12、最後の試練~眠れる王子を奪還せよ~
「さぁ、最後の試練を始めようか。今から君をコハクの居る空間に飛ばしてあげる。日が沈むまでに、隣に居る彼女を偽物だとコハクに気付かせる事が出来たら合格。君がコハクのソウルメイトなら、たとえどんな姿をしていても、偽物に負けたりなんかしないよね?」
あの……クレハさん、未だにそのノリで行っちゃうんですね。普通に説明してくれたらいいのに。
「余計なツッコミは要らないよ」
何故、心の声を?!
「ただし、一つだけ忠告しておくよ。この空間にとって君はイレギュラーな存在だから、排除される対象となる。油断していると、本当に死ぬよ。怪我ぐらいなら戻ってくれば治してあげられるけど、死んだら元には戻せない。くれぐれも、気をつけて。それじゃあ、コハクの近くに送ってあげるから行っておいで」
気がつくと、私は聖奏公園の森林広場に居た。かなり西方向に傾く太陽から、日没まであまり時間がないと悟る。
クレハはコハクの近くに送ってくれると言った。だとすれば、同じ公園内に居る可能性が高い。
とりあえず人気のある場所まで行こう。
コハクは背も高いし、ここでは珍しい綺麗な銀髪をしているから遠目からでも分かりやすい。
そう思って走り出すも視線の高さがいつもよりかなり低いことに気付く。そして歩く度に何故か手を地面につけている。
ふと自分の手を見ると、そこには肉球がついていて腕にはみっちりとふさふさの毛が生えていた。
(これは!)
どこかに自分を映し出せるものがないか探し、噴水が目に入った私はそこまで全力疾走して水面に自分の姿を映してみた。
すると、大きな三角形の耳の根元にシロからもらった髪飾りをつけたクリーム色の小型犬になっていた。
そういえばクレハが『たとえどんな姿でも』とか言ってたな。
流石にいきなり私が二人現れたらコハクが驚いちゃうだろうし、姿を変えられているのだろう。
(しかし──なんということだ!)
この姿ではこの愛らしい姿を愛でることが出来ない。
いや、でもこの愛らしい姿が今の自分なわけで……そんな葛藤を抱いていると、突如後ろから強い圧力を感じて噴水に落ちた。
これが世界に排除されるってことなのか。
さいわいそんなに深い噴水ではなかった。けれど今のこの姿では、底に足がつかない。それ以前に身体の作りが違いすぎて泳げない。
犬かき、犬かきってどうやるんだっけ?
前足と後足をせわしなくバタバタと動かしてみるも浮かぶのが精一杯でなかなか前に進まない。
くっ……あと少しなのに!
その時、誰かが手を差しのべてくれた。
「大丈夫?」
そう耳に届く声は聞き間違えるはずのない大切な人の声で、綺麗な琥珀色の瞳と視線がぶつかる。
コハクは私を水の中から救い出すと、ほっと一息ついて安心したように微笑んだ。
ああ、本当にコハクだ。
コハクが目の前に居るんだ。
感動のあまり胸元からこみ上げてくる熱いものに飲み込まれそうになるも、今はそんな場合ではない。
一刻も早く彼をここから連れ出さなければ!
「クゥーン!」
(ありがとう、コハク! 私だよ、桜だよ! お願い、気付いて!)
「怖かったんだね、もう大丈夫だよ」
だけど、私の言葉は伝わらないようでコハクはそう言って持っていたハンカチで私の身体の水分を拭ってくれた。
「クゥーン!」
(違うんだよ、ここは危ないからいっしょに帰ろう! お願い気付いて!)
しかし、私の言葉が通じるわけもなく、「寒いんだね。可哀想に……」と、コハクは悲しそうな表情で私の頭を撫でる。
その時、驚いたように目を見開いて、コハクが私の方に顔を近づけてきた。
「これは……」
どうやら、髪飾りを見ているらしい。
私の耳元にあるそれにコハクが触れようとした時、後ろから女の人の声がした。
「コハク! もう、勝手にどこ行っちゃうのよ!」
コハクの後ろに両手を腰に当てて仁王立ちして怒っている女の人は、紛れもない偽物の私だった。
「ごめんね、桜。この子が溺れているのが見えたから……」
「私とのデートより、その小汚い犬の方が大事なんだ?」
「そ、そんなことない。大事なのは勿論桜だよ!」
おろおろとした様子で慌てて否定するコハクは、どこか疲れ切ったような顔をしているように見えた。
そのコハクの様子に驚いていると、クレハが呼びかけてくる。
『偽物の君は中々良い性格してるみたいだね』
『クレハ……見えてるの?』
『その呪印から、音ぐらいなら拾えるだけさ』
『そうなんだ』
『ここはもう、コハクの理想とする世界じゃない。シロに異変が起きた時点で、それはもう狂い始めている。それでもコハクがあの偽物に縋っているのは、あれが本物の君だと信じているからさ。本物ならほら、早くコハクを連れてきなよ』
『は、はい……』
そうしたいのは山々なんだけど、言葉が通じないのに、どうやって分かってもらったらいいのか。
考えていると、おもむろに偽物の私がこちらに近付いてきた。
「犬のくせに、こんなもの付けちゃって。似合わないからとってあげる」
そう言って、偽物の私はシロがくれた髪飾りを乱暴に奪い取った。
「ワンワン! ワンワン!」
(やめて! それは私の大事なものなの!)
必死に取り返そうともがくも、この短い手足じゃ届かない。
「キャ! 今、私に噛みつこうとした!」
「大丈夫? 桜」
飛びかかった私に、偽物の私は驚いたようにしてコハクの後ろに隠れた。
「追い払って。この犬、嫌い。全然可愛くない」
「でも桜、その髪飾り返してあげた方が……ほら、飼い主さんからつけてもらった大事なものだろうし……」
「私は似合わないものを取ってあげただけだよ。犬が持ってたんじゃ、この綺麗な髪飾りが可哀想。コハクは私がおかしいっていうの?」
「でも、それはその子のだから……」
「コハクはありのままの私が好きだって言ってくれたよね? だったら、口答えしないでよ。素直に従ってよ。じゃないと、嫌いになるよ?」
「……っ、ごめん」
なにこれ。何でコハクはそんな酷い事を言われてそんな辛そうな顔をして謝るの?
ねぇ、コハク……その子は偽物なんだよ。お願い気付いてよ!
気がつくと、コハクの足下に縋るように前足を伸ばしていた。そんな私に彼は一言。
「ごめんね。あっちへおいき」
辛そうに顔をゆがめて拒絶の意を述べた。
その様子を偽物の私は満足そうに眺めた後、「さ、行こっか」とコハクの腕に自分の腕を絡めて引っぱるようにして歩き出した。
遠ざかる二人の背中を眺めながら、私の中にフツフツとした怒りがわき上がる。
(髪飾りとコハクを返せ!)
全身をブルブルと左右に震わせてハンカチで拭いきれなかった水分を落として、私は彼等の後を追い掛けた。