9、お姫様と喫茶店
残された私は、結局優菜さんに連れられて近くの喫茶店へとやってきた。
おすすめの品から適当に注文を済ませ、落ち着いた所で優菜さんが話を切りだしてきた。
「先程は本当に、助けて頂いてありがとうございました」
「いえ、そんなかしこまらないで下さい! 優菜さんは先輩なので、私に敬語も不要です」
「ありがとう。それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらうね。それと、屋上では失礼な態度を取ってしまってごめんなさい」
目を逸らされた事だろうか?
「いえ、気にしないで下さい」
お辞儀や座り方、仕草など、こんなに姿勢や動作が綺麗な人を見たことないというくらい、優菜さんの所作は完璧だった。
これが二年連続で聖学の姫に選ばれる人の風格か。
「そういえば、自己紹介もまだだったね。私の名前は天羽優菜。ずっと桜さんと話してみたいと思ってたの。多分ばれてるとは思うんだけど、私ずっと奏の事が好きだったの」
笑顔も素敵で、頬をほのかに染めて恥ずかしそうに話す彼女はまるで天使。
カップの持ち方にしても、飲み方にしても、流れるような一連の動きがマナー本に載ってた写真の人より上品だ。
高すぎる女子力に、私は完璧にのまれていた。
カナちゃん──こんなに可愛いらしい完璧な乙女を相手にしないなんて、彼は本当に男だろうか。
実はおネエ願望があったり……大体カナちゃんは何故私が好きなんだ?
私が男みたいだったから、発展途上だった彼の乙女心をくすぐってしまったのか?
よくよく考えればシロもこの前、ショッピングモールでカナちゃんの事を『お前、本当に男か?』と疑っていたではないか。
何ということだ! 私のせいで、カナちゃんが道を踏み外してしまった。
駄目だ、思考が変な方向へ流れていく。思い出せ、あの黒歴史の出来事を。
カナちゃんにおネエ願望があるなら、コハクとのあのハプニングを喜ぶはずだ。
世界記録が出せそうな程のスピードで、手洗い場へと駆けていったあの行動は──ま、まさかの照れ隠し!?
「桜さん、青ざめた顔をしてどうしたの? もしかして、具合が……」
可愛らしい天使の声で現実に引き戻される。
「大丈夫です! 私、身体が丈夫な事ぐらいが取り柄なので! 体調崩しても一晩寝れば、大抵いつも元通りです!」
緊張のあまり余計な事を口走ってしまった。
「桜さんって面白いね。そんな貴女だからかな。奏はね、ずっと貴女の事が忘れられなくてもがいてた。そして私も、そんな彼が忘れられなくて今ももがいてる。桜さんは奏の事……少しでも考えてあげられないのかな? 貴女とうまくいくなら、私も前へ進めそうな気がするの」
伏し目がちに閉じられた長い睫毛の奥で揺れる瞳が、優菜さんの気持ちを物語っていて切なくなった。
本当に相手の事を大切に思い、幸せを願ってないと、言えない台詞だ。
コハクもそんな気持ちで自分から身を引こうとしてくれたのだろうか。
目の前の優菜さんがコハクと重なって、いたたまれない気持ちになった。
「ごめんなさい。私には今とても大切にしたい人が居て、カナちゃんの事をそういう対象にはみれません」
私の言葉に優菜さんは目尻の涙をそっと拭って、悲しそうに表情を歪めた。
「大切にしたい人って、さっきの結城コハク君だよね。そうだよね……」
「ご存知でしたか……」
「有名だもの、桜さんは王子が溺愛する女の子って。それにさっきの彼の様子を見て、愛されてるのがよく伝わってきた。ごめんね、勝手な事を言って」
「いえ……私が優菜さんの立場だったら、恋敵にそんな言葉かけれないです、きっと。本当にカナちゃんが大切なのがよく伝わってきました」
こんなに健気で素敵な人を泣かせるカナちゃんがうらめしい。
それ以上に、そんな彼を縛り付けている今の自分がもっと憎らしかった。
「桜さん。良かったら昔の話、聞かせてもらえないかな? 奏が転校する前の事、貴女の事以外は何も話したがらないから興味があって」
ここまでカナちゃんの事を思ってくれる優菜さんになら、話しても大丈夫だろう。
「構いませんが……驚かないで下さいね? 後、他言無用でお願いします」
優菜さんが、了承してくれたのを確認して、私は『浪花のエンジェル』の商店街のアイドル生活を始めとした数々の武勇伝を話した。
最初は驚いていたけど、楽しそうに優菜さんは話を聞いてくれた。
中でも一番興味深そうだったのは、旅先での逆ハーレム悩殺崩壊事件だ。
小学三年の夏、カナちゃん家族と一緒にキャンプに行った事がある。
その時、サマースクールでキャンプ場に来ていた同じ年頃の男の子全員を虜にして、カナちゃんは逆ハーレム状態を作り出した。
男だと言っても信じてもらえず、良い所をみせようと男の子達はあの手この手を使ってカナちゃんの気を引こうとしていた。
最初は使い勝手の良いパシリとして利用していたようだが、次第に男の子達がふざけてスキンシップが多くなり、我慢の限界にきた彼は男の子達を引き連れて、森の奥へと入っていった。
その後、スカッとした顔で戻ってきたカナちゃんとは対照的に、顔面蒼白で男の子達は帰ってきた。
『幻想に夢を見すぎるとあかんでって、教えてやっただけや』
そう言って彼は天使の笑みを浮かべていた。
何をどうしたのか分からないが、その後男の子達がカナちゃんに話しかける事はなかった。
「確かに、それだと奏を男の子として意識するのは難しいね」
「あの頃はむしろ、男女逆転してたんじゃないかってくらいですよ」
「桜さん、格好よかったもんね! 正義のヒーローみたいだった」
「同じ事を、カナちゃんにも言われました。全くそんな自覚はなかったんですけどね……」
「今の奏が正義感にあふれているのはきっと、桜さんの影響なのね。初めて奏に会った時も、桜さんまではいかなかったけど、本当に正義のヒーローみたいだったもの」
懐かしむように優しく目を細めて笑う優菜さんに、今度は私が昔の話を聞いてみた。
「私が初めて奏に会ったのは中学一年生の頃で、当時お稽古や習い事ばかりの毎日に嫌気がさして家を飛び出した事があったの。行くあてもなくて公園のベンチに腰かけていると、柄の悪そうな人たちが絡んできて、そこを奏が助けてくれた。見ず知らずの私を逃がすために自分が囮になって、殴られてボロボロになって。あんなお人好し、今まで見たことなかったよ」
きっと放っておけなかったのだろう。カナちゃんはそういう人だ。
「中学に上がってから奏は、いつも周りに女の子をはべらせてた。来るもの拒まずで告白された女子と片っ端から付き合って。でも誰一人として、一日以上関係を継続出来た人は居なかった。誰かと楽しそうに話してるように見えても、ふとした瞬間にすごく寂しげな表情をしている事があって、気になって放っておけなくて。その時かな……奏のことを意識したのは。私も皆と同じように告白して付き合ってもらったけど、やっぱり放課後には振られちゃって。理由を聞いたら、『忘れられへん女がおる。やっぱり俺の隣では、アイツに笑ってて欲しいんや』って言われたの。その時の顔が物凄く切な気で、一途に他の女の子に恋する奏にキュンとしてますます忘れられなくなっちゃって。その寂しさを拭ってあげたいって……」
「優菜さん、捨て犬とかいたら迷わず拾って帰るタイプじゃありませんか?」
なんとなく同じにおいを感じて思わず聞いてみる。
「何で分かるの? あの潤んだつぶらな瞳で見つめられると迷わずお持ち帰りね! 今ではやんちゃな子が三匹いるよ。ブラッシングしてあげた後のあのモフモフっとした毛がたまらなくて」
やはり、優菜さんは同志らしい。
「分かります、その気持ち! 私も飼ってるんですけど、一度味わったらもう抜け出せない気持ちよさがあって!」
その後、しばらく愛犬トークで盛り上がり、『桜さん』から『桜ちゃん』と呼ばれるまでに優菜さんと仲良くなった。
これは私の持論だが、モフモフが好きで飼っている人に悪い人はいない。
何故ならば、それを維持するのに並々ならぬ愛情と手間と暇がかかるからだ。
油断するとすぐ毛玉ができ、外でどろんこ遊びをした後なんかは帰ってから即効シャワーだ。
まずは軽くブラッシング、その後シャワーの準備をして身体を洗い、乾かして、全身をくまなく丁寧にブラッシング……私の場合、所要時間は軽く一時間を越える。それを三匹も飼っているなんて、脱帽ものだ。
辺りも暗くなり始め、そろそろ帰ろうとしてふと気になる事があった。
「そういえば優菜さん、今日絡んできた男の人は知り合いですか?」
「中学の同級生で、最近ずっと付きまとわれてて困ってたの。何度断ってもしつこくて、なるべく一人で帰らないようにしてたんだけど、文化祭の準備で友達も忙しくて。そしたら運悪く……」
「あの、だったら一人になる時は連絡もらえませんか? 私なりカナちゃんなり、誰かしら護衛つけますので」
折角出来た同志を悲しませてなるものか。
好きでもない相手に無理矢理襲われるなんて、あんな辛い想いを優菜さんにしてほしくない。
それに──帰り道、優菜さんと是非また愛犬トークで盛り上がりたい!
「そんな迷惑はかけれないよ。私の家は学園からそこまで遠くないし、大丈夫だよ」
「今日とても楽しかったので、帰り道にでもまた優菜さんとお話したいです。ダメ、ですか?」
「桜ちゃん、ありがとう」
はにかんだ笑顔でお礼を言われ、そのあまりの可憐さに、私の心がスーっと浄化されるのを感じた。
人は本当に可愛いものを目前にすると、こんなにも癒やされるのか。
ああ、天使だ。今日私は本当の天使様と出会うことが出来たのだ。
時折黒い表情を醸し出す堕天使ではない、本当の天使様に!
それから優菜さんと連絡先を交換して、合流したシロと一緒に天使様を丁重に家まで送って帰った。