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至上の愛   作者: 高瀬海之
第一部
2/52

02、魔族の彼女




 アシュリーは最初それを見つけた時、それはもう死んでいるのだと思った。


 墓場に打ち捨てられた哀れな子供の死体。

 こんな場所に子供の遺体を捨てるなどきっとろくな親じゃなかっただろう。

 親にも恵まれずに死んで、その肉体までも獣に荒らされるのは余りに哀れだから、せめて自分の手で土に返してやろうと思って獣を追い払った。

 ほんの気紛れ、思い付きの行動だった。


 そして振り返った時、大きな黒い瞳がこちらを見上げていて正直驚いた。


 生きていたのだ。

 向こうも驚きに目を見開き、こちらを凝視していて……一瞬迷った。

 守ったのは死体のつもりだった。だが、一度助けたものを生きていたからという理由で再び見捨てるのはおかしいだろう。


 仕方無く、手を伸ばし抱き上げる。腕に持ったそれは思った以上に軽かった。

 痩せてこけた頬、青白い肌、不健康という言葉が頭を過ぎる。

 どんな事情でこんな場所にいるのかは判らない、けれど時と場所を考えれば浅い事情ではないだろう。

 怯えを含み始める大きな瞳を見つめてから、決めた。

 連れて行こう。


「怪我、手当しましょう」


 微かに笑いかけて、馬に乗せた。アシュリーも彼の後ろに跨がり、パカパカと緩い速度で馬を走らせ始める。

 しばらくして声に強制的なものが混じらないよう気をつけながら話しかけた。


「名前は?」


 自分の前にちょこんと座っている幼児の表情は判らないが、返答はなかった。しばらく待ってもやはり答えはない。


 やっぱりつれてくるんじゃなかった……微かな後悔が胸をよぎる。


 今、幼児の背中から感じ取れるのは怯えよりも警戒だった。あれだけのことがあったのにこの子が身を堅くしているのは、この状況を恐れてではない、救世主であったはずのアシュリーに泣き付くこともしないでただ警戒している。子供らしからぬ反応をいぶかしみながら重ねて問うた。


「一応生命の恩人なんだから名前くらい教えてくれてもいいんじゃない?」

「…………エルウィン」

「ふうん、私はアシュリー。で、なんでこんな時間に…」

「それ以外は忘れた」


 続くアシュリーの質問を遮った子供特有の甲高い声。すべてを拒絶した鋭い声には、子供とは思えない程の堅い意思が籠っていた。

 これ以上聞いてもこの子は何も答えないだろう。納得させる声の響きに、あ、そう…と答えたアシュリーは、もう一度深く深く、彼を連れてきたことを後悔した。

 でも、今更殺されると判っているあの場所に戻すことも出来はしない。

 森の小道をもう少し進めばアシュリーの住家に辿り着く。木立ちの切れ目の向こう側、赤い屋根の小さな家がアシュリーの今の住家。

 その家の前で馬を止め滑り降りたアシュリーは、まだ馬上にいるエルウィンを見上げ、手を差し伸べた。


「じゃあ何か思い出すまでうちにいていいよ、エルウィン」


 一瞬大きく見開かれた黒い瞳。そこに浮かんでいたのは驚愕と猜疑だった。

 だが、それしか選択肢がないからだろうか?

 思いの他きつくしっかりと、エルウィンはアシュリーの腕にしがみついてきた。



◆◆◆◆◆



 傷を手当てしてもらったエルウィンは、寝室らしき部屋に一人置き去りにされた。今夜はここで休めということなのだろう。

 着替えに貸してもらっただぼだぼのシャツを着て、ベッドに乗り上がりシーツに潜り込む。そしてぼんやりと自分を助けてくれた人のことを思った。


 生来の魔術師としての勘が、アシュリーと名乗った女は人間ではないと訴えている。


 彼女は所謂『魔族』と呼ばれる種族だ。


 人間とは違う闇に生息する種、魔族。

 日の下で生きる人間と闇の魔族は敵対関係にあり、だからこそエルウィンの一族のような魔術を使える人間はエリートなのだ。


 非力な人間の中で、魔族と対等に戦える限られた人間。

 それらが統治する魔法国家。


 国家を守る最強の魔術師として恐れ敬われる父の姿を思い浮かべ、同時に今日自分がしでかしたことを思い出した。

 そっと自分の手を見る。先刻アシュリーが綺麗にしてくれたから汚れなどないけれど、この手で自分は……考えて、胸の痛みに涙を浮かべた。


 妹を殺した自分が何故今も生きているのだろう?

 あの場所で死ぬはずだった、死んで償うつもりだった。


 なのに魔族に助けられて生きているのはどんな皮肉?

 それともあの魔族に殺されるのだろうか?

 それならそれでもいい。

 もうなんでもいいから早く、早く……。


 しゃくり上げながら罰を求める。子供らしからぬ思考力で己を責めていたエルウィンの背後で、キーッと小さくドアの開く音がした。


「やっぱり…」


 ランプをもったアシュリーが部屋に入ってくる。肩を震わせていたエルウィンは慌てて袖で涙を拭い起き上がった。近付いてきたアシュリーはそっとベッドの端に腰を下ろすと、泣いているエルウィンに微笑みかける。

 見上げるエルウィンの目を奪うのは、闇に不似合いなオレンジ色の長い髪だった。その色が庭で咲いていた生命力に溢れた花の色を思わせる。

 エルウィンには遠い世界だった光溢れる場所にあった……鮮やかなオレンジ色。


 闇に生きる魔族がどうしてそんな色を持っているのだろう。

 どうして魔族すら持つその輝きを自分は持って生まれなかったのだろう。


 それさえあれば、幼い妹を妬むことも憎むことも、……命を奪うこともなかったのに!!


 運命の皮肉を呪うエルウィンの頬をまた雫が伝う。

 流れる涙を勘違いしたアシュリーは、少し笑ってエルウィンの黒い髪をくしゃくしゃ乱し言った。


「やっぱり親が恋しいんでしょ。心配しなくても明日家まで送っていくから、今日はもう寝なさい」


 優しく微笑みかけ囁かれるアシュリーの言葉が更に激しくエルウィンの胸を揺さぶった。


 帰る家……今更帰れるわけがない。

 自分はこの手で実の妹を殺した。


 妹が健康なのは妹の所為ではないのに、下らない嫉妬心で、妹の未来を奪った。

 妹殺しの罪を背負った自分が帰る場所など、もうこの世の何処にもない。自分が行くべき場所は罪を償うための、地獄しかないのだ!!

 横になるように肩を押すアシュリーの手を押し返し、エルウィンは激しく頭を左右に振った。そして涙に負けた小さな声で呟く。


「……れない」

「ん?」

「かえ…れ……ない」

「え?」

「オレには…、帰るとこ…ない。もう…帰れないっ」


 ボロボロ零れる涙を止める術も知らず、ただ帰れないと繰り返すエルウィンを見つめ一瞬困惑したアシュリーも、この小さな体が抱える大きな何かを察する。

 先刻泣き声が聞こえてきた時、きっと親が恋しくて泣いているのだと思った。すべて忘れたと切り捨てても、所詮子供。今更ことの重大さに気付いて泣いているに違いない。今なら素直に家のことを話すだろうと、ここに来た。


 でも彼は帰る場所がないと零す。


 それがどういう意味なのか、想像はいくらでも出来る。

 けれど一つだけ確かなのは、彼が自らの意思でその場所を捨ててきたということ。

 親に追い出されたり捨てられたのではない、自分で帰る場所を無くそうとしている。


 そういう意思が、エルウィンの言葉のニュアンスから伝わってきた。

 一体何があれば、こんな小さな子供が自ら家や親を切り捨てようとするのだろう。

 魔族のアシュリーには理解出来ない人間社会の出来事を思い、無駄な説得は諦めた。

 親が子を思う気持ちも、子が親を思う気持ちもアシュリーには判らないもの。口先だけの言葉で、子供だからこその純粋さを騙すことは出来ない。

 だから泣くエルウィンの背中を抱いてゆっくり撫で囁く。


「……早く帰る場所が思い出せるといいわね」


 それがエルウィンが一番最初に言った、すべて忘れたという言葉を受け入れてくれての科白だと気付き、濡れた黒い瞳がアシュリーを見上げる。

 優しく笑う魔族の顔をランプが照らす。長い睫が彩る穏やかな瞳は茶色よりもっと明るい、黄味がかった不思議な色をしていた。

 それが自分を責めて責め抜いていたエルウィンの思考をしばし止める。

 見ほれる程優しく笑ったアシュリーはもう一度エルウィンに寝るよう促した。そして自分もエルウィンのそばに身体を横たえる。

 その動作を見ていたエルウィンは、先刻よりももっと驚いた顔をして聞いた。


「……一緒に、寝るの?」

「何? やだって言われても他に寝るとこないんだし、ここ私んちだし、我慢してよ」


 人と一緒に寝るなどエルウィンにとっては初めてのこと。戸惑う理由を知らないアシュリーはさっさとランプを消してしまう、途端に周囲は闇に包まれた。

 闇の中、隣りに人がいる感触に神経を尖らせていたエルウィンは、しばらくして聞こえ始めたアシュリーの落ち着いた寝息におずおずと身体の緊張を解いた。


 父でも母でもない、他人が隣りで寝ている。


 両親に甘えることも知らなかったエルウィンに一番最初に近付いた体温は、『魔族』と呼ばれる人のものだった。












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