秩序の維持と生徒を守るということ
同日更新です。(前話あります)
アリシアには、クリミナという森人の幼馴染がいたそうだ。
生真面目なアリシアと明朗快活なクリミナ。
性格の違いはあれど、二人は友達だったそうだ。
「森人の里で、クリミナは一番魔術が下手でした。
下級精霊とすら契約できず、半人前なんて言われていて」
当時を思い返すみたいに、柔和な顔でアリシアは口にした。
森人の里では、精霊と契約することでようやく一人前と言われるらしく、クリミナはずっと半人前――落ちこぼれ扱いされていたそうだ。
「そんな風に里の者たちから揶揄されていたクリミナですが、
明るい性格の彼女は、全く気にした様子もありませんでした。
でも――そんなクリミナが、私の前で泣いたことがあったんです」
それは――クリミナの母親の死。
他種族に比べて長寿――それどころか永遠に近い時を生きると言われている森人だが。
「病気だったそうです。
治癒魔術ではどうにもならないほどの深刻な。
後々わかったことですが、それは過去の戦乱で受けた呪いだったとのことでした」
魔術に長けた森人でも、治癒できない病気がある。
その時初めて、クリミナはそんな当たり前の事実を知ったのかもしれない。
「それから、彼女は変わりました。
魔術は相変わらず不得手でしたが、少しずつ薬学の知識を身につけていった」
『薬学であれば、魔術で治癒できない病気も治せるかもしれない』と、今まで見せたことがない真剣な顔でクリミナは語っていたそうだ。
しかし、独学では限界がある。
『どうすれば、もっと色々な知識を身に付けられるかな?
どうすれば、調合を上手くできるようになるかな?』
クリミナが、そんなことをアリシアに聞いてきたらしい。
「そこで私は、クリミナに冒険者育成機関の話をしました。
現役の冒険者の中には、薬学のエキスパートもいる。
どの機関よりも遥かに優れた教育が受けられると」
アリシアの話を聞いたクリミナは、さらなる薬学の知識と技術の向上を目指し、冒険者育成機関への入学を決意したそうだ。
その為に、冒険者育成機関の入学試験を突破を目標に魔術の勉強も始め。
努力の甲斐もあり、下級精霊と契約することに成功したクリミナは、アリシアと共に試験に臨み、二人は無事、入学試験に合格。
入学試験の成績でアリシアはAクラスに、クリミナはBクラスとクラスに所属することになったそうだ。
「私たちはお互いの入学を喜びました。
クラスは別々ですが、お互い目標に向かい頑張ろうと、誓い合いました。
でも――」
アリシアは目を伏せ。
「……クリミナにとって、この学院に入学したことが、そもそもの間違いだった」
悲痛な強張った表情で、重々しく口を開いた。
「この学院に入学しなければ、クリミナが自殺することなんてなかったんですから」
自殺――それは、クリミナが自ら命を絶ったということで。
「……何があったんだ?」
俺の問いに。
「実力主義のこの学院において、力こそが正義。
戦闘能力の高さこそが、優秀な生徒の証となっています」
淡々とした口振りではあるものの、少しずつアリシアの語調は強まっている。
「勿論、冒険者は職業柄、命の危険も多い職業です。
それを考えれば、優秀な生徒=戦闘能力の高い生徒という考えは、
決して間違いではないのかもしれません」
力がなければ生き残れない。
だからこそ冒険者育成機関は、実力主義を掲げ強い冒険者の育成しようとしている。
荒事が多い職業であるなら、当然のことにも思えるが。
「ですが、戦闘能力の高い生徒を優秀な生徒としてAクラスに。
それ以外の生徒をBクラスへ。
この明確なクラス分けは、生徒の間にある意識を芽生えさせる」
その意識というのはなんなのか? と俺が問う前に。
「優越感と劣等感です。
Aクラスの生徒は、自分たちが強いからと、優秀と定められているからと、優越感が芽生えていく。
Bクラスの生徒は、自分たちが弱いからと、拙劣だからと、劣等感を芽生えさせる」
アリシアの言っていることは、なんとなくだが俺にもわかる気がした。
こういった学院で集団で生活することで、意識せずとも生まれる意識というものは、確かに存在している気がする。
それは喩えば――先日、ルーシィとルーフィが明確な悪意にさらされた時のように。
「そして、生まれた悪意が、クリミナを蝕んでいった」
クリミナを蝕んだいった悪意。
それは――。
「上級生やAクラスの生徒に、クリミナは暴行を受けていたそうです。
私は直ぐに気付くことができなかった……。
自分の成績を維持すること、知識を蓄えることに必死だったから」
自分のことに必死なことの何が悪いのだ。と思うが、アリシアの悔やんだ顔を見てしまっては、その言葉を口にすることはできない。
「死には至らない程度の嫌がらせが続きました。
――イジメと言うべきかもしれませんね」
イジメ……俺には縁がないものだが。
その概念は理解できる。
それは――アリシアが言った、集団だからこそ発生する悪意だ。
「周囲の者たちからすれば、優越感を満たす為の行為に過ぎなかったのかもしれませんが、それは次第にクリミナを蝕んでいった……」
アリシアがクリミナの様子がおかしいことに気付いたのは、ある出来事が切っ掛けだったそうだ。
「その日、クリミナは中庭で食事をしていたんです。
一人で食事をしていたクリミナを見て、久し振りに話をしようと近寄っていくと、
私が話掛ける前に、数人の上級生がクリミナに声を掛けて――」
アリシアの声は震えていた。
それは後悔か、怒りなのかはわからないが。
「クリミナの食事を取り上げ、地面に投げ捨て、罵倒を浴びせていました。
無能だと、ゴミだと、信じられない光景に、私は目を疑ったのを覚えています……」
一度、唇を噛み締めたアリシアが、小さく息を吐き話を続けた。
「ですが、一番信じられなかったのは、何も言い返さないクリミナの姿でした。
私の知っている明るかったクリミナが、嬉しそうにどんな病気も治せる薬を作りたいと目標を語ってくれた彼女が、何もせずただ俯いている様が、私には我慢できなかった」
アリシアは助けに入ったそうだ。
だが相手は上級生、怒りに身を任せ突っ込んだのでは勝ち目がないと判断し、クリミナを連れ中庭から逃げることにしたらしい。
突然アリシアが姿を現し、クリミナの手を引いた時、彼女は心の底から驚いたみたいに、目を見開いていたそうだ。
それから、適当な場所まで逃げたところで、アリシアは聞いたそうだ。
「どうして何も言い返さないのです! と感情を発露させてしまいました。
何に苛立っていたのか、その時はわかりませんでしたが、
何もできずにただ呆然としていた彼女が、あの時の私は許せなかったんです」
怒りを発露させるアリシアに、クリミナは。
『きっと、アリシアにはわからないよ』
寂しそうに。
『弱いってことの悲しさは、強い人にはわからないよ』
笑ってそう答えたそうだ。
「意味がわかりませんでした。
何を言ってるんだろうって……。
でも、その立場に立ってみなければわからないことがあるのは、今はもうわかっているつもりです。
でも、もう遅かった……」
そんなやり取りから数日後――。
宿舎のアリシアの部屋にクリミナが訪れた。
クリミナは荷物をまとめていたそうだ。
「『退学することになったから』とクリミナは言いました。
当然、私は納得がいかなかった。
目標はどうしたって。
一生に頑張ろうって約束したじゃないかって」
一言一言に、深い後悔の色を滲ませながら、アリシアは話し続ける。
「私の言葉に、クリミナはまた笑いました。
寂しそうに笑って」
そして。
『もしもさ、アリシアに助けを求める人がいたら、その時は、少しでもいい。
力を貸してあげて。
あたしを助けてくれた時みたいにさ』
これが、最後のクリミナの言葉。
「全てを伝えたとでも言うように、その一言だけを残しクリミナは学院を去っていきました」
それから、森人の里からアリシア宛に手紙が届いたそうだ。
他種族に比べれば閉鎖的な森人たちも、以前に比べれば外界との交流も増えているそうだが、それでも手紙などが送られてくるのは相当珍しいことだったらしい。
驚いたアリシアは直ぐにその手紙の封を切り中身を見た。
すると――。
「それは、クリミナが自ら命を絶ったことを知らせる手紙でした」
この時になって漸く、クリミナに起こっていた問題について調査を行い、様々な問題を知っていくことになったそうだ。
それが悪意――イジメという問題が起こっていたということで。
「私は、自分のことしか見えていませんでした。
クリミナの言葉にしっかりと耳を貸さず、理解しようともしなかった。
そして、気付いたのです」
捲くし立てるように言葉を続ける。
「さっきの話。優越感と劣等感……私とクリミナの関係が正にそれだった。
私は心のどこかで、彼女を見下していた。
大切な友達だと思っていたクリミナですら、気にかける振りをしていただけで。
彼女は、私が殺したようなものだった……」
きっとアリシアは、何度も苦悩したのだろう。
それこそ呪いに蝕まれるほどに。
「だから私は償わなければならない。
彼女の死を……無駄にしてはいけない」
だからこそアリシアは、学院の秩序にこだわっているのか。
「確かに学院の定義する実力主義の上では、クリミナは弱者であったかもしれません。
ですが、彼女には素質があった。
何より高い意思があった。
少なくとも薬学や調合のみでいえば、彼女は間違いなく優秀な生徒だった」
力を優秀さと定義する学院では、戦闘能力以外が如何に優秀であったところで、それこそクリミナのように『ゴミ』同然の扱いを受けてしまう。
「クリミナだけではありません。
Bクラスの中には、こういった問題で学院を去っていく生徒は多い。
実力主義だと言ってしまえば、確かにそれまでですが……。
でも、鍛冶や薬学、調合、錬金魔術、様々な面で優秀な才能がいる生徒が多いのもまた事実なのです」
信念が芽生えたのだろう。
皮肉にもクリミナの死が、アリシアにその想いを芽生えさせたのだ。
「だから私は、この学院の多くの生徒を守りたいと思った。
全ての生徒が目標を持ってこの学院に入学する以上、本当の意味で秩序を維持する者が必要だと考えた」
それは実力主義を掲げるこの学院の中では異端な考えなのかもしれないが。
「ですが、その為には力がいる。
それこそ、実力だけではない。
立場――権力が必要だった。
だから、私は生徒会に所属することを決めました。
学院全体の方針を変えられなくても、少しずつでも生徒会の方針を変えていくことならできる」
生徒会に所属することで権力を持ち、最低限の秩序の維持という活動を掲げることで、他の生徒たちに干渉する。
一人でも多くの生徒を守る為に。
そして、今年から生徒会会長を務めることになり、より活動も活発にしていくはずだった矢先に。
「マルス君、君が編入してきた」
アリシアは強張っていた顔を緩めた。
「ラーニア教官が推薦し編入させたほどの天才。
あなたを野放しにはできない。
そう思い、私はあなたに声を掛けました」
生徒会に入りなさい。唐突に誘われた時は意外に思ったが。
「……私は、怖かったんです。
あなたが……いえ、力のある生徒全て。
実力主義を象徴するような生徒が増えれば、力のない私は何もできない。
どんな綺麗事を言っても、力のない権力では何も変えられない。
また私は守れないかもしれない……そう思うと、怖くて怖くて仕方がないんです」
アリシアは俺を自分の管理化に置きたかったわけか。
そして、生徒会として守るべき立場に付かせたかった。
「だから、私はあなたを試した。
趣味思考、その実力を知る為に。
権力に惹かれる者であれば、懐柔もしやすかったのですが……。
あなたはそんな打算的な人間ではなかった」
眼鏡の奥の瞳を真っ直ぐに向け。
「まさか、ファルトよりも強いだなんて、あの時は思ってもいませんでしたけど」
そう言って苦笑した。
「これが、私が自分を恣意的だと言ったわけ。
そして、この学院の秩序の維持――生徒たちを守ることに拘る理由です」
全てを話終えたアリシアに。
「どうして今、この話をしたんだ?」
「試合中――自分の身を顧みずエリシャさんを助けるあなたの姿を見たから。
今更ですが、あなたを信じたくなってしまったんです」
あの行動に、アリシアは何かを感じたのだろうか?
俺はただ自分の思うままに行動しただけだ。
アリシアのように、この学院の生徒を守りたいなんて、大そうな考えは持っちゃいない。
それに。
「なあアリシア、はっきり言っておくが。
今のやり方じゃ、この学院の生徒を守るなんて無理だ」
「……そうでしょうね。
自分の発言ながら、それが理想論だということは理解しています」
しかし、その理想を追いたいと。
生真面目な現実主義者のようで、その中身は理想主義。
いや、それすら贖罪の為か?
いつか、アリシアは自分を許せるのだろうか?
そもそもクリミナは……。
「俺はアリシアとクリミナの関係についてはわからないけどさ。
少なくとも、メリットとかデメリットなしでも、
アリシアにとっても、そしてクリミナとっても、お互いのとって大切な友達だったんじゃないか?」
「……そんなわけありませんよ。
私は自分の優越感を満たしていたんですよ?
この学院に来てから始まった話ではありません。
これは、森人の里にいた頃から、半人前と言われて揶揄されていたクリミナと自分を比べていたんです。
クリミナを学院に誘ったのだって、彼女がいれば私が落ちこぼれることはないからで……」
「そんなに自分を責める必要ないだろ?
そもそもさ、クリミナはアリシアに頼ったんだぜ。
助けてあげて欲しいって、そう言ったんだろ?
それはさ、クリミナにとって、アリシアが唯一信頼できる友達だからじゃないのか?」
「……そんな都合のいい考え……」
納得してはくれない。
都合が良すぎるのも事実だ。
「都合が良くてもいいだろ?
そもそも、お前が今やろうとしてことはなんだ?
夢見がちな理想主義者みたいな目標じゃないか。
だったら、少しは自分の都合のいいように考えておけよ」
「……マルス君」
「それにまあ、理想を追うってのも悪くはない。
それを現実に変える為の努力をするのであればな」
「……困難な道ではありますが、必ず」
首肯するアリシア。
彼女の胸には確かな信念が宿っている。
「なら、まずはやり方を変えるところからだな」
「……え?」
「皆を守りたいってんなら、学院のことなんか気にしなきゃいい」
「それは……どういう?」
丁度いい。
「他の生徒は、まだ闘技場にいるか?」
委員会の紹介も兼ねて、一つやっておくことができた。
「……どうでしょうか?
ネネアたちが人目を引いてくれていましたが……」
(……行ってみればわかるか)
思い立ち、俺はベッドから立った。
「ま、マルス君、一体何を?」
「先輩はエリーを頼む」
それだけ伝えて、俺は医務室を出ようとした。
その時――。
「アリシア、面倒なことになった」
唐突に転移してきたファルトが、現われた傍からそんなことを口にして。
「どうしたのですか?」
「あれから暫く、適当に騒いでたんだが。
……リフレの馬鹿がラーニア教官を挑発したせいで、戦いが始まった」
「は!? な、なんの為に我々が試合までしたと――!?
生徒達に怪我は?」
「いや、怪我人はいない。
寧ろ、みんな盛り上がりまくってる」
「はぁ!? なんですかそれは!」
戦闘教練室――闘技場は、完全にお祭り騒ぎになっているようだ。
「と、とにかく、万一があるかもしれません。
どうにか止めなくては――他の教官方にも連絡――」
「アリシア、俺が行ってくる。
まだみんな、あそこにいるなら丁度いい」
――あの場所で、一つ宣言をしてくるとしよう。