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「我は使命を果たす」

 一行が歩み出したその時だ。前方の左側に分かれた通路の先が眩く光を発した。

 三人は顔を見合わせた。言葉も交わさず、一斉に光を発した場所へと走り出す。


 心臓が早鐘を打った。


 通路を曲がると、扉の隙間から明かりが漏れていた。先頭を走っていたリサは、躊躇いも見せずに扉を開け放つ。

 視界が開けた。

 そこは、竪穴の大空間だった。周囲は切り立った断崖に囲まれている。仰ぐほど崖の上には、空と木々が映し出されていた。

 地面には大きな円状の紋様が描かれている。一瞬にして、それが魔法陣だと理解するが、しかし、何よりも先に目に入ったのは陣の中心に立つものだった。


「これは……?」

「神……なのか……?」


 魔法陣の縁に立つ枢機卿が戦く。

 魔導石の山の中に立つものは、神と呼ぶにはあまりにも醜い姿をしていた。まるで亜人を彷彿とさせる体躯。二つの頭部から生える反り返った角。拳は人間の子供ほどの大きさで、五本の指から伸びる鋭い爪は、まるで矛のようだった。


「これが、おまえたちの信仰する神様とやらか?」


 手の震えを隠すために剣を抜く。


 突如として現れた軍人にも、リガス教の面々は反応を示さなかった。彼らにとっては、軍人の存在よりも、目の前に召喚された異形のものの存在が信じられないのだ。


「馬鹿な……っ! これは一体……!」


 目の前に広がる光景を受けとめきれないある老人が喚く。また、ある老人は茫然自失という風情で、床に膝をついた。


「神なんて、いるわけがないんだ」

「なんともねぇなら、無駄口叩いてないでさっさと倒しちまおう」


 巨大な悪魔を前に、我を忘れず踏みとどまれたのは奇跡だった。普段は精悍な顔に不敵な笑みを浮かべるウィルも、今回ばかりはそうもいかない。口元を歪めてはいるが、眼差しが真剣そのもだった。


 空気を震わす咆哮ひとつ。異形のものが魔導石が転がる地面に拳を打ちつけた。

 地面が波打つ。信じられないことに、拳で魔導石が粉々に砕け散った。


「こりゃ、さすがにまずいな」


 地揺れに耐えきれず、膝をついたウィルが呟いた。


「まずくても仕留める」


 背後で呆然と立ち尽くす元上官に呼び掛ける。


「ルーカス少尉! 早く避難を!」

「わ、判った……!」


 リガス教の聖職者たちがどうなろうと、リサの知ったことではない。しかし、ジュードは違った。

 彼は近くにいた枢機卿を、乱暴な手つきで引き起こした。さらに他の聖職者のもとに駆け寄り、次々と大空間の外へと連れ出した。

 首謀者たちを見捨てぬのは彼らしいが、一度に全員を連れ出すのは不可能だった。動けずにいたひとりの聖職者に異形のものが狙いを定める。

 異形のものが一歩一歩動く度に、地面が揺れた。拳が振り上げられ、そして空気を裂く。すると次の瞬間、殴り飛ばされた老体が崖に衝突し、えも言われぬ音を発した。

 関節があり得ない方向に曲がり、崖に赤い染みをつくる。一拍置いて、老体は地面に落ちた。


 リサは歯を食い縛った。異形のものは動きが遅いが、巨体故に一撃一撃が脅威でもある。あの拳を避けきることが出来なければ、治癒魔法など意味をなさない。間違いなく即死だ。

 彼女は守護魔法を唱えた。先程の拳の威力を目の当たりにした今では、守護魔法も気休めにしかならない。

 リサはさらに、身体能力を向上させる強化魔法を自身とウィルに掛けた。

 身体が軽くなる。手にしていた剣の重さも半減した。


「行くぞ!」


 二人は同時に地面を蹴った。異形のものの左右から間合いを詰める。

 異形のものが標的ととらえたのは、先に間合いへと踏み込んだウィルだった。彼に身体の正面を向け、右の拳を振り下ろす。

 ウィルは横に跳び退き、冷静に拳を回避した。刹那、一歩踏み込み、太い指に剣を振るうが、刃は分厚い爪に阻まれた。


 意識がウィルへと向いた隙に、リサは脚の腱を狙う。地面を強く蹴りつけて跳び上がると、強化魔法の効果で通常ではあり得ないほどの高さまで身体が浮いた。

 腰を捻り、空中で姿勢を逆転させながら剣を斬りつける。だが、思いの外皮膚が厚い。刃は皮膚を浅く斬っただけだ。

 異形のものの身体を蹴り、素早く着地する。再び斬り掛かろうと構え直し、しかしリサは地面を転がって間合いを取った。異形のものが、脚を攻撃した彼女を振り払おうと足を振るったのだ。


 一度深呼吸して走り出す。リサと異形のものの間にウィルが割り込んだ。彼に目掛けて正面から拳が飛ぶ。

 ウィルは跳び上がって攻撃を回避した。拳はリサの目の前まで迫ったが、届きはしなかった。静止したかに思える拳に横薙ぎの一閃を食らわす。同時に、拳に飛び乗ったウィルが手の甲に剣を突き刺すが、二人の攻撃は太い骨に阻まれてしまう。血は流しているが、その巨体から考えるに大した怪我ではない。興奮させるばかりで、動きが鈍くなることはなかった。


 異形のものが手を振り払う。乗っていたウィルが体勢を崩し、落下したのを受けとめるが、共に倒れてしまう。そこに、違う拳が襲い掛かった。

 二人は慌てて転がり、横から襲う拳を回避する。しかし、続けてもう一方の手が二人を握り潰そうとやってくる。

 つかむことが目的のためか、動きは速くはなかった。リサは立ち上がり、向かってきた手の付け根――手首の筋を断とうと剣を振り下ろす。

 刃が皮を裂き、筋に当たる。その感触を感じ取り、一層の力を込めた。だが、直後に攻撃が変わる。リサとウィルをつかみ掛かろうとしていたのだが、斬撃を受けて巨大な手を振り払ったのだ。

 回避する暇もなく、リサは全身に衝撃を感じた。肺の空気が押し出され、息が詰まる。


「リサ!」


 ウィルの叫び声が聞こえた時には、魔導石が転がる床に突き飛ばされていた。

 全身がひどく痛んだ。起き上ろうにも、身体に力が入らない。再び目をあけることが出来たのは奇跡だった。


 剣を支えに起き上ろうにも、その剣を手放してしまったようだ。

 視界の隅で、拳が振り上げられたのを認めた。

 全身を叱咤し、ようやくのことで上体を起こした時だ。不意に全身の痛みが消え、身体が浮いた。一瞬にして、ウィルに抱き上げられたのだと理解する。

 跳び退いた次の瞬間には、先程までリサが倒れていた場所を大きな拳が通過した。


 充分に距離を取ったところで、二人は体勢を立て直す。


「無茶すんな!」

「すまない……っ!」


 地面を揺らしながら異形のものが距離を詰める。


「俺が引き寄せる。その間に剣取れよ!」


 リサは黙したままうなずくが、ウィルはそれを見ることなく地面を蹴った。

 異形のものの間合いに、正面から跳び込む。右の拳が横から襲い、それを避けると、続いて左の拳が上部から落とされた。

 ウィルが襲い掛かる拳を避け、太い手首に剣を突き刺す。その後、背負うようにして雄叫びと共に振り上げた。


 その隙に、リサは手放してしまった自身の剣を拾い上げる。しかし、視線を上げて舌打ちした。

 ウィルの攻撃が、異形のものの逆鱗に触れた。手首から鮮血を流しながら、ウィルを潰そうと咆哮を上げながら拳を振るっている。

 むやみやたらと振り回される拳に翻弄されながらも、ウィルは巧みな足捌きで回避に徹している。


 リサは目を閉じて、呪文を唱えた。全魔力を絞り出すように、意識を集中させる。

 異形のものの足下に光る魔法陣が出現した。それと同時に、異形のものを囲むように無数の光の刃が浮かび上がる。

 呪文を唱え終えると、光の刃が一斉に異形のものを襲う。四方八方から光の刃に貫かれ、異形のものが動きを鈍らせた。

 一旦間合いを確保するには充分な隙だった。しかし、あろうことか、ウィルは拳に飛び乗って腕を駆け上がる。


「馬鹿! よせ!」


 リサは反射的に叫んだ。反撃に打って出るなど、あまりにも無謀だ。


 腕を駆け上がったウィルが、一方の頭部の片目に剣を突き立てた。

 二つの口から、鼓膜を裂くような悲鳴が上がる。異形のものは激しく頭を振り、肩に乗った男を振り落とそうと暴れる。

 暴れる巨体から逃れられるわけがなかった。


 ウィルが転げ落ちる。落下の衝撃を緩めようと剣を突き立てるが、異形のものは一層激しく暴れ出した。


 リサは舌打ちした。暴れる巨体の股を潜り、振り落とされたウィルを受けとめる。

 今や三つ目になった異形のものが、二人を踏み潰そうと足を踏み鳴らした。巨体に踏み潰され砕けた魔導石が飛び交う中を駆け抜け、間合いを取る。

 飛び交う魔導石の破片が頬を掠めた。大きな破片が身体を殴るように打ちつける。だが、痛みに構っている暇はなかった。


 異形のものと充分な距離を取り、荒い息を繰返す。


「死にたいのか⁉」


 怒鳴りつけるが、ウィルは反応を示さず、再び剣を構えた。直後、二人の身体を温かな光が包み込んだ。


「何とか、生きているみたいだな」


 リサとウィルに治癒魔法を掛けたのはジュードだった。


「悪いが、応援は来ないぞ」


 ジュードは顔を引き攣らせていた。


「もしもの時は、生き埋めにしろと言ってきた」


 リサとウィルも引き攣った笑みを返す。


「だったら、少尉も逃げろよ」

「おまえらをおいて逃げたら、怒られそうだからな」

「誰に?」

「色々な奴だ」


 ジュードが二人の肩を力強く叩いた。


「サポートくらいなら出来る。だから死ぬなよ」


 三人は拳を合わせた。その後うなずき合い、リサとウィルが駆ける。


 鼻息の荒い異形のものの間合いに跳び込み、左右から攻撃を仕掛けた。勢いよく振り回さる腕を避け、足下へと滑り込む。狙うは脚の腱だ。

 二人はほとんど同時に跳び上がり、腱目掛けて突きの構えを取った。しかし、異形のものが動いたことで、切っ先はわずかに腱を逸れる。

 剣を引き抜くことを諦め、着地して転がる。ウィルも同様に、異形のものから距離を取った。異形のものが、追撃しようと足を振るう。だが、ジュードが唱えた魔法により、異形のものは彼を標的と定めた。


 ジュードとの距離を詰める異形のものを追い抜かすと、彼は心得たように鞘ごと剣を投げ渡した。

 受け取った剣を抜き、正面から異形のものに躍り掛かる。右から襲う拳の奥へと回り込み、手首の筋を断った。

 おびただしい量の鮮血が流れ出すが、攻撃の手は緩まない。ジュードが魔法で攻撃するが、怪我を負うたびに異形のものは狂暴化する。


「駄目だ! 一旦離れるぞ!」


 ウィルが叫び、三人は一度異形のものと距離を置いた。


 ジュードが加わったことで、幾分隙が増えた。しかし、決定的な隙をつくり出すことは出来ない。このまま戦いを続けたところで、勝ち目はない。何とか、脚の腱を断つことが出来れば動きを封じられるのだが、二度も失敗した今、異形のものも警戒している。

 リサは歯軋りした。何か打つ手はないかと思案を巡らす。だが、考えども名案は浮かばない。


「――情けぬ。カンヘルも堕ちたものだな」


 どこからともなく声が響いた。三人は目を見開き、声の主を捜す。否、三人だけではない。異形のものまでもが、声の主を捜そうと躍起になっていた。


「どこを見ている? 貴様らの目は節穴か?」


 その場にいた全員が息を呑んだ。

 三人の視線の先――異形のものの足下に、ふわりと女性が降り立った。


「ソフィア……?」


 三人が口の中で呟く。リサの目に映ったのは後ろ姿だったが、見間違えようもない。突如として現れた人物は、彼女の妹であるソフィア・ディオンその人だった。


「またしても星を穢すとは、アスクルは救いようのない愚か者だ」


 異形のものを中心に、魔法陣が展開する。魔法陣が発した目が焼けんばかりの光に、三人は顔を背ける。


 異形のものが苦しそうに悲鳴を上げた。


「消えろ」


 頭に響く悲鳴が消えると同時に、突き刺さすような光も収束する。目を開けて振り返ると、信じ難いことに異形のものの姿が跡形もなく消えていた。


「消えた……?」


 ソフィアがリサを振り返り、あどけない顔に似つかわしくないふてぶてしい笑みを浮かべた。


「自らに課せられた使命も忘れ、愚かにも星を穢すことを許すとはな。我は、アスクルを滅するとは一言も口にしておらんぞ」


 空気が張り詰める。見慣れたソフィアの服には、赤い染みがついていた。その染みが血痕であることはすぐに判った。ソフィアは、すでに誰かを殺している。


「おまえ……レヴェリスか……?」

「いかにも。我がアストルムより世界の守護を命じられたレヴェリスである」


 ソフィア――レヴェリスがゆっくりとした足取りで、リサとの距離を縮める。


「どういうことだ⁉ 器はリサじゃなかったのか⁉」

「それは愚か者たちが勝手に申しておったことだろう? 我はその者よりも魔力の強いこの身体を選んだにすぎん」


 ウィルの怒鳴るような問いも、レヴェリスは意に介しない。しかし、余裕に満ち溢れた笑みとは裏腹、その瞳には憤怒の炎が宿っていた。


「大した魔力だ。この世ならざるものを消滅させたというのに、まだ湧き出てくる。カンヘルといえど、これほどの力を持つ者は他におるまい」


 リサは唇を噛む。口にしたら現実になってしまうような気がして、言い出すことが出来なかった。ダグラスに己が器となった理由を聞かされた時に、頭の隅に追いやった思考が現実になってしまったのだ。


「――ソフィアを解放しろ!」


 無意識のうちに、腹の底から声を出していた。そして、剣の柄を握り締め、地面を蹴っていた。


「やめろー!」


 ウィルの制止の声も耳に届かなかった。

 彼女は脇に構えた剣を引き、走る速度を殺さぬままレヴェリスに向かい剣を振るう。しかし、水平斬りは一歩下がって避けられてしまった。

 ソフィアの身体だというのに、軍人であるリサよりも機敏な動きだった。これも守護者の力なのだろうかと考える――余裕はなかった。

 リサはさらに踏み込み上段から剣を振り下ろすが、その刹那、レヴェリスが一歩間合いを詰めた。華奢な腕では考えられないほどの力でリサの左手首をつかみ、肘に拳が打ち込まれる。


「っ!」


 関節が逆に曲がり、激痛が走った。折れた腕を容赦なく捻じ曲げられ、地面に蹴り倒される。

 すぐさま起き上がろうとするが、背中を踏みつけられて這いつくばる。折られた腕を拘束され、えも言われぬ痛みに歯を食い縛る。額に脂汗が浮かび上がった。


「放せ……っ!」


 喉の奥から声を絞り出すが、背に一層の重さが加わり息を詰まらせる。


「星を穢せしものと守護者たる我を利用する愚かなカンヘルよ。腐りきったアークの人類を殲滅し、我は使命を果たす」


 レヴェリスはリサの軍靴からナイフを取り出した。

 ナイフの冷たい刃が首筋に宛がわれる。全身の皮膚を這うような死の恐怖に、抗う術はなかった。


「リサー!」


 首に鋭い痛みが走った。直後、乱暴に仰向けにされて、鳩尾に衝撃が走る。

 口内に血の味が広がった。

 リサは漠然とした気持ちで、自身の死を悟った。ぼやける視界の中で、ウィルが走り出したのを見た。しかし、眩い光を感じた後に、彼女の世界は暗転した。


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