3、恋の相談
コハクの家から飛び出してきて、気が付くと聖奏公園の近くまで走って来ていた。
よく前を見て歩いていなかったため、軽く肩が誰かにぶつかってしまい慌てて謝ると、聞き覚えのある声が返ってきた。
「……あら、桜さん? そんなに必死に走ってきてって……どうしたの?」
桃井がこちらを見て瞠目すると、心配そうに尋ねてきた。
瞬時に何かを察したようで、「こちらへ」と彼女は私の手を引いて歩き出す。そして、聖奏公園の人気のないベンチに私を座らせると、「すぐ戻ってくるから待ってて」と言ってどこかへ走って行ってしまった。
数分後、缶ジュースを片手に戻ってきた桃井は「とりあえずこれでも飲んで」と渡してくれた。
お礼を言って一口それを飲むと、甘くて優しい林檎の味が口一杯に広がって少しだけほっとした気分になる。
「言いたくなかったら無理には聞かないけど、話して楽になるなら聞くよ?」
落ち着いたのを見計らって、桃井は私に優しく声をかけてくれた。
この気持ちを独りで処理するのが苦しかった私は、彼女の好意に甘えてその申し出を受け入れた。
私の話を聞いて桃井は少し考える仕草をした後、真剣な顔で尋ねてくる。
「桜さんは結城君の事、今はどう思ってるの?」
「好きな気持ちは変わらない……けど、気持ちを踏みにじられたみたいで悲しかった。コハクは好きでもない人とそういう事が出来るんだって目の当たりにして、正直ショックだった」
私はジュースを持っていない右手の拳を強く握り締めて、自分の気持ちを吐き出した。
桃井は哀しそうに目を伏せて、爪が手に食い込む程固く閉じた私の拳を解きほぐすように優しく包み込んで口を開く。
「きっと結城君は、その幼馴染みに嫉妬してたのよ」
「コハクが嫉妬……?」
思いがけない言葉に桃井を見ると、彼女は柔らかく微笑んで頷いた。
「桜さんは知らないだろうけど、結城君って結構嫉妬深いわよ。桜さんの知らない所で、あなたを見てた男子に『桜は渡さないからね』って言ってるの見た事あるから」
「でも、コハクは私の記憶がないから嫉妬なんてするわけ……」
嫉妬という感情は好きな相手に持つ感情であって、私の事を覚えていない彼が持つはずがない。
「毎日お見舞いに行ってたんでしょ?」
「うん」
コハクが意識を取り戻してない間も、取り戻してからも、私は毎日彼の病室を訪れた。
「それだけ時間があれば、彼がまたあなたに好意を持っててもおかしくないと思う。記憶を失う前の彼は、あなた以外全く興味なかったように見えたわ。周りにいくら女の子が群がって何かを誘っても、笑顔ではっきりと断ってた。それなのに、記憶が無くても結城君は今まであなたに優しかったんでしょう?」
私が哀しそうな顔をすると、コハクは頭を優しく撫でて微笑んでくれた。
課題が終わってない私にわざわざ時間を割いて教えてくれた。
「うん、優しかった」
コハクと過ごした時間を思い出し、私は素直にそれを認める事が出来た。
「それは桜さんの事、特別だって感じてるからだと思うわ。まぁ、だからと言って無理矢理押し倒すのは頂けないけどね。よっぽど余裕なかったんでしょ」
コハクが嫉妬して余裕がなかった……それは、私に好意を持ってると少しは期待してもいいんだろうか。
「そうだったんだ……私、コハクの頬思いっきり叩いて突き飛ばして来ちゃった」
「それは自己防衛の不可抗力だから気にしなくていいわよ」
「それに、コハクの事好きだったのにっていい逃げしてきちゃった……」
「あなたの気持ちを知って、きっと今……彼は自分の行動を物凄く反省してると思うわ」
「コハクとどんな顔して会ったらいいのか分からないよ……今もずっとスマホが鳴ってるけど、気まずくて電話に出れない」
「無理して連絡しなくても、学校始まったら嫌でも顔合わせるんだし、この機会にお互い気持ちの整理でもしたらどうかな? 離れて分かることもあると思うし。一週間後、彼がどんな様子で学校に来るかで、きっと桜さんも彼の気持ちが分かるはずよ」
そう言って桃井は、何かを思い出したかのように、楽しそうに笑っていた。
確かに、今すぐ彼に会ったとしても私はうまく自分の気持ちを伝えられる自信がない。
「分かった。桃井の言う通り、今は気持ちの整理をしてみる事にする」
私の言葉にうんうんと頷いた後、桃井は少し不機嫌そうに口を開いた。
「それより桜さん、いつまで私の事を苗字で呼ぶつもり? 名前で呼んでって言ってもすぐ忘れてるんだから」
頬をぷーっと膨らまして桃井はこちらを見ている。
「ごめん、気を付ける。これからは美香って呼ぶよ」
私の言葉に美香は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「じゃあ私も桜って呼んでいい?」
目を輝かせてそう尋ねてくる彼女に「うん、いいよ」と私はニコッと笑って了承した。
「ありがとう、桜」
嬉しそうに笑う美香を見て、いつの間にか私の心はじんわりと温かくなっていた。
素直にいこうと決めた美香は、以前とは比べものにならないほど表情豊かになった。
子供っぽく頬を膨らましたりしたかと思えば、お姉さんのように優しく諭してくれたりもする。
最初はそのギャップに多少は驚いたけど、『貴女の前でだけは、飾らない自分で居たいのよ』と、恥ずかしそうに言ってくれた事がすごく嬉しかったのを覚えている。
「桜、いい忘れてたけどあの日、柳原は貴女に手を出してないからね。もし、その……勘違いしてるなら申し訳ないと思って……」
それから美香はあの時の事を、謝りながら申し訳なさそうに話してくれた。
写真が取れればよかったようで、眠ったままの私を放置していくのは少し心配だから、私が目覚めるまでそこに居るように柳原君に命じたらしい。
柳原君と隠れて付き合っているという話には少し驚いたけど、愛情が重くて少し煩わしいとぼやいていた。
美香の言うことを彼は何でもきくから利用していたけど、最近その関係に悩んでいるようだ。
「美香は柳原君のこと、好きじゃないの?」
「……正直、そういう概念であいつを見たことないのよね。私、初恋もまだだし」
「え? そうなの?!」
「他にも付き合った事もあるけど、ステータスあげるのに利用してただけ。環境の変わり目の時点で全て切ったわ」
「すごく、ドライだね」
「だから本当は、桜と結城くんの関係が少しだけ羨ましかったのよね。あなたたち、周囲のことなんて気にせず本当に幸せそうな顔して笑うから。素直に生きたら人生変わるかなって、まず外見から変えてみたわけだけど……中身が変わらないと、結局何も変わらないのよね」
そう言って軽くため息をつく美香。
私の前では素直に気持ちを打ち明けてくれるけれど、他の人にはそうじゃないみたいだ。
美香の言うことを文句ひとつ言わず何でもきく柳原君なら、彼女の支えになってくれそうな気もするが……何でもききすぎするのも少し問題だよね。
良いことはいい、悪いことは悪いってきちんと言える人なら安心出来るけど、美香には少し危うい所がある。
自分を犠牲にして復讐を成し遂げようとするくらいだ。
もしまた彼女が大切にしているものが傷つけられた時、その手を黒く染めてしまいそうになったら……ストップをかけてくれる人が傍に居ないと心配だ。
彼が変わるなら話は別だが、話を聞く限り今の柳原君では正直少し頼りない。
しかし、このままその関係を続けるのは美香にも柳原君にもあまりよくないだろう。
「柳原君にその気持ち、素直に話してみたら? 今の関係を続けるにしても止めるにしても、美香の本当の気持ち伝えたら、何かしら見えてくるものがあると思う。お互いのためにも、一歩踏み出してみようよ」
「桜……そうね、話してみるわ。何だかどっちが相談してるか分からなくなってきちゃったわね。でも、ありがとう。少し楽になった」
「それはこっちの台詞だよ」と私が言うと「いや、私の台詞よ」と美香が言い出して変な争いが始まり、お互い顔を見合わせて笑いだす。
結局『お互い様だね』ということで決着がついた所で、美香がある提案をしてきた。
「桜、よかったらこれから一緒に雑貨屋に行かない? 最近この辺に出来た『フェアリー』って店なんだけど、今すごく人気なのよ」
雑貨屋か……気分転換にいいかもしれない。
彼女の申し出を快く了承し、それから私達は雑貨屋『フェアリー』へと向かった。