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「ただの腐れ縁だ」

 薄暗く静かな酒場だ。


 リサとウィルは一番奥のカウンター席に座っていた。二人の正面に置かれたグラスは、すでに何度も取り替えられていた。

 酒場に入ってしばらくは、二言三言の会話が続いた。しかし、リサの頬が淡く染まり始めるころには、二人の重たい口も徐々に軽くなる。


「俺はそもそも、今日は休みだったんだ。それなのに騒ぎを聞きつけて、態々駆けつけてやったんだぞ。それなのに礼もなしか?」

「だから、頼んでいないと言った」

「礼を言えって言ったのはその後だ」

「くどい」


 静かな酒場に声が響く。中年のバーテンダーも苦笑いを絶やさない。


「お二人は、相変わらず仲がよろしいのですね」


 久しぶりに顔を出したというのに、バーテンダーはリサとウィルの顔を忘れてはいなかったようだ。呆れるほどの記憶力である。


「士官学校からの親友だからな」

「ただの腐れ縁だ」


 むっと頬を膨らませて答える。


「本当に、仲がよろしいようで」

「やめろ」


 バーテンダーが喉の奥で笑った。この男も面白がっているようだ。


「気分を害してしまったようなので、こちらをお詫びに」


 空いたグラスを下げ、新しいグラスを二人の前に差し出す。グラスを彩るカクテルは、二人が最後にここで飲んだものだった。


「こいつと最後に飲んだ酒だからって、特に思い入れはないぞ」


 ウィルの言葉にバーテンダーは穏やかに笑い「恐縮です」と答えた。そしてさらに、バーテンダーは続けた。にこにこと、満面の愛想笑いを浮かべて。


「お二人は、いつかご結婚なさりそうですね」

「誰がこんな奴と」


 リサはほとんど反射的に答えていた。


「同感だ。こんな女らしさの欠片もねぇ奴はごめんだ。結婚するなら、妹の方としたいね」

「おまえみたいな軽薄な奴に、任せられるわけがない」

「例え話だ。おまえが姉貴になるなんてぞっとしねぇ。俺のタイプは、女らしい奴だって言ってんだよ」


 犬も食わぬ口論だ。一々、ウィルの言動に付き合っていたら疲れると、何年も前に学んだではないか。

 リサはうんざりとして、深い溜息をついた。枯草色の髪をまとめていた髪留めを外し、髪を振り解く。

 小さな宝石があしらわれた髪留めをカウンターに置く。と、隣の席に座していた男が頬杖をつきながら、しみじみとした口調で言った。


「おまえ、髪下ろしてると美人だよな」


 リサは肩をすくめた。


「褒め言葉として受け取っておく」

「いや、冗談じゃなく。これから髪下ろしたらどうだ?」

「下ろしていると邪魔だ。それに……」


 その先の言葉を口にするのは躊躇われた。


 髪留めに視線を落とす。

 この髪留めは、十四歳の誕生日にソフィアと母親からもらったものだ。母親が得意ではなかったといえ、生前の母親にもらった最後の贈り物だ。使い道がなくなるのは、少しばかり寂しい。

 しかし、それを口にすることは出来なかった。ウィルの前で親のことを口にしたくはない。

 彼は物心つく前に両親を亡くした。身寄りのない彼は、士官学校へ入学するまで中央の施設で育ったのだ。そんな彼に、気軽に親のことは話せない。


「――いや、なんでもない」


 話を濁してカクテルを口に含んだ。


「そうか」


 幸い、ウィルも詮索はしなかった。

 二人はしばらくの間、黙って酒を飲み続けた。


 話さなければならないことが山ほどある気がした。だが、すべて話さなくてもいいような気がした。

 ただ、ひとつだけ聞かなければならないことがあった。

 酔いが回ったのかもしれない。リサは空になったグラスを傾けながら呟いていた。


「どうして、何も言わずにいなくなったんだ……?」


 顔は見なかった。ウィルもリサと同様に頬杖をつきながら、グラスに視線を落としていた。


「異動は、俺かおまえかのどちらかって話だった。おまえがここからいなくなったら、あいつが独りになっちまう。俺は身軽だからな」


 身軽など、何とも自虐的な言葉だ。


「ソフィアも子供じゃない。あいつだって、おまえがいなくなる理由にはなりたくなかったはずだ」

「……」


 ウィルは押し黙った。リサが己の胸中を語ることは多くはない。だから、このような時に何と答えるべきか判らなかった。

 深呼吸ひとつ。酔っているのだ。きっと。隣を見れば、顔を真っ赤にしているはずだ。

 横目を向けると、リサは空のグラスを手にしたままカウンターに突っ伏していた。丸まった背中が、規則正しく上下に動いている。思わず、バーテンダーに目をやった。


「つい先程、お眠りになってしまいました」


 溜息が口をついた。あまり酒が強くないとはいえ、話の途中で寝てしまうとは不躾な奴だと呆れた。


 空のグラスを取り上げ、バーテンダーへと返す。ついでに、自身が飲み干したグラスも戻した。

 バーテンダーが次のグラスの用意を始める。それと同時に、酒場の扉が控えめに開いた。

 開いた扉から姿を現した女性に声を掛ける。


「よぉ、ソフィア」


 一年半ぶりに会うソフィアに手を振ると、彼女は小さく微笑んで見せた。その表情が、以前会った時よりも大人びて見えて、ウィルはわずかに目を見張った。


「久しぶりだね、ウィル」

「ああ。元気そうだな、ソフィア」


 二人の間に座るリサは、ソフィアが来たことにも気づかずに寝息を立てている。普段目にすることはない姉の寝顔に、ソフィアは苦笑を漏らした。


「もう酔っちゃったの?」

「こいつ、強くないくせに結構飲んでたからな」

「とめてあげてよ」

「飲みたい奴には飲ませておけばいい」


 眉を吊り上げる。


 話が途切れたのを見計らって、起きている二人にバーテンダーがグラスを差し出した。ソフィアに出された酒は、この店でリサが好んで注文するものだった。


「ここにいらっしゃるのは初めて、ですね?」


 親しげに話し掛けるバーテンダーに、ソフィアがにこりと笑い掛けた。


「はい。私も姉と同じであまり強くありませんから」


 楽しげに話すソフィアの横顔を見て、ウィルはつくづく思った。姉妹なのに、こうも性格が違うものかと。

 ディオン姉妹の両親がすでに他界していることは知っていた。父親が軍人だったことも、リサが母親に複雑な感情を抱いていたことも。


「では、あなたがリサさんの妹さんなのですね?」


 二人の笑い声を聞き流しながら思い出す。

 士官学校の時に一度、何故軍人になったのかと聞いたことがあった。当時のリサは「家を手放さないためだ」と無愛想に答えた。そして、しばらくして、彼女に妹がいることと、家を手放したくないというのが妹のためだと知った。

 守らなければならない存在がいたが故に、リサは冷たいほどに現実的な人間にならざるを得なかったのかもしれない。無論、彼女が薄情な人間だとは思っていないが。


「雰囲気は違いますが、似ていらっしゃいますね」

「そうですか?」

「似ていらっしゃいますよね、ウィルさん?」

「ん……。ああ。そうかもな」


 話を聞いていなかったので適当な返事をする。と、ソフィアが揶揄の笑みを浮かべた。


「聞いてなかったでしょ?」

「聞いてた。それなりに」

「それを聞いてないって言うんだよ」


 余計な反論はしなかった。口でソフィアには勝てない。ここは話を替えるべきだ。


「それより、急に呼び出して悪かったな」

「私を呼び出したのは違う人だけど」

「半分は俺のせいだ」


 確かに、ソフィアに連絡をしたのはグラントだ。だが、そう仕組んだのはウィルでもある。


「話は家でする」


 何故、司令室でソフィアの名が出たのか。それは単純なことだった。


 ウィルは配属部隊の上官から、亜人と神殿についての情報は明かさぬように命令を受けていた。しかし、世話になったクレムス駐屯地の者たちに恩を仇で帰すような真似はしたくなかったのだ。

 そこで、彼は上官の言葉を思い出した。上官は「駐屯地の者には明かすな」と言ったのだ。ソフィアはクレムスの人間ではあるが、駐屯地の人間ではない。否、さらにいえば、彼女は今中央に住んでいるのだからクレムスの人間でもないのだ。

 口から出るような上等な理屈ではない。屁理屈である。

 屁理屈に、ソフィアを利用した。おそらく、リサは快く思っていないはずだ。だからこそ、司令室で良い顔をしなかった。


「うん。お姉ちゃん、運んでもらわないといけないしね」

「ああ」


 酒を一口流し込む。


 沈黙が二人を包んだ。不思議と、心地悪いものではなかった。それがウィルの心に安堵をもたらした。


「――私ね、少し安心したんだ」


 グラスを握るソフィアの両手が力んでいるのが見て取れた。表情も少しばかり硬い。


「ウィルと、またこうして話せて。仕事のことだけど、ちゃんと私にも顔見せてくれて」

「……」

「ねぇ、ウィル」


 顔を向けるが、ソフィアはグラスの中身に視線を落したままだった。


「一年半前、お姉ちゃんに相談もしないで異動したのは、私が告白したからなのかな?」


 異動の数週間ほど前だったろうか。ウィルはソフィアに告白をされた。大学への進学も決まり、数ヵ月後には中央へ行ってしまうからと。

 ウィルはその場で告白を断った。彼にとって、ソフィアは妹のようなものだったのだ。それ以上には思えなかったし、今後もその関係が変わることはない。

 告白については暗黙の了解で、リサには言わなかった。ただ、あまりにも突然だったので、ウィルとソフィアの間には、気まずい空気が立ち込めるようになってしまった。


「もしそうなら、私はウィルにもお姉ちゃんにも酷いこと――」

「――違う」


 ウィルはゆっくりとかぶりを振った。


「違うから、安心しろ。あれはただ、間が悪かっただけだ。おまえに告白されなくとも、俺はこいつに何も言わずに異動しただろうさ。だから、気にすんな」


 ソフィアが安堵の溜息を漏らした。


「そっかぁ……」


 本当は彼にも判らなかった。リサに言ったことも事実だが、ソフィアからの告白がひとつの要因となったことは否めない気もする。


「一年半も言えないでいるの。私のせいだったら、ごめんなさいって」

「リサにか?」


 黙ってうなずくソフィアだが、続けられたウィルの言葉に目を見開く。


「こいつ、知ってるぞ。俺たちに何があったか」

「え?」

「おまえが、俺のいなくなる理由にはなりたくなかったって言ってたからな」


 ソフィアは驚いた後に、儚く笑った。「どうして何も言わなかったの……」と呟いている。


「まぁ、気にすることはないだろ。俺にも、こいつにも」


 カウンターに突っ伏して眠るリサの脇腹を指先で突く。すると、彼女は「やめろ……」と寝言を言い、再び寝息を立て始めた。思わず、鼻先で笑ってしまう。


「そう、だね」

「ああ。ちゃんといい奴見つけて、幸せになれよ」


 冗談めかした励ましに、ソフィアは微笑した。


「充分、幸せだよ」


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