エリシアの秘密⑨ 弱さを受け入れること
* マルス視点 *
「……聞いてもしょうがなかったでしょ?」
話を終えて苦笑するエリシア。
その姿はどこか痛々しく、その表情は蒼白に変わっていた。
相手の過去を知りたいと思うのは、俺の傲慢だったろうか?
「そんなことはない。エリシアのことを知れた。
でも、エリシアにとっては思い出したくもない話だったか?」
「ううん。話すと決めたのはボクだし……忘れたことなんてないから。
それが、この学院に入る理由に繋がったんだからね」
「エリシアは、強くなってその男に復讐をしたいと思ってるのか?」
「……もし、あの男が目の前に現れたなら、考えるかもしれない」
考えるかもという事は、復讐はエリシアにとって一番の目的ではないということだ。
「復讐は一番の目的じゃないんだな?」
「うん。ボクは復讐する為の力が欲しいんじゃない。
みんなを守る為の力が欲しいんだ。大切なものを守り抜く力が欲しいんだよ」
復讐の為の力。
エリシアがそれを求めたなら、魔術で相手を殺す事に躊躇いすら覚えなくなっていたかもしれない。
でも、エリシアは相手を傷付けることを怖がっている節がある。
それは、エリシアの両親が殺されたことが切っ掛けかもしれない。
そして、魔力暴走の事故で相手を殺しかけたことがその恐怖に拍車を掛け、魔術が行使できなくなった。
エリシアが魔術を行使できなくなっていた原因は、そういったところもあったのかもしれない。
まあ、これは俺の勝手な推測だけれど。
「エリシアは、守る為なら敵を殺せるか?」
「……え?」
「殺せないよな?」
「……そんなこと、わからないよ……」
エリシアの顔は苦悶に歪んだ。
想像したのだろう。
自分が誰かを手にかける瞬間を。
「誰かを守るってことは、誰かを殺さなきゃいけない時がいつかくるってことだ」
「……殺さなくても、守ることはできるよ」
「実力差があれば、それも可能だろうな。
でも、ギリギリの戦いでそんな事を考えていたら、お前はまた、何も守れずに死ぬぜ?」
はっきりと告げた。
だが、今のエリシアでは何も守れない。
強くなる為の覚悟は済んでいる。
守る為に強くなるという目標もある。
でもたとえそうだとしても、戦いで相手を殺す覚悟がなければ死ぬのは自分だ。
掲げている目標、やってきた努力は、全て無駄に終わる。
「強くなりたいなら、守りたいなら、絶対に迷うな。覚悟を持て」
「覚悟を……」
「それさえできれば、エリシアは今よりもっと強くなれる」
「……わかった。覚えておくよ」
重々しく、エリシアは頷いた。
「それと――いや、これはいいか」
本当はもう一つ伝えたいことがあったが、
「言いかけたなら、最後まで話してよ」
口に出さなければ良かった。
これは言うか迷っていたのだ。
それは、エリシアに残された呪いの言葉についてだ。
呪い――といても呪術の類いではなく。
エリシアの両親を殺した男が残した呪詛。
それが大きな原因となり、エリシアは女だから強くなれないと思い込んでしまった。
でも、それも間違いだ。
実際、女だから強くなれないという事はない。
男女の身体能力の差など、魔術や魔法、技能や戦闘技術の優劣と比べれば些細なことなのだ。
身体能力の差を気にしていたら、そもそも人間は狼人などの獣人族に及ばない。
だからこそ戦いにも技がある。
柔よく剛を制す。というヤツだな。
だから性別なんて関係ない。
なのにエリシアは、男のふりをすることで強くなった気でいる。
自分を偽ったままでは、本当の強さなんて得られるわけないのに。
だってそれは、自分と向き合う事を拒絶しているから。
自分と向き合い、自分を知る。
自分の強さ。
自分の弱さ。
その両方を知らず、どうやって強くなれる?
弱いという事は、強くなれる可能性があるということ。
弱さを知らずに、強くなんてならない。
エリシアの強くなりたいという気持ちは本物だろう。
だからこそ、弱さと向き合ってもらいたい。
力だけじゃなく、心も。
悩んだ末に――俺は話すことを決めた。
「強くなりたいのなら男のふりをやめた方がいい。お前は女だ」
エリシアの瞳が大きく見開かれた。
「……マルス、ボクの話を聞いたよね?」
静かな声だった。
だが、そこには確かな怒りが含まれている。
「ああ、聞いた。だから言う。お前は女だ」
「ボクは……男だよ」
そう簡単に認められるわけないよな。
何年間も、そうやって自分と向き合う事を拒絶してきた。
エリシアの両親を殺した男の呪いによって。
でも、その呪いに縛られるのはもうおしまいだ。
「なら、ここで脱いでみろよ」
「っ――」
エリシアの銀色の瞳が揺れた。
一目でわかるくらい身を固くしている。
「できないだろ?」
「……できるよ」
「俺に裸を見られて、悲鳴を上げたお前がか?」
「あ、あの時は、突然だったから」
エリシアはどうして認めたくないのだ。
女だという事実を拒絶したいのだろう。
全てを、女だったせいにして、逃げているんだ。
「突然? 男が男に裸を見られて悲鳴をあげるかよ」
「びっくりしたら、誰だって悲鳴をあげるでしょ?」
「なら、今は突然じゃないよな?」
「……」
エリシアは、ゆっくりと服に手を掛けた。
ボタンを外そうとした指先は震えている。
「恐いのか?」
「恐くなんて……!」
そう否定しても、エリシアの身体は震えている。
「女なんて何もできない。ただ犯され、蹂躙され、殺される」
「っ――」
これが、彼女にとっての呪詛の言葉だ。
「犯されるのが恐いのか? 蹂躙されるのが恐いのか? 殺されるのが恐いのか? 女だから、何もできないのか?」
「……」
エリシアは何も言わない。
俺はさらに捲くし立てた。
「そんなヤツの言葉に負けるな。女だから強くなれないなんて思うな。
女だから弱かったと、自分を偽るな」
エリシアの瞳は揺れている。
でも、目を逸らそうとはしない。
俺は続けて言った。
「自分と向き合え」
エリシアを縛る呪いを断ち切る為に
「性別なんて関係ない。ただ弱かったから、お前は誰も守れなかったんだ」
ただ、真実だけを告げる。
「その事実をちゃんと受け止めなくちゃ、強くなんてならない」
「……っ――……――」
悔しそうに歪んだエリシアの表情。
でも、次第に、感情が抑えきれなくなるみたいに、
「わかってる。……そんなことわかってるよ!」
ポロポロと涙が流れていく。
「ボクが弱かったせいで、父様と母様が死んだのなんて、わかってるよ!」
「……」
「とっくに、わかってたよ。そんなこと……!」
それでも偽らなくちゃいけない理由があったのかもしれない。
「……だから強くなりたかった。
今度こそ、大切なものを守れるくらいの力が欲しかった。
でも、今のままじゃ強くなれるかわからなかった。
どうしたら強くなれるか、あの時のボクにはわからなかった。
だから、弱い理由が欲しかった。
強くなる為に、弱い理由が欲しかった。
その時に、あいつの言葉が聞こえた。
女は戦いの場で役に立たない。
その言葉は甘言のようにボクの心を犯してきた。
それを捨てれば、強くなれると思えた」
女でいることが弱い理由。
なら、男になれば強くなれる。
そう思うことで、もしかしたら彼女は立ち直れたのかもしれない。
でも、
「このままじゃ、お前はどっかで壁にぶちあたるぜ?
その時にまた自分を偽るのか? 今度は何のせいにするんだ?」
「……それは……」
「目を逸らさず向き合ってみろよ。自分の弱さ一つ一つと。
そうしたら、今よりお前は強くなれる」
俺が言うと、エリシアは愚直だと思えるくらい真っ直ぐな眼差しを向けて、
「ボクに、できるかな?」
「できるよ。ゆっくりでもいいんだ。少しずつでもいい」
「……わかった」
エリシアはしっかりと、俺の言葉を受け止め、
「……マルス、今、一つ決めたことがあるよ」
そんなことを言ってきた。
「なんだ?」
「まだ、秘密」
「……そっか」
その秘密を、俺に打ち明けてくれる時はくるのだろうか?
まだ。と言ったわけだから、いつかは教えてくれるのかもしれない。
……なら、今はその時を待とう。
「マルス、浴場に行ってくれば?
まだ湯は張られてると思うけど、一日中張られてるわけじゃないから」
言われるまで忘れていた。
そういえば、まだ風呂に入っていなかった。
「そっか。じゃあ行ってくるかな」
勿論、今日はエリシアも一緒に、と誘ったりはしない。
「ごめん。ボク、ちょっとこれから行くところがあるから」
「これからか?」
「うん。大事なことだから、今すぐ行ってくるよ」
……大事なこと?
なんだろうか?
「良かったら、俺も一緒に行こうか?」
「ううん。ボク一人で大丈夫。
あまり、マルスを頼りすぎてもダメだからね」
「……そうか」
確かに。
一人でもできることは、一人でやるべきだろう。
「じゃあ、気をつけてな」
「うん。遅くなるかもしれないから、先に寝てていいからね」
「わかった」
そうして、エリシアは部屋を出て行った。
一人残された部屋で思う。
考えてみれば、俺は部屋を変えてもらった方がいいんじゃないだろうか?
まぁ……それはエリシアが戻ってきたら相談してみよう。
そう決めて、俺は浴場に向かうのだった。




