小さな幸福時間
カタカタと聞こえる、キーボードを叩く音。
その音が、僕は好きだった。
一度止まったかと思えば、すぐにまた音がなり、小さく唸る声が一緒に聞こえてくる。
途中でまた止まって、ズズズ、コーヒーを飲む音。
それからまたキーボードの音がなって、また唸っての繰り返し。
それ以外の音は聞こえてこない。
白塗りの壁に掛けられた淡い色のカレンダーが、風によってハタハタと動いて。
それを見上げた視線が、僕に映る。
「……おかわり」
たった一言、そう呟いてまたすぐに視線をそらした。
僕は立ち上がり、カップを机から離して片手に持った木製の御盆に載せる。
キッチンのパヌトンを持ち上げ、カップにコーヒーを注いで。
カタカタ、カタカタ。
叩く音が徐々にスピードを増し、少しばかり距離のあるキッチンからでも聞こえてくる。
僕が新しく淹れたコーヒーを持ってくる頃には、キーボードを叩く手はだらりとたれていた。
「………終わった」
「お疲れ様です」
たった一言。僕らに必要以上の会話はいらない。
相手が元から無口というのもあるが、僕はそんなところが好きだから。
自分も、無口になってしまう。
その声が聞きたいから。その小さな声を聞き逃さないように。
僕は淹れたてのコーヒーを、机の上に置いて。
それをその小さな口に、少しづつ流し込む姿。
細い指さきが、やけどをしないようにと、少し震えながらコップを包み込んでいる。
こくり。熱々のコーヒーが喉をとおる音がして。
「……美味しい」
「…それはよかった」
僕らに必要以上の言葉はいらない。
このひそかな時間こそが、僕らの幸福な時間なのだから。