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至上の愛   作者: 高瀬海之
第一部
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04、友達





 エルウィンがロードとベガに初めて会ったのは、アシュリーと暮らし始めて割とすぐのことだった。

 明日遊び相手が来るからとアシュリーに言われ、次の日やってきたのがロードとベガ。


 外見は白い犬に似た、でも大きさはその種の比ではない大きな獣がベガで、その上に跨がってやってきたのが、ロードだった。

 一番最初に目に付いたのはアシュリーのオレンジ色の髪に負けず劣らず目立つ、鮮やかな紫の頭髪。それと鬱蒼とした森には不似合いな、手足をむき出しにした衣類も目立っていた。

 ノースリーブに短パン、足下は膝丈のロングブーツ。しかも全部黒という出で立ちで真逆の色をした獣の上から、こちらに向かって大きく手を振っていた。


「頭の中身エルウィンと同じくらいだからきっといい友達なれるよ」


 近付いてくるロードを一緒に眺めていたアシュリーは、こっそりそうエルウィンに耳打ちした。

 やがてアシュリーは、ある程度の距離まで来た一人と一匹に走り寄り、白い獣の首に抱き付く。


「いらっしゃいベガ、元気だった?」


 エルウィンが首をほぼ真上に向けなければ顔を見ることも出来ない大きな獣は、恐ろしい見た目とは裏腹に、ちゃんと感情を宿しているのだろう。金色の瞳は、抱き付いてきたアシュリーを愛おしむように細められ、ベガはアシュリーの顔に頬擦り寄せてぐるぐると威嚇とは違う甘えるような声を出していた。


「アシュリー、オレには? オレにも元気って聞いてよ」


 ベガにだけ挨拶するアシュリーに、慌ててベガの背中から滑り降りたロードは、拗ねたようにベガにしがみつくアシュリーの腕を引いた。


「だってロードはいつでも元気じゃない。お前が調子悪いなんて、それこそこの世の終わりでしょ」

「ひでー、オレだってアシュリーに会えなかったら寂しくて調子悪くなっちゃう」

「うそつけ」

「ホントだって!」

「はいはい、私もロードに会えて嬉しい嬉しい」

「何その投げやりな態度! せっかくベガ連れてきたのに、オレの方がおまけ?」

「嫌、今日はお前が主役だよ、お前を紹介したかったんだから。…エルウィンっ」


 やっとアシュリーがエルウィンを振り返り、ロードとベガも小さな存在を視界に入れた。


 黒い髪、黒い瞳をした小さな……人間。


 自分を見つけた途端、ロードの表情が険しくなったのをエルウィンは見逃さなかった。拒否の窺える態度に身体が硬直して、アシュリーに呼ばれてもそちらに近付くことが出来なかった。


「エルウィン?」


 その場を動こうとしないエルウィンを不審がってアシュリーが戻ってくる。


「もしかしてベガが怖い? 大丈夫、見た目あんなだけど案外おとなしいし、噛んだりしないからおいで?」


 両手を差し延べるアシュリーにパッと飛び付いた。ギュッと抱き付くとそのまま抱き上げられる。病弱な所為で標準より随分小さなエルウィンは、まだ充分アシュリーに抱き上げられる重さで、甘やかされる嬉しさを知ってしまってからはよくこうして抱いて運んでもらっていた。

 アシュリーに抱かれてロードとベガのそばに行く。

 ベガはアシュリーの腕の中のエルウィンを珍しそうに見つめた後、くんくんと何度も匂いを嗅いでいた。


「ベガ、エルウィンだよ。私と一緒に暮らすことになったから仲良くしてね」


 自分にしがみつくエルウィンの腕を解かせてベガの鼻先に触らせる。触れた白い毛はふわふわの羽毛を思わせる柔らかさで……そっと身を乗り出し頬ずりした。応えるようにベガの方もエルウィンに身を寄せる。


「ね、怖くないでしょ?」


 おずおずと頷いたエルウィンはしかし、黒い瞳でロードを捕らえた途端またアシュリーにしがみついた。

 厳しい表情でこちらを睨んでいるロードに、アシュリーも気付く。エルウィンを抱いたままロードに向き直った。


「お前もな、ロード…」


 おねだりするような仕草で笑い掛けられても、ロードはベガのように簡単にエルウィンを受け入れることが出来ない。思いっきり首を横に振った。


「アシュリー……だってそれ、人間の子供だろ?」

「うん」

「なんでそんなことなっちゃった訳?」

「……色々あって」

「いろいろって何?」

「色々は色々だよ。とにかく私はエルウィンと暮らす。今日はそれをお前達に伝えるために呼んだんだ。ベガは好きにしてていいから、ロードは家入って」


 促して背を向けたアシュリーに向かって、ギュッと拳を握ったロードは戸惑った声を掛けた。


「アシュリー! そんなことしたって、あの時……」

「ロード!!」


 ビクンとなったロードと一緒に、エルウィンの身体も硬直する。初めて聞いたアシュリーの怒鳴り声……抱かれたまま恐る恐る真横のアシュリーを見た。

 ゆっくりとロードを振り返ったアシュリーは、綺麗に整えられた眉をつり上げ……怒っていた。

 今日まで一緒にいてこんな厳しいアシュリーの表情をエルウィンは見たことがない。

 アシュリーに冷たい所があるのは判っていた。それは小さいエルウィンにも必要以上に構わず、邪魔さえしないなら好きにしてていいと放任していることからも判る。でも多少冷たい所はあっても、それを前面に押し出すような真似したことのないアシュリーが、ロードを睨み付けその眼力で彼を黙らせていた。

 その怒りが自分に向けられているわけではないのに、勝手にエルウィンの身体も竦む。


「黙れ。それは関係ない、余計なことしゃべんな」

「……でも」


 しつこく食い下がるロードを身体ごと振り返ったアシュリーは、ダンと大地を蹴り付けてもう一度ロードを黙らせた。


「ロード、私がいつお前にこのことを相談した? これは決定事項だ。私はこの子と暮らす。お前にはエルウィンの遊び相手になってやってほしい。これは頼みじゃなくて、命令だ。判ったな?」


 眼力と雰囲気で押さえ付けられ、クッと唇を噛んだロードは瞳を彷徨わせ、でも結局頷いた。


「………………判った」

「だったらさっさと中に入れ」


 ふいっと踵を返し歩き始めるアシュリーの肩越しに、エルウィンとロードの視線がぶつかる。

 ロードはきつくエルウィンを睨み付け、気付いたエルウィンが怯えを浮かべると途端に、困ったように視線を反らせた。

 困っているようにも悔しそうにも見える顔。複雑な感情の入り乱れた紫の目を伏せて歩き始めるロードを見ていたエルウィンは、不安と怯えを抱えてもう一度アシュリーの横顔を見た。

 その横顔は先刻までと打って変わって何処か淋しそうで……泣いてしまいそうに見えた。


 何があるんだろう、彼らの間には。


 あの時っていつ?

 アシュリーが自分を助けてくれたのには、何か深い事情があるのだろうか?


 疑問はあった。けれど聡い子供であるエルウィンには子供の無知を振りかざして、無邪気にその疑問を口にすることは出来ない。

 問い掛け、必要以上に深くアシュリーに踏み込んで彼女の領土を荒らせば、きっとアシュリーは先刻の冷たさでエルウィンを切り捨てる。それが幼子であろうとあっさり捨てられる冷酷さを彼女が持っているのは感じていた。

 己の保身のために、今はその疑問を胸の奥深くに沈め何も判らないフリをした。

 ダイニングの椅子に下ろされ、アシュリーはお茶の支度をしにキッチンに入る。少し遅れて入ってきたロードは四人がけのテーブルの、エルウィンの斜め前の椅子を引きドカッと腰を下ろす。

 肘を突いた手の平に顎を乗せ、横目でこちらを窺いながら聞いてきた。


「お前いくつ?」

「…五歳」

「なんでアシュリーと暮らすことになったの?」


 アシュリーに聞いて答えなかったからエルウィンに聞くことにしたのだろう。

 だけど……エルウィンはアシュリー以上に答えたくない。アシュリーに拾われた時の状況を話すには、ウェンディのことを抜かす訳にはいかなくて……でもウェンディのことを軽々しく他人に話したくない。

 首を横に振るエルウィンにムッと眉を寄せたロードは、じゃあ…と質問を変えた。


「アシュリーと何処で会ったの? この辺の?」

「墓場」

「墓場? ……もしかしてお前家族みんな死んじゃったとか?」


 墓場から連想されるものは葬儀。

 独りぼっちになったエルウィンにアシュリーが同情して連れてきた?

 あのアシュリーが? ……ないない!!


 力一杯否定しても、現実に人間の子供が目の前にいる。

 ロードには、この子がどんなに可哀相な子だとしても、だからといってエルウィンを受け入れることは出来なかった。


 エルウィンが悪いのではない、ロードは人間が嫌いなのだ。

 何も知らないくせに、身の程知らずな真似を繰り返す人間が、ロードから、そしてアシュリーから……大切なものを奪った。


 だから例え子供と言えども、人間であるエルウィンに情けをかけようとするアシュリーの気持ちが判らない。そんなアシュリーを自分が認めたくないから、ロードは不必要にエルウィンを傷つける言葉を口にする。


「まただんまり? まあいいけど…どうせ、アシュリーにとったらお前拾ってきたのもただの気紛れなんだろうし」


 ロードの視界の端で、ガバッとエルウィンが勢いよく顔を上げる。黒い瞳が見開かれ、ロードを凝視していた。


「気紛れ…?」


 予想通りエルウィンは黒い瞳いっぱいに不安を浮かべ、傷ついた顔をしていた。だが、それを見てもロードの何処も痛まない。

 人間に傷つく権利はない。あの時の彼らの辛さはこの程度でなかった。

 少しでも思い知ればいい、苦しさを……一部の過ちを全体の罪として、関係のないエルウィンにもそれを押しつけたロードは更にエルウィンを傷つけた。


「オレ達は人間なんかよりずっとずっと長く生きるから。まあ長い人生、人間飼ってみるのも面白いかもね。……精々アシュリーに媚び売って生き延びなよ」


 捨て台詞を吐いてロードが立ち上がる。隣りを通ってアシュリーがいるキッチンに入る気配を感じながら、エルウィンはギューッと小さな拳を自分の胸に押しつけた。


 魔族の気紛れ…人間を飼う…媚びを売って生き延びる……。


 ロードの言葉が次々と小さな胸を打ち、その度やっと掴んだ希望に修復出来ないヒビが入った。

 アシュリーの手を借りてウェンディをこの手にかけた罪を償おうと思ってた。

 アシュリーがいてくれたらきっと償えると思った。

 なのに……、アシュリーにとってはエルウィンを助けたことも、これからの生活もすべて、気紛れなのだ。エルウィンとの生活も長い人生の暇潰しの一部……そんなものにすぎない。

 生きる道を教えてくれたアシュリーに開きかけていた心が再び閉じる。

 涙を堪えて唇を噛んだエルウィンは、黙って部屋を出て行った。

 アシュリーがダイニングに戻ってきたと同時に響いたパタンとドアが閉じる音。


「エルウィン?」


 呼んでもそこにエルウィンの姿はない。


「あれ…?」

「どうしたの?」


 お茶菓子の入ったバスケットの中身を早速摘んでいるロードが尋ねた。


「エルウィンがいない」


 カップやポットの乗ったトレイをテーブルに置いて、ドアに向かう。先刻の音はここが閉じた音だ。


 外に出たんだろうか?


 エルウィンを探しにドアを開けようとするアシュリーの背中を見ていたロードの胸に言い様のない嫌な気持ちが湧き上がる。

 ごく自然にエルウィンを心配し姿を探すアシュリー。

 そんなのロードの知っているアシュリーじゃない。

 エルウィンを、人間を、気遣う…そんなのアシュリーらしくない。


 どうしてアシュリーが人間を気遣わなくちゃいけない?

 どうして……アシュリーの心に作用する事情を知っているロードには、アシュリーの行動が罪滅ぼしだとしても、それが人間に対する優しさに変わる構造が理解出来なかった。


 アシュリーは過去の出来事を過ちだと思い、罪悪感を抱いているようだった。


 ……確かにあれは罪かもしれない、アシュリーが罪悪感を感じる理由は判る。他の誰が知らなくてもロードだけは、彼女がそうした理由を知っているから。

 他人の目にどう映ろうとあの時のアシュリーは、自分のためだけに行動した。彼女をつき動かしたのは酷く利己的な感情で、他に理由はなかった。

 あの時はたまたま結果はプラスになったけれど、結果が違っていてもアシュリーはあそこでああすることを躊躇いはしなかっただろう。


 だけどロードは今でも、アシュリーがしたことは最良の選択だと思っている。


 利己的な感情の行動であってもあれ以外に道は無かった。アシュリーがやらなければ、叶わないとしても自分が行っていた。


 だからアシュリーが気に病むことなど何一つ無いのに、アシュリーはいつの頃からか悩んで苦しむようになって……。

 その結果がこれ?

 人間に情けをかけることがアシュリーの出した結論?

 それはおかしいんじゃない?


 罪滅ぼしに人間を助けようとするなんて本末転倒もいい所だ。

 ここで暮らし始めてアシュリーが変わったのは気付いていたけど、こんな変化出来れば見たくなかった。


「出て行ったんじゃない?」


 零れた言葉に含まれた微妙なニュアンスが引っ掛かり、アシュリーはロードの方を向く。


「どういう意味?」

「そのまんま、言葉通りの意味だけど?」

「……エルウィンに何か言ったのか?」

「自分の立場を教えてやっただけ、アシュリーに飼われてるんだから精々媚びて長生きしろって」

「……お前なんてこと!」


 せせら笑うロードの前で蒼白になったアシュリーは即ドアを振り向く。エルウィンを追って出て行こうとするアシュリーに、ロードも走り寄った。ドアノブを掴む手を掴んで、自分の方に引き寄せる。


「なんで人間の子供なんかそんなに気に掛ける訳? あのさ、そんなことしたってあの子は帰ってこないし、イ…」

「黙れ!!」


 パンッ! と響いたのは、アシュリーの手がロードの頬を叩いた音。けれど不自然な体勢と利き手では無かったのとで、余り痛みはない。

 ロードに掴まれた手を振りほどいたアシュリーははたかれ横を向いたまま、視線だけこちらに向けるロードを睨み付け叫んだ。


「お前に私の気持ちの何が判るの!? 何十年、何百年、考える時間ばっかりあって後悔しか出来ない私の気持ちが!!」

「判んないよ! そもそもそういう生き方を選んだのはあんたの勝手!! 勝手に出てったくせに、そういう言い方すんのやめてよ!! 考えたくないなら魔界で寝る暇もないくらい働いてりゃ良かったじゃん!!」

「だけど、誰かがここにいなきゃいけなかった!!」


 確かにそれは事実だった、アシュリーはそれを盾に魔界を出て行ったのだ。

 でも……。


「そんなのアシュリーじゃなくても良かったろ! 勝手に出て行ったくせに言い訳するなよっ、いい加減しろっ!!」


 押さえ付けていたもののタガが外れる、溢れ出る感情が止められない。

 アシュリーが何百年も取り戻せない過去に対する後悔という苦痛の中にいたのならロードも、同じだけの年数過去ばかりに囚われる人をどうすることも出来ない苦痛の中にいたのだから……。


「勝手ばっかりして、今度は罪滅ぼしのために人間育てる? もういい加減にしてよ!! あんたの勝手に振り回されるオレの身にもなれ!!」

「…ロード?」

「後悔するのはあんたの勝手、好きにすればいいじゃない!! だけど、それを取り違えて人間を助けるのはっ……裏切りだ!!」


 ビクンと、アシュリーの身体が揺れる。


 裏切り…それは何に対する?

 魔族?

 それともすべてを恨んで消えたあの人?


「人間が何をしたか忘れた訳じゃないだろ? それなのになんで…」


 怒鳴っていたロードの声に涙が滲む。乱暴に拭われた目はそれでも潤んでいて、我を忘れかけていたアシュリーは一瞬で冷静さを取り戻した。


 ああ……ロードの不安はそれか。


 アシュリーが、人間を許すのではないかと……。

 あの時の感情を忘れてしまったのではないかと……。


 緩く首を横に振る。


 それはない、それは絶対にない。

 大切な人を、そして大切な人からすべてを奪った人間を許しはしない。


 だけど、アシュリーはエルウィンの心に触れてしまった。自分と同じものを抱えるエルウィンに触れてエルウィンを想ってしまった。


 人間と魔族という括りで区別するには余りに近いものをエルウィンはその小さな身体に抱えていた。だからアシュリーは自分のようにはならないでと、初めて自分以外の誰かを想った。


 自分しか見てなかったアシュリーが初めて……。


 それをロードに伝えなければと、居住まいを正してロードと向き合った。















読んで頂きありがとうございました。

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