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「久しぶりだな」

 リサの母親はカンヘルの中でも魔法に精通した人物だった。母親の仕事内容についてはあまり詳しくは判らないが、魔法関係の職に就いていたようだ。

 周囲の者たちには、軍人である父親と魔法に精通した母親の才を受け継いだのだと言われたが、実感はなかった。別段、嬉しさもなかった。

 母親が幼いソフィアを何度も職場に連れて出ていった姿を覚えている。それが何を意味しているのか、子供ながらにリサは悟っていた。

 それが、母親に対する感情に影を落としたのは言うまでもない。


「――それにしても、結界が張れるなんてな。さすがだ」


 ジュードがしみじみとした口調で言う。

 やめてもらいたかった。魔法についてもてはやされると、子供のころの苦い記憶が蒸し返される。


「……終わりました。一旦戻りましょう」


 最後の結界を張り終え、彼女は立ち上がった。

 結界を張るには色々と準備が必要だった。時刻はすでに昼をすぎている。一度駐屯地に戻って、遅い昼食を取らなければ、腹の虫が鳴いてしまう。


「ああ。そうだな」


 リサの気持ちを知ってか知らずか、ジュードが相槌を打った。


 二人に代わって施設移転者の警備をしていた同僚と一言挨拶を交わし、駐屯地へと向かった。

 坂道を下っていると、巡回の兵とすれ違った。ケインズの進言で、これからしばらくは施設居住者を宥めるために警備や巡回の兵を倍にすることになったのだ。街の中を担当するのは憲兵隊のみだが、今は憲兵隊でない者も巡回や警備を手伝っている。


「物騒になったよなぁ」


 大きな入道雲を見上げながらジュードが呟いた。


「住む場所にも、食べる物にも困らない世の中だ。何が不満なんだか……」


 明確な不満がないからこそ、逆に不満なのかもしれない。

 住む場所にも食べ物にも困らない。しかし、生きているだけで少しずつではあるが、確実に不満は蓄積される。それをぶつけるものを探していたのだろう。


「施設居住者の心境は判りません。ですが、今でも施設に入りたいとは思えません」


 リサは両親共に管理層の人間だった。生まれた時から、自分たちの家を持っていた。施設で生活したことはない。


「ああ。俺もだ」


 不意に、胸ポケットの無線が鳴った。歩みをとめて、通信に応答する。


〈緊急事態です! 至急西門まで来てください!〉


 通信はそれだけの音を発して、ぷつりと切断されてしまった。状況を理解出来ずに、眉根を寄せる。

 指示を仰ごうとジュードを一瞥した。


「とりあえず、急いで行ってみよう」


 リサは黙したまま顎を引き、西門へと走り出した。


 坂を駆け上がり、西の門へと繋がる通りへ出る。

 視界の先にそびえる門は、頑丈な扉が閉ざされようとしていた。門の足下で、慌てた様子の同僚たちが抜き身の剣を握っている。何人かは怪我を負っているのか、路上に寝かされて治療を受けていた。


 門の外からは雄叫びが聞こえる。どうやら、厄介な魔物と戦闘になっているようだ。

 リサは閉まりかけた門をすり抜け、街の外へと出た。状況を把握しようと、辺りを見渡す。


「准尉……」


 右腕から赤い液体を流した若い兵が、覚束ない足取りでやってきた。リサが駆け寄ると、力が抜けたように両膝を地につけた。そのまま地面に突っ伏してしまいそうになるのを抱きとめる。よく見れば、腕だけでなく全身にひどい怪我を負っていた。

 リサは上体を抱き抱えたまま、治癒魔法を唱えた。呪文を唱え終えると、あたたかい光が満身創痍の若者を包み込んだ。

 破れた軍服からのぞいていた腕の痛々しい傷が徐々に治る。


「状況は?」

「亜人です……。大きくて、凶――」


 若年の兵の頼りない声が、空気を震わす咆哮に掻き消された。

 リサは反射的に声がした方を睨みつけた。


「今の、だな?」


 腕の中の兵が微かに顎を引く。

 木々の隙間から、亜人の姿が垣間見えた。先日刃を交えた亜人と同じ斧のような武器を二振り手にしているが、その体躯は通常の亜人の二回り以上の大きさを持つ。背丈はリサの二倍とまではいかないにせよ、筋肉質な腕回りは彼女のものの二倍を優に超す。

 リサは無意識のうちに喉を鳴らした。負傷した兵が多いのも、あの巨大亜人相手なら仕方ない。


 負傷兵を地面にそっと寝かせる。


「ルーカス少尉、こいつをお願いします」


 リサは走り出した。背後でジュードの制止の声が響いたが、彼女はそれを無視して走り続けた。


 亜人の相手をしているのは三人だった。亜人と距離を置いた場所には、負傷兵が五人ばかりいた。命に別状はないようだが、動けないのでは戦闘の邪魔になる。

 戦況は芳しくない。戦っている者たちも怪我を負っている。何より、負傷兵が気がかりなのか、相手に集中していない。


 甲高い金属音が響いた。

 兵のひとりが亜人に突き飛ばされた。亜人が持つ柄の短い斧を防いだが、受け切れずに弾かれたのだ。

 巨大な亜人が飛ばされた兵との間合いを詰める。兵はぐったりとしたまま動かなかった。気絶したのか、あるいは……。


 舌打ちする。負傷兵の手当てよりも、あの兵を助ける方が先決だ。

 リサは抜剣し、速度を殺さぬまま亜人に躍り掛かった。

 再びの金属音。

 敵の正面から躍り掛かったために、易々と防がれてしまった。しかし、それでいい。亜人の標的を、自身にすることに成功した。


「退避しろ!」


 真上から振り下ろされた斧を横に跳んで避ける。続けて水平に薙がれた斧を屈んで避けた後に、膝の裏に蹴りを入れた。

 びくともしない。それどころか、激昂した亜人が咆哮を上げた。


「っ!」


 後ろに跳んで間合いを取る。

 咆哮が頭の中で反響した。鼓膜が裂けそうだ。

 睨みつけると、興奮した亜人と目が合った。亜人が荒い息を繰返しながら一歩ずつ近づいてくる。

 リサは口元を歪めた。亜人には知性があるが、利口とは言えない。特に、今対峙している亜人は気性が荒い。攻撃をした者しか、目に入らなくなっている。

 亜人の背後で兵士たちが遠ざかっていくのを確認した。これで気兼ねなく暴れられるというもの。


 剣を下段に構え、亜人の懐に跳び込んだ。逆袈裟斬りを放つが、防具に弾かれてしまう。

 亜人が両の斧を上方から斧を突き下ろす。その攻撃を外側に跳んでかわし、左の腕に剣を突きつけた。

 剣の切っ先が防具をつけていない亜人の腕に食い込む。だが、傷は深くない。

 亜人が乱暴に腕を振るった。後方に転がりなんとか回避するが、間髪いれずに間合いを詰められる。体勢を崩したままの身体に、連続して刃が襲い掛かった。

 振り下ろされた斧の刀身に柄頭を打ち込み、強引に軌道を変えた。斧の刃先が木の根に食い込み、その隙に防具の留め具を斬りつけて破壊した。


 一旦間合いを取り、亜人を一瞥した。防具がだらしなくぶら下がっている。身体に密着していない防具は足枷になるだけだ。しかし、亜人はそんなことに頓着しなかった。防具を脱ぎ捨てることなく、背後に回ったリサに向き直った。

 もう一方の金具を壊すか、隙間から急所を狙うか。


 考えている暇はない。

 亜人が右の斧を水平に左の斧を上段に構え、屈強脚で地面を蹴った。一瞬にして間合いが詰められる。

 一撃目は左の斧だ。上段からの袈裟斬り。次いで、右の斧が横薙ぎに振られる。

 足を半歩引き、一撃目を回避する。亜人は振り切った斧を構わずに、二の斧を水平に薙いだ。

 二の斧が空を斬る前、予備動作で引かれるとリサは剣を構え直した。

 空を斬る斧の刀身をもう一度柄頭で殴り上げ、亜人に隙をつくる。手首を返し、流れるように左上段からの袈裟斬りを放った。


 無防備な上腕を剣が薙ぐ。

 甲高く短い悲鳴と共に鮮血が飛び散った。亜人の右手から斧が手放される。

 手放された斧は宙を舞い、近くにあった木に突き刺さった。


 無理に攻めるのは危険だ。

 リサはバックステップで亜人と距離をとった。顔についた返り血を乱暴に拭う。

 亜人は右手を力なくぶら下げていた。傷が深いのか、血がだらだらと流れ大地を濡らした。


 深呼吸ひとつ。柄を握り直し、地面を蹴る。

 亜人の間合いに入ると同時に左足を踏み込み、右方向へ半歩だけ退く。右足を踏み堪え、上体を捻りながら剣を振り上げる。直後、亜人が斧を振り下ろした。

 腕が痺れるような強い衝撃が走った。

 リサが斬り上げた剣は斧ではなく、柄を握ると腕に当たった。リサの腕力だけでは斬りつけるだけで精一杯だが、亜人の勢いと相俟って腕が切断された。


 亜人の悲鳴が鼓膜を打つ。

 びちゃびちゃ。

 切断された腕から大量の生温かい血液が流れ出て、足下に赤いしみをつくった。

 さらに、彼女は防具の隙間である脇の下に剣を突き刺した。


「終わりだ」


 リサは眉根を寄せる。

 剣を引き抜き、付着した血を拭うために一閃した。

 断末魔の悲鳴も上げぬまま、亜人の巨体が倒れた。


 向こう側にいた声の主が姿を現す。

 リサと同じ剣を持った褐色の髪の青年だった。翠玉の瞳は鋭い眼光を宿している。


「情けねぇ恰好してんな、リサ」


 リサは眉をひそめ、剣を地面に突き立てた。腕を組み、これ見よがしに長い溜息をつく。


「今さら何の用だ、ウィル?」

「倒すの手伝ってやったのに、その言い草はないだろ」


 不敵に笑うかつての相棒ウィル・レイン。会うのは一年半ぶりだが、相変わらず、身勝手な奴だ。


 ウィルが片膝をついて、亜人が着用していた衣類で剣の血を拭った。拭った剣を鞘へと滑り込ませる。


 リサが亜人の脇に剣を突き立てたのと同時に、対面からウィルが防具の隙間に剣を刺した。脇と腹に深い傷を負って亜人は絶命したのだ。リサの攻撃だけでは即死には至らなかっただろう。


「頼んでいない」


 ぶっきらぼうに答え、内心自嘲を漏らした。何とも子供じみた言い草だ。この男の前では、大人になりきれない。

 リサは短く息を吐き出した。突き立てた剣を抜いて、ウィルと同様に血を拭い、鞘へとしまった。


「――久しぶりだな」


 彼女はウィルの顔をまっすぐに見詰めて言った。すると、彼も真剣な顔で彼女を見返した。


「ああ。久しぶりだ」


 背後から落ち葉や草を蹴る音がした。振り返ると、軍人たちがこちらに向かい駆け寄ってくるところだった。


「ディオン! レイン!」


 先頭を走っていたのはジュードだ。二人の名を大声で呼んだ。


「怪我、してないか?」


 疾走してきた彼は、両膝に手をつきながら肩で息をしていた。


「そんな簡単にくたばりませんよ」


 にやりとウィルが笑う。思わず、リサは溜息をついた。


「俺とこいつは」

「おまえと一緒にするな」

「ディオン、おまえ腕を擦り剥いてるじゃないか」

「大したことありません」


 三人は噛み合っているのか、噛み合っていないのか判らない会話を続ける。


「いいから早く治せ」

「はぁ……」


 リサは治癒魔法を掛けようとするが、彼女よりも早くにウィルが魔法を掛けた。

 あたたかい光が傷口を包み、ひりひりと痛む擦り傷が消えた。


「礼くらい言えよ」


 長く深い溜息ひとつ。


 ――こいつといると、溜息しか出ない。


「治ったなら戻るぞ。レイン、おまえもついてこい」

「了解」


 三人は踵を返す。


 少し離れた場所で遠慮がちに三人を見ていた軍人が、亜人の襲撃などなかったかのように嬉々とした表情を浮かべて寄ってきた。彼らはリサとウィルの上官と同期だ。二人のことはよく知っている。

 寄ってきた軍人がウィルを小突いた。一年半もの間、一度も連絡を寄越さなかったことにぼやいていたが、顔を合わせれば時間が巻き戻される。


 駐屯地に戻り、上官と司令官に報告をすませる。すると、話はリサの隣にいる人物に向けられた。


「さて、レイン。おまえがここに来た理由を教えてもらおう」


 ウィルは中央に異動となった。そして、故郷がクレムスというわけではない。一年半も連絡を寄越さなかった男が、用もなくこんな場所に現れるはずがなかった。


「そんな険しい顔しないでくださいよ、グラント司令」


 ウィルが肩をすくめて見せた。上官相手にも物怖じしない。態度も改めない。食えない奴なのだ。

 しかし、この食えない男は態度とは裏腹に有能だった。それが上官に気に入られる要因となった。優秀な人間は得てして真面目すぎる者が多いが、真面目が取り柄というのも使いにくいのだ。自らの信念に従い考える力を持つ者。それが有能な人間だ。優秀と有能は必ずしも一致するものではない。


「任務です」

「内容は?」

「神殿調査です」


 元直属上官の問いに簡潔に答える。


「おまえひとりでか? さっき亜人とやりあったばかりだろう? 神殿には亜人がいる。ひとりでいくのは危険だ」


 単独で神殿にいくなど無謀だ。神殿に亜人がいることは判っているが、情報はそれだけなのだ。亜人の数も判らない。まして、先程のような巨大亜人の存在が明らかになった今では、ひとりでいかせることは出来ない。


 ウィルが唇の端を上げた。


「中央も色々と忙しくて、人手が足りないんです。上官には借りろと言われました」


 何とも勝手だ。中央はクレムスからの応援要請を拒否した。それにもかかわらず、こちらには問答無用で人手を割けというのだ。


「身勝手な連中だ。こちらも色々と忙しくて手伝えない」


 ウィルが後頭部を掻く。


「だから、俺をここに寄越したんでしょうね」


 その場にいた全員がうんざりとした様子で肩を落とした。

 つまり、応援を拒否できない相手を選んだのだ。ウィルの上官は。


「ただで協力するつもりはない」

「まいったな」


 さして思ってはいないような口調だった。


「上には話すなって言われているんです。クレムス駐屯地の者には」


 態とらしい言い方だ。


 重い沈黙が司令官室を満たした。

 任務の詳しい内容を話さずに人を借りるつもりだったとは、横暴にもほどがある。中央の人間が手柄を欲しいがためという話は、どうやら真実のようだ。


「――判った。中央の命令には従わざるを得ない」


 やがて、グラントが諦めたように呟いた。彼は長年クレムス駐屯地に勤めた軍人だ。中央の横暴な命令を受けたのは、これが初めてではないのだろう。


「しかし、あまり人を割くことは出来ないぞ」

「それは判っています」


 にやりと笑うウィル。

 嫌な予感がする。否、嫌な予感しかしなかった。ウィルがこのように笑う時は、ろくでもないことを考えていると相場が決まっているのだ。


「こいつを貸してください。それで充分です」


 隣の男を睥睨する。神殿の調査など、憲兵の仕事ではない。こだわりはないが、物扱いされたのが気に入らなかった。


「俺が行くんだ。当たり前だろ?」


 悪びれる様子などみじんもなく、さも当然のように言ってのける。


「そう言うと思っていた。確かに、おまえら二人でいくのなら安心だ」


 リサは片眉を吊り上げた。グラントが納得してしまったのなら、逃げることは出来ない。


「念のために聞いておくが、神殿の情報はもらえるのか?」

「上官には、何も言われていません」


 任務の内容については話せないにもかかわらず、クレムスの軍人の手を借りる。そして、神殿については隠そうともしない。つまりは、ウィルが持っている情報がなければ、神殿にいっても意味はないということなのだろう。ならば、調査というよりも、確認に近いのかもしれないと推測する。


「舐められたものだな」


 リサは腕を組み吐き捨てた。


「神殿の情報はこちらも欲していた。ちょうど良い機会だ。ディオン。しっかりと神殿の調査、手伝ってやれよ」

「了解」


 不服ではあるが敬礼をする。命令とあれば仕方ない。


「明日の準備もあるだろう。今日はもう帰れ。」


 グラントの言葉に、リサは怪訝な表情を見せた。定時までまだ時間がある。


「おまえらも一年半ぶりに会って話したいことも山ほどあるだろう」


 そしてとぼけたように続けた。


「そういえば、ディオン。おまえの妹とレインも親しかったな?」

「不服ながら」

「三人で話でもしたら盛り上がるだろう。久しぶりに、飲みにでもいったらどうだ? 妹さんには、私から連絡しておこう」


 本日何度目か判らない溜息が口をついて出た。唇の両端を下げる。


「……お願いします」


 かくて、二人はいきつけだった酒場へと向かうことになった。


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