約束の杯 三
無数のウサギが俺に向かって体当たりをしてくる。
それはドーム状に広がったバリアーのような物で防がれていた。
飛び込んで、弾かれて、飛び込んで。
狂ったように繰り返される光景。
血まみれになりながら血走った目を見開き、憎悪が満ちる表情で俺を見つめる二つ頭のウサギたち。
そんな光景が、どのくらい続いていただろうか。
一匹二匹とウサギが倒れる。段々と衝撃の勢いが徐々に衰えていき──やがて音が消えた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
最初にウサギが飛び込んできた時から、俺はその場から動けずにいた。
目の前の非現実的な光景に呆然とし、恐怖した。
気づけば座り込んでいて、下腹部から温かい感触がした。
「何が……どうなって……」
まさかここは、地球じゃないのか?
最悪の考えが、俺の脳裏を過ぎった。
◇ ◇ ◇ ◇
小さな湖で体を洗った後、俺は切り株に座り呆然としていた。
視界の先には血塗れになった沢山のウサギの死体がある。
……いや、あれはウサギと言っていいのか? 普通のウサギはあんな大きくないし、緑色でもない。ましてや頭が二つある事もない。
「やっぱりここは……地球じゃない」
その考えが確信に変わったのは、体を洗っている時だった。
水面に映る自分の顔を見たんだ。
美少女だった。途轍もない美少女だった。
100人居れば100人が美少女だという程の美少女がそこにいた。
それはいい。体が女になったんだ、顔が美少女なくらいじゃもう驚かない。
でも……その美少女の耳が尖っていたら、誰だって驚くだろう。
エルフ。
それは、ファンタジーなゲームや漫画、小説等に出てくる種族。
曰く、長寿である。
曰く、森に住み、魔法の扱いに長けている。
曰く、エルフは為べからず美男美女であり、その耳は人間より尖っている。
まあこれは俺の持ってる知識でしかないから詳しくは知らないが、一つだけ断言できるのは、エルフは空想上の産物だという事だ。
ドラゴンや宇宙人、ネッ◯ーや魔法と同じ類いのもの。
皆想像で語るしかなく、誰も実物を見た事がない。
それは存在しない事と同意義であり──まあ、地球にエルフは居ないという事だ。
つまりここは地球じゃない事になる。
と言うかそもそもあのウサギからおかしかった。
「ここは地球じゃない。つまり、別の惑星……いや、異世界か?」
異世界転生と言う単語が脳裏を過ぎる。
「これじゃあ、家族に会いに行けないじゃないか……いや、そもそも──」
この森から、出られるのか?
◇ ◇ ◇ ◇
エルフには種類がある。
肌が褐色なエルフを、確かダークエルフと言う。
自分がダークエルフだということは一旦棚に置いて、おれは周囲の探索を始めた。
「これは……杭?」
先ほどのウサギたちの襲撃。それは、ドーム状に張られたバリアーのような物で防がれていた。
あれが無かったら、俺は今頃どうなっていたか……。
バリアーに近づくにつれ、薄らとバリアーが見えた。と同時に、血まみれになったウサギの群れが近くなり、吐きそうになる。
そしてバリアーの元に着くと、銀色の、何か変な文字が掘られている杭があった。
確認すると、それは等間隔にバリアーの下に刺さっている。
「これがバリアーの元なのか……?」
ゆっくりと、ゆ~~っくりとバリアーに手を伸ばしていき、バリアーに手が触れると──そのまま通過した。
「なんだこれ……」
感触は無い。
よく目を凝らさないと見えない程度のそれに、俺は助けられたんだ。
「なんなんだよ本当に……」
本当にバリアーがあるのを確かめたくて、腕や足を出し入れする。
もしあのウサギがもう一度襲ってきたら、またこいつに守ってもらわなくては困る。
「このウサギも、頭が二つってなんなんだよ……」
バリアーの近くに倒れているウサギに手を伸ばし──
「シャッ──」
何かの鳴き声がして、伸ばした腕が空を切る。
……いや、違う。腕が……無い?
「──ッッッああああ!!!!!! 腕がああああああ!!!!!」
腕が無い! 痛い痛い痛い!
「うぐあぁぁぁぁ!!! 痛い! いたいぃぃぃぃぃ!!!」
何で、何で、何で!
激痛に転げ回る。背中に石が当たって痛い。
肘の少し上から感覚が無い。痛い
髪が地面と体に挟まって痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い──!!!
どのくらい、そうしていただろうか。
まだ痛みは収まらない。どくどくと流れていた血はもう流れなくなり、意識が朦朧としてきた。
バサッ! バサッ! バサッ!
バキバキバキバキ!!!!
大きな羽音と木を踏み潰す音が聞こえ、一帯に大きな影が掛かる。
『何やら神の力を感じて来てみれば、死にかけのダークエルフが一人、と』
耳ではなく、脳に直接響くような女の声。
『これは……結界か、下らん』
バキンッ! と何かが割れた音がした。
『ほう……咎人か。それに、何か力を感じるな。おい、聞こえておるか?』
ドシン。と、大きな何かが降りてきた。
『このままではお主、死ぬぞ? まあ、我が結界を壊したから延命しても死ぬがな。それに“鎖”とは……運がないのぉ』
楽しそうな声音だ。こっちはもう、死ぬかもしれないのに……。