7、聖学の姫
昼休み。
シロとカナちゃんと一緒に屋上でご飯を食べていると、一人の女子生徒がこちらに近付いてきた。
外を歩けば誰もが振り返って確かめたくなるような可憐な容姿を持つその人は、傍まで来ると可愛らしい声で遠慮がちに話しかけてきた。
「あの……急にごめんなさい。 少しだけ奏をお借りしてもいいですか? 」
「どこへでも連れていけ、そして二度と帰ってくるな」
これは好機と言わんばかりに、すかさずシロはカナちゃんを押しつけようとしていた。
「シロ、その言い方はあんまりだよ! カナちゃん、行っておいでよ」
「あ、ああ。優菜……ひさしぶり、どないしたん?」
「ここではちょっと……少し付いてきてもらえないかな?」
「かまへんけど。シロ、俺が居らんからって桜に手出すなや」
「手は出さねぇよ、手はな」
クククと喉の奥を鳴らして笑うシロに、カナちゃんは鋭い視線を向けた。
「わざと煽るような事言わないで、シロ! 大丈夫だから、カナちゃん」
これ以上待たせたら悪いと喧嘩しそうな二人を止めると
「前科ありまくる奴の言う事は信用できへん。桜、危のうなったらすかさずこれ使うんやで」
そう言ってカナちゃんはゴソゴソとポケットを漁って、私の手に護符を握らせた。
視線を感じてふとそちらを見ると、優菜さんが悲しそうに瞳を揺らしてこちらを見ていて、すっと目を逸らされた。
その横顔が始業式の日、高台で見たカナちゃんに告白していた女性と重なった。
優菜さんは今でもきっと、カナちゃんの事が好きなのだろう。
遠ざかっていく二人の背中を眺めながら、切ない思いが込み上げてきた。
「あの二人が気になるのか?」
「カナちゃんには幸せになってもらいたいんだ。だから、いい人が居るならその人と上手く行って欲しいんだけど……」
「なら、あの二人をくっつければ良い。追うぞ」
「え、でも……のぞきはよくないって!」
「桜、誰の仕業か分からなければ責めようもないだろ。要は気づかれなければ良いだけだ。俺の手にかかればそんな事、赤子の手をひねるようなものだ」
新しい玩具を見つけたかのように、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべてシロは二人の後を追っていく。
そんな彼を放置できるわけもなく、仕方なく私も後を追った。
二人は階段の踊場で話をしているようだ。
「私、今年もコンテストに出るつもり」
「おう、頑張りや」
「もし今年も優勝出来たらもう一度、私の事……考えてもらえない?」
「お前に言い寄ってくる男なんてぎょうさんおろうに、ええ奴見つけや」
「貴方だけには、言われたくない台詞ね」
「ごめんな、でも悪いけどほんまむ……」
「考えてくれるだけでいいの! 付き合って欲しいなんて我儘は言わない……ただ、ほんの少し考えてくれるだけでいいから……お願い……ッ」
カナちゃんの言葉を遮るように、優菜さんが訴えかける。
優菜さんが聖学の姫だったんだ……まさか、こんな形でお目にかかるとは思いもしなかった。
でもすんなり納得出来るほど、私にはない可憐な乙女の風格みたいなものが感じられた。
「優菜……俺が昔、お前と付き合ったんはお前が好きやったからやない。ただ桜の事、忘れたいって思うて利用しただけや」
「分かってる……だからこそ、一度だけでもいいから、私の事を見て欲しいの……ほんの一時でもいいから、考えてくれるだけでいいの」
「女は愛すより、愛された方が幸せになれるんやで」
「好きでもない人と、無理して一緒に居るなんて出来ない」
「どうしたら諦めつくんや?」
「同じ事を、貴方に聞きたいよ」
これ以上盗み聞きは止めようと、シロのブレザーの袖を引っ張る。
「思っていたより、話が重いぞ……」
苦虫をかみつぶしたような顔でそう呟くシロに、「そうだね……」と同意するしかなかった。
誰かを好きになる人の気持ちは、自分では止められない。気付いたらもう、好きになってるから。
そっとシロの手を取って、ぎゅっと握り締める。私は、この手を離したくない。
「とりあえず戻るか」
「うん」
気付かれないようそっと屋上のドアを閉めて、私達は元の場所へ戻った。
シロが暴走して以来、学園内でカナちゃんはどこへいく時も、シロの後をついて監視している。
おかしな行動をしそうな時は、すかさず何かを口ずさんでシロの動きを少しだけ止めて牽制し、最近はすっかり陰陽道が板についてきたようだ。
それから間もなくカナちゃんも帰ってきて、開口一番訝しげにシロを睨んだ。
「シロ、桜に変な事してへんやろな?」
一瞬、覗きがバレたのかと思ったけど違ったようで少しだけ安心した。
「お前の言う変な事とは何だ?」
「そ、それは桜の嫌がることや」
「桜は俺に何をされようが嫌がらないぞ?」
「お前がそんなんやから桜の事、任せられへんねや」
カナちゃんは呆れたようにため息をついた後、何かをひらめいたような顔をしてシロに話しかけた。
「てかお前が幻術かけてるなら、それ解いたらコハッ君、目覚めるんとちゃうか?」
「まぁ可能だが、無理に解くとコハクの精神に負荷がかかり、最悪感情そのものを失い兼ねない。この幻術はアイツが異変に気付き、元の世界に戻りたいと強く願った瞬間、解けるようかけているからな」
面倒臭そうに答えるシロに、カナちゃんはさらに質問を続けた。
「その空間に、直接干渉する事は出来へんのんか?」
「そういう術もあるが、そこへ入った者は術をかけられた者が目覚めるまでずっと閉じ込められる事になる」
「……俺に行かせてくれへんか?」
真剣な面持ちで口を開いたカナちゃんに、シロは険しい顔で言葉を返す。
「お前、馬鹿か? アイツが見てる夢はきっと桜とイチャついてる夢だぞ。その光景をずっと見せつけられる空間に閉じ込められるんだぞ?」
「そんなん、今と大して変わらへんわ」
「このままコハクが目覚めなければ、桜の前からお前にとって目障りな俺達は居なくなる。願ってもない状況だろ? 何故、それを自分から壊そうとする?」
苛ついた様子でシロはカナちゃんに言葉をぶつける。
「コハッ君と正々堂々勝負したいからや。勝っても負けても、本気でやってこそ見えてくるもんがある。それを確かめたいからや」
怯む事なくカナちゃんは、真剣な目つきでシロを見つめて答えた。
「フン、単なる綺麗事だな。だが、それが人間らしい思考なのだろうな……」
鼻で軽くあしらった後、シロはカナちゃんからそっと視線を逸らして遠くの方を眺めた。
人を寄せ付けないようなその寂し気な横顔は、孤独の影に縁取られていた。
「頼む、この通りや」
深々と頭を下げるカナちゃんを一瞥した後、「そんな事をしても無意味だ、やめろ」とシロは眉間に皺を寄せ、苦しそうに顔を歪めた。
「必ず目、覚まさせるから。頼む!」
それでも顔を上げようとしないカナちゃんに、「俺の力では無理だ。閉じられた空間に無理に他の意識をねじ込む事は、俺の力を全て使ったとしても及ばない」とシロは淡々とした口調で真実を述べた。
消費が大きすぎて、霊力保有量が低いシロには使う事が出来ない妖術なのだろう。
顔を上げたカナちゃんは、いたたまれないような顔をして、唇をキッと噛んだ。
タイムリミットまで着実に時は刻み続けている。効果的な方法がない現状に皆、苦々しい思いを抱えているようだった。
この場に流れる沈黙がそれをよく物語っていた。
「案ずるな、お前等の呼びかけはきちんとコハクに届いている。アイツは馬鹿がつく程桜の事しか考えてねぇ。偽物なんかで、いつまでも満足できるはず、ないだろう?」
シロの言葉に珍しくカナちゃんが同意し、私は恥ずかしくて視線を泳がせた。
でも、コハクがもし私の夢を見ているのならば、偽物の自分になんかに負けたくない。
今までの女の子らしさの欠片もない自分から脱却して、目指すは女子力の高い魅力的な素敵女子だ!