「自由とは程遠い場所」
満腹になり、身体も温まった。三人は店から出て、広場の長椅子に腰を下ろした。
「それにしても、要職の人間がこんなとこで俺らの相手なんかしてていいのか?」
至極当然な質問に、エリオットが爽やかな笑みを浮かべる。
「ご心配には及びません。これが私の仕事でもありますから」
「俺たちの監視か?」
にこりと笑うエリオット。肯定とも否定ともつかない返事だ。
「私の仕事のことより、アークのお話を聞かせくださいませんか? こちらでは、アークの存在は夢物語のような存在でした。なにぶん、アークが存在する閉鎖大陸には我々でも近づくことは出来ませんから」
夢物語といっても、桃源郷を思い浮かべていたわけではあるまい。七百年も昔に、敵対した者たちが住まう地なのだ。
「リオンに聞いていないのか?」
「リオン様もアークについて詳しくはありません。前回、現界なさったのは七百年前なのですから」
エリオットが足下に落ちていた小枝を拾い、指先で弄ぶ。
「自由とは程遠い場所、かもしれない」
外界に来て、戸惑うことは山ほどあった。言葉は通じても、アークの常識は通用しない。通貨なる物の存在や、人々の心のよりどころとなる守護者。そして、自らの意思で行動出来る自由。アークとは違い、外界には無限の可能性が満ち溢れているように思えた。
「アークでは、街の外に出ることは出来ない。将来を選べるのも、一部の人間――カンヘルだけだ」
「将来を選べなかった者たちはどうなるのですか?」
ウィルが肩をすくめる。
「施設っていう、いうなれば収容所だな。無能のレッテルをはられた連中は、そこで住む場所と温かい飯を与えられて家畜のように一生をすごす」
エリオットは息を呑んだ。それに構わず、ウィルが続ける。
「アークに送り込まれたカンヘルは、アスクルを大人しくさせるために施設なんてものをつくったんだろう。住む場所と食べ物にさえ困らなければ、不満は最小限にとどめられる。不満なんてものがなければ、いざこざが起こることもない」
カンヘルの目論見通り、アスクルは七百年もの間大人しくしていた。しかし皮肉なことに、その間に腐敗したのは監視者たるカンヘルの方だったのだ。
「アークの政府上層部は、リガス教を利用し、結界の消滅を企んだ。あいつらはアスクルを滅ぼし、外界の同胞のもとへと帰ると言っていた」
思い返す度に、馬鹿げた計画だと悪態をつきたくなった。
「なるほど。申し訳ありませんが、それはレヴェリス様がお怒りになるのも仕方ない」
「謝る必要はない。俺たちも、救いようがない馬鹿だと思ってんだ」
エリオットが手にしていた小枝を滝壺に向けて放り投げた。
「くだらない計画です。しかし、そのような為政者はどこにもいるのでしょうね。ここシェーンバルトにも、己の保身ばかり考える政治家が山のようにいるのが現状です」
この男も苦労が絶えないようだ。
「救いは、大統領が実直な人だということでしょうね。でもなければ、私も冒険者になっていたでしょう」
沈黙が三人を包んだ。
元気の良い子供たちの声に耳を傾けていると、不意にウィルの後頭部に雪の塊が命中した。
「って!」
塊が飛んで来た方へと目をやると、悪戯顔の子供が二人、ウィルを指差して笑い声を上げていた。
「ざまーみろ!」
「おとこならぼーけんしろ!」
「や、やめなよー!」
大笑いする少年二人を制止しようと、少女が必死になってか弱い声を上げた。しかし、少年二人は少女の声に耳を傾けようともせず、足下の雪をつかみ力の限り握り固める。それを、ウィルに向けて投げつけた。
「くらえー!」
「だ、だめだってばぁ!」
ウィルは正面から投げられた雪玉を片手で弾き落とす。
「この野郎!」
少年の心を捨て切れずにいる大の大人が、大声を上げて走り出した。
「やべぇ!」
「にげるぞ!」
少年二人と今にも泣き出しそうな少女が走り出す。そして、少年の心を捨て切れずにいる大の大人が全力でそれを追い掛ける。
「やめろ、ウィル」
呆れたリサが制止の声を掛けるが、逃げ回る少年二人と同様、聞く耳を持たなかった。雪に足を取られて転びそうになる男に、エリオットは苦笑を浮かべるだけだ。周囲にいる者たちも笑うばかりでとめようとはしない。何とも大らかな大人たちだ。
それどころか、一部の者は少年に加勢してウィルに雪玉を投げつけた。それも全力投球だ。その一球に魂を込めて――はいないが。
「いってぇな、この野郎!」
ウィルも雪玉をつくり、周囲の大人に投げる。少年の心を捨て切れずにいる大の大人とはいえ、本物の少年に雪玉を投げつけることはしない。さすがに、そこまで大人げがない人間ではなかった。
「石でもいれてやるか」
――大人げなかった。リサは思わず嘆息を漏らす。
「リサさんは混ざらなくてもいいのですか?」
「おまえはとめに入らなくていいのか?」
「まぁ、子供は元気が一番ですから」
瞬間的に、この男は制止に入るのが面倒なだけなのだと悟った。
この状況に置いて面倒だというのは同感だが、静観に徹するのはいかがなものかと疑問に思う。仮にも、官僚ならば人に褒められる行為をすべきではないだろうか。
しかし、かくいうリサも静観に徹することにした。
ウィルは大人同士の雪合戦の後、背後から攻撃を仕掛けた少年たちを再び追いかけ始める。しかし、逃げ惑う少女がリサの前を通りすぎようとしたところ、雪に足を取られてしまう。
「きゃ!」
短い悲鳴を上げた直後、少女が地面に大の字に倒れた。一拍の沈黙の後に、少女が泣きじゃくりながら起き上がる。
「うぅ……いたいよぉ……っ」
リサは長椅子から立ち上がり、少女のもとへと駆け寄った。雪が積もる冷たい地面に片膝をつき、少女の顔をのぞき込む。
「大丈夫か?」
顔や服についた雪を払いながら、穏やかな声音で問い掛けた。
「痛いところは?」
「う……っ。てと……ひざ……、いたい……っ」
少女が泣きながら掌を見せた。小さな掌は赤くなっているが、怪我をしているわけではない。怪我をしているのは膝小僧だ。痛々しい擦り傷が出来ている。
頭を撫でながら、治癒魔法を掛ける。温かな光が少女を包むと、痛みが消えたのかすぐに泣きやんだ。
「もう痛くないか?」
「うん、いたくない! おねえちゃん、ありがと!」
リサは小さく笑い、もう一度少女の頭を撫でてやった。少女があどけない顔一杯に笑みを浮かべる。
「ごめんなぁ。怪我ないか?」
遅れて駆け寄ってきたウィルが身を屈めて謝る。
「だいじょぶ! おねえちゃんがなおしてくれた」
ウィルの顔の前に両の手を突き出し、にこっと笑う。
「そうか」
「すぐに泣きやむなんて、えらいな」
「えへへ」
ウィルも少女の頭を撫でるが、その彼を再び雪玉が襲う。
「なかせてんじゃねー!」
雪玉とはいえ、至近距離から投げつけられれば、それなりの威力がある。たとえ、投げた者が子供でも。
「いてぇって言ってんだろ!」
近くで雪玉を投げていた少年二人は、あっという間にウィルに捕まってしまった。彼は少年二人を肩に抱き上げて走り出す。
少年たちは拘束の手を逃れようと暴れるが、それはかなわなかった。しかし、しばらくすると楽しそうに笑い声を上げ始めた。
リサは、少女がその様子をどこか羨ましそうに見つめていることに気づき、少女を抱き上げて肩車した。
「うわー! たかーい!」
「はしゃぎすぎて落ちるなよ」
「だいじょぶだもん!」
彼女たちはしばらくの間子供たちと戯れた。
やがて広場から子供たちの姿がなくなり、リサとウィルは長椅子に腰を下ろした。
「あー。元気すぎるだろ……。疲れたぁ」
子供たちは遊んでもらったことで満足したようだが、大人三人は慣れない子守に疲労を隠せない。
「一番楽しんでいたのは、ウィルさんに見えましたが」
「そうだな」
エリオットの言う通りだ。
結果的に、リサもエリオットも子供たちに巻き込まれて雪合戦に参加することとなった。三人の服には雪がこびりついている。
「それにしても、リサさんは面倒見がいいのですね」
「普通だ」
「まぁ、こいつ一応は姉貴だからな。意外と面倒見はいいぞ」
「それは素敵な意外性ですね」
「ふざけるな」
リサの抗議の声にも、エリオットは微笑むだけだった。




