予想外の火種
早朝、ネルファに起こされ朝食を取った後、俺は直ぐに学院に向かった。
(……アリシアはもう学院にいるだろうか?)
いつも通りであれば、生徒会が既に学院内の見回りをしているはずだ。
正面玄関から学院に入ると直ぐに生徒の姿が見えた。
「あ、マルス先輩。おはようございます」
「おはようございます」
声を掛けてきた生徒は二人。
真面目で溌剌とした声の主は生徒会の一年生のセリカと。
小人族の少年カネドだ。
「おはよう二人とも。
アリシア先輩は来てるか?」
「はい。ただ、今少し揉め事が起こっているみたいで」
顔色を曇らせながら、セリカが不穏なことを口にした。
「まさか、魔族絡みの案件か?」
「いえ、そうじゃないんです」
「もしかしたら、事態はそれ以上に深刻かもしれませんよ」
(それ以上に?)
セリカとカネドは顔を見合わせ、どちらともなく「はぁ……」と溜息を吐いた。
憂鬱一色といった様子だった。
「……いったい何があったんだ」
「実は――」
カネドが俺の質問に答えようとした時だった。
――ドガアアアアアアアン!!!
と、爆発音が響き視線の先にある扉がとんでもない勢いで吹き飛んだ。
しかもその爆発音はどうやら爆発だったようで、吹き飛んだ扉には火がつき今もメラメラと燃えている。
(なんだ!? 魔族の襲撃か?)
よりにもよって、学院の中にまで潜入を許したというのだろうか?
学院長が防備を強化すると言ったばかりのはずが、いったいどうして?
そんな疑問を抱えながら、俺が様子を窺おうとすると。
「お、落ち着いてくださいお二人とも」
吹き飛んだ扉の部屋から、アリシアの声が聞こえた。
その声には焦燥感が混じっている。
誰かを制止しようとしているようだが。
「も~う! わたしは我慢の限界だよぉ!」
「それはあたしのセリフよ!」
部屋――教官室の中から、耳鳴りがしそうなほどの蛮声が聞こえてきた。
「お、お願いします!
こんなところで争われては……!」
再びアリシアの声が聞こえた。
様子が気になった俺は部屋に向かって歩みを進めると。
「わたしには、わたしのやり方があるの!」
「そうだとしても、流石に効率ってもんがあるでしょ!」
言い争いをしていたのは、ラーニアとリフレの二人だった。
しかし、穏やかでないのはお互いが武器を構えていることだろう。
「ラーニアちゃんはわたしの生徒をバカにするの!」
「してないわよ!
ただ、その教育じゃ生徒の成長効率が――」
言い争いながら、魔術を展開していく二人。
炎と水の魔術が衝突し熱風が吹き荒れた。
室内にいるのはラーニアとリフレ、そして右往左往と困り果てているアリシアの三人だ。
「わたしの生徒がダメな子って言いたいんじゃない!」
「論点がずれてるわ! 生徒がダメだなんて一言も言ってないでしょうが!」
どうやらお互いの教育方針を巡って言い争い――いや、戦闘行為にまで発展しているようだ。
「ぎゃーーー!!! お気に入りの帽子に火がぁ~~~!」
消化しきれなかった炎が黒く長い尖った帽子の先に着火し、煙がしゅ~っと上がった。
リフレは大慌てで水の魔術で消化している。
「そのガキみたいな服装どうにかすれば?
あんたもいい歳なんだし……」
「ぐぬぬぬぬ! 歳なんて関係ないよぉ!
年齢なんて飾りだよ! 容姿が若ければ問題ないもん!
ラーニアちゃんの方が見た目年齢はわたしよりババァに見えるじゃない!」
「バ――あんた、マジで焼却してあげましょうか……?」
睨み合う二人。
今にも殺し合いが始まりそうなほど、室内の空気がピリピリしている。
そんな中、困り果てたように眉を下げたアリシアと目が合った。
「ま、マルス君?」
「よう、アリシア先輩」
名前を呼ばれ、俺は教官室に入る。
今の状況では、とてもじゃないがアリシアに委員会の相談などできそうになかった。
「なにやってんだよ二人とも?」
睨み合う二人の間に入る形で声を言った。
「マルス君!? 聞いてよ! ラーニアちゃんったら酷いんだよぉ!」
「酷いのはどっちよ!
あんたは、少しは他人の話を聞くことを覚えなさい!」
どちらも言い分はあるんだろうが。
「いい加減落ち着いてください!
そろそろ生徒たちも登校してきます!
ただでさえ魔族の件で生徒たちの精神状態が不安定だというのに、
お二人が争われているところなどを見られては……!」
真剣に注意を促すアリシアに、二人はうぐっと気まずそうに視線を伏せた。
これでは、どちらが教官なのかわからないな。
「何が原因でこんなことになったんだ?」
俺が聞くと。
「私が来たころには、既に二人は言い争っていたのよ」
「昨日の夜からずっとだよぉ!」
「お蔭で無駄に疲れたわ」
(一晩言い争っていたのか……)
どちらも歳の割りに元気なようだが。
いや、どちらも歳というほど歳を取っているわけではないのだろうけど。
「先に喧嘩を売ってきたのラーニアちゃんだから、悪いのはラーニアちゃんだよ」
「喧嘩腰になったのはあんたが先でしょうが!
あたしはただアドバイスをしてあげようとしただけで」
「むぅ! ラーニアちゃんのそういうちょっと上から目線なところキラい!」
「あんたのそういうガキ臭いところがウザいわ」
額を突き合わせる二人に。
「結局、何が争いの原因になった?
教育がどうこうって話が聞こえたが?」
一向に俺の質問に答えない二人に、もう一度尋ねると。
「わたしの授業は効率的じゃないから、生徒が可哀想だなんて言うんだよ!」
「三年の担当なんだから、もっと色々考えろって言ってるの!
迷宮探索をさせるにしたって、もう少しやり方があるでしょうが!」
「わたしが何も考えてないみたいじゃない!
アリシアちゃん聞いたの今のぉ?
わたしの授業、ダメダメなんかじゃないよね?」
リフレがプンプンと怒りを発した。
突然話を振られたアリシアは頬を強張らながらも。
「も、勿論です」
自分たちの担当教官であるリフレの顔を立てていた。
まあ、アリシアでなくても、全くダメだとは言わないだろうけど。
「ほらねラーニアちゃん!
アリシアちゃんはこう言ってるよ!
それに、偉そうに言ってるけど、ラーニアちゃんの授業はどうなのぉ?」
「はぁ? あたしの授業に問題があるわけないでしょうが!
マルス、言ってやんなさい!」
ラーニアが俺に話を振ってきた。
この学院に一月も通っていない俺にそれを聞くか。
しかもその瞳が、否定的な発言をすることを許していない。
赤髪が怒りで紅蓮に染まっているように見えた。
「問題ないと思うぞ」
「ま、当然よね。
うちの二年はこの学院でも厳しい訓練を受けて育っているもの」
「ただ厳しければいいって問題じゃないと思うよ?
わたしのクラスだって、優秀な生徒揃いだもん!」
「あたしの生徒の方が優秀よ!」
「わたしの生徒の方が優秀だよ!」
ドシドシお互い歩み寄り、額をブツけ合う二人。
まるで酔っ払いが喧嘩しているような光景だ。
しかも、喧嘩の論点がどちらの生徒が優秀なのかに変わっているし。
「ラーニアちゃんに育てられたんじゃ、生徒たちもバカ正直な戦いしかできなくなりそうだよね!」
「あんたに教育されたんじゃ、回復と小手先だけの情けない冒険者になるんじゃない?」
二人がバックステップで距離を取り。
「もう本当に許してあげないんだからぁ!
今回ばっかりはラーニアちゃんに本気で謝らせてあげる!」
「あたしも、一度あんたを本気で泣かしてやりたいと思ってたのよ!」
今にも決闘が始まりそうだ。
早くから学院に来ている生徒たちが、何事かと部屋の外に集まってきていたが、危険な雰囲気を察して直ぐに逃げていく。
学院長は何をしているのだろうか?
生徒たちに不干渉が教育の一環なのはまだ理解できるが、教官同士の揉め事なら学院長自身が口を出してもいいんじゃないのか?
それとも、魔族に対する防備でそれどころではないのか?
「お、お二人は親友なのではないのですか?」
「このバカが親友のわけないでしょ!」
「ラーニアちゃんなんて大嫌いだよぉ!」
お互い顔を真っ赤にしている。
まるで子供の喧嘩のようだ。
「もう好きにやらせたらいいんじゃないか?
完全実力主義を掲げるなら、教官たちを例外にする必要ないだろ?」
俺の言葉にアリシアは目を剥いて、長い耳をピンと張った。
「マルス君、挑発するような発言は控えてください……!
お二人が争いをやめて下さるなら、
私にできることならなんでもさせていただきます。
ですから――」
なんでもなんて不用意な発言に思えるが、それだけ二人が争うことが宜しくないと考えているのだろう。
「確かに、魔族の襲撃があった現状を考えれば教官二人が争ってるなんて随分暢気なことに思えるな。
学院長にだって怒られるんじゃないか?」
あの学院長なら笑って見物するだけかもしれないが。
「……」
「……」
だが、俺の一言に騒々しい金切り声が止んだ。
「むぅ……で、でもこのままじゃわたしの怒りが治まらないもん」
「決着は着けてやりたいわね」
お互い怒り心頭の様子だ。
変に禍根を残すくらいなら思い切りやりあった方がいいようにも思う。
「で、では、ここは穏便に、
二人が戦う以外の方法で白黒着けるというのはどうでしょう?」
二人の教官の発言を受けて、アリシアがそんな提案をすると。
「……わたしたちが戦う以外……?」
「……どんな決着の付け方よそれ」
アリシアに視線を向ける仏頂面の二人。
「そ、それは……」
その手段までは考えていなかったようで、アリシアは言い淀んだのだが。
「いや――でも、そっかぁ……」
リフレが何か思いついたのか、ニヤッと口角を上げて。
「教育の一環として、授業をするのは有りだよね!」
「はぁ? なに言ってんのあんた?」
ラーニアが訝しむように首を傾げた。
そんなラーニアにリフレが。
「ラーニアちゃん! わたしの生徒とラーニアちゃんの生徒、
どっちが上なのか特別授業で証明しようよ!」
「特別授業? 何をするのよ?」
「それは――」
まるで演技でもするみたいに、リフレはビシッと人差し指を突き出し。
「三年生と二年生で決闘だよぉ!!」
ラーニアに宣戦布告をしたのだった。