「退屈すぎて、意識が抜けそうです」
しかしながら、見込みが甘かったようだ。
門へと辿りつき扉をノックすると、中から解錠の音がした。顔をのぞかせたのは、リサの上官だった。
彼は何も言わずにリサを迎え入れた。そして、何も言わずに彼女を駐屯地まで連行したのだった。
駐屯地には憲兵隊長が険しい顔つきで待ち構えていた。リサの姿を目にした瞬間、隊長の眉間にはさらに深い皺が刻み込まれた。
「ケインズ隊長……」
嫌な予感とは得てして当たるものだ。
「ディオン。鉄道局から苦情が届いているぞ」
説教は一時間に及んだ。その後、始末書を書くように言い渡された。
始末書を書くのは初めてではなかった。軍人になりたてのころは、月に一度の頻度で書いていた。
だが、久しぶりの始末書はなかなか筆が進まなかった。与えられた紙に向かったまま数時間が経過した。
そして、東の空が淡く染まり始めたころ、リサはようやくのことで始末書を書き終えたのだ。
結局のところ、二日連続まともには眠れなかった。
頭が痛い。
仕事机に突っ伏していると、出勤したジュードに肩を叩かれた。
「昨日は帰らなかったって?」
顔を上げると揶揄の笑みを浮かべる瞳と目があった。
「どうして、それを……?」
「無茶やらかした憲兵の話で大盛り上がりだ」
耳を澄ますと、笑い声と共にディオンの名が飛び交っていた。
「感心半ば呆れている」
反論の言葉も思い浮かばなかった。気を抜いたら、意識が遠退いていく。
「気分が悪いなら、遠慮せずに早退しろよ」
「こんな忙しい時に、早退なんて出来るわけ……」
「無茶やらかした憲兵が、脱出位置を特定してくれたおかげで、そっちに人を割かなくてすむ。ひとりくらい休んだって大丈夫だ」
折角の気遣いだが、受ける気にはならなかった。昨夜の行為は、自らの尻拭いだ。不審者を確認しなかったことで、このような厄介な事件が起きてしまった。人並以上に動かなければ、責任は果たせない。
「いえ、大丈夫です」
リサはあくびを噛み殺して答えた。その後、レストルームへといき、冷たい水で顔を洗った。
事務室に戻ると、ケインズから集合が掛けられた。事務室の一角に集められ、打合せが始まる。
「さてと。もう耳にしている奴もいるだろう。ディオンが昨夜、遺体で見つかった三人が脱走した場所を特定した。どうやら人気のない夜中に、モノレールの高架線からロープを使って街の外へと逃げたようだ」
ケインズののんびりとした声が響く。ケインズはリサに始末書を書くよう命じた後も帰らずに、彼女が書き終えるのを待っていたのだ。つまりは、彼も徹夜同然なのである。
「上出来だが、鉄道局の連中から苦情がきている。始末書を書かされたくなかったら、おまえらもあんまり強引に捜査を進めるなよ」
打合せの最中だ。面白がって視線を向ける者はいなかった。
「ということで、ディオンとルーカス。おまえらは今日、施設移転者の警備に就け。少し、頭を冷やしてこい」
ケインズの鋭い眼光がリサに向けられた。緊張感のないのんびりとした口調とは違い、そこそこの迫力がある。普通の部下なら、その一睨みで震えあがるだろうが、夜中に一喝されたばかりのリサは微かに肩をすくめただけだ。
「ルーカス、そいつの手綱をしっかり握っておけ」
「了解」
じゃじゃ馬扱いというわけだ。
今度は隠す素振りもなく、大きく肩をすくめて見せた。
「他に施設移転者の警備に就く奴を言うぞ」
ケインズが施設の警備を担当する者の名前を上げた。
正直なことをいえば、施設移転者の警備ははずれくじだ。仕事としても退屈な上に、施設居住者のつまらない話し相手にならなければならない。
リサは居住者とのやり取りが面倒だった。彼女を知る多くの者は、口を揃えて無愛想と言う。彼女自身も愛想が悪いと自覚はしているが、改善しようとは思わなかった。それは無駄な努力というものだ。報われないことはすべきではない。
打合せが終わり、施設へと向かう。道中、施設警備を命じられた面々の表情は晴れなかった。軍人となる者の多くは身体を動かすことを好み、得意だと主張する。施設警備という、立ったままの仕事を好む者は少ない。
「申し訳ありません、ルーカス少尉」
リサは隣を歩くジュードに囁き掛けた。ケインズに言われた言葉を思い出したのだ。
ジュードには手綱を握らせてしまっている。迷惑を掛けてばかりだ。この任務も、リサに対する懲罰のようなものだ。それにペアだからという理由で巻き込んでしまった。
「おまえら二人の教育係だったころより楽なもんだ」
ジュードは屈託なく笑った。
「主席と次席がクレムスに配属になったと聞いた時には、どれだけ優秀な奴らが来るのかと楽しみだったんだ。けど、優秀な分おまえらは問題児だったな。危なっかしくて、いつもひやひやしていた。特に実践訓練の時はな」
三年前を思い出した。あのころは、毎日のように叱咤され、毎月のように始末書を書かされた。リサに始末書の書き方を教えたのは、教育係のジュードだ。
訓練兵だったころに始末書を書く原因となったのは、主に訓練用の木剣や支給された剣をすぐに壊したことだ。支給された最初の真剣は、一週間と経たずにぽっきりと折れてしまった。
「こんな時こそ、あいつがいたら良かったのにな」
最後にジュードは、どこか自嘲気味に笑った。
「私の今のパートナーは、ルーカス少尉です」
「そうだ。俺の相棒はおまえだ、ディオン」
リサは目を伏せてこっそりと息を吐き出した。
「二日間動き回ったんだ。警備はいい息抜きになるだろう?」
ジュードの言葉にリサは鼻先で笑う。
「退屈すぎて、意識が抜けそうです」
「その意気だ」
ジュードが愉快そうに笑った。
施設警備のだというのに、普段と変わらないのは彼だけだった。
施設の正門へと通じる坂を歩いていると、騒がしい声が耳に届いた。リサとジュードは怪訝そうに顔を見合わせた。先を歩く憲兵も、同じように顔を見合わせている。
再び大きな声が響いて、憲兵らは弾かれたように走り出した。行き交う人々も何事かと目を丸くしていた。
施設の正門の前までやってくると、さらに大きな喧騒が耳を打つ。
「いつになったら移転出来るんだ!」
「こんな物騒な街にはいられない! 軍は何をやっている!」
怒号やら罵声が飛び交っている。ある者は顔を真っ赤にして叫び、ある者は頑丈な鉄格子を壊そうとゆすっていた。
「何があったんですか?」
ジュードが門の外に避難している管理者に問うた。管理者も困惑を隠せず、頭を押さえていた。
「私たちにも、よく判らないんです」
「教都への移転者を見た一部の者たちが大声を出して……」
門にしがみつく連中は、軍人の姿を見ると一層声を荒げた。あまりのうるささに、隣に立つ者とも会話が出来ない。
「どうなんだよ、軍人さん! 殺人があったってのは本当なのか⁉」
「殺人よりも亜人だ! 奴ら森から来るんだろ⁉ だったら、この施設は危険だ!」
「ああ、そうだ! 早いとこ、違う施設へ移転させてくれよ!」
駄目だ。この状態では人数が足りない。門を開けた途端に、彼らは脱走してしまう。
「ルーカス少尉」
名前を呼ばれたことに気づいたジュードが、リサの声を聞き取ろうと身を屈めた。
「応援を呼びます」
「ああ。頼む」
リサは胸ポケットから無線を取り出し、駐屯地に至急応援部隊を送るように通信した。通信を受け取ったのはケインズだった。怪訝な声を出しながらも怒鳴り声を聞きつけ、二つ返事で応援要請を受けてくれた。
何故、一部の居住者がこんなにも荒立ってしまったのか。
いや、問題は情報の漏洩だ。亜人に加え、昨日起きたばかりの事件まで施設居住者に筒抜けになっている。
――どこから漏れたんだ?
リサは腕を組んで考える。しかし、興奮状態の居住者と彼らを制止しようする憲兵の声に思考が乱された。
門の前には野次馬たちが集まりつつあった。だが、必要以上に近づく者はいない。興味はそそられるが、面倒事には巻き込まれたくないのだろう。
やがて喧騒の中に幾人もの足音と、金属が触れ合う微かな音が混ざる。どうやら応援が来たようだ。
先頭にはケインズの姿があった。ケインズの背後には、十人の隊員が控えている。応援に来た全員が、事態を見てひどく顔をしかめた。
「ケインズ隊長」
リサが歩み寄り、耳元で報告する。
「亜人と昨日の事件が施設居住者に知られています」
ケインズは押し黙るが、驚いた様子は見せなかった。それがリサには少しばかり意外に感じられた。
「騒いでいる者たちは、施設の移転を希望しているようです」
「そうか」
リサの報告に相槌を打ち、彼は鉄格子の前へと歩み出た。
騒いでいた者たちが興味をひかれたのか、ケインズへと目を向けた。怒号が尻つぼみに小さくなる。
「話を聞こう。おまえたちは、クレムスから出たいのか?」
誰も答えなかった。ケインズの鋭い眼光に、怖気づいたのかもしれない。
沈黙がその場を支配した。
「クレムスから出て、どこへ行きたい?」
痺れを切らしたケインズがもう一度問うた。すると、先程まで騒いでいた居住者のひとりがおずおずと話し出した。
「こんな野蛮な場所じゃなく、もっと安全なところに住みたい」
「そうだ……! 亜人なんて野蛮な生き物がいない場所へ行かせろ!」
ひとりが話し出すと、堰を切ったように口を開く者が出た。正門前は、再び喧騒に包まれる。
「ここから一番遠いところだ!」
「教都へ行かせてくれ!」
「私たちは安全な場所であれば、どこでもいいですから……! お願いします! 子供がいるのよ!」
亜人は山の中に生息している。確かにクレムスの施設は街の山側に建つが、亜人が頑丈な塀を乗り越えられるとは思わなかった。
そもそも、亜人で騒いでいるのはクレムスだけなのだろうか。
疑問が心中に浮かんだ。
他の街の近郊にも亜人が出没していれば、応援要請をした時に報告があってもおかしくはない。しかし、応援要請を拒否した中央なら、隠蔽していないとは言い切れないではないか。
「――おかしいなぁ」
のんびりとした低い声の主に、注目が集まった。
「俺ぁ、どこの街にも亜人が出没しているって聞いたぞ。なぁ、ディオン准尉?」
はったりだ。そんな情報はどこからも届いていない。
リサは突如として話をふられ、派手に顔をしかめた。
「いえ……」
腕を組んで上官を見返す。
「ここはまだ安全な方ではありませんか? 教都は軍の駐屯をあまり好ましく思っていないようなので警備が手薄です。だから、あんなことに……」
「そうだな。俺の同期もひとり減っちまった。この際、中央の情報規制に従っても意味はねぇよな」
厳格な顔つきの若い女性軍人が嘘を言うとは思えないのか、大声を上げていた者たちは真剣な表情で軍人二人の会話に耳を傾けていた。
「あいつら、徹底的に隠蔽して一般人を欺くことで平和に見せかけようとしていやがる。けどな、それじゃ何の解決にもならねぇ。危険から目を背けているだけだからな」
「事実を隠せば、軍の行動もそれに合わせなければなりません」
「普段と同じ人数で、さらに警備を固めるなんて、土台無理な話だよなぁ」
年嵩の軍人が頭を押さえながらしみじみとした口調で言う。何十年と軍人をやっているだけあって説得力は桁違いだ。
「おい、おまえら」
ケインズが振り返ると、その場にいた隊員が集合する。
「警備の人数を倍に増やすぞ。情報規制が無意味になった以上、住民の安全が最優先だ。特に、子供や年寄りが多い施設の警備を厳重にする」
「ケインズ隊長」
この茶番がより一層の真実味を帯びるように、リサは言った。
「幾つか魔導石を用意していただければ、施設に結界を張ることが出来ます」
「そうか。なら、至急手配しよう」
ケインズは門を振り返り、いかにも申し訳なさそうな表情を取り繕った。
「すまねぇな。俺たちに出来んのはこのくらいだ。移転希望が早く受理されるように手配しておくから、今日のところは勘弁してくれ」
ひとりがばつが悪いとばかりに後頭部を掻き、施設内へと戻って行った。他の者たちもそれに倣い、やがて正門は静けさを取り戻した。
集まっていた野次馬も、事態が収束したのを見届けて散って行った。
集まった憲兵たちが、安堵の溜息を漏らす。
「上出来だ、ディオン」
頭に大きく厳つい手が乗せられた。笑みを浮かべるケインズとは対照的に、リサはむっとした表情を浮かべていた。
「あんな茶番に付き合わせないでください」
「無愛想なおまえが言うと、嘘だと思わないだろう?」
自覚はしているが、失礼な物言いだ。後見人とはいえ、もう少し気遣ってもらいたいものだ。しかし、いくら反論しても取り合ってはもらえないだろう。いっそ面白がって揶揄されるのが目に見えている。
口元を緩める隊員たちを見て、リサはうんざりとした様子で溜息をついた。
「それより、早く結界を張りましょう」
施設を見上げながら言う。しかし、返事を待っても誰も何も言わなかった。
リサは訝しみ、隊員たちを振り返った。
「おまえ……。あれ、はったりじゃなかったのか……?」
全員が口を閉じるのを忘れたようだった。