15、今だけは……
朝起きると、ベッドの隅にちょこんとシロが座っていた。
「おはよう、シロ」
挨拶をすると、彼はビクッと大きく身体を震えさせ、つぶらな瞳でこちらを見ている。
喋れない程霊力が枯渇しているのだろうか?
「おいで」と手を伸ばして、恐る恐るこちらに近付いてきたシロを両手で大事にすくい上げる。しかし視線が合った瞬間、プイッと顔を背けられた。
「どうしたの?」
「昨日の……夢じゃないよな?」
チラチラと私の様子を窺うようにして、シロが呟いた。
「キスしたらシロが気絶したこと?」
「わ、わざわざ言わなくていい!」
前足をバタバタさせて照れている……何だこの可愛い生物は!
そのサイズでもふもふしてて仕草が愛らしいなど反則だ!
「夢じゃないよ。ねぇ、結局キスでどれくらい霊力補充出来たの?」
撫でくりまわしたい衝動を抑えるべく、私は話題を変えて質問した。
「満タンになってもあふれるくらい」
「前はどれくらいだったの?」
「……雀の涙くらい」
「そ、そうなんだ……でも、それなら信じてくれたよね?」
私の言葉に、シロはコクリと深く頷いた。
そこまで違いがあったのには驚きだけど、シロがあの時すごく驚いていたのは納得だった。
「よかった~これで、シロも朝からちゃんと学校行けるし、授業中寝たりしなくて済むよね?」
「お前が毎日、朝昼晩欠かさず捧げてくるならな」
「……何かご飯みたいだね」
「俺は霊力さえ補えれば、人間みたいに食事する必要はない。そういう意味では、お前の唇が俺の飯だな」
「改めて考えると恥ずかしいね……あ、でもシロが今の姿ならいいかも」
途端にシロは人型へと姿を変え「この姿ならいいんだろ?」と妖艶な笑みを浮かべている。
「あ、ズルい! 急に変身するなんて!」
「さぁ、飯の時間だ」
ベッドに押し倒され、シロが上に覆い被さってきた。
「し、シロ! この体勢になる必要ない」
「案ずるな、昨日の礼だ。やられたら、十倍返しが今の相場だ」
ニコリと綺麗に微笑んだ後、シロが顔を寄せてきたので、私はぎゅっと目をつむった。
すると、「怖いか?」と耳元で優しく囁かれ、目を開けると心配そうな顔をしたシロと視線がぶつかった。
「こ、怖くないよ」
「無理をするな、震えておる」
そう言われて初めて、自分の身体が震えている事に気付いた。
「シロが怖いんじゃないよ。ただ無意識のうちに昨日の事、身体が勝手に思い出してたみたいで」
離れようとしたシロの手を掴んで気持ちを伝えると、彼は身体を横たえて壊れ物を扱うように優しく私を抱き寄せた。
触れた箇所から感じる温もりと、トクントクンと脈打つ彼の鼓動に癒されて、いつのまにか震えは止まっていた。
「不安な時は俺を呼べ。いつでも慰めてやるよ」
シロは低くて艶のある声で囁いた後、梳かすように私の髪に細い指を絡めて、ゆっくりと撫で始めた。
彼の指が動く度に、少しだけこそばゆい感じがするけど、逆にそれが気持ちよくて、しばらくその感触を楽しんでいた。
「シロ、ありがとう。もう大丈夫だよ」
そっと身体を離して見上げると、シロは目を細めて優しく微笑んでくれた。その笑顔に胸がキュンとときめいて、無意識のうちに私はシロの首に手を回していた。
お互い数秒見つめ合った後、どちらからともなく熱い口付けを交わした。
心も身体もとろけてしまいそうな程、甘くて温かい食事の時間だった。
とろんとした目でシロを見つめると、シロは少しだけ寂しそうに笑って「良い事を教えてやる」と呟いた。
良い事なのに、何故そんな顔をするんだろうか?
「コハクが少し、疑問を持ち始めたようだ」
「え、それって夢の世界だと気付いたって事?」
「微かだが、明らかに以前とは違う戸惑うような感情が流れてきた」
コハクが夢の世界で戸惑っている。
これは目を覚まさせるチャンスなのではないだろうか。
『コハクお願い、目を覚まして……夢の世界に惑わされないで。貴方の生きる世界はこっちにあるんだよ』
彼に届くように強く念じると、シロに強く抱き締められた。
私の肩に顔を埋めているため表情は分からないけど、微かに震えているような気がした。
もしコハクが目覚めたら、シロはどうなるのだろう……滅多に表に出る事はないと言っていた。それはつまり、今までみたいにはずっと一緒には居れないということ。
しかしコハクが目覚めなかった場合、シロは実家に強制送還されてしまう。
シロを抱き締め返して、私は恐る恐る聞いてみた。
「シロの実家って、どこにあるの?」
「両親は今海外に住んでいるが……俺が帰される場所はおそらく、お前が来ることは出来ない、妖界だろうな。コハクもお前も失ったら、俺はこっちでは生活出来ないから」
どっちに転んだとしても、シロとこうやって過ごせるのは文化祭まで、残り一ヶ月もないということだ。
「お前を独り占めしたいけど、俺はコハクが居ないとお前の傍にも残れない。今だけは俺の事だけ考えて欲しいと思っても、それは自分の首を絞めることと一緒だなんて、ほんと笑えるな……」
自嘲気味に放たれたその言葉に、胸をえぐられるような強い悲しみを感じた。
「シロ……まだ時間はあるよ、一緒にいっぱい想い出作ろう! シロと一緒の時は貴方の事だけ考えるから、心の底から今を楽しんで欲しい。でも一日のうち一回だけは、コハクに想いを伝える事を許して欲しい」
シロのプラスな気持ちがコハクに伝われば、コハクの不安を取り除く事に繋がるとコサメさんは言っていた。
コンテストに向けて準備をしつつ、シロとの時間を大切にしていこう。
「桜……じゃあ今は、俺だけを見ろよ」
顔をあげてニヤリと不敵に笑ったシロに、私は微笑んでコクリと頷いた。