「おまえは守護者の伝説を信じていたな」
死体が発見された現場で魔物に遭遇することはなかった。
昼から日が傾くまで発見現場を調べたが、死体に関する新たな情報は得られなかった。
死体が倒れていた場所には、大量の血の跡があった。胸が悪くなる光景だったが、その跡が残っていたために、一体一体がどこに倒れていたか正確に知ることが出来た。
死体は三体が同じ場所に倒れていたわけではない。三体とも近くにあったのは確かだが、それぞれが数十歩ほど離れた場所に倒れていた。
おそらくは、逃げようとしたのだろう。亜人か不審者に襲われ、彼らは逃げ惑ったはずだ。だが、その甲斐なく殺されてしまった。
犯人は被害者を囲めるだけの人数ではなかった。二か一。
――いや、単独だ。
谷の地形では、標的を囲むには二人いれば充分である。囲めない人数となると、必然的に単独となる。死体が三体とも離れていたのは犯人が単独だったが故に、一度に相手に出来る数に限りがあったためだ。
しかし、亜人か不審者か断定するには至らなかった。
駐屯地で一番の高さを持つ建物の屋上で、リサは長い溜息を漏らした。
油断していた。いつもなら確認しに走るはずなのに、何故今回に限って確認を怠ってしまったのだろうか。
これからは気を引き締めなければならない。亜人といい、今回の事件といい、注意すべきことが多い。
最後にもう一度溜息をつき、リサは帰路についた。
脱出位置を捜索した班も、成果はあがらなかった。今日は無収穫のまま解散となったのだ。
施設が閉門となると、街の人通りは急激に減る。辺境のクレムスは、施設が門限を迎えると同時に眠りに就く。
昨日も今日も帰りが遅くなった。夕飯を用意してくれるソフィアには悪いことをする。
自宅への道中、彼女は中央広場へと立ち寄った。人の姿は疎らだが、街灯があるため明るい。
広場の中央には噴水がある。噴水には巨大なオブジェともいえる宝石が飾られていた。人類を守る魔導石のひとつだ。
結界を張る巨大な魔導石は五つある。その魔導石がひとつの結界を張り、結界が重なり合って人類の生存圏をつくりだしているのだ。
「どうしたの?」
背後から声を掛けられ肩越しに振り返ると、ソフィアの姿が目に入った。
「おまえこそ、こんな時間までどこへ行っていたんだ?」
腕を組んで答えにもならない答えを返した。
「ちょっと、友達のところにね」
「そうか」
ソフィアは中央で寮生活を送っている。大学の長期休暇でもないと、クレムスには帰ってこない。久しぶりに友人に会えば、長話にもなるのだろう。
リサはもう一度、巨大魔導石を見上げた。
「――そういえば、おまえは守護者の伝説を信じていたな」
ソフィアがきょとんとした様子で目を見開いた。
昔、この魔導石を見上げながら守護者の話を聞かせてやった時のことを思い出したのだが、ソフィアは覚えていないのかもしれない。それくらい幼いころの思い出だ。
「ここで童話を読んでた私に、お姉ちゃん話してくれたことあったね」
けれど、と彼女は続けた。
「童話とか伝奇小説は好きだったけれど、信じてたわけじゃないよ。疑ってもないけれどね」
「覚えていたのか……」
てっきり忘れていると思い込んでいたリサはぽつりと呟いた。すると、ソフィアが悪戯っぽい笑みを口元に浮かべた。
「自分から言い出したのにその反応?」
くすりと笑う。
「でも、懐かしいね。守護者の話なんて」
「本当にこの魔導石が結界を張っているのなら、人類はあまりにも無防備だな」
リサは腕を組んで尤もらしく言った。
「結界を張る魔導石のひとつがなくなるだけで、生存圏はずいぶんと小さくなる。それも、生産地帯の魔導石が破壊されれば、人類は野垂れ死にだ」
「そんな物騒なこと考える人、いないと思うけれど。それに、魔導石ってそんな簡単に壊れるものじゃないって聞いたよ」
誰に、とは問わなかった。聞かずとも、それが母親だということは充分に察せられた。こんな時、自身が大人になりきれていないことを痛感する。
「こうして飾ってあるのは、守護者となった三の竜の存在を身近に感じさせるためかもしれないね。七百年前の大戦から人類を救った守護者と神様への畏敬の念を風化させないため、とか」
確かに、ソフィアの言うことは的を射ているかもしれない。リガス教的思考が気に入らないが。
「――七百年前、カンヘルとアスクルは仲違いし、星を傷つける大きな戦争が起きた。アスクルの兵器が大地を駆け巡り、そしてすべてを焼き払った」
伝奇の一節だ。リサも読んだことがある。
「兵器を使ったのがアスクルだけとは思えないが、どちらにせよ、その大戦のせいで人類は滅亡の危機に瀕したわけだ」
「そうだね。きっと、カンヘルも兵器を惜し気なく使っていたと思う」
ソフィアが一度息を吐き出した。
「兵器と瘴気によって、多くの人が命を落とした。それを見かねた守護者が五つの魔導石により結界を張って、人類に安住の地を与えた。今の人類があるのは、守護者様の――ひいては守護者をつくった〈神様〉の賜物」
リサはソフィアの言葉に溜息を漏らした。眉根を寄せて、妹の横顔を見下ろす。
「おまえ、リガス教徒にでもなったのか?」
「う~ん。リガス教を否定する気はないけれど、盲目的に信仰する気にはなれないかな」
それは一安心だ。妹が宗教なんぞにのめり込んでしまったら、両親の墓前には立てない。それほど頻繁に墓参りに行っているわけではないが。
「――久しぶりに帰ってきたんだ。遊んでばかりいないで、二人の墓参りにもちゃんと行けよ」
「お姉ちゃんこそ」
リサは小さく笑う。
「なら、仕事が落ち着いたら一緒に行こう。しばらくはクレムスにいるんだろう?」
「うん。そのつもり」
士官学校と大学は違う。士官学校に籍を置く者は、すでに管理層の人間として扱われる。そのため長期休暇はなかったが、学生であるソフィアは一ヶ月以上もの休みを与えられている。
「そろそろ帰ろう」
リサは足早に歩き出した。その数歩後をソフィアが追った。
「ところで、今まで仕事だったの?」
「ああ」
「昨日も帰り遅かったよね。忙しそうだけど何かあったの?」
「何もないさ。いつも通りだ」
背後で息を吐き出す気配がした。どうやら、守秘義務の範疇であることに気づいたようだ。
「お墓参りもだけど、仕事が落ち着いたら二人でオルレアンにでも行こうよ」
オルレアンは別名娯楽都市という。中央や他の都市と比較にならないほどの娯楽施設が立ち並んでいて、各地から人が集める。その規模の大きさから、一週間滞在してもオルレアンを歩き尽すことは出来ないと言われている。
「オルレアンか……」
特に若者に人気の街だが、リサはオルレアンの名を聞いて渋面をつくった。
「あそこは苦手だ。私なんか誘わないで、友達と行ってこい」
彼女は騒がしいあの街が好きではなかった。喧騒が頭に響いて不快なのだ。何もないクレムスの方がよほどすごしやすい。
「息抜きも必要だから。モノレールに乗ればすぐでしょう?」
息抜きどころか、息が一層詰まる。
――いや、モノレールか……。
リサは足をとめた。頭上を仰ぐと、モノレールが走行する高架線が街の外へと続いていた。
はっとした。
高架線は街を囲う高い壁を跨いでいる。高架線を走行するモノレールは門を潜らずとも街に出入りしているではないか。
「ソフィア、先に帰れ」
「え? ちょっと――」
ソフィアをおいて走り出した。急がなければ、駅が閉鎖されてしまう。
モノレールが出入りする駅は高所にある。階段で駆け上がるのは時間が惜しい。リサはエレベーターへと乗り込み、駅構内へと入った。
駅の出入口のシャッターを下ろそうとしていた鉄道局の男が、突如として現れた軍人の姿に目を瞬いた。
「もう閉めますよ、軍人さん」
「少しだけ、入らせてくれ」
ゆっくりと下がり始めたシャッターを無視して、彼女は返事も待たずに駅に侵入した。
「ちょっと待ってください!」
背後で鉄道局の男が喚いたが、それにも耳を貸さなかった。
周りにいた他の者たちは何事かとリサに目をやるが、誰もとめに掛からなかった。
改札口を跳び越えてプラットホームへと入る。一旦足をとめ、睨みつけるような鋭い目でプラットホームを見渡す。
プラットホームの片隅には、樽が積まれていた。大きさは、成人男性ひとりが座って入れるくらいだ。さらに、樽の上には濃緑色の厚いシートが掛けられていた。
「困りますよ。勝手に入られたんじゃ」
あとを追ってきた男がリサに歩み寄る。
「あれはいつからあるんだ?」
リサが樽を指差しながら問い掛けた。男は一瞬面食らった様子を見せた後に、おずおずと口を開いた。
「しばらくあると思いますが……」
「処分しないのか?」
男が今度は肩をすくめて見せた。処分出来るものならしてしまいたいと言っているようだ。
「あれ酒樽なんですけど、いつもは空になったのを回収するんですよ。けど、どうしてか今回はなかなか回収の通達がこなくて」
「倉庫にしまわないのか?」
「倉庫が一杯なんですよ」
突如として現れた軍人に、理不尽にも責め立てられたと感じたのか、男は苛立たしげに呟いた。
「何か問題でもあるんですか?」
「大ありだ」
リサは再び歩き出し、ホームからレールへと飛び下りた。またしても背後で男が喚いたが、彼女は無視を決め込んだ。
レールは上りと下り用の二本が平行に並んでいる。一本は人が歩けるほどの太さを持っている。そのレールの間隔を保つため、一定間隔で水平材がレールとレールを繋いでいた。
リサはレールの上を歩いた。プラットホームを出ると、足下にはレールと水平材しかなくなる。時折、レールを支える太い柱が設置されているが、内臓がぞわぞわとする不快な感覚はなくならなかった。
「軍人さん、危ないから戻ってきてください!」
制止の声が幾重にも重なるが、リサは振り返らない。レールは太いが、注意していなければ踏み外してしまう。
やがて制止の声は耳に届かなくなり、足下に広がる街並みが草原へと変貌を遂げた。
リサは右の人差し指を立て、呪文を一言唱えた。すると、立てた指の先端が眩い光を発した。
照明魔法による明かりを頼りに、彼女は歩みを進めた。
リサが歩みをとめたのは、街の外へと出て一本目の支柱の上だった。支柱の東側の水平材に、ザイルが縛りつけられているのを発見したのだ。
注意深く水平材へと足を下ろす。水平材はレール同様、人が乗ったくらいではびくともしなかった。目を凝らして見れば、水平材にはリサの物でない足跡が残っている。どうやら、脱走位置はここで間違いないようだ。
リサは指先を弾いて、光源を浮遊させた。空いた右手を使い、闇の中へと垂れるザイルを引き上げた。
ザイルの重さが手に伝わる。この重さなら、地面まで届いているだろう。
ザイルを両の手で握り、リサは草原へと滑り降りた。
膝ほどの高さを持つ草が生い茂る大地に降り立った。浮遊する光源が彼女の後を追ってくる。
脱出成功だ。
死体となってしまった三人は、昼間駅に侵入して樽に身を潜めた。そして、鉄道局員がいなくなった夜中にレールを伝い、ザイルで脱出したのだ。
脱出の動機はまだ判らない。施設での生活に飽きて、新天地を求めたのかもしれない。
とにかく、明日になったら上官に報告しようと心に決め、リサは門を目指して歩き出した。ザイルを使って高架線へと登ることも出来るが、三人がどのように山へ向かったのか考えるには、歩く方が良い。
この時間では門は閉じられているだろうが、軍人という立場上、門の隣にある小さな扉から中へ入ることが出来る。その扉は門警備を担当する者の宿直室に通じているので、少しばかり問題になるかもしれないが、事情を話せば見逃してくれるだろう。