エリシアの秘密⑦ エリシアの過去 中編
2015/09/06 修正
剣術大会から少しして、
「エリー、これを」
母様がプレゼントをくれた。
髪留めだ。
特にしゃれた感じのない、シンプルな黒い紐だった。
これなら動く時に邪魔にならない。
「髪も伸びてきたから、剣を振る時に邪魔でしょ?」
髪は切ってしまっても良かった。
でも、
「エリーの髪は綺麗だから、母さんは切らないでほしいわ」
そんなふうに言われて、微笑まれてしまったので、ボクは黙ってその紐で髪を括った。
「似合ってるわ」
母さんは嬉しそうだった。
ボクも、そんな母さんの顔が見れて嬉しかった。
ボクはいっそう稽古に励んだ。
それから数日後、本家のお爺様の屋敷に来ていた。
母様はいない。
父様はボクだけを連れてきた。
母様もくればよかったのに。
その日は親族が顔を合わせ、食事会が行われた。
食事中、お爺様の厳しい視線がボクに向けられているのがわかった。
作法を間違えたのかもしれない。
それでも、お爺様はボクに何も言ってはこなかった。
食事が終わって、子供たちは部屋から出された。
大人には、何か難しい話があるのだろう。
親戚の男の子たちは、中庭で剣術の稽古を始めた。
ボクも混ざって稽古をしようとした。
「エリー、一緒に本を読みましょうよ」
声を掛けられた。
親戚の少女だ。
何度か顔を合わせたことがある。
「私は、剣術の稽古があるから」
断ろうとした。
「エリー、まだ剣術なんてやってるの?」
「……え?」
「だって、エリーは女の子じゃない?」
そう。
ボクは女の子だった。
でも、それがなんだというんだろう?
「淑女は宮廷作法や学問をいっぱい勉強しなくちゃダメだって、お母様が言ってたわ」
彼女の家はそうなのだろう。
ボクは父様にも母様にも、そんなことを言われたことはなかった。
「でも、エリーは剣術ばっかり。学問も作法もしっかりやらないとダメよ」
「私は騎士になるの。
騎士は読み書きや作法よりも武芸に秀でていることが大事なの!」
最近では学問や宮廷作法も頑張っているつもりだ。
でも、それは騎士になる為だ。
「エリーは知らないの? 女の騎士なんてほとんどいないのよ?」
知っている。
剣術大会にだって女の子はいない。
でも、ボクにはそんなこと関係ない。
「それでも私は騎士になるの!」
「でも、女の子は男の子には勝てないでしょ? 男の子より力が弱いもの」
男の子に勝てない。
剣術の大会で、ボクは勝てなかった。
それは、女の子だから?
「そ、そんなことないよ! 勝てるもん!」
ムキになっていた。
「でもきっと、エリーのお父様たちだって、エリーに騎士になってほしいなんて思ってないんじゃない?」
「そんなことない!」
父様はいつもボクを応援してくれた。
がんばれと頭を撫でてくれた。
母様にだって、騎士になってはダメだなんて一度も言われてない。
剣術の稽古にと、髪留めだってもらったのだ。
「なら、今から聞きにいきましょうよ」
「わかった。いいよ!」
そうしてボクたちは、大人たちがいる広間へと向かった。
広間へ近付くに連れ、話し声が聞こえてきた。
「あれは今年で何歳になった?」
「十二歳です」
父様とお爺様の声だ。
「そうか。もう十二歳か。それで、どこの子息を婿に迎えるつもりだ?」
「……いえ、まだ」
婿を迎える?
(誰が……?)
父様達は何を言っているんだろう?
思わず、その場で佇んでしまった。
「エリー? 入らないの?」
少女が不思議そうにボクを見た。
でも、ボクの足は動かなかった。
「ならば一刻も早く決めるのだぞ。
あれにはなんとしても世継ぎを産んでもらわねばならんからな」
世継ぎ?
「ですが父上、エリーは騎士になりたいと……」
お父様はお爺様に言ってくれた。
ボクが騎士になりたいと思っていることを。
「騎士?」
「はい」
「女であるあれが騎士と?」
お爺様の意外そうな声が広間に響いた。
そして、
「はははははっ」
「ふふ、ふふふふふっ」
「あははははっ、それはそれは」
親戚一同が声を合わせて笑う。
バカにしたような笑い声だ。
何がそんなにおかしいというのだろう?
「……お前は、あれが騎士になれると思っているのか?」
お爺様は笑ってはいなかった。
しかし、その声は今までにないくらい厳しい。
「……」
父様は何も言わない。
「騎士とは楽な道か?」
「……」
父様は、何も言ってくれない。
「自分の子を騎士にしたいのであれば、立派な男子を産んでくださらねば」
「しかし、奥様も子供を生める歳でもないでしょうから、やはり婿を取るべきでは?」
「そうだ。妾でも取ってはいかがです?
妾に男子を孕ませれば、ご世継ぎの心配もなくなりましょう」
「そもそも、どこの馬の骨とも知れぬ女と結婚などするから」
明らかな嘲笑が、父様に向けられていた。
ボクが、女だから?
だから父様は皮肉まじりの嘲笑を受けているの?
だったら許せない。
この場にいる人たちが許せない。
父様を馬鹿にしたことが許せない。
母様を蔑んだことが許せない。
でも――何より許せないのは、女に生まれてしまった自身のことだ。
ボクが男だったら、こんなことになってなかったんじゃないだろうか?
「ほらね、エリー。やっぱりみんな、エリーが騎士になることは望んでいないのよ」
隣にいる少女は、小声でそんなことを言ってきた。
そうなのだろうか?
ボクが騎士を目指すことは、父様や母様に迷惑をかけることなのだろうか?
「お爺様たちの邪魔をしては悪いわ。
ほら、一緒にお部屋で本でも読みましょう」
手を引かれた。
それでも、その場から動けなかった。
ここで引かれるままに、この場を離れてしまっては、全てがダメになると思ったのだ。
でも、もしも父様が諦めろというなら。
その時は――
「好き勝手言ってんじゃねえ!!!!!!!」
今まで一度も聞いたことがないような、父様の怒号が屋敷の中に響いた。
「黙って聞き届けようと思っていたが、口を開けば娘や妻への罵詈雑言ばかり、これ以上は黙っていられん!」
父様は怒っていた。
家族を蔑んだ者たち全員に。
「父上、エリーは騎士にします!
婿は取らせないし、俺も妾は迎えません!」
父様がお爺様に言った。
ボクを騎士にすると言ってくれた。
それだけで、迷いなど一瞬で吹き飛んでいた。
「お爺様!」
広間に踏み込んだ。
周囲の視線がボクに集まった。
「エリー……聞いてたのか?」
父様は目を見開いた。
そして、申し訳なさそうに顔を歪ませた。
そんな顔をしないでほしかった。
ボクは、本当に嬉しかったのだから。
「私は騎士になります! 婿も取りません! 貴族にも嫁ぎません!」
お爺様に対してこんなにはっきりとものを言ったのは初めてだったと思う。
周囲の親族たちも驚愕している。
しかし、それは直ぐに蔑みの目に変わった。
でも、関係なかった。
決めたのだ。
この時になって、ボクは本当の意味で決意したのだ。
騎士になりたいのではない。
必ず騎士になると。
ボクの誓いを聞いて、父様はどこか誇らしそうだった。
「帰るぞ。エリー」
父様に言われ、部屋を出ようとした。
「待て」
黙っていたお爺様が口を開いた。
「……覚悟はあるのだな?」
静かに問われた。
父様にはではない。
お爺様は厳然たる眼差しでボクを見据えた。
しかし、ボクの決意は揺らぐことはない。
「はい!」
ボクは目を逸らすことなく言い切った。
「……ならば、好きにせよ」
無理だと言わず。
侮蔑することもなく。
命令もせず。
ボクは最後に礼をした。
「父上、お元気で……」
父様がお爺様にそんなことを言った。
その言葉の意味が、まだボクにはわからなかった。
父様と二人、屋敷を出る。
「エリー、よく言ったな。流石は俺の娘だ」
父様は頭を撫でてくれた。
心地よかった。
でも、
「父様、私は強くなります。
誰にも負けないよう、誰にも馬鹿にされないよう強くなります!
そして、父様や母様も守れる騎士になります。
だから、もう甘やかさないでください」
父様と母様の庇護に甘えている自分ではダメだとわかった。
「私に、強くなる為の術を教えて下さい」
ボクの思いを聞いた父様は、
「わかった。子供扱いはやめだ。もう剣をやめていいとは言わない。
エリー、必ず立派な騎士になれ!」
ボクの頭に載せた手をどけた。
いつもよりも、父様の力強い笑顔が、はっきりとボクの目に映っていた。




