11、運命の一着
あの日から、シロは私の前に姿を現さなくなった。
以前はコハクに一日の出来事を伝えると、毎日冷やかしに来ていた。そしてそのまま私のベッドの片隅で寝て、朝方帰る生活をしていた。けれど彼が来なくなって、すでに数日が経過してしまった。
連絡しても返事はなく、学校にも来ないし、家を訪ねても出てこない。
コハクの事も気がかりだし、暴走させてしまった事をきちんと謝りたかった。
何より、たったそれだけしか経っていないのに、ぽっかりと心に穴が空いたように、寂しくて仕方がなかった。
コハクに会えない寂しさを、シロに会うことで誤魔化していたんだと気づかされる。そのシロまで失って、今度は都合よくシロに会いたいと思うなんて、どこまで自分勝手に彼を利用しようとしているのか、自分の考えの浅ましさが嫌になった。
気持ちをリセットするように、私はプリンセスコンテストに向けて、猛勉強と美容に気をつかった生活にプラスして、朝五時に起床して空手の稽古を始めた。
それは第一ステージの特技披露で、私に出来る事はこれしかないという理由からだが、始めてみると楽しくて仕方がない。
身体のなまり具合には思わず苦笑いしたが、こうして汗を流す時間が脳に刺激を与えているのか、心なしか本の内容も前より頭に入ってくるようになった気がする。
その間、カナちゃんは橘先生の元で着実に陰陽術の知識を身につけ、最近は数珠を常に持ち歩いているようだ。
何でも、肌身離さず持っている事で神力というよく分からない力をそれに込めて、妖術に耐性をつけているらしい。
シロの妖術で動けなかったのが相当悔しかったようで、「今度は俺が絶対お前を守んで」と意気込んでいた。
至るポケットに護符を忍ばせ、「いつでも来いや、変態狐!」とヒーロー魂に熱が入り、シロと戦闘するのを心待ちにしているように見えなくもない。
***
金曜日の放課後、美香が雑誌を持って駆け寄ってきた。
何でも海外で大人気のファッションブランド『スノウレイン』のショップが、駅前のショッピングモールに新しく出来たみたいでお勉強がてら帰りに見に行く事に。
スノウレインって確か、コハクに借りた一枚数万円のハンカチを売ってるブランドだ。
ハンカチでその値段なら、洋服だといくらするんだろう? 値段を見るのが怖い。
学園を出て住宅街を抜けていくと、前方に柄の悪い人達がたむろっているのが見えた。
ここから引き返して別の道へ行くと、駅までかなり遠回りになる。
なるべく視線を合わせないようにして静かに通り過ぎようとした時、声をかけられてしまった。
「お姉ちゃん達可愛いねぇ、稼げるバイト紹介するけどどう?」
「私たち急いでるので、行こう桜」
「おっと、そうはさせないよ。今日は獲物が少なくて困ってたんだ。逃がすわけないだろ?」
相手にせず通り過ぎようとする美香の前に、ニタニタと気持ち悪い笑みを浮かべた男が立ちはだかる。引き返そうとするも、すでに退路は絶たれ囲まれてしまった。
まさか、自分が不良に『可愛いね』と言われ絡まれるなんて……これも、日々の努力の賜物だろうか。
コハクはよくそう口にしてくれたけれど、彼はきっと他の人とは可愛いの基準がズレている。
現に私は今までこのような人種の方々に、そのような謳い文句で話しかけられた事はないから。
これも美香のおかげだとしみじみ感慨にひたっていると、事態は何やら雲行きが怪しくなっていた。
「本当に急いでるので、通してください」
「俺、気の強い子好みだわ。この子もーらい」
怯まず言い返す美香の腕を、鼻ピアスをした男が掴んで引き寄せた。
「キャ! ちょっと、離しなさい!」
「あんまり抵抗すると痛い目見ることになるよ?」
美香の声に我に返った私は、鞄を振り回して相手が怯んだ隙に、鼻ピアスの男の後ろに素早く移動して首の後ろに内手刀打ちをくらわせた。
ドサッと地面にその男が倒れた瞬間、「テメェ!」と前から突っ込んで来た男の顎を狙って構え、正拳突きをして気絶させる。
すかさず横から別の男のパンチが飛んできたのを左にかわして、バランスを崩した男の腰に後ろから膝蹴りを繰り出す。
相手が蹲ったのを確認し、急いで鞄を拾って私は美香の手を引いて走り出した。
追手は来なかったので、何とかその場は逃げ切ることに成功。ショッピングモールに無事辿り着き、目的のお店に到着した。
セレブ御用達というブランドだけあって、『スノウレイン』のお店に並んでいるドレスはどれも値が張るものばかりだった。
「桜、このお店の由来は知ってる?」
「えーっと……確か……雨が雪になるその一瞬の美しさを体現する、だったっけ?」
「そうなのよ! 一点物でワンサイズしかないのは、運命の一着に巡り合うためなの! 全てがピッタリと合うドレスを手に入れた時、その人には大いなる幸福が訪れると言われてて、ネットで話題なのよ! 素敵だと思わない?」
ここまでハイテンションな美香は珍しい。どうやら本当に、このブランドが大好きで仕方ないようだ。
早く運命の一着に巡り合いたいようで、瞳をキラキラと輝かせながらドレスを物色している。
ドレスか……どんな時に着るのか想像もつかないな。庶民の私がドレスを着る機会なんて、出来るかどうかも分からない結婚式ぐらいだろう。
そんな事を考えながら眺めていると、ガラスのショーケースの中に一際目を引くドレスを見つけた。
淡いブルーと白を基調にしたそのドレスは、まさしく雨が雪になる奇跡の瞬間を体現したかのような綺麗さで、神秘的な印象を受けるドレスだった。
ふんだんにあしらわれたレースのスカート部分には、キラリと輝く宝石がちりばめられている。それを見て、かなり値が張りそうだというのがよく分かった。これだけ値段も伏せてあるし。
「お客様、良ければ試着してみられませんか?」
ドレスを眺めていたら、店員さんに声をかけられた。
「え、私ですか?!」
「こちらはオーナーが、未来の娘さんのために作ったウエディングドレスなんです。私の見立てが正しければ、このドレスはきっとお客様のためにあるように思うのです。良ければ、いかがですか?」
このドレスが私のために?!
そんなわけがない。声をかけるなら、もっとセレブな人にすべきだろう。
「い、いえ、綺麗だなって見てただけなので大丈夫です!」
買えもしないのに試着だけするなんて、出来るわけがない。
それ以上その場に居辛くなって、慌てて美香の元へ戻った。それからドレスの知識を教えてもらいつつ、店内を一緒に見て回った。
運命の一着には出会えなかったようで、美香はがっくりと肩を落としている。そんな彼女を慰めながらお店を後にした。