9、確かな気持ち
昼間はあんなに天気がよかったのに、夜になるとポツポツと雨が降りだした。
雨は次第に激しくなり、真っ暗な空を縫うように稲妻が走ったかと思うと、次の瞬間には大きな雷鳴が轟く。
急激に悪化した空の様子が、まるで今日の出来事を表しているようで心苦しくなった。
昼間に皆で缶けりをして遊んでいたのが遠い昔のように感じる。
何もかもこの豪雨のように水に流されてしまえば、色んなしがらみも無くなってまた新しく関係を築くことが出来るのだろうか。
否、そんな都合の良い事が出来るはずがない。逆にがんじがらめになった鎖が錆び付いて、より強固にこじれたまま取れなくなるだけだろう。
私はカーテンをそっと閉めると、その場で壁にもたれかかるようにして座った。
スマホを手にとり、優菜さんの番号を開くもいざ通話ボタンを押そうとすると画面の前で指が止まる。
意味もなく天井を仰ぎ見てまたスマホに視線を移すが、指を動かすことが出来ないでいた。
今電話をかけたとして、私に何ができるのだろうか。
あの後、優菜さんは相当なショックを受けていて顔面蒼白で今にも倒れそうなくらい具合が悪そうだった。
それでも私達に気を遣い「ごめんね、遊びすぎて少し疲れちゃったみたい」と心配をかけないように誤魔化して、見兼ねたカナちゃんがそのまま彼女を家まで送り、会話らしい会話も出来なかった。
二人をあのまま別れさせたくないという私のエゴが、あんなに最悪の形で事実を露呈させる結果になってしまい申し訳ない気持ちで一杯だった。
せめて一言謝りたいと思うも、それさえ単なる自分を慰めたいだけの自己満足みたいな気がして嫌になる。
ネガティブに傾く思考を吹き飛ばすべく、両手で思いきり自分の頬をパチンと挟むようにして叩いた。
思いのほか力を込めすぎて頬がジンジンするが、今はそれくらいがちょうどいい。
勢いで私はそのまま発信ボタンを押してスマホを耳にあてた。
電話の呼び出し音がやけに耳に響いてきて、緊張で心臓がバクバクと跳ね上がる。
三回ほどコールがなった後、『もしもし……』と電話越しに元気がない優菜さんの声が聞こえてきた。
「すみません、夜分遅くに……」
「桜ちゃん……ごめんね、心配してかけてきてくれたんだよね……」
「あの、巻き込んでしまってすみませんでした。あの時、無理に遊びに誘ったりしなければ……」
「ううん、今日は本当に楽しかったよ。誘ってくれてありがとね。それに、かなり驚いたけど……本当の事を知れて、コロンが生きててくれて、よかった……っ」
「優菜さん……私でよければ何でも相談に乗りますので、何なら愚痴のはけ口でも何でもいいので、遠慮なく言って下さいね!」
「ありがとう、桜ちゃん……少しだけ話、聞いてくれる?」
電話だというのに「勿論です!」と私は頭を大きく縦に何度も振って頷いてしまった。
それから優菜さんは、コロンとの思い出を話してくれた。
最初に出会ったのは約一年前で、道路の真ん中をフラフラした足取りで歩いている黒い子犬が目の前でトラックに轢かれるのを目撃したのがきっかけらしい。
運転手はそのまま行ってしまい、夥しい量の血を流したその子を放っておけなくて動物病院に連れていくも手遅れだと言われ、安楽死させられそうになるのを耐えられなくて連れ帰ったそうだ。
せめて最後くらいは、冷たい道路の上でも、病院の診察台の上でもなく温かいベットの上で……
そう思った優菜さんは家に着くと、マロン用に買っておいた新品のフカフカのペット用ベットにそっと寝せて、苦しそうに息をするその子を一晩付きっきりで見守った。
すると信じられない事に傷が少しずつ癒え、翌朝には綺麗に治ったらしい。
そしてフラフラと歩いて道路に出ては、車が来るのを待っているかのように道の真ん中に座るその姿が、まるで死に場所を求めているかのように見えて放っておけなかったという。
それからコロンと名付けて飼い始めるも、最初は全然懐いてくれなくて苦労の連続、噛みついたりはしないけど、抱っこなんてもってのほかで、頭を撫でる事さえもさせてもらえなかったと優菜さんは苦笑いをもらしていた。
だけど、優菜さんが落ち込んでいる時だけは何故か、傍に居てくれて頭を撫でても抱っこしても、嫌がる素振りを見せず黙ってそうさせてくれたらしい。
一つ一つの思い出を懐かしそうに語るうちに、優菜さんの声には次第に嗚咽が混じりに始め、私までもらい泣きしそうになるも、何とか堪えて話を聞き続けた。
「桜ちゃん、私……一緒に過ごした時間が全部嘘だったなんて、思いたくないよ……っ」
「嘘じゃないです。全てが演技だったわけじゃないです。クレハは優菜さんの事、きっと大切に思ってます。例えるなら、私たち他の人間が道端の石ころだとしたら、優菜さんは宝箱の中に大事にしまっている宝石ぐらいに、それくらい扱いが違います!」
落ちてきた鉄骨から優菜さんを助けて無事を確認した時の、あの表情は演技ではない、心からの安心だった。
もしかすると彼は、自分を探し回る優菜さんの後を心配でこっそりつけていたのではないかとさえ思えてしまう。
でも姿を現すわけにはいかず、あそこで優菜さんが私とカナちゃんにばったり会ったのは、彼にとってはとんだ誤算だっただろう。
自ら彼女の前に姿をさらすはめになってしまったのだから。
しかし、それさえ利用して彼は『コロンは自分が殺した』と憎まれ役をかってでるも、私達が遊びに誘ったことで優菜さんに嫌われるクレハの作戦は失敗に終わりかけた。
その矢先、私のドジが招いたウィルさんの思いがけない襲撃。
それを好機だと判断したクレハは、優菜さんをわざと盾に使う事で非道な印象を与え、正体をばらして完璧に関係を絶ちきりにきた。
シロの時と同じように……きっと彼は……
「大切だからこそ、遠ざけてしまうんです。クレハは今、指名手配されて命を狙われています。もし万一の時、大切な人に余計な悲しみや禍根を残さないために、わざと嫌われるように仕向けているんだと思います」
もしかするとクレハが拳銃を置いていったのは、過去を清算すためにウィルさんの手で断罪される事を望んだ意思表示だったのかもしれない。
目的を全てはたしたら、クレハは……嫌な未来が脳裏を横切った時、優菜さんの決心を固めたような声が耳に飛び込んできた。
「桜ちゃん……私、このまま終わりにしたくない。胸が苦しくて苦しくて仕方ないの。もう一度、きちんとクレハさんと話がしたい……っ!」
「分かりました、クレハが次に姿を現した時は必ず連絡します」
「ありがとう。ごめんね、私の話ばかり聞いてもらっちゃって。少しだけ気持ちが楽になったよ、本当にありがとう」
「少しでもお役に立てたならよかったです。またいつでも話聞きますんで、遠慮なく言って下さいね」
最初より元気を取り戻した優菜さんに安心しつつ、おやすみの挨拶を済ませて電話を切った。
時計を見ると、まもなく夜の十一時になろうとしている。
コハクに呼び掛けて今日の報告をするも、その日はシロが現れる事はなく、コンテストに向けていつものメニューをこなして休もうとすると、スマホが鳴った。
「もしもし、桜? すまんこんな時間に、見つけたんや! ええ方法!」
電話に出ると大音量のカナちゃんの声が聞こえてきて、鼓膜を守るために思わず耳からスマホを離す。
興奮冷めやらぬ様子の彼にとりあえず何を見つけたのか尋ねると、とんでもない発見をしてくれた。
橘先生に借りた陰陽道の本を読んでたら『妖怪を式神化する方法』なるものを発見したらしい。
悪事を犯した妖怪を、退治せずに使役させる事で罪を償わせる方法らしく、端的に言えば討伐される側から、陰陽師のサポート役として手助けし、討伐する側になるというもの。
ただ誓約として、妖怪自身が二度と同じ過ちを犯さないと改心して、同意を得る必要があるという。
「俺、明日朝一で先生に確認しにいく。もし本当にやれるんなら、何とかしてまずはシロを説得すんで!」
「分かった、ありがとうカナちゃん。こんな時間まで調べてくれて」
「あんだけ負けても反則もなんも使わんと勝利もぎ取った奴や、根は悪い奴とちゃうで。シロより何倍も誠実で忍耐力あるわ」
私にはバナナの皮仕掛けてきたけどねと内心ツッコミつつも、優菜さんのためならまぁ仕方がないかと納得する。
「その言葉、シロが聞いたら怒り出すよ」
「せやな、アイツには黙っとって。明日は元気になってるとええけどな、シロも優菜も……」
「そうだね……さっき優菜さんに電話したら、もう一度クレハときちんと話したいって言ってたよ。ちょっとそれ聞いてほっとしたんだ。あんな事件を起こして辛かっただろうけど、少なくとも一年間は優菜さんの所で大事にされてたんだなって思うと」
「最初に出会った人間次第で、黒にも白にも染まるんやろな……俺、もうちょい文献調べてみるわ。夜遅くに邪魔して悪かったな。ほなまた明日」
朗報を知らせてくれたカナちゃんに感謝しつつ、おやすみの挨拶をして電話を切った。
激しかった雨もいつの間にか止んでいた。少しだけ見えてきた希望に、じわじわと喜びが込み上げてくる。
どんなに酷く激しい雨が降ったって、止まない雨はない。
最悪の瞬間が今日だったとすれば、明日はそれより良いことが起こるはずだと信じて私は眠りについた。