7.それぞれの心中①
彼女が話し始めます。
「あ……あの日。屋敷の近くの道で偶然見かけて。お互いに気が付いたのはほぼ同時だったと思います。向こうも立ち尽くして……。実際、そうしていたのは一瞬のことだったと思いますが、長い長い時間が流れたように思いました……」
まず襲ったのは恐怖でした。自分はこれからどうなるのか、瞬きするほどの短い間に、彼女の頭の中は目まぐるしく回りました。
すれ違う筈も無かった二人の人間は、すぐに、互いに相手が「誰」なのか分かってしまいました。でも、これから何が起ころうとしているのか、そして、この時点では知らない存在であった「立石和馬」という、もう一人の人間を挟んだもう一つの関わりがあることなど全く――。
そして、現在。あの日のことを初めて語る彼女も、自分の運命がこの時決したことには全く気が付きませんでした。
「身体中の力という力が、全て抜けてしまったようでした。に……逃げようと思うことも出来ませんでした。……お、思っていたら逃げてしまったことでしょう。実際、私はどんどん後ろに下がっていたみたいです。相手はただじっと何も言わずこちらを見ていました。それが尚更怖かった」それについて、彼女は言い訳をするつもりはありませんでした。
「不意に音がしたんです。何だろうって思って下を見たら、宝石が落ちていて……。その音は宝石が落ちた音だった。その宝石は、泥まみれでした」「じゃあ、その時にはもう……?」八巻君が尋ねます。カリンさんは顔を曇らせ、「それを見てあの人、顔をしかめたんです。よく覚えてます。泥まみれになった宝石を文字通り凄い汚い、嫌なモノを見るように。実際汚れて、汚かったんですけど。私は……慌てて逃げました。その表情で我に返って。一目散に」
その時のその表情が。あれから短くはない時間が流れた筈なのに、強烈に残っていました。そんなに嫌がれるものか、と。自分のモノとして持っていた筈なのに、「まるで……こんな宝石なんかって言っているみたいで。私自身が睨まれるより身が竦む思いでした」
「……」誰も何も言いませんでした。
「それっきりです」
気味が悪かった。その無言が。彼女の話が終わり、思わず見てしまった上司の顔。それは普段と何ら変わりないように見えるのに、それが今の僕には、何より不気味だった。
――と、目が合った。
一瞬だったけど。でもそれは、彼がすぐに視線を戻したからでなく、僕が逸らしたからである。その後も視線を感じたが、それが気のせいだったのかは判らない。
その時、彼が、彼女が、そして僕が何を思っていたのか、そうやって目を逸らし続けた僕には、いつまで経っても判らなかった。
「……そっか。――頑張ったな」
不意に、ぽんぽんとカリンさんの頭を叩きます。他の人たちもそれを見て穏やかな笑みを浮かべています。
「伊達さん……」頭を優しく叩かれながら顔を上げたカリンさんに、その人は驚いたように手を少し止めましたが、
「姫さん……。よそよそしいなー! 「七海」だよ、俺の名前は! 七海と呼んで! ね? お近づきの印に」
ポンと勢いよく叩いた七海さんに、彼女は涙に濡れた顔に、笑顔を浮かべます(逆に他の刑事さんたちの方が慌てて止めています)。
「伊達? って何だ? 人か?」
「言わなかったっけ? 七海さんだよ。フルネーム伊達七海」
「え、下の名前だったの? どうして、そっちで呼んでるの? 上司の方……ですよね」
「……ムカつくから」
「とか言って、親しみもっているんじゃないのか?」
「違う!」
懐かしい、懐かしい、三人の日々。いつだって賑やかで楽しかった。いつも、和馬さんの話の中に出て来る「憎らしい人」。あの日々が遠くなった今、逢えた。
「下の名前で呼んでるのは、ねえ、まあちょっとした復讐心的な? ま、全然気にする性格じゃないからね」
たとえ、それが嘘でも、偽りだらけであったとしても、本当に幸福な日々だった。
――変だな~。無い。ん~、無いということは今どきあるのかな。
夜遅く、七海さんは探していました。和馬の鞄の中から見付けた携帯電話。先程、念のため見た手帳などには載っていませんでした。――その名前は。
――チッ、あの馬鹿野郎。どこに隠しやがった。俺の目から逃れられると思うなよ。たとえ、お前があの人の痕跡も記憶も消し去ったと思っていたとしても。必ず掘り出してみせる。
彼は、自分の意に沿わぬ意見に従うことが嫌いでしたが、それ以上に他人に反抗されることは何よりも嫌いでした。特に和馬みたいな愚かな人間には、絶対に。
終わってしまった……。七海さん、まだ続くのに。そして描きたいシーンの一つだったのに。という訳でタイトルが私の心中を反映したものとなってしまいました。数字を付けるタイトルって好きじゃないのに。次彼らの予定だったのに。出したい……。