授業初日① 始まり
15 8/24 サブタイトルを変更しました。
宿舎の外に出ると、約束通りラーニアは俺を待っていた。
背をピンと張り、腕組みしている。
本人にその気があるのかはわからないが、腕組みしているだけで胸が押しあがって男の目には毒だ。
(いや、保養にもなるか?)
「へぇ~、似合ってるじゃない?」
制服を着た俺を見たラーニアの第一声がそれだ。
「そうか?」
「ええ、中々男前よ。少なくとも、昨日のみすぼらしい格好よりはね」
(全く褒めてないな……)
男子制服は、清潔感のある白色のシャツに紺の生地のスラックスとシンプルなものだ。
スラックスと同じ色の上着も受け取っていたのだが、着ると流石に暑そうだったので置いてきた。
もうそろそろ炎節になるだろうし、上着を着るのはもっと先になりそうだ。
「で、もう学院に向かうんだろ?」
「そのつもりでいたんだけど予定変更。まずは教会に寄っていくわよ」
(教会……?)
なんでそんな場所に行くのか? と聞く前に、ラーニアは歩き出していた。
宿舎から学院に向かうまでの道、その間に教会が見えた。
「あんたは信仰している神はいるの?」
「いないな」
「でしょうね。あたしもよ」
そう言ってラーニアは笑った。
生き抜いていく上で、最後に頼れるのは自分の力のみだとラーニアも理解しているのだろう。
「この教会が信仰している神は、ユーピテルなのか?」
「ええ。その通りよ。この学院の名にもなっている全知全能の神ね。大陸全土で信仰者が一番多いんじゃないかしら?」
この大陸には多くの神話が残されていた。
神々の伝説を記した神話の中でも、ユーピテルは最も有名と言っていい。
多くの神話にその名を刻み、世の裁定、秩序を守護してきた神々の王にして、この大陸を創造した神と言われている。
俺自身、神を信仰しているわけではないが、絶対的な力を持つユーピテルの伝説は物語として嫌いではなかった。
だが、それと信仰心とはまたべつの話だ。
「神様がいるなら会ってみたいもんだ」
「修道女の前で、そんなこと言うんじゃないわよ?」
聖職者を相手に神を否定してもしょうがない。
神を信じ、どの神を信仰するのかは個人の自由なのだ。
そしてその者の心の拠り所になるなら、信仰心を持つ意味は十分にあるだろう。
「さあ、着いたわ」
学院内にある教会は、一般市民の住む家屋を少し広くしたくらいの木造の建物だった。
(この学院の中では、最も質素な建物かもしれないな……)
扉を開き、俺達は教会の中に入った。
すると目に入ったのは、礼拝堂の奥――黒の修道服に身を包んだ女性が祈りを捧げている姿。
その佇まいは美しく、神秘的だった。
俺達はその場で立ち止まり、修道女が祈りを捧げ終わるのを待って、
「修道女」
祈りを捧げ終わったのを確認し、ラーニアが声を掛けた。
すると修道女は振り向いて、
「あら? ラーニア教官と……」
その視線は俺の前で止まった。
「昨日、この学院に来たばかりの生徒を連れてきたわ。何か問題を起こすかもしれないけど、いざって時は助けてやって」
「マルス・ルイーナだ。宜しく頼む」
「マルスさんですね。
この教会の管理を任されています、ユミナ・シュナックです。
学院の教官としては、治癒魔術の授業を担当しています。
何か困ったことがあれば、いつでも相談に来てください」
穏やかな振る舞い、穏やかな微笑み、全身から包み込まれるような優しさを発している。
神に仕える修道女というのは、全員がこうなのだろうか?
見たところ、歳もまだ若そうだが……ラーニアがいるし、年齢の話題には触れないでおこう。
「それじゃ、あたしは学院に行くから。授業の時はビシバシしごいてやってね」
「その際には、精一杯務めさせてもらいます」
聖母のような笑みに見送られ、俺達は教会を後にした。
*
「さて、教官室に行くわよ」
学院の一階――入り口から右に進んだ突き当たりが教官室のようだ。
まずラーニアが教官室に入り、俺も続く。
数人が早速俺に目を向けてきた。
「今日から転入するマルス・ルイーナを連れてきたわ。みんな、しっかり面倒見てやってね」
随分とラフな紹介だ。
学院長の時とは態度がまるで違う。
俺は一人一人、教官の姿を確認していく。
ここの生徒と同じように、教官も人間が多いのかと思っていたのだが、見渡した限りではここにいる人間の教官はラーニアだけのようだ。
「へぇ~彼がラーニア教官が連れてきたって子なんだ」
妖艶な笑みを浮かべる闇森人の女。
「うむ、いい面構えをしている」
血の気の多そうな、髭をどっしりと構えた鍛冶人。
「宜しくね~マルスくん」
教官というにはあまりにも可愛らしい小人の女性。
などなど、様々な種族が混淆していた。
随分と個性の強そうな面子が揃っているようだ。
「さて、これで教官方に挨拶も終わったわね。後は教室であんたの紹介をするだけね」
ラーニアが言った直後――授業の開始を知らせる鐘がなった。
「みんなも噂は聞いていると思うけど、このクラスに編入生が加わります」
教室の中からラーニアの声が聞こえてきた。
俺は扉の前で待つように言われているのだが、
「それじゃ、入ってきて」
ようやく教室に入ることを許された。
ついに、俺の冒険者候補生一日目が始まる。
扉を開き教室に入り、教壇の前にいるラーニアの下まで歩いた。
「マルス・ルイーナだ。今日から宜しく頼む」
簡単に挨拶を済ませた。
教室を見渡す。
色々な種族の生徒がこの教室にいる。
教育機関に身を置いたことがない俺には、こういった環境で生徒が机を並べている姿が新鮮だった。
俺も今日からこの一員になるのかと思うと、なんだか不思議な気分だ。
「え~と、マルスの席はエリシアの隣ね」
(そういえば、俺とエリシアは同じクラスなんだっけ……)
ラーニアに言われ、エリシアの姿を探す。
教壇から見て一番右奥、窓際の席にエリシアが座っていて、俺に向かって小さく手を振ってくれた。
隣は空席だったので、どうやらあそこが俺の席のようだ。
「ほら、さっさと席に着きなさい」
ラーニアに急かされ、俺は自分の席に向かい着席し、
「同じクラスだったんだな」
俺はエリシアに言った。
「多分、同じクラスかなって思ってた。マルスは『推薦』って聞いてたからね」
「ん? どういう意味――」
その言葉の意味を尋ねようとすると、
「それじゃあ、授業を始めるわよ。今日は新人の歓迎会も兼ねてA、Bクラス合同の特別授業にするわ」
『特別授業』と宣言したラーニアの言葉に、教室中が生徒達の声でざわめき立った。
「特別授業って、何をするんですぅ?」
獣人――兎人の少女が右手を挙げ、暢気そうな声でラーニアに質問していた。
「それは後で説明するから、各自、魔石を持って戦闘教練室まで移動しなさい」
指示の後、言われるまま生徒たちは速やかに教室を移動していく。
が、俺は教室に残っていた。
それはラーニアに質問があったからで、
「ラーニ――じゃなかった、教官、魔石っていうのは?」
「あら? 渡してなかったっけ……?
まあ……とりあえず、あんたは持たなくていいわ。
どうにでもなるでしょうし。とにかく、今は戦闘教練室に向かいなさい」
それだけ言って、ラーニアも教室を出て行った。
だが、俺にはもう一つ問題があって、
「場所、わかってる?」
待っていてくれたのか、エリシアが俺に聞いてきた。
正にそのことで困っていたのだ。
「各階にどんな施設があるのかって説明は受けたが、正確な場所までは教えてもらってないな」
「だと思った。皆の後に付いていけば大丈夫だけど、折角だし案内するね」
そして、エリシアと共に俺は教室を出て戦闘教練室に向かった。
歩きながら、
「さっき言ってた『推薦』だから同じクラスだと思っていたってのは、どういう意味なんだ?」
さっき言い掛けたことを改めて聞いてみた。
「この学院には各学年に二つのクラスがあるんだ。
そして、クラスは定期試験の成績でAとBに分けられる。
成績の上位半分がAクラスでそれ以外がBクラス。
つまり、教官の推薦で入学するほどの実力があるマルスは、Aクラスに入る可能性が高いと思ってたんだ」
「なるほど。実力主義の冒険者育成機関らしいな」
「レベルに合った授業も出来るし、同じレベルの者同士の方が刺激にもなる。
それに成績次第ではBクラスからAクラスに上がれるし、AクラスからBクラスに落ちることもある。
Aクラスに残りたいなら、常に向上心を持って自分を高めないといけない」
当然、良い成績を収めた生徒は大手冒険者ギルドから声が掛かる可能性も高いわけか。
(まあ、俺は冒険者になりたいわけではないので、Bクラスでも構わないわけだが……)
この場でそれは言わない方がいいだろう。
「そういえば、さっき教官に魔石について聞いていたみたいだけど……?」
「ああ。さっき持っていけって言ってただろ? 俺、渡されてなくてさ」
俺がそう言うと、エリシアは眉根を顰め難しそうな顔に変わった。
「教官は、どういうつもりなんだろう?」
「魔石って、そんな大事なものなのか?」
「大事というか……この学校の訓練で必ず必要になるものなんだ」
エリシアはポケットの中から無色透明の円形の石を取り出した。
「これが魔石。魔石というのは魔法道具の一種で、魔力を込めることで持ち主にあった装備に変化するんだ。
ここの生徒たちにとっては、装備診断のようなものだね。
魔石は本人の能力を最も活かせる武器や防具になる。
剣になれば剣の適性があるし、槍になれば槍の適正がある。
それに、魔石から変化した武器は鍛冶職人が製作した武器に比べ殺傷能力は低いから訓練には最適なんだ」
「訓練用の装備ってわけだ」
「うん。授業をする上でも必要なものだから、渡しておいた方がいいはずなのに……」
「ま、とりあえず素手でもいいだろ」
「……あははっ――凄いなぁ、マルスは」
呆れたような感心したような笑みを、エリシアは浮かべたのだった。