初めての休日② プルが見つけたもの
「コゼット、一人で奥に進むな!」
前方を走る半森人少女の背に声を掛けた。
「でも、プルが!」
どうやらコゼットはペットのハムスターを追いかけているようだ。
小さな目標に目を向けると、その体躯を活かし、人が進むには面倒な木々の間を疾走していく。
普通に行動していては、この草木の茂った地形であれに追いつくのは困難だと予想できた。
もういっそ、周囲の木を切り倒して進むか?
そんな考えが過ったが、倒れる木々にプルが押し潰される可能性がある。
どうやら足を止めるまで、追いかけるしかなさそうだ。
「プル、待って、どこに行くの!?」
コゼットが呼び掛けるが、止まる気配はない。
奥に進めば進むほど、闇に飲まれていくような錯覚を覚える。
しかし、あのハムスターは最初から目的地は決まっているとばかりに、
木深い森の中を迷うことなく突き進んで行った。
どれくらい走っただろうか?
ラフィたちが待機する場所から随分と距離が開いてしまった。
が、ようやくコゼットが足を止めた。
だがそれは、意識して止めたのではなく、予想外の出来事に目を奪われて止めてしまったというのが正しいだろう。
「……え、洞窟……?」
視線の先にあるものを見て、当惑するコゼット。
それは、岩や土を掘ったものではない。
俺とコゼットの視線の先には、濃密な密林に囲まれた一帯に一箇所だけ木々が連なってできたような大木に大穴が開いていたのだ。
その穴がどこまで繋がっているのか、暗くて確認はできないが……。
「あ――プル!?」
半森人の少女の心配を気に止めた様子もなく、プルはその大穴に向かい駆けていく。
「もう、どうしちゃったの!」
コゼットもプルを追って穴の中に入ろうとして、
「待てコゼット」
俺は慌ててコゼットの肩を掴んだ。
「な、なにするんです!」
「行くなら俺が先頭だ。
お前は後ろから付いてこい」
どんな危険があるかわからない。
「……わかりました」
少しの逡巡の後、コゼットは首肯した。
大穴の外から様子を窺う。
闇に満たされた空間。
このまま足を踏み出すのは危険だ。
俺は魔術を行使し、手の平に光玉を生み出す。
暗然たる森の中に光が溢れた。
「行くぞ」
「はい!」
俺たちは闇の中に踏み込んだ。
大樹の大穴を真っ直ぐに進んでいく。
地面はほんの少しぬかるんでいるが、足を取られるほどではない。
寧ろ外の鬱蒼とした木々の間を歩くより遥かに楽だった。
洞穴の中は、奥に進めば進むほど肌寒くなっていく。
陽射しが一切入り込まないからかもしれない。
静寂に包まれた空間に響く俺たちの足音だけだった。
「プル! どこにいるの?」
歩きながら呼びかけるが返事はない。
そもそも動物が返事をするかは俺にはわからないが、あの賢いハムスターがコゼットの声に反応しないのはおかしい。
「先に進むしかなさそうだな」
「……はい」
途中、道が枝分かれする場所もなくただただ一方通行。
人の手が入っているのか、何ら障害物となるような物もない。
油断をしているつもりはないが、魔物の気配もない。
だが、それが逆に俺の警戒心を強めた。
ここは、あまりにも何もなさ過ぎるのだ。
さらに足を進めた先に、
「プル!」
蔦のような物が無数に連なり網目状の扉ができていた。
だが、その扉に取っ手はない。
プルはその扉に前足で寄りかかっている。
まるで、この先に何かあると訴えているようだ。
コゼットはプルの近くまで寄るとしゃがみこみ、
「この先に何かあるの?」
確認するように聞いた。
するとプルはうんうんと頷き、しゃがんでいたコゼットの膝の上に飛び乗り、服を掴みコゼットの肩までよじ登った。
そして彼女にな耳打ちをした。
「この向こうから声が?」
するとコゼットは目を閉じた。
精神を研ぎ澄まし、集中しているようだ。
コゼットと同じく、俺の耳には何も聞こえないが、
「……」
物音一つ聞こえない。
森閑とした洞穴の中で。
「聞こえる……!」
しゃがみ込んでいた半森人の少女が慌てて立ち上がった。
そのままコゼットは樹の扉に触れる。
「マルス先輩、この先に誰かいます!」
断言するコゼット。
「きっと、悪い子じゃないです。
助けて、助けてって、弱々しい声で呼んでいて……」
言いづらそうに言葉を止めるコゼット。
彼女自身、この先にいるものがはっきりとはわかっていないのだろう。
だが、少女の瞳は俺に、
「助けたいのか?」
そう訴えていた。
「はい!」
その目に宿るのは純粋な感情。
「なら、助けよう」
俺は魔石を取り出し、魔力を込め武器を形成した。
「コゼット、少し離れてろ」
「は、はい」
少女が俺から離れたのを確認し、俺は右手で黒の大剣を上に掲げ――振り下ろす。
剣が風を切る音すらなく、木の連なった網目状の扉を切り裂いた。
「じゃあ、行くか」
魔力の供給を止めると、大剣は魔石に戻った。
「……」
返事がない。
俺を見つめるコゼットだが、その姿はまるで放心しているようだった。
「どうしたんだ?」
再び俺が声を掛けると、半森人の少女は軽く頭を左右に振った。
「あ――す、すみません、行きましょう」
どうやら正気を取り戻したようだ。
そして俺たちは切り裂かれた扉の先に入った。
「なに、これ……!?」
入った瞬間――目の前に広がる光景にコゼットは驚愕していた。
だが、それはそうだろう。
そこには、部屋いっぱいに赤い円。
その円の中には六芒星が描かれていた。
巨大な魔法陣だ。
だが描かれた六芒星の形が一般的なものとちが――
「あ、この子――」
魔法陣の中心には、龍が寝かされていた。
その緑の体躯はまだ幼く小さいが、翼が生えている。
どうやら風龍の子供のようだ。
(だが、誰がこんなところに……?)
明らかに人の手が介入している。
何らかの仕掛けがあると考えて間違いなさそうだ。
俺が思考を巡らせていると、
「助けなくちゃ!」
倒れ伏す子龍の下に走り、コゼットが手を伸ばした。
その体を持ち上げた、瞬間――。
地に描かれた魔法陣が目の眩むような赤い光を放出した。
「ぁ――」
突然のことに硬直するコゼットに手を伸ばし、抱き抱えると部屋の外に飛び出した。
「……罠か」
何もないわけがなかった。
コゼットに注意を促さなかったのは、俺の失敗だ。
激しい光の中、一匹の怪物が姿を現した。
見たことがない魔物だ。
魔方陣から召還されたということは、幻想種の可能性もあるのか?
その怪物は全身が赤い。
漆黒に染まった両目を持ち、人と同じように二足で立っている。
二メートルは優にあるだろう肉体は人では有り得ないほど盛り上がり、頭部には二本の角。
顔は龍にも似ていて、人の肉体など一瞬で噛み砕いてしまいそうな凶暴な牙が生えている。
両手も丸太のように太く、その先端にはそれぞれ三本ずつ太く鋭利な爪が伸びており、それは人間の身体を簡単に切り裂くことは容易に想像できた。
悪魔と呼ばれる存在がこの世にいるのだとしたら、こいつは間違いなくそれだ。
そう断言できるような禍々しい存在が目の先にいる。
「……コゼット、直ぐ終わらせるから、少し離れててくれ」
抱き抱えていたコゼットを下ろす。
直後、その悪魔の漆黒の双眸が俺に向き、
「グガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァッ!!!!!!」
それが戦いの始まりを知らせる合図とでも言うように、赤い悪魔が俺に向かい咆哮した。
先に仕掛けたのは俺だ。
魔石に魔力を送り込みながら漆黒の双眸を持つ悪魔に突っ込むと、
まるで俺を迎え撃つように紅の怪物も突撃してきた。
(なら――)
俺は両手で大剣を持ち、前方に突き出した。
全力で疾走するお互いの勢いを利用した一撃。
人同士の戦いであれば、間違いなく必殺であるのだが。
赤い悪魔は迷うことなく、凶悪な鉤爪を突き出してきた。
銀の爪と黒の大剣が衝突し――俺の手に激しい衝撃が走った。
どちらが押し負けるわけでもなく、その場で拮抗する力。
(だが、このまま押し切る!)
俺は剣を持つ両手に力を込め――
「うおおおおおおおおおっ!!!!!!!!!!!!」
突き出された鋭い爪もろとも、赤い悪魔の右腕を真っ二つに切り裂いた。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァッ!」
その絶叫は痛みの為に上げたのか。
俺への憤怒の叫びなのか。
化物は雄叫びを上げながら左腕を振るい上げ、俺を叩き潰そうと豪腕を振り下ろしてきた。
化物の肉を切り裂いた剣を引き、バックステップで豪腕を避ける。
目標を失った破壊の一撃が、ゴオオオオンッ――と、激しい地響きと共に地が割った。
地を突いたままのその赤腕を目掛け、俺は大剣を振り下ろす。
ガンッ――と、巨大な岩石でも落ちてきたかのような衝撃音。
ぶった切るつもりが、剣が化物の腕に食い込むだけに終わった。
人の纏う鋼鉄の鎧より遥かにこの化物の肉体は強靭のようだ。
せめて鍛冶人が鍛えてくれた武器でもあれば、もっと楽に戦えたかもしれないが――この程度の相手ならこの武器でも十分だ。
「もう片方――もらうぜ!」
腕に食い込んだ刃を一度引き抜くと、悪魔の鮮血が宙を舞った。
俺はもう一度剣を振り上げ、中途半端に切り裂かれていた傷口に、大剣をただ力任せに叩きつける暴力的一撃を加えた。
その斬撃は豪腕を吹き飛ばす。
これでこの化物は両腕を失った。
――はずだったのだが、
「っ――!?」
地に落ち、失ったはずの両腕が再生していた。
その巨木のような腕を薙ぎ、白銀の剣のように鋭い爪の先端が俺を襲った。
一瞬の躊躇が隙を生んだ。
思いもよらぬ一撃を、なんとか剣の平で防ぎ、身体が吹き飛ばされないように両足に力を込める。
だが、その抵抗空しく。
そのまま化物が腕を薙ぎ払うと、俺は足で地を削るように吹き飛ばされた。
全身を揺さぶられるような衝撃が身体を駆け抜けていく。
「ま、マルス先輩!?」
コゼットが俺を心配するような高い声を上げた。
「問題ない」
俺は相手を直視する。
目の前の化物の両腕が完全に再生していた。
「そんな……」
沈痛な声が聞こえた。
「心配するな」
「……で、でも」
半森人の少女の声は絶望に染まっていく。
「相手はあれだけの傷を一瞬で再生したんですよ?」
まさか再生能力があるのは予想外だった。
だが、
「だったら再生させなければいい」
「え……?」
一撃でこいつを葬ればいい。
それだけの話だ。
「こいよ化物、次で終わりだ」
当然、言葉が通じるはずはない。
しかし、俺の言葉に反応するように目を細め、不気味な笑みを浮かべた。
直後――赤い体躯の悪魔は裂けんばかりに口を大きく開いた。
口の中に、光の粒子が集まっていく。
暴力的な魔力が蓄積されているのがわかった。
どうやら、これがこの悪魔の切り札のようだ。
悪魔のような相貌に似合わず、光を使った攻撃か。
なら俺は、この洞穴を満たす闇を利用し、化物に相応しい引導を渡そう。
イメージするのは、全てを消失させる闇――全て飲み込む暗黒の渦。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッツ!!!!!!!!」
鼓膜を裂くような激しい怪物の咆哮と共に、悪魔の口から強大な魔力で形成された光の閃光が吐かれた。
「無駄だ」
化物の咆哮は俺の声を掻き消した。
だがもう遅い。
俺の魔術は完成していた。
「全てを飲み込み」
化物が放った閃光に飲み込まれかけた瞬間――俺の目前に闇の渦が生まれた。
暗闇に染まる空間の中でさえ黒いとわかる暗い闇。
その暗黒の渦は悪魔の放った光を全て飲み込み。
「全てを喰らえ」
その言葉に従うように、闇の渦が急速に化物に迫りその巨体を飲み込んでいく。
暴れ狂おうとも、どれだけもがき苦しもうとも、どんな化物だろうとこの闇からは逃れられない。
この闇を消失させる方法があるとすれば、闇に喰われること。
ただそれだけ。
腕を喰われ、足を喰われ、身体を喰われ――。
「ガアアアアアアアァァァァァァァァァァァッ!!!!!!!!!」
悪魔の上げた最後の咆哮は、ただ虚しく過ぎり、最後には全身が喰い殺された。
そして、魔方陣から放たれていた赤い光すら飲み込むと、最後の役目を終えたかのように闇の渦は消失した。
再び静寂に包まれた洞穴の中は、暗闇に飲まれていた。
俺は光球を形成しようとしたが、どうやらこの洞穴の奥は、一切光が入り込まないどころか、光の元素すらないようで魔術の行使ができない。
(仕方ない……)
魔力の無駄遣いになるが、俺は万物を利用せず『魔力のみ』で光玉を形成し周囲を照らした。
すると、
「……お、終わったんですか?」
小さな呟きだったが、はっきりと聞こえた。
「ああ、直ぐに終わらせるって言っただろ?」
「え……あ、は、はい」
何が起こったのか、まだはっきりとわかっていないのだろうか?
子龍を抱き抱えたまま、コゼットの表情は俺を見て何度か瞬きをする。
「大丈夫か?」
「あ――」
尋ねると、龍を抱いた少女は思い出したように子龍に目を向けた。
「そ、そうです! この子の容態を確認しないと……」
焦る半森人の少女。
だが、龍の容態というのはどう調べたらいいのだろうか?
「息はあるんだよな?」
「は、はい!
わたしに語りかけてきたのは、この子で間違いないはずなので」
なら、暫くは様子を見るか。
「コゼット、このままここにいるのは危険だ。
一度、ラフィたちが待機している場所まで戻るぞ」
他に魔方陣があるとは思えないが、一旦この場所から離れるべきだ。
それがコゼットの身を守る為にもなる。
「わ、わかりました」
「急いで戻ったほうがいいかもな……」
「え? どうしてですか? まだ魔物が?」
俺の考えすぎで済めばいいが。
「向こうにいる二人も、想定外のトラブルに巻き込まれてるかもしれない」
あんな化物がもう一匹いるとは考えにくいが、セイルとラフィがあの化物と遭遇していたのなら、勝てる見込みは薄い。
「よっと――」
「え!?」
俺は子龍を抱えるコゼットを抱き抱えて、
「少し我慢しててくれ。
プルもしっかりコゼットに掴まってろよ」
二人の下へと急いだ。




