはその考えから逃れようと足掻いた。

 エルウィンの短い人生の中で求めても求めても手に入らないものはたくさんあった。


 アシュリーはその中でも最上級の、手に入らないものなんだから!!

 願うことも望むことも愚かしいことなんだ……。


 固まって必死に考えているエルウィンに気付かず、エルウィンの手を握ったまましゃがみ込んだロードはもう片方の手で石の上に積もった泥や落ち葉を払い落とす。

 その微かな音に反応してエルウィンは顔を上げた。ここにきて初めてエルウィンはロードの顔を真面に見る。


 紫の髪と紫紺の瞳。


 アシュリーと同じ、人にあるまじき色。

 アシュリーのオレンジ色の髪は太陽の光で焼き付いたような鮮やかで綺麗だけど、エルウィン達の世界では異質なものだ。

 異質な、違うもの。決して同じラインに立つことは出来ない。

 遥か遠くにいる人なのだ。

 ……でも、遠くにいるはずのロードとエルウィンは今、こうして手を繋いでいる。確かな感触の手からは自分のものと同じ暖かさが伝わってきていた。

 今は、近くにいる。

 アシュリーだって、先刻まですぐ近くで抱き上げてくれていた。だからエルウィンはアシュリーが誰より自分に近い人だと思っていた。


 種族など関係ない。

 ただ、エルウィンがそばにいたい人としてアシュリーを見ていた。


 エルウィンが、アシュリーを……。


 思い至った瞬間、それも幼さ故に、エルウィンは一瞬ですべてを解決する答えを見つける。

 無駄な事象すべて切り捨てて、その事実だけを抱き締め納得した。


 今日までアシュリーは、少しでもエルウィンを『人間』として扱ったか?

 そしてエルウィンは、アシュリーを『魔族のアシュリー』として見ていたか?


 答えはどちらもノーだ。


 ただの『エルウィン』と『アシュリー』として一緒にいた。


 そこにどんな困難もなく、ただ一緒にいた。多分今日ロードがこなければ、気付くことなど出来ない程自然に、これからも一緒にいただろう。

 簡単なことだ。もう今更どんなに否定したとしても、たとえ心を閉ざしたとしても、既にこの心にアシュリーはいる。


 『魔族』としてではない。


 一番最初にエルウィンが心を開いた相手として、これから先も『アシュリー』は絶対的に君臨し続ける。


 だったら…大丈夫なんじゃないだろうか?

 手に入らないという怯えに対する恐れはあっても、罪悪感は一片もなかった。恐れは己の気持ちでいくらでも克服出来る。

 だったら、アシュリーがどう思っていようと一緒にいることは可能だ。

 決意したエルウィンは改めてロードと対峙した。

 こちらを見つめ続けている紫紺の瞳を見て、現実の状況を思い出す。


 ……ロードはこれが誰のものか教えてくれる気なのだろうか?


 考えるエルウィンの黒い瞳と紫紺の瞳がぶつかって、ロードはチラリと視線で墓石を撫でてから口を開こうとした。ハッとして叫ぶ。


「言うなっ」


 子供特有の甲高い声が、ロードを遮る。意外な科白に、ロードは大きな目を瞬かせた。そのロードを睨み付けて、エルウィンは激しく首を横に振る。


「言わなくていいっ。アシュリーはオレに言わなかった、だからオレは聞かない」

「……何それ?」

「オレはアシュリーが隠してることなんか知りたくない」


 そう、アシュリーはそれを知られたくないから隠している。だったらそれを彼女以外から聞いて知ってしまうのは、裏切りだ。


 アシュリーが知られたくないことをオレは聞かない!!

 決して彼女を裏切ったりしない!!


 黒い瞳が訴える言葉を、そしてその奥にある感情を、ロードは同じ感情を抱くが故に感じ取った。

 一瞬驚いて、やがて嘲笑うように瞳を細める。からかうように声に出して聞いた。


「へぇ、お前もしかしてアシュリーのこと好き?」


 カーッと赤くなった頬は、怒っているより照れていた。感情を隠せないまま、大きな声で言い返す。


「だったらなんだよ!!」

「そっか…あんな冷たい人のこと好きなんだ」

「アシュリーは冷たくなんか…」


 言いかけて言葉を止めたのは、ロードが意地悪くこちらを見ていたからではなく、それが否定出来ない真実だとエルウィンも常々思っていたから。アシュリーの中にある冷酷さ、エルウィンも日常生活の中で感じていた。

 だから嘘はつけなくて中途半端に声を途切れさせる。散々迷い、少し小さな声で呟いた。



「アシュリーは冷たいけど、でも…………オレは、それでも嬉しかったから」



 確かにアシュリーとの生活は気を使うことも多かった。アシュリーは、子供だから…と言う科白ですべてを大目に見てくれる人じゃない。だから生活の中で、してもいいこと悪いことを自分でより分けなければいけなかった。

 だけどそれが苦痛だと思うことはなかった。

 アシュリーの生活さえ乱さなければなんでもさせてくれた。


 抱き上げてくれたこと。

 一緒に寝てくれたこと。

 一緒にご飯を食べてくれたこと。

 外に連れ出してくれたこと。


 些細なことであるはずなのに、アシュリーがくれるまで誰一人としてエルウィンにはくれなかった。

 たとえ与えてくれたのが冷酷な魔族でも、……嬉しかった。

 そしてそれは、アシュリーの意思には関係ない、受け取ったエルウィン側の気持ち。

 アシュリーと一緒にいて感じたエルウィンの気持ちは、嘘じゃない。


 そして何より、優しさでも、同情ですらなかったとしても、

 アシュリーはエルウィンに、生きろ…と言ってくれた。


 言葉の真意が何処にあったとしても、彼女の言葉がエルウィンを救ったことに変わりはない。

 だったらそれ以外のことなんてどうでもいい。

 たとえ出会いやきっかけがどんなものでも、胸を張って言える。




「アシュリーが冷たい人でも、アシュリーがくれたもの全部が嬉しかった。だからこれからも一緒にいたい。オレはアシュリーが好きだから」




 はっきりと胸を張って言い放つエルウィンの声に満ち溢れる自信はなんだろう?

 好きという言葉に胸を張れる純粋さ、なんの憂いも含みもなく言えるのは…彼が子供だからか?


 ……多分そうだ。


 しがらみも常識もない子供だから、その想いに胸が張れるのだろう。まだその気持ちに罪悪はない。でもいずれ知る、それがどれ程罪深いものか……。


 知って、判ってもお前はそれを貫けるか?

 あの人を守り抜けると誓えるか!?


 問い質そうとして、息を吸い込んだロードは直前で、心から迸る叫びを噛み殺した。

 聞かなくても答えは判ってる。

 今のエルウィンは躊躇いなく頷ける、誓える。

 今のエルウィンなら……でもロードが欲しいのは、現在ではなくこれから先、未来の約束。

 子供に押しつけるには重く堅い未来への誓い。


 それは、今のエルウィンに誓わせてもなんの価値もないものだ。

 堪えて拳を握った時、つい零れたのはやはり根底にある人間への気持ちを示唆する言葉だった。


「お前、凄いね。流石人間だ……」

「…どういう意味だよ?」

「人間の思い込みは、よくも悪くも凄いパワーだってこと」


 そう、人間が持つ己の正義を貫き通す力は凄い。それ自体には善も悪もない、ただ信じるものが、ある側面から見れば正しく、ある面からは悪であるだけなのだ。

 エルウィンの想いは、人間側から見ればきっと『悪』になるのだろう、かつてと同じように……悲しい出来事を思い出し、軽く頭を振ったロードはエルウィンの手を離して立ち上がった。


「帰ろうか」


 うーんと伸びをして、おとなしく待っていたベガの方に向かうロードの背中を見て、つい聞いてしまう。


「お前、オレを追い出したいんじゃないのか?」


 足を止めたロードは決してこちらを見ないまま、はっきり言った。


「オレはアシュリーの命令には逆らわない」


 堅い、感情の含まれない声。

 エルウィンですら異常だと気付くぐらいあからさまな変化だった。

 でも、しばらくしてクルッと振り返ったロードの表情から今の堅い声は想像出来ない。

 手招きされ近寄ると、即抱き上げられベガに乗せられる。行きとは違ってゆっくり歩くベガに揺られながら、やはり気になって聞いてみた。


「なあ、お前もアシュリーが好きなのか?」

「はっきり聞くなぁ……でもま、大好きだよ」


 軽く即答される。


「冷たい人だからオレの気持ちなんかしったこっちゃないけどさ、でも諦められないの…切ない切ない」


 しかし呟くロードの口調が余りに軽く、そんなに思い詰めた感じがしない。


「そんな感じしないって思ってるだろ。そうだなぁ、あんまり長く好きで居過ぎて、それが当たり前すぎて、もう今更エルウィンみたいに真剣に言えない。オレにとってアシュリーが好きで、あの人のために何かすることは恥ずかしいことでもなんでもない……ただ当たり前のことなんだ」


 語るロードの声は相変わらず軽かった。でも、突き詰めて考えればその内容は相手に目眩を与える程重い。


「……お前ってどれくらいアシュリーが好きなの?」

「それって時間、それとも量? ………どっちも凄いよ。エルウィンなんか足下にも及ばないね、きっと」


 軽くあしらわれてムッとする。


「……別に時間が量じゃないし」

「まあね。エルウィンが時間でオレに叶うなんて一生かかっても絶対無理だし。因みにベガもアシュリーが好きだよ」

「え?」


 つい、今自分が乗っている白い獣を見下ろす。

 この獣が? 思ったのが伝わったのだろう、少し真面目な声が答えた。


「人間の常識で考えないでよ、魔族は人間と違って皆が同じ姿じゃない。オレとアシュリーはたまたま人型なだけで……ベガみたいな上級魔族もたくさんいる。姿形がどうであっても言葉も判るし、感情もある。だから、ベガもエルウィンやオレと同じ。オレ達皆ライバルってことだね」

「ライバル…?」

「そ」

「……だったら、お前余計オレのこと追い出したいんじゃないのか?」

「別にエルウィンに意地悪したのはその所為じゃないから。アシュリーが自分で選んだならオレは反対出来ない。それに、今更誰がそばにいたってアシュリーは変わらないんだよ…」


 言って微かに淋しさを漂わせたロードの笑顔の意味。

 理解するにはまだエルウィンは幼く……胸にある想いが彼らと同じ熱量に育つにはもう少し時間が必要だった。











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