自死という言葉
最近、自死という言葉をよく見かける。しかしこの自死という言葉にはどうしても違和感がぬぐえない。自死という言葉には、この命は自分のものである、だから自分自身で死にたいときに死んでもいいのだという唯物的な匂いがするのだ。
自分たちにとって、少しでも嫌な感じのする言葉を抹殺していこうとする人権サヨクらが使いそうな言葉である。少女売春ではなく援助交際という言葉で少女たちが売春に抵抗がなくなったように、自死という言葉の広がりは、自殺をしやすくするのではないかと危惧している。
だいたいにおいて自分の命は自分のものだという考えは傲慢そのものである。命は先祖代々受け継いできたものであり、先祖があるから自分たちの命がある。またその命は次の世代へと繋いでいかねばならない責任もあるのだ。
また自分の体は自分が作ったものなのだろうか?あなたが眠っているとき誰があなたを生かしておいてくれるのか。この命は自分が生かしているのではない、何様かは知らねども、その何様かによって生かされているのだ。自ら死ぬというのは、何様かによって生かされているものを殺すことなのだ。子供も自分のものではなく、天からの授かりものと思うからこそ大事に育てようと思うのだ。
やはり自死という言葉より自殺という言葉の方が私たち日本人の感覚に合っていると思う。生命とは我々では分からない、もっと深く神秘的なものではないのか、なぜその感覚が彼らにはないのだろうか。
自死、自死と書いている奴を見ると、サヨクの唯物論主義者でお頭の軽い人間のように思えてしかたがないのだ。




