紅茶の香りがする乙女
翌朝。
秋の収穫祭の当日。
招いた客たちはみな、民族衣装の街娘、街の青年といった態で、客室棟の玄関広間に現れた。一応。
「女性陣はともかく、男性陣は……フレイ公子はそうね……似合ってると思うけど、ユージン王子とクラウス帝は……」
「うん。フレイはね、気配を消しているときは、あまり貴族然としてないから」
セレーンはそれがまるでいいことのようにうれしそうに言う。
「こうしていると、なんてことはないんだけど、しゃべっていると、絶対勝てない」
「あ、なるほど……確かに、あの口やかましいロードナイトでさえ、フレイ公子には押され気味だったものねぇ……」
フレイ公子は普通の街の青年といった風情で、素朴でいて華やかに刺繍されたベストも帯を巻いて止めた膝丈までのブリーチズも自然と似合っている。
その姿を見て頬を赤らめているセレーンもとふたり、とてもお似合いの祭りの村娘、村男のカップルだ。
うんうん。なんだか、自分のところのお祭りの衣装を着てもらって喜んでもらうのって、思っていた以上にうれしいな。
ウェラディアが満足気に、セレーンとフレイがはしゃいでいるのを見守っていると、背後から可愛らしくも笑いが抑えきれないといった様子の声が上がる。
「うわぁ、何か……こんな服装のユージンって……新鮮というかなんというか。あまり……似合わないというか」
甲高い楽しそうな声に注意を引かれると、これまたに身を包み、ストロベリーブロンドを耳の下で緩やかに二つに結んだシンシアが、連れのユージン王子の民族衣装姿をためつがめつ見て、はしゃいでいる。
「シンシア、おまえその物言い、無礼にもほどがあるだろう」
「だって、殿下……っとと、なし。いまのなし。ジーンはいつもかっちりとしたスーツばかり着ているから、こんな普通の服……逆に着こなせないんだと思うと、おかしくて……くすくす」
「おまえは……そういう服、似合いすぎるほど似合っているぞ……シンシア。部屋に閉じ込めておきたいぐらいだ」
終わりのほうの台詞の声音が、あまりにも甘やかで、聞いてる方が恥ずかしくなってしまう。
けれども確かに、シンシア嬢は街娘らしい民族衣装が、とてもよく似合っている。
思わずウェラディアも、胸がきゅんとしてしまうくらい――。
「ほんっとうに、か、可愛い!!」
「ええっ!?」
ウェラディアは衝動のままにシンシアに抱きついていた。
「この咲き始めのバラのような髪。愛らしい頬。こぼれ落ちそうな黄昏どきの青色の瞳! 本当に、手元に閉じ込めたくなる!」
シンシアは背格好はウェラディアとあまり変わりないから、妙に抱きつきやすくて、なんだか小動物を愛玩している気分にさせられて、癒されてしまう。
しかも抱き寄せた途端、ふわりと何か良い香りが漂い、ウェラディアは、くん、と思わず鼻を鳴らして、なんだろうと顔に鼻を近づけた。
「この香り……なんだっけ? え、と」
「香りって、え、何かわたし、臭いますか!?」
「匂うってそういう意味じゃないが、匂うぞ。おい、返してもらおうか」
抱きついている体が急に引かれて、ウェラディアは残念に思いながらも手を放した。
「シンシアはいつも紅茶の匂いがするからな」
「ええっ!? あ、そうですよね。いつも紅茶入れてばかりいるからでしょうか? 髪や手に染みついているのかも!?」
シンシアの、そういって小首を傾げてみせる仕種も愛らしい。
「紅茶ばかり飲んでいるから、体の中まで紅茶でできているんだろう、シンシアは」
ユージン王子は、まるで自分のことのように自慢顔でいう。まだよくわからないといった顔の民族衣装を着た恋人を腕に抱え、高く美しい鼻梁をやわらかそうなストロベリーブロンドに埋める顔はひどく幸せそうだ。
「紅茶ばかりって……」
「あのあの、わたし紅茶入れるのだけは得意なんで……その……よかったら、あとで王女殿下にも紅茶を淹れてさしあげたいのですが!」
「わたし?」
とウェラディアが驚きに目を瞠り、自分自身を指さして問うと、シンシアがだめでしょうかといわんばかりに哀願するような表情になった。
「そんなことないっ。ぜひぜひ、えっと今日帰ってきたら、淹れて欲しいわ」
慌てて言ってしまってから、言い方が社交辞令めいていただろうかと、ウェラディアは焦った。
そうじゃなくて……こんなこと、どうしたらいいかわからなくて……。
言い訳をした方がいいのかも。と内心の動揺していたのは、どうやら杞憂のようだった。
「よかったー。実は他の方ともお話してみたいな……と思って、セレーンさんが声を掛けてくださったときに、マーゴットさんと殿下もお誘いしましょうって話になったんです」
ほら、といわんばかりの視線の先では、確かにセレーンが黒髪に金色の瞳をした少女になにやら話しかけている。
「わたし頑張って、美味しい紅茶をお出ししますね!」
シンシアが満面に一生懸命な笑顔を浮かべると、シンシアを腕に抱えていたユージンが、何かを訴えるかのように、恋人のストロベリーブロンドに口付けた。
「そんなに頑張らなくても、いつだってシンシアが淹れる紅茶は美味しいぞ」
そう言って、精悍な相貌を更に鋭くして、もういいだろうとばかりに、じろりとウェラディアを睨んでくるから、たまらない。
ウェラディアだって王族に違いないのに、ユージンに睨みつけられると、圧倒的な存在感に押し負けそうになるくらいの厳めしさがあった。そのきらめかしい威厳に満ちた顔が、ふっと気づくとシンシアに首ったけという様子で蕩けきっている。
「なんていうか、見ているだけでお腹いっぱいというか、ごちそうさまというか……」
「本当にこんなの目の毒だな。とっとと自由行動に送り出してしまおう」
ウェラディアはカルセドニーの助けを借りながらも、二人の世界に入り込んだシンシアたちを、街までの馬車まで連れ出すのに一苦労させられた。
昨日の霧が嘘のように、晴れていた。
街はすっかりいつもの装いを取り戻し、真っ白に掻き消えていたことなど嘘のように、どっしりと重厚な存在感に、祭りの華やかさが彩りを添えている。
王都の道という道は祭りの出店や人でいっぱいになって、馬車を途中で下りなければならないほどだった。
「フレイ、ほらここ。ここの店のお菓子が美味しいんだって!」
「……レーン、朝からお菓子食べに行くつもりなのか……」
真っ先にフレイとセレーンが馬車を出て、ウェラディアたちが用意した地図を手に歩き出した。
ウェラディアは、はっと我に返って、人波に消えそうな背中に叫ぶ。
「セレーンさん、フレイ……さん! 日が暮れる頃にはここに戻ってくださいね! 迷ったときには上街の入り口っていえばわかりますから!」
街中で公子と呼ぶのはまずいかもしれないと気づいて、慌てて言い直した。
了解という合図だろう。公子はセレーンの腰に回したのとは別の手を軽く上げて応えてくれた。
その間も背後ではユージン王子が馬車を降りる際、よろけかけたシンシア嬢をなんとか捕まえて、またうれしそうに小言を言った後で、カルセドニーと何事か言葉を交わして、街の雑踏に姿を消していく。
多分、戻りの注意と、行きたい場所への行き方といったことだろう。
「よしよし。これであとはもう一組だな……と。あのふたり……」
「あれはあきらかに、揉めてるわね……」
ウェラディアはよし、と気合いを入れて言い合いをする二人へと近づいた。
ペースがまばらですみません。
多分、土日は更新できるかと。
21-22時くらいの予定です。