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「これから忙しくなるぞ」

 あくびを噛み殺す。涙に視界が歪んだ。隣の上官と同時に目頭を押さえた。


「寝不足か?」


 声にも眠気を含んでいる。


「少尉こそ」


 またしても、二人同時にあくびを噛み殺す。


「不毛な会議、だったな……」


 リサとジュードが駐屯地へ戻ると、すぐさま会議が開かれた。

 クレムス駐屯地勤務の隊長が勢揃いして行われる会議など、三ヶ月に一度くらいだ。もちろん、そのような会議にリサが出席することはない。彼女が出席する会議と言えば憲兵隊の、およそ会議とは言えぬ打合せくらいである。それも、部屋の片隅で行われるような。


 会議ではまず、リサが報告を行った。亜人の特徴や行動についてなど事細かな聴取を受け、彼女は主観や推測を交えずに事実のみを話した。

 話が進むにつれ、会議に出席する者たちの表情は険しくなっていった。何しろ、亜人と対峙したことにより、謎ばかりが増えたのだ。


 報告が終わると、皆が溜息を漏らした。

 続いて、今後の亜人への対処方法を話し合うことになったのだが、それからが長かった。


 会議は揉めた。

 街の警備に徹するべきと主張する者と、すぐさま亜人討伐へ向かうべきとする者が口論を始めた。さらには、中央に応援を頼むか否かでもう一悶着。


 結局のところ、亜人の討伐に向かうことは司令官が許可しなかった。討伐に向かうには、まだ情報が不足していると判断したのだ。

 司令官はこう命令を下した。街周辺の警備と亜人の情報収集に徹しろ、と。


 討伐へ向かうには、亜人について詳しく知る必要がある。そのための情報収集だ。情報収集を命じられた隊には、亜人と対峙したリサも参加することとなった。本来、憲兵である彼女は街中の警備が仕事であるが、非常事態だ。職種にこだわっている場合ではない。もとより彼女は何度も魔物駆除に借り出されたことがある。憲兵であることにこだわりはなかった。

 亜人の討伐へ向かうには、クレムスの隊だけではおそらく不足だろうと、司令官は中央に応援を要請をした。中央から応援が到着次第、亜人の情報を開示して討伐に向かう運びとなった。

 中央は辺境からの要請に、「至急、応援部隊を編制する」と答えた。


 司令官の決定に反対する者はひとりもいなかった。


 かくて、翌朝から情報収集の任務が始まる――はずだった。

 中央から連絡が届いたのは、早朝のことだ。連絡事項は、応援要請の拒否――だけではなかった。


 中央の軍人は、亜人に関連する一切を禁ずると言って寄越したのだ。

 クレムス駐屯地は、朝から大騒ぎとなった。昨日、会議の後に立てた計画が破綻となり、急遽街の外の警備隊が再編制された。

 情報収集の任務を与えられた隊は警備隊に回された。憲兵であるリサは外され、教官も他の者に担当が代わった。今はジュードと共に街中の巡回に当たっている。


 あくびと溜息が交互に口をついた。


 中央が応援要請の拒否と亜人についての一切を禁止したのは、手柄を得たいがためだと囁かれた。応援という立場ではなく、本隊として亜人の調査と討伐に乗り出したいのだという。そのための部隊編制にも時間が掛かるため、手柄を取られたくない中央は情報収集さえも禁止したのだ。そのくせ、現時点で得ている情報の詳細を明かすよう要求してきた。

 対応した軍人も激昂し、音声通信の相手を怒鳴りつけたという。その軍人は後に上官と司令官に何度も頭を下げていたが、叱咤されるどころか良くやったと肩を叩かれていた。さすがの司令官も、今回の中央の対応には頭を痛めたようだ。

 一介の軍人であるリサも、中央の対応には呆れるばかりだった。


「中央はエリートの連中が多いが、その分腹の底で何を考えているか判らない奴も大勢いる。今回の亜人騒動も、中央の誰かが出世するために利用されるんだろうな」


 穏やかなジュードも、珍しく皮肉を言い募る。巡回という暇な任務が、皮肉を言う口を後押しした。


 坂道を上りきると、塀に囲まれた大きな建物の前へと出る。

 建物の敷地と街とを繋ぐただひとつの門の前に人だかりが出来ていた。


「あれは……?」


 市民だけでなく軍服を着た人間もいる。どうやら、揉め事ということではなさそうだ。


「ああ、施設の移転者だ。教都に新しい施設が出来たのは知っているだろう? それが竣工して、今日から入居が始まるらしい」


 ジュードの説明に、リサは納得した。


 施設とは、職を持たぬ者たちが入ることを義務付けられた生活場所だ。

 魔導石による魔法科学が発展した現代において、労働は義務ではなくなった。生を受けた子供たちはいくつかの教育課程において淘汰される。成績優良者のみが次の課程へと進み、やがて政府から職を与えられるのだ。


 職を持つ者は管理層と呼ばれ、行動の自由と情報の開示が保障される。一方、無職の者は従属層と呼ばれ、施設での生活と情報・行動の制限を受けることになる。しかし、施設住居者にも市民権があり、生活手段のすべてが保障されているため、制限を受けるとしても施設での生活を選ぶ者が大多数だ。

 例外として、軍人になるための訓練学校は成績優良者でなくとも入学出来るが、厳しい訓練を経て軍人になるよりも、やはり施設へ居住することを選ぶ者が多かった。

 管理層は制度上カンヘルが多いが、アスクルとの対立が起こることはなかった。施設制度は、対立を防ぐために設けられたのだ。


「教都の施設は規模が小さかったからな。大きな施設が出来るっていうんで、移転希望者が多かったんだ。何より、教都はリガス教の総本山だからな」


 世界と守護者を創造したとされる唯一神を信仰するのがリガス教だ。世界的な宗教であり、特にアスクルに熱心な信者が多い。だからこそ、態々居住施設の移転を希望する者も多いのだ。


「どうせ祈るのなら、総本山の大聖堂がいいんだろう」


 リサには理解出来なかった。彼女は信者ではない。存在が定かではないものを信仰して、何が起きるというのか。


「神にすがる者たち、ですか」


 リサの呟きに、ジュードは苦笑を漏らした。


「俺も信者じゃないが、リガス教が平和に一役買っているのは事実だ。それだけで、宗教的な意味合いはある」


 リガス教は信者の多さゆえ、政府さえも無視出来ぬ発言力を持つ。そのリガス教が七百年前の大戦から、近代兵器の製造と使用を禁止しているのだ。故に、軍でさえ許可が下りなければ持つことも使用することも出来ない。ジュードの言う通り、リガス教が平和に一役買っているのは事実だった。

 しかし、リガス教は再び過ちを犯さぬためとしているが、実際は政府の軍事力を制限し、どちらか一方に力が偏るのを避けるためだと噂されている。


 門の混雑を眺めながら話し込む二人を見つけ、憲兵のひとりが大きく手招きした。

 リサとジュードは顔を見合わせ、小首を傾げた。とりあえず、手招きする軍人の元へと向かう。


「大変そうですね」


 ジュードが声を掛けた。手招きしていたのは、二人の上官である。


「明日はおまえらもここの担当だ」


 ――それは面倒な……。


「俺たちを呼んだのは、手伝えってことですか?」


 ジュードが勘弁してくださいと顔をしかめるが、上官は真面目な顔を崩さなかった。


「違う」


 近くにいた部下に持ち場を頼み、上官は人通りの少ない道にリサとジュードを連れ込んだ。


「何かあったんですか?」


 上官が顎を引いた。軍服のベルトに括り付けたポーチから写真を何枚か取り出し、ジュードに手渡した。


「施設で無断外泊した奴らだ」


 施設居住者は行動の制限を受けるが、施設と街の中なら自由に行き来出来る。ただし、外泊や違う街へ行く場合には事前に申請し、許可を得ねばならない。


「昨夜、ですか?」

「そうだ。モノレールへの乗車許可は下りていない。この街にいるはずだ」


 都市と都市はモノレールにて往来が可能だ。行動制限を受ける施設居住者は、許可証を提示しなければ乗車することは出来ない。

 街の外に出る門には憲兵が立っている。門は夜には閉門されるので、外に出るのは不可能だ。


「巡回している連中で捜索に当たれ」


 規則を破った者には、三日間の外出禁止という罰則が科せられる。何度も規則を破る者は罰則期間が延長される。

 しかし一晩だけの無断外泊なら、けろっと戻ってくるのではないか。一晩の無断外泊だけで捜索するのは、少しばかり大袈裟だ。

 それに、上官は態々人気のない場所にまで移動させた。


「無断外泊の他には?」


 リサの問いに、上官は片頬を上げた。


「昨日、おまえらが訓練に出ている最中に窃盗を働こうとした奴らだ。未遂で終わったんで、捕まえはしなかったがな」


 窃盗とは、また珍しい犯罪だ。

 施設居住者や管理層に関わらず、生活必需品は支給される。嗜好や娯楽の類の物は、月に支給される数が決められているが、窃盗をしてまで入手しようとする者は滅多にいない。

 盗むなら嗜好品や娯楽用品だろう。あるいは、支給されることのない物か。


「何を盗もうとしたんですか?」

「貨物車から下ろされた荷物だ。倉庫に運んでいるところをつけている不審者がいると通報があった」


 白昼に窃盗を試みるなど、無謀以外の何物でもない。だが、その無謀な者たちが同日に無断外泊をしたとなると、一晩外で頭を冷やしていたわけではないだろう。


「今日も何かやらかすかもしれない」


 人気のない場所でこの話をしたのは、窃盗の模倣犯が出ることを防ぐためだ。施設居住者に情報制限が課せられるには、このような意味がある。


「事前に防ぐためにも、早く捜し出せ」

「了解」


 リサとジュードは同時に敬礼した。

 二人は上官を見送ると、無線で街を巡回している憲兵に一旦駐屯地へ戻るように指示を出す。その後、二人も駐屯地へと戻り、集まった憲兵に上官からの命令を伝え解散した。


 リサとジュードは施設周辺の捜索を担当することになった。

 捜索は地道だ。身を隠せそうな場所をしらみつぶしに捜し、そして見かけた者に片っ端から声を掛けて回る。一晩の無断外泊くらいでは、公共の電波を使用することは出来ないのだ。


「判らない」


 溜息が口をついて出た。これで何連敗目か判ったものではない。


「こいつら、施設でいつも一緒にいる連中だな」


 三十代と思しきアスクルの男性が写真に睨むような視線を浴びせる。

 これは何か聞き出せるかもしれないと、ジュードが微かに身を乗り出した。


「俺が知ってんのはそんくらいだよ、憲兵さん」


 にやりと悪戯っぽい笑みを浮かべる男性に、ジュードは乱暴に後頭部を掻いた。期待させるなとぼやいている。

 男性が笑いながら写真を返した。


「けど、一晩無断外泊したくらいで憲兵さんの仕事が増えちまうのか」

「そうなんだよ。だから、そんなこと考えている奴を見かけたら、ちゃんと叱っといてくれ」

「そんなこと、話す奴がいたらな」


 男性は足下に置いた荷物を持ち上げる。


「これからどこかに?」


 男性の荷物は旅行鞄だ。泊まり掛けでどこかへ行くのだろう。


「ああ、教都にな。月に一度の楽しみだ」


 男性は嬉々とした表情を見せた。どうやら、リガス教の熱心な信者らしい。

 教都はクレムスの北東に位置する。最西端のクレムスは教都から一番離れていた。だからこそ、教都の施設に移転希望を出す者が多いのも仕方ないのかもしれない。


「そうか。協力、感謝する」


 ジュードが礼を述べると、男性は足早に駅へと去って行った。


「俺たちもそろそろ戻ろう。昼だ」


 有力な情報を得られぬまま時間が過ぎた。駐屯地に戻ったら昼食をとり、他の地区の捜索に当たった憲兵隊員と打合せをしなければならない。そこでの報告を吟味し、午後の捜索計画を立てるのだ。

 しかし、駐屯地は騒然としていた。朝の騒ぎよりも一層騒がしい。


「何かあったんですか?」


 棟の出入口に集まる上官たちに声を掛ける。すると、彼らは肩をすくめて見せた。


「おまえたち、これから忙しくなるぞ」


 リサとジュードは顔を見合わせた。


「霊安室へ行ってみろ」


 胸がざわついた。


 薄暗く寒さを覚える霊安室へと入り、胸のざわつきは溜息へと変わった。

 血の気のなくなった三つの死体が横たわっている。すべて男だった。着ている服が血に塗れていることから、死因は外傷による失血死だと思われる。よく見れば、服の一部が裂けていた。鋭利な物で裂傷と刺傷を受けたようだ。そして、よく見ずとも三体の死体が、憲兵隊が捜索している者たちだと判断出来た。


「西の山の中で発見しました。小さな谷のところです。遺体は三体とも少し離れた場所に倒れていました」


 発見した兵が、その時の状況を簡潔に説明する。組織の内外を問わず、犯罪捜査を担当するのは憲兵隊の仕事なのだ。


「山の中、か」


 頭の痛い話だった。

 施設の人間が許可もなく街の外へと出る。これは重罪だ。捕まれば一生を独房で過ごすことになる。仮に、これが殺人罪であった場合、犯人は問答無用で極刑だ。

 重罪を犯した犯人の中には刑を恐れて、街の外での生活を選ぶ者もいる。彼らはアウトローと呼ばれ、法の保護下から除外される。アウトローは街の外で生活する限りは、刑を執行されることはない。しかし、街へ入ることは一切出来なくなり、自給の生活を余儀なくされる。


「殺人か?」


 重罪を犯す者は滅多にいない。刑もアウトローに成り下がるのも、一般人にとっては恐怖の対象なのだ。


「いえ、亜人という可能性もあります。まだ断定は……」


 そう言いつつも、リサは昨日の訓練中に見掛けた訓練兵の姿を思い出していた。


 いや、訓練兵と思い込んでしまった人の姿だ。


「――ルーカス少尉」


 確認に行かなかったことが悔やまれるが、彼らが死んだのは訓練が中止された後だということは確かだ。訓練中に死体はなかったのだから。


「昨日の訓練中に、獣と交戦する人影を視認しました」


 リサは深々と頭を下げた。


「報告が遅くなり、申し訳ありません」


 霊安室が沈黙に包まれた。発見者の若い軍人が、息を呑んだのが気配で判った。


「頭を上げろ」


 頭上から低い声がした。


「視認した奴の姿は覚えているか?」

「いいえ。私が目撃した位置からは遠く、木々に視界を遮られていましたので、容姿は覚えておりません」

「数は?」

「視認したのはひとりだけです」


 頭を上げて報告すると、ジュードは短く息を吐き出す。


「報告しなかったのは問題だが、どちらにせよ訓練中に死体はなかった。亜人騒ぎの中では、俺たちに防ぐことは出来なかったさ」


 離れた場所にいた若い軍人が、ほっと胸を撫で下ろしたのが目に入った。


「問題は、被害者がどうやって外に出たかだ。門の警備を担当した奴らから、そんな報告は上がっていない」


 リサが軍人となって三年が経つが、街から脱出したものはひとりもいない。やんちゃ盛りの子供が街の外に出ようとしたことはあるが、あえなく御用となった。さすがに子供だったので、その場でこっぴどく怒られて騒動は終了した。


 二人は霊安室から出た。

 事務棟の一室に憲兵隊員が集められた。

 長年クレムス駐屯地に勤めた者でさえ、街の外へ脱走した者はいなかったと口を揃えた。まして、死んで見つかるなど前代未聞だった。


「ディオンが見た不審者に殺されたか、亜人に殺されたかは判らない。だが、これから我々は大忙しだ。しばらく休みはないと思え」


 憲兵の面々が唇を引き締めてうなずいた。


 亜人と三つの死体に関しては、箝口令が敷かれた。施設居住者だけでなく、一般人にも伏せるようにと指示を受けた。捜査は難航するだろう。住民への聞き込みも出来ないのだ。情報規制というのも、事件が発生してしまえば不便なものである。足枷にしかならない。


「午前の聞き込みで、死体の行動について得られた情報はない。これ以上聞き込みが出来ない以上、自分たちで脱走場所を特定するしかない」

「現場へ行く班と、脱走位置を特定する班に分けるぞ」


 上官の指示の下、憲兵たちは昼食も食べずに与えられた任務に就いた。


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