第八話
この時代に来て三日が経った。
ソソの家にお世話になりながら俺はこの時代のことを調べていた。
分かったことは二つ。
五百年の間にレイ……じゃなかった、ソーサリー大陸とエルドリア大陸は何度も戦争をしていたということ。王国連合軍は魔王軍との戦争後、連合を解体。二百年の間、各王国は立て直しあたっており、世界は平和だった。しかし、時代が移り変わり、人族と魔族の争いは人族と人族の争いへと変わっていった。そして、三十年前に二つの大陸内戦争は停戦という形で終結を迎えている。
そして、もう一つ。魔導具の発達によって魔法学の力量が低下していること。この小さな村でも魔導具は普及しており、生活水は勿論、まさか気温を操る魔導具まで開発しているとは思わなかった。度あるごとにソソに使い方を教えてもらい、ソソは「やれやれ、面倒だね。こんなことも知らないのかい」と口では言いながらも、俺に分かりやすいよう丁寧に教えてくれた。
朝夕はソソの手伝いをし、昼間はアイリの修練に付き合う。
アイリには剣術と魔法の基礎を教える。
どう学び、どう使うか。
アイリに全て任せる。
それが俺の出した考え。
「魔法は四大要素と二属性から成り立っている。四大要素は火、水、風、土。これらを組み合わせることで氷結や爆裂を使うことができる。二大属性は光と闇の二つ。光属性側の場合は治癒魔法が扱いやすく、逆に闇属性側の場合は毒や呪いの魔法が得意になる」
いつもの広場。
戦いにおいて重要となるのが魔法とスキル。
今日は魔法の基礎座学を行っていた。
俺が地面に図や魔法式を描き説明し、アイリが持ってきたメモ帳に記入する。
スライムは時折、アイリの肩の上から字や魔法式が間違っているところへ触手を伸ばして指摘していた。最初の座学の時は、俺が地面に書いた説明に対して、器用に触手で地面に『字が汚い』と書いてきた。思わず「……すみません」と謝ってしまった。
「師匠」
メガネを掛けたアイリが手を挙げる。
座学をすることを伝えた日。広場に現れたアイリは何故かメガネ姿だった。視力が低いのかと尋ねたら「これを掛けていた方が賢くなりそうな気がするので」と返ってきた。試しに借りたが、全く度が入っていなかった。
どうやらアイリは形から入るタイプらしい。
「得意不得意な要素はどうやって決まるんですか?」
「うーん、幼少期の生活が一番大きいかな。寒い地方で育った人は、耐性を付けるために自然と水の要素が得意になる。まあ、努力すれば四大要素の不得意は克服することはできる」
しかし、完全に扱えるというわけではない。
魔法の四大要素は自然の魔力との親和性による。
魔導具を発達によって、便利になったが自然の魔力に触れる機会が減ったようで、この時代の人たちの魔力貯蔵量も減ってしまっている。
「なるほど」
頷きながらアイリはメモを取る。スライムもメモを覗くようにアイリに寄り添っている。
そんな光景を眺めて思う。
アイリは剣術に光る物があった。鍛えれば大人にも負けない剣捌きが出来るようになると思う。しかし、魔法の方はあまり得意ではないようだった。得意な四大要素は水で、不得意な四大要素は火。得意といっても他の人より抜きん出るほどではなく、人より少しだけ得意といったレベル。また、アイリの属性は光。治癒魔法について教えれば教えるほど、アイリは自分の中に吸収していった。
……うーん。
全然魔王っぽくない。
どちらかといえば勇者っぽい。
「師匠?」
「すまん、ぼーっとしていた」
いつの間にか視線を向けていたアイリ。
小さく首を傾げ、その拍子にずれたメガネの位置を直していた。
「師匠の得意な要素って何ですか?」
「全部」
「えっ?」
「いや、だから全部」
「ぜ、全部ですか」
「ああ」
物心ついた時には魔法の魅力にとりつかれていた。
自分でも変なガキだったと思う。
それでも新しい魔法を覚えるのは楽しかった。
だけど、あの頃から他の人とほとんど接する機会がなくなっていた。今思えば、もっと他の……特に女の子と遊んでいれば良かった。
そうすれば。
そうしていたのなら!
もしかしたらモテていたかもしれない。
「師匠、急に遠い目をしないでください」
「お、おう」
「大丈夫ですか?」
「余計なことを思い出していただけだ……よし! 今日の座学はここまで。そろそろ剣術の方を始めようか」
「はい!」
アイリは返事をすると、メモ帳を荷物置き場へ持っていき、その足で木剣を取りに行く。傍にいたスライムはぴょんぴょんと跳ねて、一足先に広場の中央へ向かっていた。
スライムは剣術稽古の方が楽しみのようだ。
動きがある方が見ている分には面白いのかもしれない。
決して、俺がやられることに期待しているわけではないと思う。
はっはっは。
負けるわけにはいかないな。
このスライムの前では絶対になっ!
「お待たせしました」
木剣を持ち、動きやすいように服の袖とズボンの裾を捲った姿のアイリ。
メガネは外していた。
…………。
未だに慣れない。
袖を捲っただけなのに。
二の腕が晒されているだけなのに。
何でちょっとドキドキしているのだろうか。
「師匠?」
「な、何でもない」
危ない。
ぼーっとしていた。
今剣を振られていたら、やられていただろう。
「それじゃあ、始めようか」
「はい」
俺が剣を構えると、アイリも同じように構えた。
「いつでもいいぞ」
「では」
打ち合うことに抵抗あったアイリも、今ではこうして訓練ができるようになっていた。
「はっ!」
アイリは一歩踏み込むと牽制するように剣を突き刺す。
突き出された剣を軌道をズラすように下から弾いた。隙が晒された胴体へ目掛け、木剣を横一線に払う。アイリも弾かれることを想定していたようで、剣先を回避するように後ろへと飛び跳ね俺との距離を取っていた。
今度は俺がアイリへと詰め寄る。体を低くして近づく俺に対してアイリは一瞬戸惑う様子を見せた後、両手で持っていた剣を俺の胸元目掛け横一線に薙ぎ払う。薙ぎ払われた剣筋を、俺は受け止めることなく、更に姿勢を低くして躱す。
「えっ!?」
前のめりに倒れそうな体。
それを右手を地面につき支え、力を込めて反動をつけて体を起こす。剣を振ったアイリの懐へ入る作戦。左手にある剣をアイリの首元へ突き付ける。
そこで決着――
のはずだった。
アイリは防御することが出来ないと即座に判断したのか、手に持っていては邪魔になる剣を手放して上半身を反らして剣先を躱した。
――は?
終わると思っていたため、今度は俺が戸惑ってしまう。
アイリもまた、その先のことを考えていなかったようで、反らした上半身のせいでバランスが崩れて後ろへ倒れてしまった。
「あぶ」
危ない、とアイリへ手を伸ばす。
咄嗟の出来事だったので、俺もバランスを崩してアイリへとよろけて倒れてしまった。
アイリにのしかかるわけにはいかない。
右手を伸ばし、地面につけて体を支える。
覆いかぶさるような形になってしまった。
「いたた……あれ? 師匠?」
下にいたアイリに大きな怪我はない様子。
良かった。
「えっ、あ、あの師匠」
目の前にあるアイリの顔が驚いた表情を浮かべた後、みるみる赤くなっていく。
何故だ。
そう思った瞬間。
左手に柔らかい感触。
「し、師匠、その、あまり、触らないでください」
アイリの反応に視線を左手に向ける。
俺の左手がアイリの胸を掴んでいた。
がっしりと。
「わっ、ごめん!」
即座に飛び起きる。
アイリも体を起こし、向かい合うように座る。
目は伏せられ。
顔は羞恥で真っ赤になっていた。
「…………」
「…………」
重い沈黙。
こんな時なんて言えばいいんだ。
結構なお点前でした、とか?
いや、違う。
まずは謝らなくては!
「ア――」
「わ、私、ちょっと顔洗ってきますね」
俺が謝ろうとしたところで、アイリはそう言って、急いで立ち上がり広場を後にする。
取り残される俺。
左手を見つめ、何度か握ったり開いたりする。
それから右手で自分の胸を軽く揉んでみた。
違う。
全然、感触が違う。
柔らかかった。
凄く柔らかかった!
アイリは胸があまり大きいように見えない。それでも、触れた感触は男にはない柔らかさだった。
まさか、全盛期の俺が全ての魔力で費やしても起こせなかった『ラッキースケベ』なる禁呪を、今まさにこの身に体現できるとは。
慄き震え、左手を見つめる。
ちなみに。
スライムは向かい合うように座った時から、俺の背中へ鞭のように触手を振って攻撃していた。
この件に関しては俺が悪いので、甘んじて受けます。
はい、すみませんでした。
今日はここまでになります。