新しい約束
アリシアが医務室を出て行ってからも、エリーの傍に寄り添っていた。
ベッドで眠るエリーは、まるで作り物のようだった。
作り物――だなんて感じたのは、エリーがあまりにも精緻過ぎるからだろうか?
(……エリー、いつ起きるかな?)
胸は上下しているから、作り物なんかじゃないとわかる。
必ず目を覚ます。
そんなのは当たり前のことなのに。
なのに、少しだけ不安になるのはどうしてだろう?
(……静かだな)
戦闘教練室――熱気と歓声に満たされていた冒険者たちの闘技場と、この静謐に包まれた空間が同じ学院の中だということが不思議に思えてくる。
あまりにも穏やか過ぎて、気を抜くと眠ってだ。
でも。
(……エリーが目を覚ますまでは、起きていよう)
俺はそう決めていた。
エリーは、気絶するその瞬間まで、悲しそうな顔をしていた。
だからせめて、今くらいは傍にいたいと思ったのだ。
「……ぅ」
ベッドで眠っていたエリーが声を漏らした。
起きたのだろうか?
「エリー?」
できるだけ優しく、声を掛けてみた。
「……ぇ……ぁ……れ? まる、す?」
まどろんでいるのか?
寝惚けたように目をとろんとさせたエリーが、不思議そうな顔で俺を見つめている。
「大丈夫か? 気分は悪くないか?」
「ぇ……? あれ? ゆ、め……? どうして、ここに……?」
まだ意識は覚醒しきっていないのだろうか?
俺に手を伸ばしてきた。
なんとなく、俺はその手を掴んでみる。
「ぇ……あ、あれ? あたたかい?」
「そうだな。
エリーの手は、温かいな」
俺が言うと。
「ぇ――あ――!?」
ベッドに身体を預けていたエリーが、バッと物凄い勢いを付けて身体を起こした。
「ま、マルス!?」
「ああ、おはよう……という時間じゃないが、おはよう、エリー」
目覚めたエリーに軽く挨拶。
もうそろそろ昼食になるくらいの時間だろうか?
「……ぇ? お、おはようって、あ、あれ? どうして? 私はここに?」
エリーはベッドの上から、右往左往と周りを確認している。
少し混乱しているのだろう。
意識が強制的に断たれてしまうほど疲弊していたのだから無理もない。
「試合の後、疲れきって眠ってしまったんだ。
覚えてないのか?」
「試合……――っ!? そうだよ、マルス!? 怪我は!?」
試合と聞いて意識を覚醒させたエリーが、握ったままの手を直視した。
「大丈夫だ。
アリシアが治癒魔術をかけてくれたからな」
一度エリーの手を放し、掌を見せた。
焼け爛れた後など、最初からなかったみたいに綺麗になっている。
そもそも、最初から大した怪我でないので心配する必要はない。
「……ぁ――そう、だったよね」
安堵するエリー。
しかし、その安堵も束の間、エリーの顔色は暗く沈んでいく。
「ごめんマルス……。
私、あの時、試合にどうしても勝ちたかった」
みんなで頑張って訓練してきたんだ。
エリーの勝ちたいという想いは俺たちみんなの想いで。
みんなの想いを感じていたから、エリーは無理をした。
「だから、無理をして、魔術を行使しようとした。
あの時と一緒――学院対抗戦の失敗から、私は何も変わってない……」
「そんなことないだろ?」
実際、エリーは変わった。
「……だって、結局魔力暴走を起こし――」
「自分の力で暴走しかけた魔力を制御してみせた」
「それは……マルスが一緒にいてくれたから……」
「俺が一緒にいるだけで成長できるなら、俺はずっとエリーの傍にいるよ」
「……マルス」
涙を堪えるように、唇を噛むエリー。
悲しませたいわけじゃなかったのだけど。
「泣きそうな顔しないでくれよ。
俺はさ、エリーを助けたいから助けた。
だって、もしあの時エリーを助けなかったら、俺は後悔したと思うから」
「……で、でも、それでマルスが傷付いたら」
「怪我なら治る。
でも、心が傷付いたら、その傷跡は消えないだろ?」
乗り越えることはできても。
心の傷は消えることはない。
「それに、謝らなくちゃいけないのは俺だ」
「……え? マルスが、謝ることなんて何も……」
「火の魔術――怖かったよな」
「ぁ――そ、それは……」
俺がエリーに教えたのは、莫大な火の元素を凝縮させる必要があり、行使の際には巨大な火の玉が形成される。
本来、火の魔術にトラウマを持ったエリーに教えるべきではなかった。
エリーは確かにトラウマを乗り越えてはいるが、それでもトラウマが消えたわけじゃないのだから。
「軽率だった。
すまない、エリー」
「そんな、謝らないでよ……。
私、マルスが魔術を教えてくれるって言ってくれて、凄く嬉しかったんだよ?
マルスが、少しでも私を認めてくれたのかなって、頑張らなくちゃって思えた。
だから、私がずっと使えなくなっていた火の魔術を使えたのは、マルスのお陰」
ずっと暗い顔していたエリーが、薄く笑みを浮かべて。
「なら、もうお互いに謝るのはヤメだな」
「……でも、私はいつもマルスに支えられてばかりで……。
誓ったのに、いつかマルスを守れるくらい強くなるって……」
「いつか、だろ?
なら今は、まだその時じゃないんだよ」
いつの日か、来るかもしれない。
「もしその時が来たら、今度はエリーが、俺を助けてくれ」
だからその時までは、俺がエリーの力になろう。
「ダメか?」
俺が尋ねると。
「ううん、ダメじゃない。
約束する。
その時が来たら、必ずマルスを助けるって!」
俺に向けるエリーの眼差しは、いつも以上に真っ直ぐで、迷いなんて全くない。
でも。
「無理はしないでくれよ?
俺を助ける為に、自分を擲ったりとかな」
「それ、マルスが私に言うの?」
「……あ……確かにな」
唇を突き出し、不満そうな顔を見せるエリー。
でも、直ぐに微笑して。
「ねえマルス、指切り、する?」
「指切り? なんだそれは?」
名前を聞く限り、何か拷問の類だろうか?
指を切るなんて正気の沙汰とは思えないが。
「御呪いみたいなものかな?
お互いに約束をするの。
小指と小指を絡めて、約束をして、そのままお互いの小指を引っ張って切り離す。
その時した約束を破ったら、針を千本飲むっておまじない」
本当に指を切るわけじゃないのか。
だが。
「針を? それは死んでしまうな」
「だから指切りをしたら、約束は守らなくちゃいけないんだよ」
恐ろしい御呪いのはずなのに、エリーは「ふふっ」と声を出して笑った。
「私はさっきの約束を守るよ。
だから、指切り」
「……わかった。
だが、エリーにだけ約束をさせるのは不公平だから、俺も何か……。
そうだな……」
少し考えて。
「なら俺は、エリーが泣きそうな時、いつでも傍にいる」
エリーは真面目で優しくて、努力家で。
でも、少し弱いところがあって、傷付きやすい。
だから、エリーが泣きそうな時、一人で悲しまなくても済むように、傍にいたい。
そんなことを思っての提案だったのだが。
「ぇ!? そ、それは……」
エリーは俺から目を逸らした。
あまり賛成ではないのかもしれない。
そう思ったのだけど。
「す、すごく、嬉しいけど……でも……」
「そうか? なら良かった。
じゃあ、指切りだな。
やり方を教えてくれるか?」
「う、うん……」
どうやら、イヤなわけではなさそうで。
頬を染めながら、エリーは俺に小指を差し出した。
俺もならって小指を差し出し、お互いの指を絡み合わせた。
「じゃあ、約束」
「ああ」
お互いに約束を交わして、俺たちは指を切った。
こうして、二人の間で、約束が結ばれたのだった。
「……でも、良かったのかな?
ずっと傍にいるって……それって……」
赤くなった頬に手を当てながら、独り言を呟くエリーの声が――カーン! カーン! と響く鐘の音に消されて。
「……あれ? そういえば、今って何時間目なんだろう?」
「もう昼休憩だと思うぞ?」
「私……随分、眠ってたんだね」
そんなことを口にしたエリーから――くぅ~。と可愛らしい音が聞こえた。
それはエリーのお腹から聞こえて。
「眠っていても、お腹は減るよな」
「~~~~~っ!? ま、マルスのイジワルッ!」
悪気があったわけじゃないのだけど。
白い肌を朱色に染めたエリーが、俺の視線から逃れるように、ベッドに潜り込んでしまった。
「恥ずかしがることないだろ?
ほら、エリー、一緒に食堂に行こうぜ。
今直ぐ行けば、食堂の席もとりやすいと思うぞ」
「知らないっ!」
真っ白な薄いシーツを被ったエリーが、俺を一蹴した。
(……仕方ない)
「そんな怒らないでくれよ。
ほら――」
俺がシーツを捲ろうとすると。
「やだ……!」
思いのほか、エリーはしっかりシーツを押さえていて、シーツを奪うことができなかった。
仕方ない。
「よっと!」
力を込めて強く引っ張ると。
「あっ――」
エリーの手からシーツを奪うことに成功して。
「悪かったよ」
謝罪と共に、エリーの頭を撫でた。
「ぁ……」
撫でているだけで心地よくなってしまうくらい、エリーの髪はサラサラだ。
「からかったわけじゃないんだぞ?」
「……もう……マルス、私はこれでも、女の子なんだからね」
「? ……わかってるぞ?」
なんでそんなことを聞くのだろう?
「はぁ……もう! 絶対わかってない……。
わかってたら、そんな風に頭を撫でたりしない」
「いやなのか?」
「……ヤじゃないよ……嬉しい。
でも、女の子みんなに、こういうことをするのはダメ」
言って、エリーは少しだけ顔を伏せ、俺のシャツの胸元を両手でギュッと握った。
「どうして?」
「だって、勘違いしちゃうもん」
「何を?」
「そ、それは――」
上目遣いで、エリーはこちらを窺うように見て。
エリーが何かを言おうと口を開いた。
その時――。
ガラガラ――と、医務室の扉が開いた。
「マルスさ~ん! いらっしゃいますか~――って、エリシャさん!? 何をしているんですか!」
医務室にラフィの怒声が響いた。
「ラフィ、戦闘教練室から戻ってきたのか?」
「あ、はい。
セイルがネネア先輩に立会人が足りないから手伝えと泣き付かれまして、なぜかその流れでラフィも無理矢理手伝うことになって……って――って、そんなことはどうでもいいんです! マルスさん、エリシャさんと何をしてたんですか?」
「何って? 今から食堂に行こうって話してただけだぞ?」
その前に、少しばかりエリーを怒らせてしまったわけだが。
「じゃあその距離感はなんですか!
ラフィには、これからキスを交わす恋人同士にしか見えません!
エリシャさんなんて、完全に発情しきった雌の顔をしてましたし……」
「し、してないよ! どうしてラフィさんはいつも、そ、そういう、え、エッチな方向に話を持っていこうとするの!」
「事実じゃないですか!」
ラフィの乱入により、一気に騒がしくなる医務室に。
「ご主人様、発見」
「ご飯、行こう」
闇森人の姉妹がトコトコと歩いてきた。
「ルーシィ、ルーフィ、二人はずっと観戦席にいたのか?」
「うん、決闘の連続」
「見応えはあった」
あれからずっと決闘が続いてたんだな。
「でも、お昼の時間」
「お昼優先。だから行こ」
双子の姉妹が俺を挟み込み、それぞれ腕を取った。
「待ちなさい闇森人!
ラフィのマルスさんを勝手に連れて行かないでください」
「兎のじゃない」
「ご主人様は、私たちのご主人様」
ラフィとルーシィとルーフィが睨み合う、いつもの図。
「ま、マルスは、ラフィさんのものでも、ルーシィとルーフィのものでもないでしょ!」
かと思いきや、珍しくそこにエリー参戦してきた。
それに驚いたのか、ラフィと双子は一斉にエリーを凝視して。
「ぁ……わ、私……」
しかし、一番戸惑っているのはエリーのようで。
「やはり何かあったのですね!」
「そうなの?」
「何があったの?」
詰問するように鋭い六つの視線が向けられて。
「な、何もないってば!」
ある意味、闘技場で繰り広げられた熱戦よりも、激しい熱戦が繰り広げられ。
俺たちが昼食を終えたのは、昼休み終了ギリギリになってしまったのだった。