5、男前すぎる女(奏視点)
俺には生まれた時から、女といっていいのか分からない幼馴染みがおった。
同じマンションの隣に住むそいつの名前は一条 桜。
三歳の頃から週に四日は空手道場に通っている男前過ぎる女だった。
それに対し、俺は顔も容姿も女にしかみえない残念過ぎる男だった。
当時の俺は、幼稚園で体格の良い男共に容姿の事をよくからかわれていた。
身体の小さかった俺はそいつ等に力で敵うはずもなく、泣かされる毎日。
その度に、ヒーローのように駆けつけてくる男前過ぎる桜。伊達に毎日身体を鍛えていないようで、あっという間にやっつけてしまう。
ある時、俺は情けない自分が嫌になり、「大丈夫? カナちゃん、けがはない?」そう言って差し出してくる桜の手を思いっきり弾いた事がある。
「お前も俺の事、女みたいやて思うてバカにしてんのやろ?」
「何言ってるの? カナちゃんはカナちゃんだよ。私の大事な友達だよ」
目をまん丸させて桜はそう言ってニッコリと笑った。
ああ、そうや。こいつは他の奴らとは違う。外見やなくて俺を、俺自身を見てくれてる。
アイツのあの言葉のおかげで、俺は自分を素直に認める事が出来た。
どんな容姿でも、桜はきっと気にせず同じ事を言うだろう。そう思ったら嘘みたいに、今までの自分がアホやと思えてきた。
一度自分の容姿を認識して、俺は気付いた。その辺に居るどの女よりも、自分の容姿か優っているという事に。それなら、それを最大限利用してやろうて思った。すると、面白い程に周りの大人が優しくしてくれる。
商店街に行けば、挨拶してニコニコ笑顔ふりまいとくだけで、必ず何かしらもらえる。
「おいちゃん、おおきになぁ。ほんまうれしいわ」
そう言ってニコリと微笑めば、締まりのない顔のオンパレードや。
いつの間にか『浪花のエンジェル』って通り名まで付いとった。
まぁ……学校で浮いた存在やったんは否定せぇへんけど。
学校の奴等になんて思われようがどうでもええ。貰った戦利品を桜と一緒に頬張りながら帰る。
それだけで、俺は幸せやった。桜が隣で笑ってくれてたら、俺はそれだけでよかったんや。
ある時、桜がポロポロと涙を流していた事がある。
話を聞くと、空手の試合で学年も体格も上の相手に、完膚なきまでに打ち負かされた事が悔しかったらしい。
その話を聞いて、俺は桜よりひどく嗚咽を漏らしながら情けなく泣いてしもた。
あれだけ頑張っとったのに負けたなんて、桜が可哀想過ぎるやろ。
気付いたら俺は、泣き止んどった桜に背中を優しくさすられていた。
小学二年の秋、俺が風邪を引いて学校を休んだ次の日。
桜はやけにそわそわした様子で、俺が話しかけても心ここにあらずな状態だった。
理由を聞くと、昨日大怪我をした白い子狐を拾ったらしく無事かどうか心配らしい。
学校が終るなり、鉄砲玉のように飛び出して行った桜の背中を見ながら、俺の心はズキンと痛んだ。
それから毎日、桜は学校が終わると慌てて教室から出ていくようになった。
桜の背中に手を伸ばしては、それが虚しく空を切る度に、今まで感じた事のない締め付けられるような苦しい胸の感覚に、俺は戸惑った。
いつもなら、俺が桜の手を引いて一緒に帰るのに。
その時俺は、見たこともない桜が拾った子狐に、嫉妬してる事に気付いた。
自分以外の存在に、桜が興味を抱いている事に心がひどく痛んだから。
いつの間にか俺が桜に抱いていた感情は『友達として好き』ではなく、『女として好き』に変わっていた。
二週間ほど経って、俺も一緒にその子狐を見に行こうとしたら、なんと奴は夜の間に逃げ出していたらしい。
それから毎日、桜は登校も下校の時もキョロキョロと心配そうに辺りを見回すようになった。
未だに子狐を心配している桜を複雑に思いつつも、俺も外に出た時は気にかけるようになった。
やけどほんまは、居らんくなってまで桜の心を煩わせるその子狐が、すこしだけ憎らしかった。
好きだと自覚して困った事……それは、桜と一緒に風呂に入れられる事だった。
当時共働きだった俺の両親が二人揃って帰宅が遅くなる時、俺は桜の家で夕食をよばれていた。
「カナちゃん、お風呂沸いたから入っていきなさいよ」
おばさんにそう言われる度に心臓が飛び出そうになり、「カナちゃん一緒に入ろうよ」と無邪気に笑う桜を前に、男として見られていない事実にかなりへこんだ。
しかし、好きな女と風呂に入る機会をそうそう見逃すわけもなく、俺は桜と風呂に入っていた。
俺が邪な考えを持っているとも知らずに、「カナちゃん、背中届かないから洗って」と桜は普通に注文をつけてくる。
その時、俺は桜の背中に小さなほくろを見つけた。
本人も知らないであろう物を知ってしまった事実を前にして、俺は歓喜に酔いしれていた。
背徳感を覚えつつも、俺は桜の背中を洗い「じゃあ今度はカナちゃんの番ね」と、桜は俺を椅子に座らせ、普通に背中を洗っていた。
一緒に湯船に浸かっていると、透明なお湯で目のやり場に困った俺は、わざと隅の方で桜に背を向けていた。しかし、それが桜は気にくわなかったらしい。
「カナちゃん、そんな隅っこに居ないでもっとこっちにおいでよ」
しきりに俺を中央へと誘ってくる。
それでも俺が動かなかったため、桜は俺の腕を掴んで引っ張ってきた。
突然の事にバランスを崩した俺は、そのまま湯船にザブンと頭ごと浸かった。
その時目にした光景は、今でも俺の心の中のメモリーにしっかりと記録されている。
中々浮かんで来ない俺を心配したのか、桜は俺が顔を出すなり謝りながら抱きついてきた。
むにっと柔らかい二つの何かが直に俺の肌に触れた瞬間、そのまま昇天するかと思った。
まな板だと思っていたそれは、予想に反して少し膨らんでいた事を知り、抱き締めたい衝動に駆られるも、「大丈夫だから」と、何とか理性を保って桜の身体を引き離した。
いつか絶対、俺の事を男として認識させてやる。そう思いつつも、俺はこの生活を楽しんでいた。
小学三年の冬、俺の祖父が病気で倒れた。
祖父はとある県でチェーン店の雑貨屋を経営していて、祖父の代わりに父がそれを継ぐ事になり、俺ははるか遠く離れた地へと転校を余儀なくされた。
三学期が終るまで今の学校に通って、四年に上がったら全く知らん場所での新生活。
突然舞い込んできたその現実に、俺はかなり落ち込んだ。
別に学校にもこの土地にもそこまで思い入れがあるわけやない。ただ……桜と離れ離れになる、それだけが嫌でたまらんかった。
それから転校する事を言わなあかんと思いつつも、言えんかった。
最後まで今まで通り桜と過ごしたいという自分のエゴ。後で何と責められても、今この瞬間をしっかりと胸に刻んでおきたかった。
雪が積もったある寒い日、俺は桜と外で雪合戦したり雪だるま作ったりして遊んどった。
目一杯遊んで疲れた俺達は、俺の部屋に戻って冷えた身体を温めていた。
暖房のきいた部屋ん中でコタツでまったりと、温かいココアを飲んでたら気持ちようなって、二人ともそのまま眠ってしもた。
目を覚ますと、桜はあどけない顔して俺の隣でまだ眠っとった。
ぷにぷにと頬をつついても起きる気配が全くない。
気持ち良さそうに眠る顔が幸せそうで、いつまでも見てたいって思った。
せやけど、もう少しで三学期も終わる。
桜の寝顔を見れるのも、きっとこれがもう最後だろう。そう思うと、心臓が潰れそうなくらい苦しかった。
桜の髪を優しく撫でた後、俺はそっと彼女の唇に自分のそれを重ねた。
初めて交わしたそのキスは、とろける程に切なくて甘いココアの味がした。
俺は転校する前に、桜に渡そうと思って少し大きめのテディベアと、それとは別に、ある目的のために人形にちょうどええぐらいの小さな鞄を買った。
俺が居らんくなっても、コイツを見て自分の事を思い出して欲しい。
そんな女々しさが人形のサイズにあふれているのか、かなりの存在感がある。
長さを調節して人形の首からええ感じに鞄をつけて、その中に俺は自分の気持ちを書いた手紙と引っ越し先の住所を入れた。
そしてとうとう別れの日がやって来た。
終了式の後、俺の送別会が担任主催の元、簡単にクラスで行われた。
桜は信じられないといった様子で目をまん丸させて俺の方を見ていた。
終わった後、どこに引っ越すのか聞かれたけど、『お前らの知らんどっか遠いとこや』って言い逃げするかのようにして教室から出ていった。
あいつの泣きそうな顔、それ以上見てられへんかった。
引っ越す当日、桜の家に挨拶に行った。
家族ぐるみで仲ようしてもらっとったし、今までのお礼を伝えるために。 そして、目的のものを桜に渡すために。
「今まで黙っといてすまんかった。最後まで……お前と普通に過ごしたかったんや。これ、お前にやる。よかったら、もらってくれへんか?」
そう言って、涙をこらえてテディベアを桜に渡した。
泣きながら「ありがとう」言うて受け取ってくれた桜をみて、結局俺もわんわん泣いてもうたんやけど。
最後まで格好悪いとこしか見せれんかったのが、かなり悔しかった。