10、知らなかった真実
「美希!」
止めようとおじさんの肩を掴むが、すり抜けて触ることが出来ない。
「無駄だよ、あくまでそれはリアル3D再現映像。触れる事など出来はしない。君達はただ、終わるまで見てることしか出来ないよ。次の扉が現れるまで、ゆっくりと楽しんでね」
嘲笑うようなクレハの声に、私はただ自分の無力さを痛感するしかなかった。
目の前では、鼻息荒く美希の衣服を剥ぎ取ったおじさんが、下着姿になった彼女を獣のようにギラギラした目で眺めている。
『ずっと我慢してたんだ、少しくらいいいだろ?』
『どうして、おかしいよ! 何で……こんな事……ッ』
『何のために引き取ってやったと思ってるんだ! 身の程をわきまえろ!』
泣きながら必死に抵抗する美希に、おじさんは鬼の形相で怒鳴り付けた。
『ほら、お前も痛い目に遭うのは嫌だろ? お前が抵抗しなければ、義理父さんは優しくしてやれるんだ』
すると、先程とは打って変わって、今度は笑顔で優しく話しかけたおじさん。
静かに涙を流しながらコクリと頷いた美希は、ひたすら悪夢が終わるのを耐え続けるように頑なに目を閉じていた。
もうそれ以上見ていられなかった。美希がこんな辛い目に遭っていたなんて。絵も描けなくなるはずだよ。
それなのに、私は検討違いも甚だしい事を言って、町内をつれ回しただけだ。
「ちなみに、これは序章にしか過ぎないよ。この日から美希ちゃんは、家で父親と二人になる度にそれは酷い辱しめを受け続けた。時には目立たない場所に暴力もふるわれて、義理母は全く気づかない。元々彼女達は、一緒に引き取られるはずだっんだ。だけど、色欲に溺れた愚かな男の執念が二人を引き離した。子供が好きで欲しくてたまらない理想的な父親にでも見えたのかな? 実際彼が気に入ったのは、可憐な容姿と理不尽な事をされても黙って従う内気な性格だけだったんだけどね。ただ快楽のために子供を引き取るなんて……人間ってほんと残酷だよね。桜ちゃん。君が遊びに来て帰ろうとする度に、彼女が悲しそうに瞳を揺らした理由、少しは分かったんじゃない? じゃあ、次に行こうか」
クレハの解説に更なる追い討ちをかけられた私は、目の前に出現したドアを前に、開けるのを躊躇っていた。
こんなに辛い事が序章にしか過ぎないなんて……美希はどれだけの苦しみを、一人で抱え込んでいたのだろうか。
その時、私の気持ちを読んだかのように、優しげな口調で諭すようにクレハが呼び掛けてきた。
「苦しいよね? 辛いよね? 逃げ出したいよね? 大切な人がこんなひどい目に遭っているのを、無理して見る必要はないんだ。君達の横に、赤いドアが見えるでしょ? それは緊急避難の扉だよ。そこから出てしまえば元の世界に戻る事が出来る。勿論、この辛い記憶も消してあげるよ。ただし大事なお友達はずっとこの中にとらわれ、永遠に悪夢の中をさまよい続ける事になるけどね。なにも戸惑う必要はないよ。君達は友達なんかじゃない。お互いがそれぞれに加害者と被害者なんだから。裏切ってもバチは当たらないよ」
美香も今、辛い現実と向き合っているんだ。私だけが逃げるわけにはいかない。
今更遅すぎるよって美希には怒られるだろう。でも少しでも、貴女の気持ちを……抱えていたものを知りたい。
友達なんだから、その辛かった気持ちを一緒に背負わせて欲しいよ。
覚悟を決めて扉を開けると、今度は中学校の美術室に出た。
『お前が入ってきてから散々だ! 俺が積み上げてきたこの十年間を返せよ!』
ヒステリックに叫ぶのは確か、美術部部長の先輩……だったかな?
昔は色んな大会で金賞を取り期待され、ルックスと才能に恵まれた女子生徒の憧れの的。優しくて穏やかな先輩だって噂だったけど……現実は違ったんだ。
『すみません、でも審査は公平に……』
『そうだよ、つまり俺はお前より劣ってるんだよ! このままじゃ、格好がつかないんだよ! お前、次のコンクール辞退しろよ』
申し訳なさそうに言う美香に、威圧的な態度で理不尽な言葉をぶつける先輩。
『それは出来ません』
『どうせスランプで描けないんだろ?』
苛立った様子で尋ねる先輩に『今は描きたいものが見つかったので……』と、恐怖に怯えながらもはっきりと主張する美希。
『そうか、なら描けなくしてやるよ』
先輩は美希がいつも使っている水彩画のセットを乱暴に掴むと、水場へ投げ入れた。
『止めて下さい! 道具にあたるなんて最低です。それでも、本当に絵が好きなんですか?』
美希がびしょ濡れになった絵の具や筆を必死に拾い集めていると
『だったらお前に当たってやるよ』
そう言って先輩は美希を引っ張って机に押し倒した。
『いや……ッ! 止めて! イヤーッ!』
乱暴に美希の着ていたブレザーのボタンを外し、シャツを下着ごとまくりあげると
『へぇ~中々いい身体してんじゃん。光栄に思えよ。俺に抱かれたい女なんて腐るほどいるんだからな』
先輩はポケットからスマホを取りだし、その姿を写真におさめた。
カメラのシャッター音を浴びせられて放心状態の美希の目の前で、先輩は彼女が大事にしている絵筆を拾い上げると
『この筆使う度に思い出せよ。そうしたら悔しくて、絵なんて描けねぇだろ?』
悪魔のような笑みを浮かべて、先輩は美希から色んなものを奪っていった。
絵描きの美希とって、画材道具は身体の一部のように大切なもの。
それをあんな屈辱的な事に使うなんて……
よく考えてみれば、スランプが直った後も、美希は水彩画を描こうとしなかった。
『今はデッサンに凝ってるから』と言っていたのは誤魔化しで、描きたくても描けなかったんだ、きっと。
「この後、彼女は彼が卒業するまでずっと、『写真ばらまかれたくなかったら従え』って脅されて、放課後人気のない場所に呼び出されては無理矢理情事に付き合わされたみたいだね。幼い頃からちやほやされて、傲慢になった男が味わった初めての挫折。それが自分より年下の女の子だからって、別の方向で発散させちゃうってどうなの? 所詮、その程度にしか取り組んでなかったって事だよね。怪我しているフリまでして、勝負から降りた意気地なしだ。やがて気付いた時には、何に傲慢になってたかも忘れちゃったんじゃない? 人間って本当に愚かだね」
中学二年の絵画コンクールで美希が特別賞を取った時、確かあの先輩は手を怪我していて描けないのだと、ファンの子達が残念がっていたのを思い出す。まさかそれが仮病だったとは。
自分から美希に酷いことをしておいて、勝負もせずに逃げるなんて。なんて身勝手な!
「ちなみにこの頃、桜ちゃん。君は何してたか覚えてる? 必死に空手の稽古に励んでたみたいだね。彼女はどんな理不尽な目に遭っても耐えて、そんな君を必死に描いていた。彼女が描いたスケッチブックには、正面を見た君の絵は無かったらしいね。きっと彼女はこう思っていたよ。『こんな汚れた私を桜に正面から見られなくて、知られなくて良かった』って。君はその気持ちが分かっててそうしていたのかな? だとしたら凄いな。友情って偉大だね。だけど、悪夢はここでも終わらない。次、行こうか」
想像するだけで胸がえぐられるような事を、明るく笑って語りかけてくるクレハに、私はやるせない憤りを感じていた。
私や美希に酷い事をした人達に対してなら、どんな皮肉でも罵声でも浴びせてもらって構わない。
妖怪の彼に人としての感情を求めるのはお門違いだと分かっている。分かってはいるが、明らかに嘲弄が色濃く感じられる物言いが、美希までをも愚弄しているように聞こえてならない。
それも、私と美香のどちらかを途中で棄権させるようわざと煽っているのだろう。しかし、それが逆効果である事を、クレハはきっと気付いていない。
こんなエンターテイメントのように美希を利用してくれて、私の腸は今煮えくり返っている。
今度私の前に姿を現した時、絶対一発くれてやる。渾身の力を込めた怒りの一撃を。