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「レヴェリスを殺してください」

 リサたちは二日後にリオンのもとへ出向くよういわれた。


 リオンと面会の日になり、リサは数日ぶりに外へと出た。この二日間、リオンは姿を現さなかったが、彼の者に仕える者が幾度となく三人を訪れた。


 外は雪化粧をしていた。木の枝や落葉の上、建物の屋根も白く染められている。吐き出す息も白く染まった。

 空は虚しさを覚えるほど澄みきっていた。

 町の背後には、高い岩山が天を刺すように聳える。どこかクレムスに似た町だと感じた。


 リサはこの二日間で、結界の外――外界のことを教えられた。教えられたといっても、ウィルとジュードも詳しくは判らぬようで、説明は大雑把なものだった。

 三人が滞在しているこの町はアウクスベルクと呼ばれているらしい。中央大陸西部を領地とするシェーンバルト共和国に属するとのことだ。

 領地国家と呼ばれる国は、シェーンバルトと北東部に位置するアルトリッター王国、北方小大陸を支配するアルビオン公国の三ヶ国だけだ。他には都市国家と呼ばれるひとつの都市を国とする国家がいくつか存在すると教えられた。


 耳にしたこともない言葉がいくつも出て来て、覚えるのには苦労した。


 見掛ける人々は見たこともない服を着ていた。平服はアークのものと大きく変わらないが、それでも少しばかり違う。リオンの使いとして訪れた者は、ずいぶんと変わった恰好をしていたが。

 中でもアークと違うと感じたのは、武装した人間の多さだった。鎧を着込んだ者やローブを纏った者をいたるところで見掛けた。不思議な光景に、今さらながら外界に来たと思い知らされた。


「今日は女も一緒なのか?」


 鎧を身につけ、槍を背負った男がウィルに声を掛ける。多くの者が、リサに好奇の目を向けていた。


「今日は三人で、リオンに会う約束をしてんだ」


 ウィルが親しげに返す。


「リオン様、だ。アークの奴らは、守護者様を何だと思ってるんだ?」


 しかつめらしい表情で問われ、ウィルは肩をすくめて見せた。


「アークのカンヘルは守護者も神様も信じちゃいねぇよ」

「神様?」


 男の背後にいた帯剣した者が声を押し殺して笑う。その光景は何とも不愉快だった。


「まぁ、リオン様がお話してくださるんだろう。無礼がないようにな」


 男二人は三人のもとから離れていった。


「ずいぶんとリオンは崇められているんだな」

「ここの奴らは神様じゃなくて、リオンと星を信仰してるんだと」


 カンヘルの守護者を信仰するのは判るが、星はいうなれば物体だ。信仰の対象にはなり得ない気もするが、レヴェリスが不可解なことをいっていた。アストルムに命じられた、と。

 アストルムとは、この世界――つまり星の名である。物体に命じられることなど、あり得ないとしかいいようがない。


「俺たちもよく判らねぇ。リオンに聞くしかねぇだろ」


 ウィルの言う通りだ。これから面会する守護者に根掘り葉掘り聞くしかないだろう。


 雪の照り返しに目を細めながら、一行は凍りついた湖の上に建つ木造建築の前までやってきた。

 高床式の階段を上がると、高い背もたれを持つ玉座に座した少女の姿が目についた。少女は使いの者と似た民族衣装を身に纏っている。

 玉座の両隣には、槍を手にした鎧の男が立っていた。護衛なのだろう。二人とも大柄で威圧感があった。


「ようこそ、お越しくださいました」


 澄んだ声だった。しかし、感情を読取ることは出来ない不思議な声でもある。


「はじめまして、リサ殿。お会いするのは二度目ですが、レヴェリスと対峙した折、あなたは意識を失っていらっしゃいましたから」


 気を失う直前に光を感じた。おそらくは、リオンの仕業だったのだろうと推測する。何をしたかは判らないが。


「ご無事で何よりです」

「助けてくれたのは、あんただろう?」


 リサの無礼な言動に護衛の男が一歩前へ出るが、リオンがそれを制した。


「ええ。その通りです。あの時、わたくしはあなたに治癒魔法を掛け、そしてレヴェリスに深手を負わせました。しかしながら、打倒には至っておりません。ただ、弱った彼の者を封印したにすぎない。単なる一時凌ぎです」


 一時的とはいえ、封印して時間が稼げたからこそ、リオンはここにいるのだ。


「さて、本日はあなた方にすべてを教えて差し上げましょう。そして、わたくしからのお願いがひとつございます」


 リオンは、それにつきましては最後にと付け加えた。そして、護衛と使いの者に人払いを命じた。


 野次馬たちの姿がなくなると、少女は一度天を仰いだ。玉座からでは、仰いだとしても天井しか見えないだろうが、それでも天を仰いだ。


「――あなた方は、この世界に絶対的な存在はいると思いますか?」


 突如として問われ、三人は眉をひそめた。


「いや……。いないだろう」


 有神論者であれば、躊躇いもなく『神』と答えるのだろう。あるいは、リオンもそう答えられると考えていたのかもしれない。しかし、生憎三人は無神論者だ。


「幾万年もの昔、あるアスクルは絶対的な存在を仮定し、『神』と呼びました。これが、リガス教の発端です」


 絶対的な存在を仮定するとは、やはり神など存在しないのだ。おこがましいと鼻で笑うが、続けられた言葉に思わず目を見開いた。


「それ自体は、間違いではありませんでした。我々の世界において、絶対的な存在は星の意思であり、それを『神』と呼んだだけなのですから」


 リオンの言う通り、この星に住まう者にとっては、星は絶対的な存在だ。星の存在なくして、自らの存在もなし得ないのだから。しかし、星の意思とはどういうことか。


「我々はその意思を、アストルムと呼びました。アストルムと神は同じ存在だったのです」

「――だった?」


 含んだ物言いに疑問を感じた。


「ええ。しかしながら、リガス教は長い歳月の中で、神が星と守護者と人類をつくり出した創造主であるとしたのです」

「つまり、神が創造主とされたことで、アストルムは完全に別の存在となった。そういうことだな?」


 確認の問いに、リオンは黙したまま顎を引いた。


「神の召喚に失敗したのは、始めから存在しないものだったから、か」


 リガス教はその真実を知る由もなく、長い間架空の存在を崇め続けてきた。

 ダグラスたちは、すべてを知っていたのだろう。だからこそ、神の召喚が失敗し、レヴェリスが現界すると判っていた。


「星は創造の力と破壊の力を持っています。しかし、自由に力を振るうことは出来ない。それは、この世界に起こり得るすべての事象が、偶然であることを意味します。我々竜やカンヘル、アスクルが生まれたのも、すべては偶然」


 今あるすべてのものが偶然の産物だというのなら、一体どれほどの奇跡が積み重なったのだろう。まったく、気が遠くなる話だ。


「ただ例外は守護者です。我々、三体の守護者は幾千万年もの昔に竜として生まれ、アストルムと友になりました。そして、頼まれたのです。世界、カンヘル、アスクルの守護を。我々は頼みを引き受け、アストルムの力を以ってして永久の霊魂となったのです」


 確かに、守護者の存在は異質だ。魂だけが存在するなどあり得ないのだから。


「アストルムは、人類が世界を豊かにすると考えたのでしょう。だからこそ、守護者を授けたのです」

「なら、レヴェリスは? 世界なんて、そう簡単に滅びやしないだろう?」


 人類が滅ぶのは比較的に起こりやすいことに思える。故に、守護者が設けられた。しかし、世界は簡単に滅ぶものではない。


「星には自らを守るための、いわば防衛機能が存在します。ですが、規模の大きさ故に防衛機能が作用すれば、人類に限らずあらゆる生命が滅亡することになる。アストルムは、それを拒んだのです。ですから、小規模の防衛機能としてレヴェリスに世界の守護を頼んだようです」


 リオンの話によれば、アストルムはよほど人類が好きなのだろう。さもなければ、摂理に反してまで人類の守護者を依頼するはずがない。


「ずいぶんと愛情深いんだな。アストルムは」


 しかし、アストルムが守護者としたレヴェリスのせいで、アークの人類は危機に瀕している。一部の者たちには、自業自得だといってやりたいものだが、計画に無関係の者たちまで殺されようとしているのだ。


「――レヴェリスの目的は、お聞きしました」


 しばしの沈黙の後に、リオンが言った。


「アークの人類を殲滅するとのことですね?」


 口にしている言葉は大それたことだが、リオンの口調は至極淡々としていた。表情も一瞬として変わってはいない。


「リガス教の企てとレヴェリスを利用し、アスクルの滅亡を企んだ者たちに同情の余地はありませんが、アークの人類を滅することに賛同は出来ません」


 リオンは続けた。


「七百年前の大戦で我らが友ザインは、その霊魂と引き換えにアスクルを救った。激情家であるレヴェリスは、大戦の折にアスクルを滅ぼそうと申しておりましたが、ザインに免じて一度は見逃しました。しかし、例えアスクルがもう一度道を誤ろうとも、ザインの行為を無下にすることは出来ません。まして、今回は私の使命が脅かされようとしているのですから」


 意を決したように、リオンが立ち上がった。杖を片手に三人の前に歩み寄り、そして片膝を着いた。深々と、頭を下げて言う。


「酷なことを申すのは、重々承知しております。ですが、お願いです。レヴェリスを殺してください」


 堰を切ったように、激情が溢れ出した。頭に血がのぼるとは、まさにこのことだ。リサは無意識のうちに、目の前で頭を垂れる少女の胸座を取った。


「ふざけるな……っ! 私に、妹を殺せというのか⁉」

「貴様っ! リオン様に……っ!」


 護衛の男二人が、穂先をリサに向けた。すると、ウィルとジュードが同時に槍を弾いて戦闘に入る。


「おやめなさ……っ」


 リオンが男たちを制止しようと声を出す。だが、最後まで口にするよりも早く、ウィルとジュードは屈強な男二人を床に倒していた。


 リサは怒りに任せ、リオンの華奢な身体を突き放した。


「……驚きました。アークの方々は、こんなにもお強いのですか?」


 尻餅をついたリオンが、驚いた様子もなく問うた。


「軍人を舐めるなよ」


 珍しくも、ジュードが吐き捨てた。さらに、唸るような声で続ける。


「仮にも守護者なら、殺すことじゃなく救うことを考えろ! レヴェリスの器となったソフィアも、おまえが守護を命じられたカンヘルなんだぞ!」

「彼女ひとりの命と、幾千万ものアークの人類とを天秤に掛ける余地があるとお思いですか?」

「だったら、おまえが殺せばいいだろう? 私たちに押しつけるな」


 それが守護者たるものの使命だろうと思わずにはいられなかった。


「出来ません。わたくしの力はレヴェリスに及びませんから。勝負は目に見えております」

「おまえが敵わないというのなら、私たちはなおさら敵うわけがない。あの時、手も足も出なかったんだぞ」

「ですが、次は判りません。我々も微力ながら、お力添えいたします」


 戦う前から負けを認めた者の力添えなど、たかが知れる。


「――おまえは、私たちに死ねといっているのか?」


 勝ち目のない戦いを挑めなどという無謀な願いは、返せば挑む者の死を求めているとも考えられる。


「そう思われたのなら心外です。わたくしは守護者なのですから、望んでカンヘルを殺すようなことはいたしません。ソフィア殿のことは、致し方ないことなのです。多くの命を救うためには、捨てるべき命も存在します。それとも、ソフィア殿がレヴェリスに利用され、望んでもいない殺戮者となることを望みますか?」


 リサは舌打ちした。何とも、安い脅しだ。


「レヴェリスは、あなた方三人を見逃すはずもないでしょう。特に、ジュード殿はアスクルの血をひいているのですから」


 リオンの言う通り、ジュードは純血のカンヘルではない。意識していなかったが、外界においてアスクルの血をひいているのは彼だけなのだ。


「器となった以上、妹殿が助かる術はございません。それならば、せめて殺戮者となる前に――」

「――もういい」


 低い声で言い、リサは踵を返した。これ以上話したところで、進展の見込みはない。気分を害するだけだ。生産性のない会話を続ける謂われはない。

 ウィルとジュードも踏みつけていた護衛を解放し、彼女に続いた。


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