6.煙のごとく
全てが煙のようだった。
見えなくなり、匂いも消えたように、全てが終わってしまった。
ただ、煙を吸い込んだ後のように、苦いものだけが僕の中に残っていた。
それは一生僕の中でくすぶり続けるのだろう。
それが、僕に対する罰なのだ。煙を最初からこの手に捕まえられるはずなかったのに。
でも、もし、別に「泥棒石」がいたらなあ、と思ってしまう。
あの人でなかったなら、こんな結末はあり得なかったのに。
「え、何故……?」と、母が首をかしげる。
「見事なんです。むしろ芸術と言って良い」七海さんが力説する(「全く。そんなこと言っているから怒られるんです」と、高見さんが、その傍らで頭を抱えているが)。
――で、何が「芸術」なのか――。
「鍵をこじ開けた形跡が無いんです、一切。それどころか、「かつて」置かれていた筈の部屋等も物色された気配すらない。誰も目撃者もいない。そして――忽然とモノだけが消えている」
七海さんが一度、言葉を切る。
「そして、ある朝。それが泥に包まれた形で見付かる。これが「泥棒石」です」
「そんなにいると思うか? どんな鍵でも開けられる腕の持ち主が。誰の目にも入らず、何も荒らさず、それだけを鮮やかに盗っていく奴が」
おそらく誰相手でも敬語なんか使うまいと思われる木村さんが淡々と語っていく。
「まあ、一人だけいたらしいが。そいつに会った人間が。そうでなきゃ、人間と思わなかったかもな。煙のようにモノを消し、泥だけがその痕跡として残る奴なんか」
「煙の方が、痕跡は残りますね、例えば煤みたいな感じで。本当は全て元通りじゃなかったかも知れないけど、盗みに入られたことにも気付かず、盗まれたモノを探して、被害者がぐしゃぐしゃにしている感じでした」
八巻君が補足する。あまりにも普通に語っているが(七海さんの影響か? 大丈夫だろうか……)、その内容に少々戦慄する。
「全て元通りじゃなかったかも知れない」ってことは、そう見えたってこと。煤以上に痕跡を残さずに「泥棒石」は部屋からモノを「消した」ってことになる。それは確かに華麗な「芸術」だ。目撃者がいなければ、人間業にすら見えないかも知れない。そして、そんな事が出来る人間が何人もいないだろう。いたら、警察はお手上げだ。何の証拠も残らないのだから。唯一、目撃者に頼るしか……。
「……目撃者……?」
「目撃者……?! 一人だけって……目撃者がいたんですか? 泥棒石の……」僕の呟きに弟が反応する。
どうやら、その事実は明らかにされていないのだな、とその反応から見当をつける。
その家からモノがただ一つだけ消えている。いつ、どうやってなのか全く判らない。そんな不思議なことを目の当たりにした、ただ一人の目撃者。
「そう。その人の名は――国安伽凛。今話した最初に発覚した事件で盗まれた宝石の元持ち主さ」
七海さんの声に誰もが、その人の顔を見た。この事件の一番の当事者の顔を、僕も含めて。表情は人それぞれだったが……。
「もっとも、和馬以外会ったことも無いけどさ。名前ぐらいだっけ、お前ら?」
周りの反応など全く気にせず、一人だけ誰を見るでもなく変わらぬ調子で話している。そんな上司に少々――本当に少々だが――畏敬の念を抱く。
「警察嫌いだからな~彼女。警察官と鉢合わせすることすら嫌う」
――警察嫌い……。ああ、だから病室に入って来るとき、遠慮しているのかな、と見当をつける。僕の同僚が、警察官が、いないことを確認するために。そう言えば、先程彼らが来たとき、顔を強張らせていたことに今気が付く。
そして、今に至るまで、少しも口を開いていない。
「だから、和馬以外会おうともしない。だから――こういうことになっちまう」
「え?」やっと弟が七海さんに顔を向ける。
「和馬だけは気に入られていたから。つまり――和馬以外知らなくて――」ここで七海さんは溜息をつく。「まあ、和馬に一任されていたんだ、この件は。だから――仕方ないとは言え――な。何が起こったか、誰も知らない」
「カリンさん……」母が気遣わしげに彼女を見る。何をどう言って良いのか判らない様子だ。――そして、それはここにいる全員がそうであった。
「和馬に訊いても、特に何も言いたくはない様子でな。難航している、って。それだけ。上にたまにせっつかれるけど、だからってどうしようもないし。――ちょっと爽快だった」そこでさりげなく本音を挟まなくても。「だから、姫さん。大丈夫だ。何も言わなくても。和馬は何も喋らなかった。貴女のことも含めて全部」
七海さんの長い話が終わっても、誰も何も喋らなかった。
そんな中、ふと、僕はカリンさんを見た。彼女は僕が見ていることなんか気にも留めず、というか、何人もの人間に見られても、話しかけられても、固まったまま動かなかった。
今、彼女は何を思ってここに立っているのか、僕にも判らなかった。そして、彼女に何と声をかけていいのかも、僕には判らなかった。
「いえ……」すると、カリンさんが口を開いた。「そういうわけにも……、いつまでも、そういうわけにはいきませんから」首を振りながら、確かにそう言った。
こんな泥棒いたら凄いなあ、という下らない妄想から生み出しました。「煙のごとく」なんてカッコいいじゃないですか! 煙が泥に変化しちゃってますけど。ドロドロしてます。三角関係? そういう話はゴメンなんですけど。うわ、書きたくない。