9、魔法のポケット
はりつめていた緊張の糸がそこでプツンと切れた。今まで閉じ込めていた感情が一気に押し寄せてきて、目から涙があふれてくる。
力なくたれたシロの手をぎゅっと握りしめて、ごめんねと何度も謝った。
やむを得なかったとはいえ、本当にコハクを裏切る行為をしてしまった事に、ただ謝る事しか出来なかった。
「そのままやと……風邪ひくで」
動けるようになったカナちゃんが、そっと私の肩にブラウスをかけてくれた。
コハクの事で一杯一杯で、さっきまであんなに助けるのに必死だったというのに、この場にカナちゃんが居た事をすっかり忘れていた。
そして自分の今の姿を思いだし、途端に恥ずかしさがこみ上げる。泣いている場合では無い。今私がすべき事は、見苦しい姿を一刻もはやく隠すことだ。
涙を拭ってお礼を言い、急いでブラウスに袖を通して服装を整えた。
「か、カナちゃん……色々、ごめん。怪我はない?」
「ああ……何ともない……俺のせいで、すまんかった……」
「こっちこそ、巻き込んでごめん。色々聞きたい事はあると思うけど、後できちんと全部話すから。今は、保健室から橘先生を呼んできてもらえないかな?」
「分かった……」
後ろを向いているためカナちゃんの表情は分からない。でも今まで聞いたことないくらい、その声には覇気がなかった。
遠ざかるカナちゃんの背中を見つめながら、誰の事を考えても痛む心に、最近人を傷つけてばかりだと乾いた笑いが漏れる。
大切な人同士仲良くなって欲しいって私のエゴが、勘違いを生み出しコハクに辛い思いをさせた。
逃げたりしたから最悪の形で見つかって、揚げ句の果てには拒絶してシロを狂わせた。
一緒に居たばかりにカナちゃんを巻き込んで、気持ちを踏みにじるような酷いことをした。
人を愛して愛される事が、こんなにも苦しくて辛いものだとは思わなかった。
その後、駆け付けた橘先生がシロを白狐化させて白衣に包んで保健室まで運んでくれた。
一番奥のベッドにシロを寝かせてカーテンを閉めると、橘先生は心配そうに声をかけてきた。
「迷惑かけてすまなかったな。お前さん達、怪我はないか?」
「私は大丈夫です」
「コイツ、何者なんですか? こんな危険な奴がずっと桜の傍に居ったやなんて……ッ!」
カナちゃんはキッと噛み付くような眼差しで先生を睨んだ。それに真摯に向き合うように、先生は視線を逸らすこと無く落ち着いた口調で言葉を返した。
「コハクは人間である俺の姉と、妖怪白狐との間に生まれたハーフだ」
「妖怪と人間のハーフってそんな馬鹿な話が……」
橘先生の言葉に、驚きを隠せない様子でカナちゃんは視線をさまよわせている。
信じられないのは無理もない。コハクに出会うまで、私も妖怪が実在するなんて思ってもみなかったし。
ここまでバレてしまった以上、カナちゃんにはきちんとコハクとシロの事を知って欲しかった。それを受け入れるかどうかはカナちゃん次第だと思うけど、悪印象を持たれたまま勘違いだけはしてほしくなかったから。
「カナちゃん、まずは私の話を聞いてもらえないかな? 最初からきちんと説明するから」
「分かった。話、聞かせてくれるか?」
「うん。勿論だよ」
一呼吸おいて、私は話し始めた。コハクとの出会いから今までの出来事を全て。
途中、驚いたり切なそうな顔をしたり、涙を堪えるようにそっと上を向いたり、思い詰めるように俯いたりしながらも、静かにカナちゃんは全てを聞いてくれた。
そして私の話を聞き終わった後、彼は悲しそうに瞳を揺らして口を開いた。
「俺が桜の前に現れたりしたから、お前の幸せ壊してもうたんやな……」
「カナちゃんのせいじゃないよ! 私がコハクの気持ちに気付いてあげられなかったから悪いんだ」
その姿があまりにも見ていられなくて必死に否定するも、カナちゃんは俯いて弱々しく言葉を紡ぐ。
「話聞いてたらコハッ君めっちゃいい奴やん。遊びで桜と付き合っとる最低な奴やて思っとったけど、桜にはいつもデレデレで優しくて、付き合ってみて意外とええ奴やんってコハッ君の事、逆に見直してもうた。でも急にえらい態度悪うなって、桜にも優しさが感じられんくなって、やっぱお前の事遊びやったんかって、今までの態度全部嘘やったんかって悔しなった。それがまさか、本当に別人やったなんて」
「私もそうなるまで、コハクに別人格があるなんて知らなかったんだ」
「あの日、桜見つけて嬉しゅうて思わず声かけてもうたけど、こんな事になるなら話しかけんがよかってんな。ごめんな、空気読めん奴で」
膝の上でぎゅっと固く握りしめられたカナちゃんの拳に、ポタポタと滴が落ちる。
「それは違うよ。今でこそ美香が仲良くしてくれてるけど、それまでこっちに引っ越してきて友達居なかったし。カナちゃん見た目は大分変わってたけど、中身は昔のままで懐かしくて、また会えてすごく嬉しかったんだよ。だから、そんな悲しいこと言わないで」
その姿にいつのまにかもらい泣きしてしまい、私の瞳からも涙が流れていた。
「桜……ご、ごめんな。もうそんな事言わんから、泣かんといて」
私が泣いてるとカナちゃんはよくもらい泣きして収拾がつかなくなる。でも逆の場合、結構すぐ泣き止んであたふたしながらポケットをがさごそと漁り出す。
「ほら桜、飴ちゃんやで。これあげるから元気だしや」
そう言ってカナちゃんは私の機嫌を取ってくるが、「イチゴじゃなくてメロンがいい」と難題を押し付ける私に、またあたふたして逆のポケットを漁り出す。
「じゃあメロン味の飴ちゃん、これでどや?」
ふわっと柔らかい笑みを浮かべて的確に私の欲しい飴ちゃんを差し出してくるから、昔は彼のポケットを魔法のポケットだと思っていた。
今にしにて思えばそんなわけがなくて、私が好きな飴をいつも数種類持ち歩いてくれていたのだ。
まさか未だにそうだったとは思わなくて、正直驚いた。