13、表と裏
「シロ、シロ……ッ!」
触れたら潰れてしまいそうな程小さくて、その場で呼び掛ける事しか出来なかった。
「桜ちゃん、シロにそのまま強く呼び掛け続けて」
顔を上げると目の前に、白狐姿のコサメさんが立っていた。
「コサメさん! シロが……ッ!」
慌てる私を落ち着かせるように、優しい口調でコサメさんは理由を教えてくれた。
「大丈夫、ちょっと霊力を使いすぎて無理してるだけだから」
コサメさんがシロに手をかざすと、いつものサイズまで大きくなる。
「ここだと目立つから、ちょっと場所を変えるよ」
次の瞬間眩い光に包まれて、気が付くとコハクの部屋に移動していた。
人型に戻ったコサメさんは、シロをそっとベッドへ寝かせてあげた。容態が心配で覗き込むと、さっきよりは落ち着いているけど、それでも呼吸が荒く苦しそうに見える。
「シロは、大丈夫なのですか?」
「まぁ、寝てればそのうち回復するだろうけど……君が傍に付いててくれればもっと早く回復する、かな」
「そうなんですか?」
「うん。霊力補給するのに一番最適なのは、ソウルメイトからオーラを頂く事だからね。傍に居るだけで少しずつ取り込む事が出来るし、急ぎの時は直接もらうのもありだね」
「直接……ですか?」
「そう、唇から直接。端的に言えばキスしたらいいんだよ」
そういえばシロが現れてから、最初に朝起きた時もそんな事を言っていたような気がする。人の唇奪っておいてすました顔で『霊力の補充しただけだ』とか。
もしかして、今まで唇を無理矢理塞いでたのもそのせいだったのだろうか。
シロをそっと撫でながら、コサメさんは悲しげな表情で口を開いた。
「この子は私の血を引いてる癖に、ハーフの中でも霊力保有量が絶望的に少なくてね。だから本当は、シロが表に出て人間界で生きていくのは厳しいんだ。シロの場合は人間に化けるだけでまず霊力を使うから、一日の半分以上は寝てないと身体が持たない。さらに今はコハクのために四六時中、幻術空間を作ったりしてるからなお、消費が激しいだろうね。それに加え急激に無茶をして霊力を使うと、今みたいな状況になるわけだ」
「そうだったんですね。シロは私を助けるために無理をして……」
身体が辛かったのに、そんな素振りを見せないで、私の傷を癒して、泣き止むまで優しく抱き締めてくれてたんだ。
自分を犠牲にしてまでそこまでしてくれた事に、胸がズキンと大きく痛む。でもそれと同時に、コハクに対して抱くような、愛おしくて堪らない気持ちが心の奥底から込み上げてくる。
その感情に戸惑っていると、コサメさんが優しく声をかけてきた。
「シロが勝手にやった事だ、君が気にする程の事ではないよ。この子もコハクと同じで君の事が大切で仕方がないだけさ。コハクには何かあった時のために、シロの存在を話しておきなさいと散々言っていたんだが、君に受け入れてもらえるか不安だったのか、首を中々縦に振らなくてね。急にシロが出てきた時は驚いただろう?」
「はい。正直、かなり驚きました」
「桜ちゃんはシロの事、どう思う?」
最初はすごく怖かった。
でも本当は優しいって分かって、初めてシロの屈託のない笑顔見れた時、すごく嬉しかったのを覚えている。
その一方でシロと仲良くなるのは、どこかコハクを裏切っているようで心苦しかった。ふとした時、私はどこかでコハクに会えない寂しさを、シロで紛らわせていた自分が居る事に気付いたから。
そうやってシロを利用していたのに、こんなになってまで助けてくれた。その優しさに心がひどく痛みながらも今、他の誰でも無い、シロの事がすごく愛おしいって思ってしまった。
コサメさんに、私は自分の気持ちを正直に伝えた。
後ろめたさから途中で俯いた私を慰めるかのように、コサメさんはポンポンと優しく頭を撫でてくれた。
「大丈夫、その気持ちはコハクに対して裏切りではないから安心して。あの子達の本質は元々一緒だから、コハクが好きならシロに惹かれるのも当然の事なんだ」
顔を上げると、コサメさんはふわりと優しく微笑んで昔話をしてくれた。
「元々、コハクとシロは人格が分かれていたわけじゃないんだ。確か最初に君に出会った時、コハクとシロはまだ一つだったと認識している」
出会った頃というと、あの酷い怪我をして道端に倒れていた時の事だ。
「ハーフというのは、妖界でも人間界でも生きにくいのか事実でね。苦肉の策として、妖怪の力に特化した人格のシロと、人間の力に特化した人格のコハクに分かれたんだ。両者は別々のように見えて実は密接に結び付いて、根底では気持ちを共有している。幻術空間に居るコハクに今、シロが得た視覚や聴覚など直接的な情報は伝わらないけど、例えば君がシロに『暑苦しいから近寄らないで』と話しかけたとして、シロがそれに対して悲しいと感じた場合、その感情だけはコハクにも伝わるんだ。だからコハクを目覚めさせたいと思うなら、シロをコハクと同じように受け入れてあげて欲しい。シロを喜ばせてあげれば、コハクの根底にある不安を減らす事に繋がるからね」
だからあの時病室で、コサメさんは『あの子達』と言ったんだ。美香を助けるために、屋上から飛び降りた私を治療してくれたのは、シロだったんだとその時初めて気付いた。
「ただ……何故かシロはコハクにコンプレックスを抱いているようで、おまけにあの屈折した性格だから、素直に喜ばせる事が難しくはあるんだけどね。コハクもコハクで一度思い込むと、ある事ない事想定して、どんどん自分の殻に閉じ籠っていく所があるからね。大変だろうけど、見捨てないでやって欲しい」
シロがコハクに対してどこかトゲがある言い方をしていたのは、何かコンプレックスを持っているせいだったのか。
コハクもあの素直すぎる性格が、ここにきてそんな裏目に働いていたとは思いもしなかった。
「コサメさん、お話聞けて良かったです。コハクもシロも喜ばせる事ができるように頑張ります!」
「ありがとう。ケンに聞いたけど、文化祭までにコハクが目覚めなかったら実家に強制送還なんだってね。私としては、それは非常に困るわけだ。だから桜ちゃん、何としてもそれまでにコハクを目覚めさせてくれ。私も出来ることは協力するから」
コサメさんはゴソゴソと着物の袖を漁ると、何かを掴んで差し出してきた。
「この家の鍵、自由に使って構わないよ。シロが寝てる時はこれ使って、叩き起こして連れてっていいからね」
「え、いや、それは受け取れません!」
笑顔でさらっととんでもない物を渡してきたコサメさんに、私は軽くパニックになった。
「なに、ほとんど一人暮らしみたいなものだから気にする事ないよ。寝てるより君と居る方がシロは身体、楽だろうから。何ならしばらく同棲しても……」
「そ、それこそ本当に無理です!」
さらに爆弾を投下されて、顔どころか全身が熱くて仕方がない。
「ハハ、まぁ……それはおいおいとして。こう見えて、私も忙しい身の上でいつでもシロの元に来れるわけではないんだ。コハクと違ってシロは生活力ゼロだから、君が気にかけてくれると助かるんだけど……ほら、最近孤独死とか、増えてるでしょ?」
物凄く物騒な単語が聞こえ、想像すると怖くなった私は
「だ、だったら! コハクが目覚めるまで、お借りしてもいいですか?」
そんな事を口走ってしまい
「うん、助かるよ。ありがとう、桜ちゃん」
超絶笑顔のコサメさんから、コハクの家の合鍵を受け取ってしまった。