「人間は愛情深い生き物です」
さらなる騒動が起きたのは、五日後の未明のことだ。
爆発音――のような音と、甲高い悲鳴でリサは飛び起きた。窓の外はまだ暗い。夜が明けていないというのに、何とも活気のよい音が響いたものだ。
悲鳴が断続的に空気を震わす。他にも、ガラスが割れる音が何度もした。
ベッドから立ち上がると、扉が勢いよく開けられた。暗くて輪郭しか判らないが、おそらくは宿の主人だ。
「起きてくれ! ――って起きてるのか……」
「朝っぱらから何の騒ぎだ?」
窓の外が紅に光った。それと同時に、再び大きな爆発音と悲鳴が響く。
「竜だ! 竜が山から下りてきて、暴れてるんだ!」
「竜?」
アークでは竜の存在は伝説とされていた。外の騒ぎは尋常ではないが、リサには竜に対する危機感というものがない。
「早いとこ倒してくれ! このままじゃ、町が丸焦げになっちまう!」
強引に腕を引かれ、部屋の外に連れ出される。すると、通路でウィルの姿を発見した。
「よぉ。えらい騒ぎだな。安眠妨害も――」
「――そんなことはいいから、さっさと倒してこい!」
ウィルの言葉を遮り、主人が怒鳴る。怒鳴られた彼は、これ見よがしに肩をすくめた。しかし、反論の時間も惜しいと考えたのか、何も言わずに宿の外に出た。
正面の通りは、逃げ惑う人々で恐慌状態と化していた。泣き叫ぶ幼子を抱えて、竜から逃れようと必死に走る者や、何やら大荷物を抱えて逃げる者などその姿は多種多様だ。
「それで、何の騒ぎなんだ?」
騒ぎの中心へと向かいながらウィルが問うた。
「竜、だそうだ」
「竜だと? 未確認生物だな」
「飛んでいる」
うっすらと明るくなった空に、黒い影が浮かび上がった。大きな翼に、長い首と尾。四肢には鋭い爪が生えている。
「今、確認出来た」
竜が翼をはためかせながら、長い首を一振りした。次の瞬間、炎の玉が建物を直撃する。
熱風が吹いた。炎の玉が直撃した建物が燃え上がるが、幸いにも、建物に住む住人はすでに避難しているようだ。
竜の下には、立派な鎧と武器を手にした冒険者たちがいる。だが、宙を舞う竜に手をこまねいていた。
「使えない連中だ」
リサが呪文を唱えと、竜に雷が直撃した。それと同時に、ウィルが冒険者から奪い取った槍を投げる。
槍の穂先が竜の翼を貫いた。竜が体勢を崩し、建物の屋根へとしがみつく。直後、自身を攻撃した二人を標的と定め、広い通りへと舞い降りた。
「ここじゃまずい」
「誘導するぞ」
二人はうなずき合い、広場へと走り出した。すれ違いざまに、冒険者から武器を奪い取る。さすがに、あの敵相手に己の身ひとつでは心もとない。
広場へと入ると、リサとウィルは竜と正面から対峙した。
冒険者から拝借した武器を構える。武器は、使い慣れた剣ではない。長柄の槍だ。ウィルは小ぶりの剣を左右の手に握っていた。
まずは、動きを鈍らせるために翼を狙う。間合いの広いリサが竜の正面に立ち、ウィルが背後へと回った。
地面を蹴り、間合いを詰める。すると、竜が鋭い牙で噛み殺そう長い首を突き出した。。それを右に避け、横から穂先で突くが硬い鱗に阻まれ、思ったように刃は食い込まない。
一撃に執着しては危険だ。隙をつくらぬために、槍を回し柄で殴りつける。
その間、竜の背後に回ったウィルが尾の攻撃を回避して背に飛び乗った。翼の付け根に短剣を突き立て、飛び下り様に翼を裂く。
竜が悲鳴を上げて暴れ出した。風を巻き起こし飛び上がろうとするが、しかし、片方の翼が使い物にならない。
竜の身体がわずかに浮く。その下に潜り込み、鱗が薄い腹部に穂先を刺して振り抜く。
再びの悲鳴の後に、竜は地面に落ちた。だが、まだ死んではいない。首と尾をうねらせて、一層激しく暴れ出す。
リサとウィルは、一旦距離を置いた。すると、竜は地面を揺らしながら二人を追い掛ける。
「どうすんだよ……!」
走りながらウィルが問うた。
「すげぇ怒ってんぞ!」
「どうしようもない!」
逃げ回っていると、突如として竜が足をとめた。振り返ると、大きく開けた口の中には火の玉があった。
「まずい!」
火の玉が二人を襲う――直前に、リサとウィルは左右に別ち合った。
間一髪のところで火の玉を回避し、二人は反撃に転じる。左右から回り込み、竜の首を斬りつけた。
血飛沫が上がる。二人の背後で、竜の身体が崩れた。
一拍の静寂の後に、歓声が上がった。冒険者たちが竜の血に濡れる二人に駆け寄る。
「たった二人で倒しやがった!」
「すげぇな、おまえら!」
薄明かりの中で、冒険者たちがまるで自分のことのように嬉々とした表情を見せる。
「アークの奴らは、こんなに強いのか?」
「馬鹿野郎! 俺たちが強いんだ!」
「おい! 勝手に肩車するな! 早く下ろせ!」
「つれねぇこと言うなよ!」
二人は揉みくちゃにされながら声を張り上げた。リサを肩に乗せる大柄な冒険者は、制止の声も聞かず広場中を走り回り、どんちゃん騒ぎは空が完全に明るくなるまで続けられた。
奇跡的に死者はいなかった。怪我人は多数いたが、魔法を専門とする冒険者たちがすぐさま治療に当たってくれたのが幸いした。
しかしながら、街は悲惨な状況だ。広場は荒れ果て、何棟もの家が全焼してしまった。
広場に転がる瓦礫に腰を下ろしながら、リサとウィルは慌ただしく動く警備兵たちを眺めていた。
リサとウィルに倒された竜は、殺されずに捕縛された。どうやらあの竜は飛竜という種らしく、調教して騎乗用に育てるようだ。
凶暴な魔物を育てることが出来るのかと思ったが、外界では竜に騎乗するのは当然のように行われているらしい。冒険者の中には自分の飛竜がいるものもいるという。
「乗り心地がいいかは判らねぇけど、空を飛べるのは便利そうだな」
外界にはモノレールなどの列車がない。長距離の移動に、飛竜は持ってこいなのだ。
「一応乗っただろう?」
「飛んでねぇし。振り落とされないか冷や冷やしたんだぞ」
「そうは見えなかった」
リサはウィルを軽くあしらう。
二人が互いに減らず口を言い合っていると、広場に護衛二人を伴ったリオンが現れた。彼女はリサの姿を認めると、護衛の者に何か言った。護衛二人がリオンのもとを去って行く。
「御苦労様です。この町を救っていただき、何と礼を申せば良いか」
「礼なんていらない」
目の前にやってきたリオンは、相変わらずの無表情だった。
「態々礼を言いに来たのなら、無駄足だ」
「それだけではありません」
リオンはリサの隣に座るウィルに向き直った。
「少しの間、リサ殿をお借りいたします」
「返してくれんならいいぞ」
「物扱いするな」
ウィルはにやりと笑うが、リオンは口元を緩めなかった。
「では、こちらへ」
リサは溜息を漏らした。しかし、背を向けて歩み出したリオンの後を追う。
二人が向かったのは、先日リオンと対面した建物の裏にある湖だ。夜が明けて間もない今、水面は氷で覆われていた。
リオンが氷の上を歩く。リサは湖畔に残り、ゆっくりと遠ざかるリオンの背を見詰めた。
「先日は申し訳ありませんでした」
「悪いと思っていても、後悔はしていないんだろう?」
反応はない。それが答えだ。
「だったら、謝るな」
リサは腕を組んで言った。
リオンの使命がカンヘルの守護であれば、レヴェリスの打倒を目的とするのは仕方ないことだ。レヴェリスを打倒するために、ソフィアを殺すことを悪いと思っているのも、また事実だろう。
「あなたは、ソフィア殿をとても大事にされているのですね」
「当たり前だ。たったひとりの妹なんだぞ」
「妹だからではなく、あなただから大切にされているのだと思いますが」
リサは片眉を吊り上げて見せた。
「なら、ジュードさんもだ。あの人も、ソフィアを大切に想ってくれている」
「ええ。そうなのでしょうね」
リオンが東に聳える山を見上げた。
「人間は愛情深い生き物です。時には愛情が深すぎるが故に、過ちを犯すこともありましょう」
「ジュードさんのことか?」
リオンがうなずいて見せた。彼女が言わんとしていることは理解出来る。
「私も、アークを滅ぼすかもしれない」
「あなたは滅ぼそうとは思っていません」
「仮にレヴェリスと戦ったとして、勝てる保証はない」
「ならば、それまでです。レヴェリスによってアークは消滅する」
食えない守護者だ。アークのカンヘルを本当に救いたいと思っているのだろうか。
「おまえは、どうしてレヴェリスを説得しないで打倒しようと思ったんだ? 確かに、アークにもカンヘルはいる。けれど、アークの人類が滅んだところでカンヘルが絶滅するわけじゃないだろう」
リオンがリサに身体の正面を向ける。無表情の顔が、何故かこの上なく真剣に見えた。
「アストルムが望んでいないから、というのが一番の理由です。説得の道を選ばなかったのは、彼の者が融通のきかない頑固者だからです」
「じゃあ、他には?」
「ザインの影響でしょうか」
リオンは静かに続けた。
「正直なことを申せば、七百年前にわたくしもアスクルを見捨てようとしました。しかし、ザインの想いを知り、アークに監視者としてカンヘルを遣わしたのです。そのせいで、アークの人類が滅ぼされようとしているのなら、わたくしは責任を果たさねばなりません」
「アークにカンヘルがいなければ、おまえは現界しなかったのか?」
リサの問いにリオンはかぶりを振った。
「判りません。アスクルの生存はザインの願いでもあります。アスクルの滅亡は、彼の者の行為を無下にすることでもあります。わたくしには、それが彼の者の存在を否定するような気がしてなりません」
リオンの思いは、リサにも理解出来る。
リサは十五歳になる少し前に母親を亡くした。ソフィアには隠していたが、半年以上前から母親の命が長くないことを知っていた彼女は、先に亡くした父親と同じ職に就くことにしたのだ。
父親との思い出も多くはなかった。それでも同じ職を選んだのは、無意識に父親の存在を再確認しようとしたのかもしれない。
「それに、リサ殿。わたくしはよい機会だと思っているのです。人類が守護者から自立し、本当の意味で人類史を刻むために、人の手で守護者を打倒していただきたいのですよ」
「守護者の存在を信じてもいなかった私たちに、そんな大それたことを委ねるのか?」
「信じていなかったからこそ、信じている者よりも強いはずです」
躊躇いがない、そういうことだろう。しかし、器はソフィアだ。戦う以前の問題である。
それに加え、甚だ疑問に思うことがあった。
「ひとつ聞きたいんだが……」
「何でしょう?」
「守護者はカンヘルを器として現界するんだろう? ならば、仮にソフィアを殺しても他の奴に乗り換えられたら意味がないだろう?」
リオンがかぶりを振る。
「心配には及びません。憑依にも制限があります。守護者は器を得ることで力を発揮しますが、しかし器を得ることは死の危険を伴うことでもあります。器が外的要因で絶命すれば、憑依している守護者もまた絶命するはずです」
つまりソフィアを殺しても、無駄死ににはならないということだ。殺すかどうかは別として、と心の中で付け加える。
「封印は一月ばかりしか持ちません。長くはありませんが、悔いがないように考えてください」
リサは返事をしなかった。ただ、この先どうなるのか、予感はしていた。




