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未完成ーCompletion dawnー season1  作者: 長束紫飯
1/1

season1  出会い

この小説はフィクションです。実際の都市などには一切関係ございません。

あの時の東京はもうなくなっちまった。

俺が初めて日本に来たときはもっと、綺麗で何もかもが新鮮に見えるような電気街に

夜になれば怪しく光るネオンが街を照らしてたり。

真新しさを日本全体で味合わせてくれたというのに、今じゃもう…

日本は数年の間に荒廃していき、47個もあったという県とかいうものは今は数個残っているか怪しい

とまで言われていて、首都、東京は今まで違法とされていたものが横行するような汚い所になった。

まぁ、俺が言えた義理ではないな。俺が日本に来た理由はただ一つ、

逃亡、だ。

祖国で麻薬を売ったのがバレたときに真っ先に日本に逃げてきた。

捕まるのも時間の問題だが、

「せめて、綺麗な時につかまりたかったなぁ…」

ぽつりと呟いた言葉はそこらへんに死体のように転がっている麻薬中毒者によってかき消された。

その麻薬中毒者は視点が定まっていない両目で俺を見ながら、何かを呟いていた。

だが、何一つ聞き取れなかった。

足にしがみついてきた中毒者を薙ぎ払うように振って、手をまるで犬を追い払うようにひらひらさせて

その場を去る。まだうめくような声で何かを訴えてきていたが、聞き取れないものをわざわざ聞いてやるような

優しさなんか持ち合わせちゃいない。そんなの持ち合わせたってこの街じゃ使い物にならないからな。

歩きながらポケットから煙草を取り出して火をつける。たばこの先端を小さな火が燃やしていく。

口から出ていく煙は灰色の空に霞むように消えていった。

「なんでこうなっちまったのかな‥‥」

煙と一緒に空を向いた俺の口からは誰にも届かない声と白い煙が空に向かって歩いていた。


厄介なほど険しい街を少し歩けば都内よりかはいくらかマシな郊外に出る。

都内よりマシと言ってもここも荒廃が進んでいる。

焼けた家の跡、倒壊した家、そこらへんで飢え死んだ者、自分で首括って死んでいったもの、ここには都内にない

また別の厄介なものであふれている。

道を歩けば異臭が纏わりつく。そりゃ、道端に死体が転がっているんだ。この異臭もすっかり慣れちまった。

河川敷にある高架下の色とりどりに描かれた落書きの方がまだ、綺麗に見えるくらいこの国は崩壊した。

何分ほど歩いただろうか。今にも崩れそうな階段を上って4つ目。そこが俺の寝泊まりする屋根の付いた何かだ。

ここには勝手に住み着いた。俺が来た時には今までの法やらなんやらが消えていたから、まだ生きてるやつは自分のもとからいた場所

かそれとも俺みたいに勝手に適当な場所に住み着くか、の二択しかない。道端にいようもんなら今の警察よりも優秀な

野犬に襲われる羽目になる。あいつらは人間の味を覚えちまったらしい。可愛らしかったであろう犬も今じゃ目ん玉ひん剥いて死体漁りに

没頭しちまってる。

この国の現状は簡単に言えばゾンビゲーの世界だ。生き残りは少ない。ほぼほぼ全員が死んで、生き残っても何かしらの中毒患って

ほぼゾンビ状態。ゲームの中の世界に入りたいとか、ゾンビゲーの世界で生き残るとかイージーゲーでしょ。

とか言ってるやつがもしいるならこの現状を見せてやりたいくらいだ。

法は崩れ、金はただの紙、家なんか倒壊してるのがほとんどで生き残ってる家屋もよく見れば半倒壊状態。

いつ瓦礫の下敷きになるかもわかんねぇ。この世界はなんもない。本当に。


日本は俺がもう一度来る羽目になる前に大きなテロがあったらしい。ほかの国ならこんな酷くはならんだろう。

でも、日本はそういうのにめっぽう弱かったんだろ。それに小さなテロ集団、薬をやってるような奴らが起こしたもんだから

勝手に鎮静化でもすると思ったんだろうな。そのテロ隊にまさか不満を持った国民が入ったり、国民が国民を襲うような事は誰でも

想定外の事だろう。

日本政府が対応しきれるようになったころには国ごと半壊状態。ハッ…とんだ笑えねぇジョークだぜ。

東京も今は踏京なんて言われてる。

何故かって?誰かが言い始めたんだよ。「今の東京は足の踏み場もない場所」だってな。

だから、そっから取って”踏京”だなんていわれ始めた。

俺もこの国のこの崩れかけの部屋で野垂れ死ぬ日がくると思うだけで最初は吐き気してくるなんて思ってたのに、

今はそれが当たり前に思えてきてる。この国のように俺も死んでいくんだろう。

そんなことを思いながら、天井を見るような体勢で眠りにつく。隙間から見えた夜空が異常なほどきれいに見えた。


天井の隙間から刺した陽の光が俺の顔を焼いていく。その光で目を覚ました俺はいつものように

暇つぶしの為に都内に向かう。ギシギシと軋む床を無視して下に降りる階段へ向かう。

誰かが踏み抜いたのか、階段の4段目が抜けていた。

「チッ…くそが…」

舌打ちをして、4段目まで慎重に歩き4段目から飛び降りた。

少し足を痛める形にはなったが歩いていつもの場所に向かった。

「電車とかバスとかあればなぁ‥‥」

歩いて向かうのは結構な苦労を伴う。きっと、電車やバスなどといった移動手段があれば

楽な距離なんだろうが今のご時世そんなもん廃れたよ。

もちろんそんな稼業やっていけないからに決まってる。

そりゃ、こんな場所一度ひとたび車が通れば、死体を轢くかヤク中に当たる。

それじゃなくても、治安が悪いからジャックされておしまいだ。

それでも、やろうなんて言う奴なんかいるわけがない。

河川敷に転がった小石を蹴りながら歩く。こんな小学生みたいな事でも楽しく感じる程

暇だし、なんも無さ過ぎるんだ。

ジャケットの内ポケットから残り少ない煙草の箱を取り出して火をつける。

ジッ‥‥と燃えていく先が虚空を照らす。

歩幅に合わせて煙が揺れる。口から流れる煙は顔にかかる。

目を思わず閉じて、煙草をそこら辺に捨てる。

目を開けて歩き出した時には目に少しの痛みを伴ってた。

しばらく歩いてやっと都内の廃れたビル群が見えた。

今日もここまできてやっと暇つぶしという名の散歩を始める。

渋谷だったところは今日も若い女が大量にいる。ただ、ここにいる目的は買い物じゃない。

「お兄さん、うちの家来ない?」

こう言って、家におびき寄せてヤって金を巻き上げるためにここにいる。もちろん家ってのもこいつらの家なんかじゃない。

腕に絡みつきに来た女を振りほどき歩き始める。後ろから舌打ちが聞こえたが、暇は暇でも、こちとら飢えてるわけじゃないんだ。


賑わってた交差点を堂々と歩く。機能してない信号がしおらしく枯れる花のように折れている。

地下道に続く階段の方を見ると先ほどのような若い女が汚らしいオッサンとヤってた。

地下道に響き渡るくらい大きな喘ぎ声と汚いオッサンの息遣い。見ていて吐き気がする。

地下道を使おうかと思ったが、隣を通り抜けたくなかったので別の道を歩くことにした。

渋谷にこれ以上いても汚い人間の性欲を見る羽目になると思った俺は、そそくさと違う区へ向かう。

いつも暇つぶしに使う頻度の高い目黒区に向かう。ヤク中のおっさんとばあさんがそこらへんに転がっている。

石を蹴れば死体かヤク中に当たる。そんなとこになった。前まではおしゃれなところって聞いてたのになぁ。

そんなことを思って向かえばいつも通りヤク中の溜まり場だ。

人間が嫌になるような腐臭が立ち込める。こん中にいる奴でまともな奴なんかいない。

100%ヤク中。ほんと、金が絡まなきゃこんな場所にこねぇ。

そこらへんで座り込んだヤク中の肩をたたいて小袋に入った白い粉を見せる。

死んだ目をしてたヤク中が急に元気な目になって、俺に縋りつくように俺の持つ小袋を求めた。

人差し指を立て小さく振る。ヤク中はポケットに入っていた最後であろう万札を俺に差し出す。

受け取って地面に袋を投げる。飯をもらうときの犬のようになってヤク中は中の粉を吸い始める。

きっと、あれが最後のヤクになるんだろう。ちゃんと吸っとけよ、ジジイ。

ジジイに目もくれず、奥へ歩いていこうとすると後ろから声をかけられた。

「あんた、今あの爺さんになにか渡さなかった?例えば、白い粉とか」

後ろに立っていたのはまだ若そうな女だった。

「なんだ?アンタにやる粉はないし、ましてや、アンタとヤる気もないよ?」

片眉を少し吊り上げて返事を返す。後ろで仁王立ちする女は眉を顰め、俺を見る。

「どっちも、違うけど?」

眉を顰めたまま、こちらに近づくと女は服の内ポケットから警察手帳を出した。

「あぁ‥もう、機能を失いかけてる…てか失ってる警察さんね。何?捕まえるの?」

俺の挑発に乗る様子は無く、むしろまた内ポケットに手帳を隠すと入れ替わりでたばこの箱を出す。

そして、口に咥える。持っていたライターを差し出すと、女は怪訝な顔をしながらも受け取り火をつける。

俺のライターを投げて返すと煙を吐きだした。

「捕まえる…?はっ…そんなことしても無駄でしょ?なら、する必要もないでしょ」

煙と共に吐き出された言葉はとても腐っても警察だとは思えない言葉だった。

「それでも警察なんですか~?」

顔までかかる煙を片手で払いながら、女に向かって煽るように言葉を投げる。

女はそんな俺を無視するように先ほどのジジイのいた場所に目をやる。

「はっや…ヤク中って足早いのねぇ…」

女は俺に視線を戻す。

「あんた、何しに来てんの?」

口から煙草を落とし、地面に擦り付け火を消す女は、地面を見ながら俺に尋ねる。

「何って‥‥ただの暇つぶしですけど?」

「ひまつぶし?」

地面から目線を俺に移される。

「これまた、とんだ暇人もいたものね」

「暇人認定どうもありがとう」

嫌味のように言い放つ。相手は気にしていないような素振りで俺の横を通り過ぎて俺の後ろへ歩き出す。

「なんだ?いくら機能してないからって一応、今見ただろ~?それでも警察か~?」

俺はまるで、捕まえてほしがる犯罪者のように大声で喚き騒ぐ。

まぁ、実質逃げてきてる犯罪者だから犯罪者であることには変わらないが。

女は振り返ると怪しげに微笑む。

「まぁ、なんやかんやでめんどくさいし~…てか、あんたのこと…知ってるし」

俺は全身の血の気が引いていく感覚がした。

「しって…る…?」

「あぁ…知ってる」

女は俺に目を合わせたまま近づく。

「アルベルト・ノーム…あんたの名前。他の情報もなんとなく知ってる。一応警察だしね。

アタシは佐々木美奈。まぁ、アンタのお国に返されるような真似されたくなきゃ、ちょっと

ツラ貸しな。」

女はそういうと俺の服の襟をつかんでどこかへと歩いていく。


引きずられるような形になりながらも後をついていくとそこは新宿のとあるバーだった。

そこには店員らしき女装した男が数人と、黒いマスクをつけたひょろい男が一人いた。

その店にいた全員が入ってきた俺たちに気づくと店員らしき女装した男たちが、俺を引きずってきた

女に駆け寄る。

「美奈~、どこ行ってたのよ~」

「寂しかったのよ~?」

そいつらは口々に女に言い寄る。

そして、その後ろでひっそりとたたずむ俺にようやく気付き、

俺に注目を浴びせる。

「あら、この子はだぁれ?美奈」

女装の一人が声を上げる。

女は俺を一瞬見てから、俺の事を説明し始める

「こいつはノーム。ま、ただの生き残りよ。見つけたから拾ってきたの」

「うぃす」

空回りするような声で挨拶をする。興奮したのか周りの女装野郎共は俺に寄ってたかって色んな質問を

してくるが、何一つ入ってこない。キャーキャーと高い声が耳を裂いてくる。

女はそんな俺を置いて奥に座ってた男に話しかけていた。しばらくすると女が俺のもとに

戻ってきたと思うとまた俺の襟をつかんで、周りの店員を押しのけて奥の男のもとへ連れていく。

そこで女は俺の襟を離すと、男に向かって小声で、俺の事を紹介する。

「こいつが例の逃亡してたアルベルト・ノームだしばらく面倒見てくれ」

男は小さく頷くと、俺に小さな紙きれを渡す。

そこには

【初めまして、キミがアルベルト君だね?僕は雨宮さつま。19歳

これから、一緒に過ごすことが増える。僕は人と会話するのが苦手でね。会話は基本的にこうなると

思ってくれ。】

と書かれていた。

紙から目を離すと、目の前に座っている男はまた、紙になにか書いて俺に見せる。

そこには、【気にせずそこに座って。】と書いてあり、本人を見ると、さつまと名乗る男は

俺の横にあった椅子を指さした。

おとなしく座ることにし、周りを見る。

後ろの方で先ほどの女と店員が楽しそうに酒を飲み交わしていた。

太ももを軽く叩かれ、向き直るとまた男が紙を渡してきた。

【僕が彼女に頼んでキミを探してもらった。なぜかというと

僕はとある人間に会いたい。でも、その人に会うときにさすがに女の子は

連れていけない。彼女がいくら警察で、しかも優秀だとしても

危険だ。だから、キミが国外逃亡したのを知っていたからキミならどうにか

僕の事守ってくれるんじゃないかなと思って、探してもらった】

とここに連れてこられた経緯などを紙に書いて教えてくれた。

「なぁ、アンタ。なんで俺が逃げてきたのを知ってんだ?」

俺の言葉を聞いて男はまた紙に文字を書き始める。

【それは、僕の会いたい人間経由と言えばわかってくれるかな?】

渡された紙にはそう書いてある。

「で、でも…俺別に体とか鍛えてねぇし、そもそもなんか、その会いたい

って人の事も何もわかんねぇし、知らねぇし‥なんで俺が…」

男は紙に書くのがめんどくさくなったのか、俺の耳元まで寄って

囁き始める。

「彼には犯罪者の方が気に入られやすいんです、彼に頼まれて専門外でしたが

ヤク中のヤクザを制作したことがあるくらいなので…これは確実です。

彼に会うためにキミには助けてほしいんです。」

俺から離れると俺の前で座ったままだが、頭を下げる。

俺はこの男についていくことに何か得をするとは一ミリも感じなかったが、

特に最近面白いこともなかったし、その目的の人物にも会いたくなっていた。

「まぁ、いいすよ?」

そう返すと彼は、称賛をしたくなるような笑みをこちらに向けながら、

感謝をし始めた。

「ちょっと…!そこまでしなくても…!」

「いえ、そういうわけには!」

目の前の男は今まで以上に声を荒げて言った。

荒げたといってもこの男には限界がある。どうやら、荒げた声も

後ろの酒飲み集団には聞こえちゃいない様だった。

「いや~キミなら着いてきてくれると思って僕の家に空き部屋を作っておいてよかったよ~」

頭の中で、”それじゃ、まるで最初からついてこさせないつもりはなかったみたいじゃないか”と

考えたが、それはもう後の祭りだなとその考えは頭の片隅に追いやった。


男は俺の手を引き、酒飲み集団に先に帰る旨を伝え、店を出ようとする。

先ほどの女が俺の方へ近づき小声で話し始める。

「あの人ん家で暴れちゃダメよ?いいわね?」

「なんでさ」

「あの人、ある意味見た目通りやばい人だから」

「はぁ?」

あほ面になった俺をくるっと半周回して前を向かせる。

そして、背中を押して店から出す。

前を向いた俺の前には笑顔のあの男がいる。

静かに手を伸ばし路地を手で指す。

「行きましょうか」

いつの間にか用意されていた紙にはそう書いてあった。

「外に出たらまたこの会話形式ですか?」

厭味ったらしくいったが、男には伝わっちゃいないのかそのまま指していた路地に向かって歩き出す。

その半歩後ろを歩いていく。

この区内にもヤク中は大量にいる。足に縋りついてくるヤク中を軽く足を振り蹴飛ばす。

めげずに向かってくるヤク中に対して目のまえの男は躊躇せずに懐から出した拳銃で

ヤク中の眉間を打ち抜く。

「アンタ、容赦ねぇな…」

拳銃を懐にしまいながら男は紙を取り出し書き始める。

見せてきた紙には

【そりゃ、あんな連中。ゾンビと一緒ですから。殺してもいいでしょう?】

「無慈悲だな」

男は軽く頭を下げる。

「褒めてねぇよ」

悪態をつきながら男の横を通り過ぎる。後ろから男がついて来る。

二人で夕日を顔に浴びながら歩く。

何度も来るヤク中に無慈悲に鉛玉たまを打ち込む白衣を着た黒マスクの男と

その隣を歩く俺。

一見すりゃ、ゾンビ映画の中盤かラストくらいに見えてくるかもしれないが、どっちでもなければ

ましてはゾンビ映画でもない。

現実ではあるが、映画化したらきっと少しヒットする程度の映画にはなれるだろう。

まぁ、するわけないんだが。


何個も区を通り抜け、夕日もすっかり落ちて綺麗ではない空には紺色と無数の塵が

飾りつけをはじめ、そして終わっていた。

なんの音もない、大通りを歩き路地裏に入る。

少し細い路地をしばらく歩くと広い所に出た。そこには目の前の大きな家以外何もない。

むしろこの家の為だけにこの土地があるようにも感じる。

「この家か?」

男に尋ねると、男はうんうん、と頷いた。

「広いな。アンタもしかして金持ちのボンボンか?」

「そんなわけないじゃないですか。奪って使わせてもらってるんですよ」

小声ではあるが、その言葉にはどこかこの街に染まったような、狂気性を

帯びていた。

男は玄関の扉を開いてどこかの執事のように俺を招き入れる。

すーっと恐る恐る入ると中は思っていた何倍も綺麗にされていた。

「案外、綺麗なんだな」

天井から床まで余すことなく見る俺の前に立つと、紙を見せる。

『こう見えて、掃除頑張ったんですよ?』

まるで俺の為。と言わんばかりの文言に少しの嫌悪感を抱きかけたが、

今更そんな感情を抱いたところでもう遅い。諦め半分で家の中を歩き回る。

ランプシェードのカバーをそろりと指でなぞるが、指には塵一つ付いていなかった。

「…すげぇ‥」

小声で感心を漏らすが、男の耳にはしっかりと入っていたようだ。

俺の感心の声を満足そうに飲み込む。その姿を横目に近くの3人掛けのソファにドカッと腰を下ろす。

俺の座ったソファの近くの一人掛けのソファにそっと腰を下ろすと、男はぽつりぽつりと小声ではあるが

話始める。

「さて、どこから話しましょうか?」

「どっからでもいいが、その会いたい奴の事とかの方が話しやすいだろ。アンタの事は一通り、

聞いたわけだしな」

「そうですか…」

そういうと、男は小さな紙にさらさらと何かを書き、自分で改めて見直し、俺に渡してきた。

その紙には、その男が会いたいと思ってる人間の事が事細かではないが書いてあった。

【名前は沢村香月。香るに月と書いてかづきと言うそうです。身長は175、年齢は22とも24とも

言われています。職業は医師。大阪出身なので、関西弁を喋ります。】

どうやら、会いたがっている人間は医者らしい。年齢が不明な医者なんてあまり聞いたことないが、

医者である以上、少しはまともなのだろう。と頭の中で自分なりの整理をつける。

紙を見る俺の視界の端にちらちらと新たな紙が見えていた。少し、顔を上げてその紙を受け取る。

追加の紙には【彼は、よく怒っていると疑われがちですが、怒ってないので間違えても

怒ってるのかと尋ねないでくださいね】

と書かれていた。

「はぁ?人相でも悪いのか?そいつ。」

ぶっきらぼうに言った俺の言葉に目の前でちょこんと座る男は首を縦に振った。

「まぁ、いい。こいつに会えればそれでいいんだろ?なら、明日にでも会いに行くぞ」

俺は別の寝れる場所へいこうとソファから立ち上がる。

男は、急いで紙になにかを書きなぐってその紙を俺の顔の真ん前に突き出した。

鼻に当たる紙を男から引き取り、中身を見ると

【それはできません!】

「‥‥なんでよ?」

紙を適当に投げ飛ばし、男に向かって言い放つ。

男は少し気まずそうに小声で話す。

「まずは、僕がキミと接触したことがバレなきゃいけない。じゃないと彼は僕に興味すら

持ってくれません。」

溜息まじりに言葉を返す。

「はぁ…ったく。それじゃ何日間かかんだよ。そんな回りくどいことしてたらいつまでたっても

会えねぇだろうが。」

「いえ、そんなことはないですよ?彼の犯罪者に対する情報網はすさまじいですから。

だから2、3日もしない間にきっと彼の方からアプローチがあるでしょう。」

「どんなやつだか知らんけど、そんな奴とあってアンタ…どうするつもりだ?」

「それは…言えないですね…キミにも言えない…」

言えない用事と言われると気になってくるのがヒトの性。こんな話をする前よりもずっとこの二人が

会わなきゃならん用事について気になってきた。

「‥‥ま、とりあえず。2、3日待てってこったな?」

「そ、そうです…」

男から目線を外し、さっきまで座っていたソファに腰を下ろし、そのまま寝転んだ。


「え…?」

男は変なものに興味を持つ子供のような目で俺を見降ろした。

「待つには寝るのが最適だ。だから、今からここで寝る。俺の待ち方はこうなの」

目を閉じそういう俺に男は少し戸惑ってからゆっくりと言葉を紡ぐ。

「あの…こんなとこで寝ると風邪ひきますよ?上で寝た方が…」

目を開け、男を見る。

急に開いた俺の目に少したじろぐも、天井を指さす。

「上に部屋は用意してあります…お風呂もお望みなら沸かしておきます…」

「‥‥まぁ‥その…なんだ?風邪引くのもよくないからな!‥‥風呂…入る…」

「ふっ…わかりました…」

少し笑われたのが分かったが、何も言わないことにした。風呂が沸くまでの間に男は飯を作り、

俺と一緒に食卓を囲んだ。

「誰かと一緒に食べるのは久しぶりです…」

「アンタ、19だろ?親は?」

「あぁ、どっかのテロに巻き込まれて死にましたよ?」

淡々と話しているが、どこか哀愁が感じられた。

ぽつりぽつりと交わされる会話。一人で相当寂しい思いをしたのか、今までの事を少しだが、

聞けた気がする。

飯が食い終わり、皿洗いを始める男の前のカウンターの椅子に座り、何をするわけでもなくぼーっとしながら

風呂が沸くのを待っていた。

静かな空間に皿を洗う水の音、部屋の隅に飾られた時計の針の音。

俺らはただ静かにその場所にいた。

しばらくすると、キッチンに取り付けられた給湯器から風呂が沸いたことを知らせる通知音とアナウンスが

流れた。

「沸きましたね」

皿を洗う手を止めた男が近くにあった小さなタオルで手を拭きながら部屋から出ていった。

しばらく待っていると男がバスタオルと着替えを持って現れた。

「タオルと着替えです。少し服の方は小さいかもしれませんが、同じ服を着るよりマシかな?」

「あぁ、ありがとう…」

受け取ると、タオルのふかふかとした柔らかさが手に伝ってくる。

「風呂の場所、案内するね」

くるっと、背を向けて歩き出す男の後ろを歩いて、広い家の中を歩いた。

少し歩くととある部屋の前で止まった。

「ここです。長風呂してもらっても大丈夫ですから」

「んじゃ、ありがたく使わせてもらうぜ」

ドアを開けて中に入る。中には洗面所、ドラム式洗濯機があり、奥に風呂に続くドアがあった。

「服は…ここでいっか」

乱雑に洗濯機の上に借りた服とタオルを置いて勢いよくドアを開ける。

中から襲い掛かる湯気に思わず顔を渋らせる。

湯気が薄くなり風呂場の中を見渡す。

普段からしっかりと清掃を行っているからなのか、カビの一つも生えていなかった。

隅の隅まで真っ白な風呂場の浴槽には綺麗に透けた湯が張ってある。

視線を横に移し、シャワーを出すためのノズルに手をかけ軽くひねる。

少し冷たい水が流れてきたがすぐに熱めのお湯が流れてくる。

視線を下に下げ、目を閉じる。頭からお湯を被って、頭の中を真っ白にする。

何も考えないようにした。今日の事全て、今までの事全て。

目を閉じたまま、頭を上げる。髪をかき上げ、顔にかかる水を手で払いのける。

シャワーを閉め、風呂に入る。

熱い湯が肌に沁みる。ここでゆっくりしてていいのか甚だ疑問だが、久しぶりの風呂に

そんな考えが消されていく。


風呂から上がると洗濯機の上には新しく用意された服が置いてあった。

腰にタオルを巻き付け、用意された服を手に風呂場から出る。

最初に通されたリビングに戻ると、ソファーに埋まるように男が座っていた。

ここからでは後ろ姿でしかわからなかったが、それでもわかるくらいに空っぽのような姿だった。

物音か足音で気づいたのか、俺の方へ振り返る。

「お風呂どうでした?湯加減とか大丈夫でした?」

「あぁ、いい感じだった」

そっけなく返してしまったが、男はそれでも満足そうに笑う。

「それはそうと、服着ないと風邪ひきますよ?」

男は俺の持っている服を指さして言う。

俺自身も服の方へ視線を自然に移していた。口から息が抜けて気が抜けたような声が出たあとに

くしゃくしゃになった服達の中から適当にシャツを引っ張りだして、器用にその場で着替えた。

袖に腕を通し、ばぁっと頭を出す。少し大きいサイズのようだ。

男が小さく噴き出したがそこには触れずに口を開く。

「‥‥そのー‥なんだ?部屋…どこ?」

男はすっと立ち上がって俺の横を通り抜ける。

「こちらです。ついてきてください。」

素直に男についていき、階段を上がり二階へ行く。

二階もなかなかに広い作りになっている…。そう感心しながら男の背中を追う。

長い廊下を歩いて行って、とある扉の前に止まる。その扉はまるでよく聞く洋館の部屋の扉のようだ。

ギィ…っと音を立てて開く。

中に入って灯りがつくと、あらゆる家具が綺麗に整頓されていた。

綺麗にベッドメイキングされたベッドは飛び乗ってみるとふかふかとしていた。

「‥‥さいっっっこう…久々にこんないいとこで寝るわ…」

「ふふっ…こんな世の中ですから、こういうベッドがある方が珍しいですもんね。これからは

この部屋を存分に使ってください。ですが、僕はキミが来てくれたおかげで少し忙しくなりそうなので、

どうしても部屋のお片付けにまで手が回せなくなるので、今後はこの部屋の掃除等は頼みますね」

「こんないい部屋借りれるんだ、それくらいやるに決まってるだろ」

「キミならそう言ってくださると思ってましたよ。それじゃあ、僕はそろそろおいとまするね?

何かあれば、そこの通信機で呼んでください」

そう言って指さした先には小型の通信機がミニテーブルの上にポツンと置かれていた。

「おう…」

その返事を聞くと、男はすぐに部屋を出ていった。


この部屋に来たはいいものの何もすることはないのでミニテーブルの上の通信機を手に取った。

よくありそうな形をしているそれは、わかりやすい大きなボタンが二つ付いたものだった。

横には音量のつまみだろうか?そんなものがついていた。

ボタンは一つが赤。もう一つが緑色をしていた。

赤のボタンの上には発信、緑のボタンの上には着信、と書かれていた。

これ以上見るものもないのでミニテーブルの上に戻す。

暇だな…と思いながら、ベッドに倒れこむ。

天井が見える。特に何もない、数えるシミもない。

少しずつ瞼が閉じようとしている。

今日一日を振り返る。今までにない体験を一日にぎゅっと詰め込まれた。

だって、今まではだた何も考えずに麻薬を売っては金を巻き上げていただけの暮らししてたのに

今じゃ、よくわからねぇ奴に連れていかれて、よくわからねぇ奴のとこに寝泊まりしてる。

こんなこと誰が信じてくれるだろうか。

瞼が完全に閉じた。一日の振り返りも同時にシャットアウトする。

明日になれば、また何かが変わるだろう。

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