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「俺に出来んのは……、聞き流すくらいだ」

 囮役が司令官の弟だと知った時から、策略のようなものを感じていた。そして、ジェイドと話をして、それは確信へと変わった。

 あの任務は間違いなく、自身に見せるためのものだった。ジェイドは否定していたが、エリオットやリオンは作戦の結末を予想していたはずだ。


 ――眠れるわけない。


 昨夜も一睡も出来なかったというのに、今宵も眠れそうにはなかった。明るいうちは眠気もあるというのに、まったくもって天邪鬼な身体である。


 リサはシェーンブルクの宿を出た。エリオットには勝手に歩き回るなと言われているが、知ったことではない。ひとりでじっとしているほど、長い夜はないのだ。


 夜中ともなれば、一国の都も静まり返る。とりわけ、宿がある地区は歓楽街とは離れた場所だ。周囲を見渡しても、人の姿はなかった。


「本当に……」


 覚えず呟く。


 ――知らない場所に来てしまったんだな。


 ソフィアのことを考えるためにも、ひとりになりたかった。しかし、ひとりになったところで、いくつもの思考がふわふわと浮かび、混ざり合うだけでまとまることはない。

 否、混ざり合うなんてものではない。昨夜の一件で、掻き乱されたのだ。


「あのころから、ちっとも成長しないな……」


 逃げ出したくて堪らなかった。まとまりもしない思考を巡らせることに、疲弊しているようだ。

 知らない空を見上げる。煌めく星も、澄んだ空気も、すべてが自分を突き放しているようで憎かった。


 ――どうせ突き放すのなら……。


 殺してくれ。


 完全に思考を停止させるには、意識を絶つ他ない。それが死を意味することなど言うまでもないだろう。


 そんな時に、死神は現れた。

 空気を裂く鋭い音が耳に届いた。その直後、リサは左の肩口に焼けるような衝撃を受け、片膝をついた。


「――っ!」


 歯を食い縛る。矢が刺さったと認識した瞬間、痛みが襲った。


 殺気が消えた。二の矢は射られない。発射場所へと視線を移すが、そこに人の姿はなかった。


 一思いに矢を引き抜くと、傷口から血が流れ出した。深手ではないが、骨が砕けているようだ。左手が動かない。


「しくじるなよ」


 反射的に矢を避けてしまうとは、とんだお笑い種だ。


「死を望むか?」


 男の声が独白に答えた。


 全身の毛が逆立つような強い殺気を感じた時には、リサは何度も地面を転がっていた。


「リサ!」


 何とか身体を起こすが、蹴りを受けた衝撃に眩暈がした。立ち上がろうにも、頭がくらくらする。しかし、そんな中でも駆けつけた男の存在は認識出来た。


「ウィル……。おまえ、なんで……?」


 問い掛けるが、彼は何も答えない。


「その女と違って、大人しく殺される気はないようだな」

「仮にも暗殺者が、口動かしてんじゃねぇよ」


 対峙する暗殺者が鼻で笑った。刹那、瞬く間に間合いを詰める。

 暗殺者の力量は油断出来ないものだ。リサは身をもって、その実力を味わっている。だが、ウィルは冷静だった。


 リサの目前で、間合いに入った暗殺者の短剣を避けて足をすくう。体勢を崩した暗殺者だが、驚いたことに腰を捻って攻撃に転じる。

 ウィルが回し蹴りを防ぐが、続けて振られた短剣が容赦なく腕を裂いた。さらに、暗殺者が一歩踏み込み、鳩尾を一突き。


「ウィル……?」


 二人の動きがとまった。


 リサは息を呑んだ。冷たい汗が背筋を流れる。


 からん。

 短剣が音を立てて地面に落ちた。どうやら、刺されたわけではないようだ。


 ウィルが短剣を取りこぼした暗殺者を後ろ手に拘束した。


「目的は?」


 案の定、暗殺者は口を噤んだままだ。痺れを切らしたウィルが、もう一度低い声で問い掛ける。


「アークの人間は死ぬべき、か?」

「判っているじゃないか……っ。いくらリオン様の望みとはいえ、レヴェリス様を――」


 すべてを話し終える前に、暗殺者は心臓を射抜かれた。

 矢が飛んできた方へと目を向ける。民家の屋根の上だ。黒い服に身を包んだ弓士の姿があった。おそらく、リサを射撃した人物だろう。


「仲間じゃないのか……?」


 目が合った――気がした。仮面をしていたから断定は出来ない。

 しかし、それだけだ。次に何が起こるわけでもなく、弓士は無言のまま姿を消してしまった。


 追いはしなかった。リサもウィルも、そんな気分ではなかった。


「すまない、ウィル。今、怪我を……」


 振り返った男に睥睨され、リサは目を落とした。


「リサ。おまえ、殺される気だったのか?」


 視線と同様、声も冷ややかなものだった。


「……そうだな。それも悪くないと思っている」

「ふぅん。まぁ、おまえがそうしたいってんなら、別にとめる義理はねぇけど」


 さしたる興味もないとばかりに、彼は続けた。


「――そんなに、情けない奴だとは思わなかった」


 ぷつん。

 リサの中で何かが切れた。それが堪忍袋の緒なのか緊張の糸なのかは、リサ自身にも判らない。ただ、無意識のうちにウィルの胸座を取っていた。


「だったら私はどうすればいい! 頭の中、ぐちゃぐちゃだ……っ」

「知るかよ。おまえが決めろって言っただろ? それに、俺はおまえの弱音なんて聞くつもりねぇからな」


 顔をしかめたウィルがリサの手を振り解き、背を向けた。言葉通り、突き放すような態度だが、続けられた声には目頭を熱くするような響きがあった。


「俺に出来んのは……、聞き流すくらいだ」


 溢れ出した感情に、息が詰まった。鼻の奥が鈍い痛みを発する。


「……充分だ」


 リサは大きな背に額を押し当てる。泣いたのは、久しぶりだった。


 悪くない一時だった。だが、そんな時間は長くと続かなかった。

 ウィルの身体が傾いだ。


「ばかやろ……っ」




 ウィルが目を覚ましたのは、昼がすぎてからのことだ。

 腹部の刺傷は深かったが、幸いにも急所は外れており、命に別状はなかった。ただ、あの傷を負っておきながら、平然を装うなど阿呆以外の何者でもない。あの時に聞こえたかは判らないが、もう一度「馬鹿野郎」の一言を言ってやらねば気がすまない。


「起きたんだな」

「おう。おはよう」

「もう昼すぎだ」

「そりゃ、結構寝ちまったな」


 起き上がろうとするウィルを制する。


「どうせなら、まだ寝ていろよ。顔色、良くないぞ」


 リサの言葉にウィルがにやりと笑った。


「心配してくれんの?」

「さぁな」

「なんだよ、それ」


 ウィルがこれ見よがしに大きく肩をすくめた。

 心配はしている。彼が死んでしまうのは嫌だとも思った。しかしながら、素直にそうだとは言えなかった。


「おまえはどうなんだ? 怪我、してたろ?」


 リサは左肩に手をあてがった。触れても痛みはない。すでに魔法によって完治している。出血量も、ウィルほど多くはなかった。


「心配してくれるのか?」

「それはもう心配で心配で」

「悪かったよ」


 冗談紛いに言うウィルに詫びる。後をつけられるというのは、あまり心地よいものではないが、実際に彼が駆け付けてくれなければ、リサは暗殺者に殺されていただろう。


「――なぁ、ウィル」


 硝子越しに外へと視線を移す。


「ん?」

「ソフィアは、苦しんでいると思うか?」


 ウィルに背を向けたまま問い掛けた。だが、問い掛けたといっても、明確な答えを期待しているわけではなかった。


 背後の男が深呼吸をした。


「どうだろうな。俺には判らねぇよ」


 けど、と彼は続けた。


「普通の状態じゃないのは確かだ。それを、苦しいっていうのかもしれない」

「……そう、だな」


 苦しんでいるのか、あるいは守護者の器となった瞬間に、人間としての死を迎えているのかもしれない。どちらにせよ、ソフィアは助からない。しからば、迷う必要もない。


「決めたのか?」

「ああ。やるよ、私。ソフィアを失って、おまえまで死なせるわけにはいかない」

「あ、そう」


 ウィルの反応に肩透かしを食らう。夜中は扇動しておきながら、今度はこれだ。思わず、リサはベッドに横たわるウィルを一瞥した。


「それだけか?」

「言っただろ。おまえが最後にどうするかなんて、判りきってた」


 確かに、アウクスベルクの宿で言っていた。癪ではあるが、まさしく彼の予想通りになったというわけだ。


「そうだな」


 リサは溜息混じりに呟いた。


 それから少しして、エリオットが二人のもとへとやってきた。彼は医務室へ来るなり、開口一番謝罪の言葉を口にした。


「今回の件、誠に申し訳ございませんでした」

「何でおまえが謝るんだよ?」


 深々と頭を下げるエリオットに、リサとウィルは眉根を寄せた。


「我が国で起きたことです。国に勤める者として、謝罪するのは当然のことです。それに、あなた方をお守りするのが、私の仕事でもありましたから」


 エリオットはこのような事件が起こることを想定していたのだろう。だからこそ、リサたちが街中を歩き回ることに良い顔をしなかった。


「勝手に出歩いたのは、私の方だ」

「それでも、監視の目が行き届いていなかったのは事実です。申し訳ございません」


 再々の謝罪に、二人は肩をすくめた。


「もういい。こうして生きているんだ」


 それより、とリサは続けた。ここは話を替えた方が賢明だ。


「明日にでもリオンに会いたいんだ」

「リオン様に?」


 リサから言い出されるとは思ってもいなかったのか、エリオットはわずかに目を見開いた。


「それでは……?」

「そういうことだ」


 彼女の返答にエリオットが顎を引いた。口元には小さな笑みが浮かんでいた。


「判りました。それでは、そのように手配しましょう」


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