カラザの塔
修理屋のツツイが住む村には塔が建っていました。入り口もなく窓もなく、どんなに遠くからでも目に付くほど高い塔です。誰もその天辺を見たことはありませんでした。
ツツイはある時、共に住む村人達へ塔のことを尋ねました。
「あれは何なんだ」
「塔さ。他にどう見える」
「何のためにあるんだ。こんな高さである必要があるのか?」
「知らないねえ。何の役に立ったこともない」
「これ一本きりなのか。他で見たことがない」
「さあ、どこかにはもう一つぐらいあるかもしれないが」
「いつからあるんだ」
「知るわけないだろ。おれ達の先祖のほうが後から来たのさ」
「第一壊れたらどうするんだ。手入れも掃除もされてないのか」
「誰も触ったこともないよ」
「なんてこった」
その日以来、ツツイはどうにも不安に取りつかれ、しきりに塔ばかりを見張るようになりました。長いこと何の修繕もされていないあの塔は明日にでも崩れるかもしれない。そして塔はとんでもなく高いのです。どこまで逃げても離れても、破片が自分の頭に降り注いでくるような気がしてとうとう、仕事も手につかなくなりました。
「いい加減に庇を直してくれよ。塔が崩れることなんてそうそうないし、ましてや破片がぶち当たるなんて」
「いや絶対に落ちる、落ちてくる、物はいつかは壊れるんだ、済まないが外に出られそうにない…」
「そんなに心配なら、君が直せばいいじゃないか」
その手があったかとツツイはようやく思い至りました。早速道具をそろえます。
仕事ができなくなってから毎日塔を眺めてばかりいましたが、どんなに晴れた日に目を凝らしても天辺が顔を覗かせることはありませんでした。よっぽど準備をしなければなりません。丈夫な縄や鉤を服に縫い付けたり、鉄板の仕込まれた帽子を拵えたり、やることは山積みです。
「こりゃ何だ」
「道具だよ。他にも要るが」
「何のために登るんだ。こんなに荷物がいるのか?」
「知れたことだ。何でも役立つものは持っていくさ」
「これ一回きりにしろよ。他に仕事もあるんだ」
「さあね。どこかに疵でもあればもう一度行くかもしれない」
「いつまでかかるんだ」
「知るわけがない。俺の腕と塔の高さが決めるさ」
「頼んだ修理はどうなるんだ。筆入れも草履も直さないのか」
「誰も使わなけりゃいい」
「なんてこった」
誰に何を言われようと止めようとはせず、様々の道具を忍ばせた服と堅い鋼で覆われた帽子を身に着けてツツイは塔を登り始めました。村の人々はせめてもと、塔の周りに柔らかい布を敷き詰めました。
ツツイはどんどん登っていきました。足場のないところでは吸盤を引っ付けて進み、時には縄をかけて一気に何メートルも跳び、とにかく上へ、上へと天辺を目指しました。
どこまで登っても塔には継ぎ目ひとつ見当たりません。取り越し苦労だったろうか、と自分のあまりの慌てぶりに少し恥じ入ったところでガツン!という音がしました。頭に何かが当たったようです。鳥でも落ちてきたか、と見渡してみても何もなく、そのまままたよじ登ることにしました。
ところがそれ以上先に進めないのです。見えない壁でもあるかのように指がある地点から動きません。色々と試してみて、ようやくわかりました。
「これは絵だ。騙し絵だ」
一面の青といくつかの雲。その向こうにまで突き抜けていくような高い塔――という絵がそこには描かれていました。塔の先はありません。絵の描かれた天蓋に連なっていました。
「一体…」
誰が、と呟いたところでツツイは気づきました。先ほど頭がぶっつかった所からパリパリ、ピシピシと亀裂が入っています。慌てて漆喰で塞ごうとしましたが、もう随分と遠くまでひびは拡がっていました。青い破片がパラパラと手の中に落ちてきます。
誰のものともわからない声が、ひび割れの真っ暗な隙間から確かに聞こえました。
「もう、すぐに割れる」
ツツイは手足に力が入らなくなり、そのまま真っ逆さまに落ちていきました。
「大丈夫か」
「やっぱり落ちてきたな。無理だと思ったんだ」
「…どうやら生きてるぞ。よかったよかった」
ツツイが目を覚ますと、村人が何人かこちらを覗き込んでいるのが見えました。心配して様子を伺いに来たようです。
「塔について、何かわかったか。少しでも天辺は見えたか?」
「…が」
「なんだって?」
「落ちてくる。空が落ちてくる。空が…」
ツツイは集まってきた村人に必死でそう伝えて回りましたが、もちろん信じる人は居りませんでした。