3、飛んで火に入る夏の虫を捕まえました
「こんにちは、桜ちゃん、奏……コロン、どこかで見かけたり、してないよね……」
「優菜さん……」
「ごめんなさいね、会ってすぐこんな事聞かれても困るよね」
苦笑いを漏らす姿さえ、痛々しいほど無理をしている優菜さんの姿に心が痛む。
その時、ミシミシとどこからか奇妙な音が聞こえてきた。
気のせいかと思ったが、プチンと何かが切れる音がして「落ちてくるぞ! 逃げろ!」と、誰かの叫び声が耳に届く。
言葉の意味を理解して、上を見ると大きな鉄骨が私達めがけて落下してきていた。
鳥の糞や空き缶なんてまだ可愛い方だったんだと、脳内で呑気なことを考えている間にも鉄骨はみるみる迫ってくる。
逃げないと! 咄嗟に視界にあった優菜さんの腕を引いて走ろうとした瞬間、私の身体は宙に浮き伸ばした手は空気を掴む。
状況を理解した時には、地上に鉄骨が落ちた耳をつんざくような大きな音が聞こえ、全身に鳥肌がはしる。
私はカナちゃんに抱えられ被害に遭わなかったが、あの場所には優菜さんも居たんだよ。
何も関係のない優菜さんを最悪の形で巻き込んでしまった。
急いで鉄骨の落ちた場所を確認すると、信じられない光景が目に入ってきた。
黒髪の青年もとい人間に化けたクレハが、庇うようにして優菜さんの身体を抱きかかえていたのだ。
「怪我はない?」
「あ、はい、あの、ありがとうございました……」
「借りは返したから。もう、あの狐を探しても無駄だよ」
「コロンの事をご存知なんですか? お願いします、何か知っているなら教えてもら……」
「僕が殺したから」
「え……そ、そんな……っ」
背を向けて立ち去ろうとするクレハの右手をカナちゃんがガシッと掴む。
「嘘はあかんで、嘘は」
クレハの視線がカナちゃんに捕らわれているうちに、私は反対側から近寄り彼の左手をすかさず掴んだ。
「そろそろ虚言癖、治したがいいよ」
「なっ、ちょっと君達! 一体どういうつもり?」
大きく目を見開いて驚くクレハに、カナちゃんが悪い笑顔をして話しかける。
「元々俺達……お前の言葉で言うと、暇潰しにゲームしてる仲やろ? こっちの遊びにも付き合うてーや」
「奏、コロンは……」
悲しそうに大きな瞳を揺らして尋ねる優菜さんに、カナちゃんは笑顔を向けると、不安を取り除くようにしっかりとした口調で答えた。
「安心せい、優菜。コイツの言うた事は嘘や。コロンは無事やから」
「ほ、本当に?」
胸の前で握りしめた手を小刻みに震わせ、真意を問うようにクレハに視線を向けた優菜さん。
クレハはそれ以上何も言う気はないと言わんばかりに、スッと彼女から視線を逸らした。
コロンが死んだと伝えたのは、クレハなりの優しさだったのかもしれない。私は見逃さなかった。彼が優菜さんを助けた後、安心したように軽く吐息を漏らした姿を。
もしかするとクレハにとって優菜さんは人間の中で唯一、絶望の中で見つけた大切だと思える存在なのかもしれない。
だとしたら、このままこんな形で彼等を別れさせてはいけない。
そう思った瞬間、勾玉がほんのりと熱を持ち始めた。
これ以上クレハに悲しい嘘を重ねさせないために、私は咄嗟にある嘘をつく。
「この人、コハクの従兄弟なんですよ。中二病が抜けなくて虚言癖がある人で、可愛い女の子を見ると気を引きたいのかたまに物騒な事言うんです。でも根はいい人なんで、誤解しないで下さいね、優菜さん!」
「……勝手に僕を変態にするの、止めてもらえない?」
ギロリと恐ろしい視線が突き刺さるが、私は負けじと言い返す。
「根はいい人ってほめてんだから、文句言わない。終わりよければ全てよしって言うでしょ?」
不服そうにため息をついたクレハを見て、優菜さんは私の言葉を信じてくれたようで、ほっと肩の力を抜いて大きく息をついた。
「コロンは無事なんだね……よかった………」
その時、工事現場の人達が謝りながら鉄骨を回収に来て、作業の邪魔になるため私達はとりあえずその場から歩き出した。
無言で歩きシンと静まった場の空気を明るく塗り替えるように、カナちゃんが陽気にある提案を皆に持ちかけた。
「折角やし、今から四人で一緒に遊ばへんか? クレハ、家に引きこもってばかりのお前に外で遊ぶことの楽しさを教えたるわ」
私のついた嘘設定にのってきたカナちゃんは、そう言ってクレハの肩にガシッと手をかける。
「あのさ、勝手に引きこもりニート設定にするの、止めてもらえる? 僕は君達みたく暇じゃないんだ」
「ごめんなさい、私もコロンを探さないと……」
肩にのせられた手を払いのけ拒絶の意を示すクレハと、申し訳なさそうに断る優菜さん。
カナちゃんは横にあるお店のショーウィンドウを指差してそんな二人に話しかけた。
「二人とも、自分の顔そこの鏡で見てみぃや」
指差された方を二人が見たのを確認して、彼は真剣な面持ちで問いかけた。
「方や眉間にぎょうさん皺寄せて幸薄そうな顔して、方や不安が滲み出したように暗い顔して、最後にお前等が心の底から笑うたのいつや?」
「……そんなの忘れたよ」
「いつだったかな……」
暗い影を落とした二人に、カナちゃんはフッと表情を優しく緩めて話しかける。
「せやったら、たまには童心に返って楽しもうや。気分転換も大事やて。一時間でええ、俺達に付き合うてくれへんか?」
「……分かった、付き合うよ」
カナちゃんの気持ちを汲んだのか、優菜さんは微笑んで了承してくれた。
「くだらない、そんな事に付き合ってられな……」
対照的に否定的な事を言うクレハの言葉を遮るように、私は口を開く。
「さっきは嘘までついて優菜さんの気を引こうとしてた癖に、いざとなったら怖じけづいて逃げちゃうんだ?」
わざと挑発するように言うと、クレハの眉がピクリと動く。
「そうだよね。こんな可愛い優菜さんを前にしたら、閉じ籠りニートのクレハさんには刺激が強すぎて逃げたくなっちゃうよね?」
更なる追い打ちをかけるように私が言葉を続けると
「君、相当僕に喧嘩売るのが好きらしいね?」
青筋を立て、中々恐ろしい顔して睨まれた。
「嫌だな、喧嘩なんて売ってないよ。運動不足だろうから解消してあげようって、ささやかな優しさだよ?」
それでも引かずに言葉を重ねると、しばらく視線だけで無言の攻防戦が続いた後、クレハは諦めたように軽くため息をつく。
「……後で、覚えてなよ」
恐ろしい捨て台詞は、とりあえず右から左に受け流しておいた。