2、もっと君を知りたくて(コハク視点)
あの日から、桜は毎日お昼になると僕のお見舞いに来てくれた。
病院は退屈だろうと、雑誌や文庫本など持ってきてくれたりしたけど、僕にとって一番の退屈しのぎは彼女と過ごす時間だった。
ベットの横にある椅子にちょこんと腰掛けて「綺麗な向日葵か咲いてたんだよ」と、スマホで取った外の景色を見せてくれる。
病室に居ると季節感が感じられないだろうからという彼女なりの気遣いのようだった。
桜は飼い犬のクッキーと散歩するのが好きでよく色んな所へ足を運ぶため、綺麗な花が咲いている場所や美しい景色などに詳しい。
その一つ一つを丁寧におさめた写真は本当に綺麗で思わず感嘆の吐息がもれる。
だけど本当は……桜には悪いと思うけど、その力作の写真を見る時間より、君を見つめている時間の方が長いんだ。
こんなことがバレたら桜に怒られてしまうだろう。
それでも君の色んな表情を、少しでも長くこの目に焼き付けておきたかった。
一通り彼女の力作の写真を見た所で「景色もいいけど、桜の写真が欲しいな」と、僕は彼女におねだりしてみた。
「え、今の季節に桜の花は咲いてないよ」
目を丸くしてそんな事言うから
「その桜じゃなくて、君の写真」
そう言って僕は彼女の小さな手を掴んだ。
「え、私の?!」
驚きを隠せない様子の桜を窓際まで連れていき立たせる。
「君が居ない時も、写真見てたら記憶思い出すかもしれないし。ダメかな?」
本当は桜の写真が欲しいだけなんだけどね。
僕のずるい心が詰まったもっともらしい言葉に、彼女は頬を赤く染めて頷いてくれた。
少しだけ罪悪感がわくけれど、それでも欲望には抗えなくて、僕は自分のスマホを手にして彼女の横に並んでシャッターを切った。
「桜、もうちょっとこっちにおいで」
「え、でも……」
恥ずかしそうに、潤んだ瞳で見上げてくる彼女の肩を抱いて引き寄せた。
「少しだけ、我慢して。すぐ終わるから」
「……うん」
そして、今までで一番のベストショットが完成した。
そこには、頬を赤く染めて潤んだ瞳で見上げる、はにかんだ笑顔の可愛い桜と満面の笑みを浮かべた僕が写っていた。
間違って消さないようにロックしておこう。
あ、バックアップもとっておかないと。
退院したらプリントアウトしてアルバムにも入れておこう。
何なら部屋に飾ってもいいかもしれない。
一人ニヤニヤとスマホの画面を見ながらほくそ笑む僕を、桜は少し訝しげに見ていた。
翌日、時刻はお昼を回った頃。
味気ない病院食を食べて僕はベッドに腰かけてそわそわしていた。
今日は桜来てくれるのかな?
約束なんてしてないし、もしかしたら来ないかもしれない。いつもならそろそろ彼女が来る時間だけど、遅いな。今日は来ないのかな。
そんな僕の不安を一瞬でなぎはらう声が後ろから聞こえてきた。
「コハク、こんにちは」
振り返ると、桜が可愛らしい笑顔で立っていた。
「桜、今日も来てくれたんだ! 嬉しいな」
今日も彼女が来てくれた事が嬉しくて僕の頬は緩みっぱなしだ。
「うん、コハクが入院しているのは私のせいだからね……」
でもこの桜の一言で、僕は天国から奈落の底へと突き落とされた気分になった。
「僕の所に来てくれるのは、責任から?」
思わず冷たい言い方をしてしまった。
「ううん、それだけじゃないよ」
桜は手をブンブンと振って訂正してきた。
その時、桜の袖口からチラッと白い包帯が見えた。
そういえば、暑いのにいつも彼女は長袖の服を着ている。もしかしてそれは、その腕を隠すためだったのだろうか?
「じゃあどうして?」
「それは……」
僕に会いに来るのとその腕の包帯は何か関係があるのだろうか。
もしそうだったら、僕は桜を傷つける存在だったのか?
言いにくそうに顔を歪めた彼女を見ているのが辛くて、僕は俯いて彼女に尋ねた。
「ねぇ、桜。何があったのか、教えてくれないかな? どうして僕が入院してるのか、何故君と偽物の恋人を演じてたのか。君に関わることだけすっぽり記憶が抜けちゃってて全然分からないんだ」
僕の言葉を聞いて、桜は少し考える仕草をした後、了承してくれた。
「コハクが知りたいなら……少し長くなるけど、いい?」
「うん、教えて」
桜の話は僕の想像を絶するものだった。
腕の怪我は僕のせいではないと分かって安心した。
しかし、話を聞いたら少しは記憶を思い出すかもしれないと思っていたのに、全く実感がわかない現実を知っただけで虚しくなった。
「そうだったんだ……聞いても全然実感ないけど、君が言うなら本当の事なんだろうね」
その過去で僕は、何を思い行動していたのだろうか。
たまたまいじめの現場を目撃して放っておけなくて彼女の傍に居たのだろうか。
だが、それでわざわざ正体をばらして恋人のフリなどするだろうか。
会ったばかりでそこまで彼女の事を信用出来たのだろうか。
やはり、何か決定的な僕の行動理由が抜けている気がする。でもそれが一体何なのか、思い出そうとしても全く分からない。
「私の問題はコハクのおかげで解決したから、今度は私が貴方の力になりたい。だから、責任だけでここに来ているわけじゃない。出来る事なら何でも協力したいっていう私の意志で、今ここに居るんだよ」
とりあえず、過去の自分は少なくとも少しは桜の役に立っていたらしい。
それだけは、彼女の言葉でよく分かって少しだけ安心した。
言葉だけではこれ以上収穫が見込めないと踏んだ僕は、桜を遊びに誘った。
「いいけど……まだ、あまり無理しない方がよくないかな? 体力も筋力も衰えてるだろうし」
すると、桜は僕をおじいちゃん扱いして断ろうとしている。
そんな事はないと証明するために、僕は彼女を横抱きにして強制連行した。
「え、ちょっと、コハク?」
目をクリクリとさせてあたふたしている桜を抱え、僕は病院の中庭へと向かう。
「自分で歩けるから降ろして」
そう言って僕の胸をポカポカしてくる彼女に、「嫌だ、僕をおじいちゃん扱いした罰だよ」そう言って僕はプイッと顔を横に向けて反抗した。
もう身体は大丈夫なのに、そんな理由で折角の桜と会える機会を潰したくはない。
退院してしまったら、今までみたいに毎日彼女と会えないから。
ここは譲るわけにはいかない。
「恥ずかしいから止めて、皆見てるよ」
僕の服をキュっと掴み、頬を赤く染めて上目遣いで桜はこっちを見ている。
「僕達、恋人なんだからいいでしょ?」
可愛いその顔をもっと見ていたくて、僕はわざと意地悪な事を言う。
その言葉で彼女の顔はまた赤みを帯びた。
「桜の頬、林檎みたいに真っ赤だよ?」
「誰のせいだと思ってるの!」
「僕のせいだったら嬉しいな」
君の心を動かすのはいつだって自分でありたいなんて、そんな事を言ったら桜はどんな反応をするのかな?
試してみたい気もするけれど、今はまだダメだ。焦ったらきっと失敗する。
ある程度、桜の信用を得るまでは……この気持ちはまだ胸の中に止めておこう。
──パチッ
その時僕の心の中に欠けたピースの一つが綺麗にはまった感じがした。
どこかへ向かう途中、可愛い格好をした桜を僕が見つめてて……同じような事があった気がする。
もしかして、これは僕が忘れた記憶の一部なのだろうか。
やはり、彼女と居れば僕は欠けた記憶を思い出せそうな気がする。
嬉しくて頬が緩んでいる僕を、大きな瞳をぱちくりとさせて、桜が驚いたように見ていた。
「僕の顔に何かついてる?」
見られていたのが恥ずかしくて、わざとおどけて尋ねたら「ううん、何でもない」と桜は何故か嬉しそうに笑っていた。
それから中庭について、僕は桜をそっとおろした。彼女は景色を見て嬉しそうに目を輝かせている。
桜が気に入ってくれたようで、僕はほっと胸を撫で下ろす。
「のどかだね、まるで公園の中にいるみたい」
大きく息を吸って、気持ち良さそうに桜は背伸びをしている。
「そうだね、確か中央には噴水もあるんだよ。行ってみよう」
そう言って気が付くと、僕は桜に手を差し伸べていた。
桜は目を丸くして僕の手と顔を交互に見ている。
(いくら偽の恋人といってもやり過ぎたのだろうか?)
でも、引くに引けなくて「どうしたの?
行こう」と、当たり前のように言ってみたら、桜は小さく頷いてそっと僕の手を握った。
それが嬉しくて僕は彼女の手をギュッと握り返す。
その時、心の中でパチッとまた欠けたピースがはまる音がした。
僕が手を差し出すと、桜はいつもそれを笑顔で握り返してくれる情景が頭に浮かぶ。
少しずつ埋まっていく記憶が嬉しくてそっと彼女を見ると、桜も嬉しそうに笑っていた。
「桜、何だか嬉しそうだね」
「うん、コハクが傍に居てくれるから私は嬉しいんだ」
その言葉に僕の胸はトクンと高鳴る。
「どうしたの急に?」
急にそんな事を言う彼女に驚き、理由を尋ねたら「そのままの意味だよ」と、桜は無邪気な顔で笑った。
「変な桜」
前を向いて、それだけ言うのが精一杯だった。
どうしよう……胸のドキドキが止まらない。
少しは期待してもいいのかな、君が僕に好意を持ってくれていると。