4、曖昧な記憶
あれから数日が経ち、今は桜と公園でまったりデートを楽しんでいる。
桜はいつも通りに戻ったみたいで、特に違和感を感じることもなくなった。
やはり、あの時は僕の望みを叶えるためにわざと演じてくれてたんだろう。
(……わざと、演じる? わざわざ日替わりで?)
桜にそんな器用な事が出来るだろうか。
短時間ならそれも可能かもしれない。だけど、わりと顔に出やすい彼女が一日中、そんなに演じていられるだろうか。
隣にいる桜を見ると、美味しそうにメロンソーダを飲んでいる。
僕の視線に気付いた彼女は、こちらを見てニコリと嬉しそうに笑ってくれた。
こんな天使みたいな子の一体何を疑っているんだ、僕は。
──クゥーン
その時、ベンチに座る僕の足元に桜の好きそうな容姿を兼ね揃えた一匹の子犬がすり寄ってきた。
抱っこをせがむようにすがってくるその子を、そっと抱き上げて膝にのせると気に入ったのかちょこんと座っている。
頭を撫でると気持ち良さそうに目を細め、人に慣れているようだ。
首輪もついているし、毛並みもふわふわでどこからか迷い混んできたのだろう。
「桜、ほら可愛いね」
話しかけると、彼女は無表情でその犬を見つめていた。
いつもなら、僕より桜の方が一番に喜んで飛び付いていきそうな状況だと思ったけど……あまりにも予想外の反応に驚いていると
「こたー、小太郎! あ、すみませーん!」
この子の飼い主と思われる女性が、こちらに息を切らして走ってきた。
女性に小太郎を引き渡し振り返ると、桜は遠ざかる小太郎の方をただじっと見つめている。
まるで人形のように瞬きもせず、そのピクリとも動かない顔に妙に不安を覚える。
「さ、桜?」
心配して声をかけると、「どうかした?」ときょとんとした顔で彼女はこちらに視線を移した。
モフモフとした動物が好きだと思っていたけど、その中でも苦手な種類があったのかもしれない。
「もしかして……さっきの子、苦手だった?」
「ううん、そんな事ないよ。可愛いかったね」
先程とは打って変わって、今度は無邪気な笑みを浮かべた桜。
「そ、そうだよね。可愛かったよね……」
きっとジュースで手が塞がっていて、触りたくても触れなかったのだろう。
妙な不安を胸に押し込み、僕は自分にそう強く言い聞かせた。
──十分後
「コハク、そろそろ行こう」
声を掛けてきた桜に返事しようとした時、どこからか思念が流れてきた。
『ご……ん……さい……』
と、壊れたラジオのように同じ言葉を繰り返している。
ひどく悲しそうに響いてくるそれが気になり、集中して聞き取ってみると、どうやら『ごめんなさい』と何かを必死に謝っているようだ。
何故だか分からないけど、その声を聞いていると胸が締め付けられるような痛みを感じる。
「コハク? 大丈夫? 顔色悪いよ」
心配そうに大きな瞳を揺らしながら、僕の顔を覗き込んできた桜。
「大丈夫。ちょっと変な思念が流れ込んできて、あてられちゃっただけだから」
平気だと伝えたくて、ベンチから立ち上がろうとした僕の手を彼女が掴んで止めた。
「ダメ、無理しない方がいい。もう少し休んでて。その後、家まで送っていくから」
「大丈夫だよ、もう何ともないから」
折角の桜との時間を、謎の思念のせいで邪魔されてはたまったものじゃない。
全くどこの誰か知らないけれど、謝る相手間違ってるよ。心の中で思わず悪態をつくと、その思念がピタリと止んだ。
直接的に僕が何かしたわけではない。けれど、こうもタイミングよくピタリと止んでしまうと、落ち込んでる人に辛く当たってしまったかのような罪悪感を感じる。
(はぁ……ほんと、桜の事になると余裕なくなるな)
「それじゃあ……予定変更して、今から家に来ない? 身体きつくなったらすぐ休めるだろうし」
「でも桜、見たい映画があったんじゃ……」
「ううん。コハクと一緒に居られるなら映画じゃなくてもどこでもいいんだ。それより今は、貴方の身体の方が大事。何かDVDでも借りて、一緒にのんびり見ない?」
「桜……ありがとう」
満面の笑みを浮かべてそのまま僕の手をとって歩き出す桜。
君の笑顔が、優しい心遣いが、いつも僕の胸をポカポカと温かくしてくれる。
願わくば、いつまでも……この小さな手を握っていたい。
それから僕達は、レンタルビデオショップにやってきた。
入ってすぐ目に入る新作コーナーで、僕は懐かしいタイトルを見つける。
『カトレア国物語』──昔海外で人気だったファンタジー小説『The chronicles of Cattleya』を原作とした映画。
政権争いの絶えないカトレア王国を舞台に繰り広げられる愛と友情をモチーフにした群像劇。
度重なるクーデターにより傾いたカトレア王国を建て直すため、王様が今までの制度を全て破棄して行った、時期王政を担う者を選抜する試験が斬新で中々面白かったんだよな。
王子である実の息子達をも巻き込んで行われた呪われた十三日間の試練。
序盤は幼い頃から兄弟同然に育ってきた主人公のジャックと、第二王子のアレンが協力して試練を乗り越えて行く。
次々と犠牲になっていく仲間達の遺志を引き継いで、国がどうあるべきかそれぞれ意志を固めていく二人。
しかし、絆を大切にするジャックと、力を重んじるアレン、考え方の違いから少しずつ二人の仲に歪みが生じはじめる。
そんな中、守るべき者が出来たジャックとアレンとの間にとうとう決定的な亀裂が入ってしまう。
目指すものは同じはずなのに道を違えた二人に、王が最後に与えた試練がもう本当に……ああ、懐かしいな。
父さんも母さんもシロも全然興味なくて、クレハだけが興味深そうに読んでくれたんだっけ。
最初は登場人物それぞれの思考がよく理解出来てなかったみたいだけど、何度も読んでくれたみたいで、面白かったって言ってもらえた時、すごく嬉しかったんだ。
(クレハ、元気にしてるかな……この映画見せてあげたいな)
「……コハク? それが気になるの?」
目の前の光景に心を奪われていた僕に、桜が遠慮がちに声をかけてきた。
「あ、ごめん。この原作が好きで凄く懐かしくてつい。まさかリメイクされてたなんて知らなかったんだ」
「じゃあ、それにしよう?」
「え、いいの?」
「うん。コハクが好きなもの、私も知りたいから」
それからDVDを借りて、桜の家にお邪魔した。
集中して見ていたらあっという間に時間が過ぎていて、空が茜色へと変化している。
驚いた……リメイク版は前作と結末がガラリと変わっていた。
前作は原作に忠実なシビアな結末で、皆の遺志を継いだ主人公が悲しみを乗り越えていく姿に感動した。
だけど今回は悲しみの涙ではなく、嬉しくて喜びの涙が溢れそうになる。
救済を待ち望んだファンのために作られた最後なんだろうけど、これはこれでいい作品だ。
スタッフロールを見ながら余韻に浸っていると、隣で桜がそっと涙を拭っている。
よかった、少なからず桜にも何かを感じ取ってもらえたみたいでほっと安堵の息をもれた。
昼間みたいに無表情で見てたら、付き合わせてしまった事に居たたまれない気持ちになる。
そっと彼女の肩を抱くと、頭をちょこんと預けてきた桜。
こうやって肩を寄せあって、二人で同じものを見て感動を分かち合えるって幸せだな。
大型ショッピングモールで見た映画は、本当にキツかった……あれ?
僕、桜と一緒に映画を見に行った事ない。だから、今日初めて一緒に行こうって話だったのに……まただ、記憶があやふやでおかしくなっている。
何で行った事もない映画の内容に嫌悪感を抱いているのだろう。
「コハク? どうしたの? すごく……苦しそうな顔してる」
いつの間にかスタッフロールも終わっていたようで、桜がこちらを心配そうに見つめていた。
「何だか最近、記憶が少しはっきりしなくて。君と映画館行った事ないのに、行ったような感じが混在してて。おかしいよね。桜との記憶、全部取り戻したと思っていたけど、もしかすると……まだそうじゃない部分があったのかも」
「コハク……無くした記憶を無理に思い出さなくても、新しいものをこれから私と一杯作っていこう? そうしたら、一つくらい思い出せなくても大丈夫だよ」
「うん。でも、君との記憶はどんな些細なことでも僕にとっては大切な宝物だから、出来るだけ忘れていたくはないんだ」
僕の頬にそっと小さな手を添えて、桜が悲しそうに眉をひそめて口を開いた。
「……貴方に、そんな辛そうな顔させる記憶なんて必要ない」
細い指で優しく頬を撫でた後、桜はその小さな手を首筋へと辿らせ、下に向かってそっと這わせてくる。
「コハク、私がその空いた分を埋めてあげるから」
そう言って僕のベルトに触れてきた彼女の手を慌てて止めた。
「え、ちょっと、待って……ッ、桜!」
「どうして止めるの? 気持ちよくなれば、そんな事どうでもよくなるよ」
不思議そうにきょとんとした顔でこちらを見上げてくる桜。
屈んだ姿勢で強調される豊満な胸元、スカートから覗くスラリとした柔らかそうな白い太もも。
目のやり場に困る体勢の彼女から、僕は慌てて視線を逸らした。
「そ、それはそうかもしれないけど……僕は君を、そういう風には利用したくないんだ」
「ごめん、言い方が悪かったね。私がコハクを欲しい、だからこうしたいの……ダメ?」
最大限の理性を働かせて耐える僕に、桜は破壊力抜群の爆弾を落としてきた。
でも、ここで誘惑に負けたらダメだ。もう二度と、感情任せに彼女に欲を吐き出すわけには……優しい彼女にそんな事をさせてはいけない。
「桜……そんな無理しなくていいから。気持ちは嬉しいけど、そんな慣れない事しなくていいんだよ」
彼女の目を見て気持ちを伝えると、桜は大きな瞳をパチクリとさせた後、悲しそうに笑みを浮かべた。
「コハクは本当にお人好しだね。そんなだから、貴方は自分から掴んでいたはずの幸せを遠ざけてしまうんだよ。気持ちを確かめもせずに、自分の殻に籠っていては本当に大切な者を失ってしまうよ」
「何を、言っているの?」
「今はまだ、分からなくていい。夢の中でゆっくりと心を休ませて。おやすみ、コハク」
「さ、さく……ッ!」
僕の言葉を遮るように、桜は顔を寄せて唇を重ねてきた。
触れた箇所から感じる彼女の柔らかな温もり。
それはまるで僕を優しく包み込むように癒してくれて、心のモヤモヤが綺麗に浄化されていくような感覚に襲われる。
幸福感で満たされた僕は、いつの間にかそのまま意識を手放していた。