だって気になるんだもの!
「それに祭りの日は、もめごとも多いし、ぼーっとしてるとスリに狙われやすいからなぁ」
いっしょに歩いていたもうひとりの剣士、カルセドニーがのんびりした声でやんわり宥めてくる。
振り向くと、『この辺にしておけ』といわんばかりに碧玉の瞳でウィンクされる。
さりげない援護射撃だ。
子どもっぽい反論はそこで打ち止めにするしかない。
ロードナイトが心配性をこじらせていると、あまりにもいろいろ言われて、ウェラディアは反発してしまう。けれどもカルセドニーが適度なところでがみがみ怒られるのから救い出してくれたり、ロードナイトが口うるさい理由を解き明かしてくれたりすると、説得させられてしまう。
感謝とばかりにウェラディアも軽くウィンクを返すと、ロードナイトが仕方ないなとばかりにため息をついて、この話は終わり。
なんとなく、このところそんな役割が定着してしまっている気がする。
「おまえらって本当に漆黒の騎士選考大祭のときに、初めて会ったんだよな? それにしてはずいぶん息が合いすぎてないか?」
呆れたふうなロードナイトの声音にどこか羨しがる響きを感じ取って、ウェラディアは思わずカルセドニーと顔を合わせて笑ってしまった。
三人合わせて息があっていると思うけど――。
そんな視線だった。
† † †
従騎士ひとりに剣士ふたり。
華奢な体格からも服装からも従騎士にしか見えないデュライとは違い、いっしょに歩くふたりは明らかに剣士らしい身なりをしている。
ふたりの剣士は背高く、すらりとした均整のとれた体躯に、纏っているのは軍装だろうか。
腰には剣を佩き、動きやすいように裾に切れ込みの入った長上着がよく似合っている。
黒髪のカルセドニーは、怜悧な相貌がもったいないくらい緩ませて、まだ目が覚めきらないと言わんばかりにあくびをして、白金色した髪のロードナイトの方はやわらかい顔立ちに似合わず険しい表情を浮かべている。
三人はいま霧の街を石畳に靴音を響かせて、小山に連なるように広がっている街を、すそ野のほうへと下っていた。
「それにしたって、明日には秋の収穫祭を迎えようというこの時期に、こんな真っ白な霧が出るなんて……びっくりだ」
「そうなのか? この時期の王都ではあまり霧は出ないのか、カルセドニー」
「そんなこともないが……街のほうまで埋めつくすようなのは、あまりないな。川面に靄がかかる程度のものが多いから」
「おい、デュライ。そっちじゃない。左だ、左。おまえ先に行こうとするなら、道くらいしっかり把握していろ!」
「え、や……わかってるはずなんだけど、船着場降りる道、こっちじゃなかったか?」
「こうまで霧が深いと、どこを歩いてるんだかよくわからなくなるからな……方向感覚が、狂ってしまいそうだ」
カルセドニーが一寸先も見えない白い闇に目を凝らすように、目線を遠くに投げる。
とはいえ、王都育ちをいつも自慢しているカルセドニーのことだ。
本当に道に迷うわけがないから、これはウェラディアを擁護しての言葉なのだろう。
その証拠に、ロードナイトがちっといまいましそうに軽く舌打ちした。
残念でした!
心の中で、ウェラディアはあかんべえと舌を出してみせる。
いつもいつもロードナイトにやりこめられてばかりいないんだから!
少年の姿をしていても、まだ咲き綻んだばかりの薔薇のような初々しさが隠しきれておらず、それが逆に、見る者に守ってあげたくなるような雰囲気を醸し出していることにウェラディアは気づいていない。
蜂蜜をたらしたような金色の髪は少し伸びてきたから、革紐でひとつに結んで、そのしっぽが右に左にと忙しく揺れることからも、少女――少年の興味がめずらかな街のあちこちに移っていることは簡単に見てとれる。
晴れた日の深い天空の青を思わせる――蒼穹の瞳を霧の真白へ向け、まるで見えないものを見通そうとするかのように目を凝らしたそのとき。
川のほうから、ボォーッと低い笛のような音が高らかに響いた。
まるでなにかの到着を知らせるように――。
「今のは、なんだろう、ロードナイト……聞いたことがない音だったみたいだ」
「そうだな。笛の音にしても随分と大きいような……船着場のほうみたいだが」
「この霧じゃあ高台に上がったところで、何も見えないから、行ってみるしか確認できないぞ」
「……そういうことに、なるよな。カルセドニー」
「もちろん、そういうことになるだろうな、デュライ。そもそもそれがウェラディア殿下のお言いつけとあれば、確認しないわけいかないだろう?」
「そうだよな。殿下が調べてこいっていうんだから、従わないわけにいかないよな」
王女ウェラディア本人であるところのデュライはやけに得心顔して、自らの配下、カルセドニーに頷き返している。
「殿下もまた、なんでこんなことに首を突っ込んで……。こっちの命が縮む。デュライ、おまえなんで殿下をお諫めしなかったんだ!?」
「お諫めって、そんなこと言われても……」
「だから一応、殿下ご本人はいらっしゃらないで、デュライに様子を見るように命じられたんだろうが」
答えに窮したデュライの代わりに、カルセドニーがロードナイトを説きふせてくれた。
その緑の瞳は、これでいいだろ? とでもいうようにきらめいている。
うん。ありがとう。と蒼穹の瞳で返せば、気持ちが少し落ち着いて来た。
「だってこれ。どう考えたって見に行って確認しなくちゃならないに決まってる!」
デュライは防寒用に手袋をした手で、ぴっと手紙らしきモノを差し出してみせる。
「“収穫の祝祭、前祝いの黎明に船着き場に異国の客が訪れる。もてなせ。さもなくば、悪させん。もし、もてなしが気に入れば……”――こんな手紙がわた……いや、殿下のところに届くこと自体、奇妙じゃないか。王女への手紙は全部、検閲されてるんだからな。なんだか不思議の匂いがするって……その、殿下がおっしゃって」
「魔法というのは必ずしも人にいい影響を与えるものとは限らないから、むやみと魔法の気配がするものに近づかないようにと殿下に強く進言しておいた方がいいな……。あまりいうことを聞いてくださらないなら、陛下に王女殿下の外出禁止を陳情することも考えておかなくては」
「うっわ、ロードナイトのいけずー。陛下のことまで持ち出して……別にこんなの、殿下がいらしたって問題ないだろう。真夜中じゃないんだ。早朝の、しかも王都の外れの桟橋に行くだけだっていうのに、この言い種。どう思うカルセドニー?」
「いけずなのが、性に染み付いているんですよ、この男。だからそういうときはだな」
背の高いカルセドニーが屈み込むと、その黒髪がさらりと流れ落ちて、ウェラディアはどきりとした。
端正な顔が思いがけず近づいてくるのは、心臓によくない。
そのぐらい、若い青年は鋭いながら精悍な美貌の持ち主なのだ。
鋭く精悍な顔を間近で見るのは、役得だと思いながらも、息を整えて、内緒話に耳を傾ける。
「だから……だろ」
「あ、なるほど!」
カルセドニーと従騎士のウェラディアがひそひそ内緒話をしていると、目の前でロードナイトが秀麗な美貌を顰める。
ちょっとうれしい。
玲瓏とした月影を思わせる青年の整った顔が、嫌そうに歪められたときの顔が、ウェラディアはなぜか、とても好きなのだった。
少し趣味が悪いかもという自覚がもちろんあるのだけれど。
「だから、殿下は、ロードナイトとカルセドニーがいれば、どんなことでも対処できると、信頼して送り出してくれたわけだろ?」
その信頼を裏切るのか?
といわんばかりに、ふふんと授けられた知恵を得心で言ってのければ、白金色の髪に縁取られた端正な顔にさっと朱が差した。
「…………おまえらな。人を持ち上げるなら、せめて見えないところで打ち合わせしろ! それと今回は殿下に免じて乗せられてやるが、危なくなったら、デュライはすぐに警備隊に知らせに戻るんだぞ!」
「りょーかーい」
カルセドニーの指摘はどうやら正しかったらしい。
ロードナイトは“殿下の信頼”とやらが気恥ずかしくもうれしかったようで、目元をぱっと赤らめると、素早く身を翻し、とっとと外壁を抜けて護岸された川辺へと下りていってしまった。
23日20-21時頃
次話更新予定