第三話
今日は二つほど。
「アイリさんや」
「はい、何ですか?」
「すまんが、もう一度言ってくれんかのう」
「師匠、急に口調が老けましたね」
「ご、ごほん! 悪い、もう一度、言ってくれ」
「いいでしょう」
アイリはもう一度胸を張る。
何も恥じることはない、と。
「私は魔王になりたいんです!」
「なんでだよおおぉぉっ!」
思わず頭を抱えた。
ほら、死ぬ寸前に願ったじゃん。
魔王とか勇者とか、関わらない人生を送りたいって。
叶えてくれたから、俺まだ生きてるんじゃないの?
知らない土地、知らない世界で、静かに暮らすのも悪くないかなって。これからどんなセカンドライフを送ろうかなとか、少し考えたりもしてたんだよ。
なのに!
目の前にいる子、魔王になりたがってるよ!
おかしいよ。
いや、おかしいのは魔王になりたがってるアイリだ。
「大丈夫ですか、師匠」
「大丈夫じゃない。大丈夫じゃないが、アイリ」
「はい」
「何で魔王なんだ? 普通は勇者とかに憧れるものじゃないのか」
「師匠は知らないと思いますが、昔の文献で読んだことがあるんです。五百年前、この世界には勇者と魔王がいて戦ったと」
はい、知ってます。
よーく知ってます。
「その戦いで勇者が勝って魔王が負けました」
「はい」
勇者の完勝でしたね。
ほら、勇者凄い。
だから勇者になろう。
「その後、勇者は一度だけ姿を見せて、どこかへ姿を消してしまったらしいんです」
「へえ」
その後の話は俺も知らない。
気が付いたら五百年後だし。
「何でも『人に危害を加える魔物以外に敵対する者は私が許さない』と。その一言だけ残して」
「――――」
思わず目頭が熱くなった。
守ってくれたのか、あんな一方的な約束。
「師匠?」
涙をアイリに見られないように顔を逸らす。
そこにスライムがいた。
スライムは俺に向かって小さく震える。
励ましてくれるのか?
……。
違うな。
コイツ、笑ってるだろ。
「何でもない」
湿っぽい感情がスライムによってブチ壊されたので涙も引っ込んでしまった。
まあ、アイリに心配されるよりはマシか。
「続けてくれ」
「はい。その勇者の言葉のために人族は魔物の殲滅を諦めたようで、今でもこの世界には魔物が生きており、特にルークスフォン大陸には多くの魔物が住んでいるとの話です」
「なるほど」
俺はスライムに視線を向ける。
スライムは先ほどの俺の姿を馬鹿にするように、触手を向けて笑うように震えていた。
このやろう。
お前らが生きているのも、俺のおかげだぞ。
…………。
そんなわけないか。
俺は何もしていない。
魔物たちが無事なのは勇者のおかげだ。
「だったら、尚更勇者に憧れるものなんじゃないか」
「勇者に憧れる人もいます。でも調べれば調べるほど、勇者は人らしくないというか、ゴーレムみたいというか」
「人らしくない?」
ゴーレムとは魔法で使役する人形のこと。
土や金属に魔力を込めて動かし、術者の意思に従って行動する。
「あまり人前で話すこともなかったみたいです。姿を見せなくなる前の言葉で、初めて声を聞いた人もいるとの話です」
「へえ」
確かに、戦っている最中も声を発することはなかった。
初めて聞いたのは、最後のやり取りだ。
「ま、まあ勇者に憧れていないってのは、なんとなく分かった。でも、何で魔王なんだ?」
「いいじゃないですか、魔王」
えー、いいか?
俺が言うのもおかしいけど、魔王の良さなんて全然分からん。
気が付いたら呼ばれていただけだし。
「魔王はですね、種族問わず多くの仲間が一緒にいて、世界征服という目標のために諦めないで、そして――よく笑うんです」
種族が多くいたのは事実だが、別に世界征服を目標とはしてなかったぞ。
……まあ、面白い奴らだったから笑いは絶えなかったが。
アイリはしゃがみ、近くの小枝で地面にデフォルメされた絵を描く。
一人は兜をかぶった騎士みたいなキャラ……勇者か、これ。特徴を捉えていて、似てるかも。もう一人は、頭に角を二本生やして笑っているキャラ……魔王? え、これ俺? 頭に角とか生えてないんだけど。俺、人だよ。
「師匠、勇者って何だと思いますか?」
「勇者?」
描きながらの質問するアイリ。
とりあえず考えてみる。
俺が実際に会ったことがあるのはあの勇者くらいだ。
五百年以上前にも魔王や勇者はいた。だけど、俺が生まれる前のことで、言い伝えや文献でしか知らない。
「……人々の平和を守る存在、かな」
そのための勇者だしな。
「ええ、この世界を守ろうとしている」
アイリは地面に描くのを止めて、ゆっくりと立ち上がる。
「私は……この世界は嫌いです」
俺を真っ直ぐと見据え、そう口にした。
その言葉にどんな意思が込められているのか、俺には分からない。
ただ。
目の前の少女の瞳が微かに滲んでいた。
僅かに吐露された少女の内側。
俺が踏み込んでいいのか、分からない。
誰にだって触れてほしくない境界線がある。
俺が黙っていると足元にいたスライムが、慰めるように静かにアイリの足首に身を寄せていた。
「ありがとうスラちゃん。すみません、師匠。つまらない話をしちゃって」
「い、いや」
俺が戸惑っている間に、アイリはいつもの笑顔に戻っていた。
「そろそろ村に戻りますか。日が暮れてしまうと、師匠が風邪ひいてしまいますからね」
「ああ、頼む」
いつまでも下着一枚は嫌だ。
村に行けば、何か着るものがあるかもしれない。
「また明日ね、スラちゃん」
アイリがスライムに手を振ると、スライムも触手を伸ばして左右に振る。
「あばよ、スライム」
俺も一応、スライムに声を掛ける。
するとスライムはペッと粘液を横に吐き出した。まるで、人が唾を吐き出すかのように。
何ですかね、このスライム。
態度悪くないですか。
「師匠? 行きますよ」
「あ、ああ」
村へ向うアイリの後に続く。
一度、足を止め、振り返った。
広場の地面に描かれたいくつもの勇者と魔王の絵。
物語調に描かれた絵は、最後に勇者が剣を掲げ、魔王が目をバツにして倒れていた。
今日はあと一つ上げます。